閑話 陸前希凛
陸前希凛は珍しく苦悩していた。いや、この書き方では語弊がある。希凛はいつも悩んでいる。手探りの探索、パーティメンバーの成長具合の確認、各装備やパーティ運用費のやりくり。メンバーも手伝ってくれるが、決断するのはリーダーである希凛の仕事だ。常に悩み、その時考えられる最善を選び続けようと日々苦悩している。
そんな希凛が、今回は取り分け悩み抜いていた。何を悩んでいるかと言えば、彼女の友人である鈴鹿をギルドに勧誘するかどうかという問題だ。
希凛には目標にしていることがある。特級探索者へと至ること、自分のギルドを立ち上げること、探索者の自由な活動を支持することだ。ギルドの立ち上げは存在進化を経てから行うつもりだ。学生のうちに存在進化を経てのギルド創設。話題には事欠かないだろう。
探索者を目指す者たちに自分なりのやり方を模索して行ってほしい。そう思うきっかけを与えることが、ギルド創設の目的に含まれている。であれば、ただギルドを創設すればよいわけではない。話題性は重要だ。多くの探索者高校に通う、ないしは目指す学生たちへ届ける必要があるのだから。彼らの目に留まり耳に入れる必要がある。強くなりたいなら自分で考えて進めという思想を。今の職業としての探索者が当たり前になっている世の中に、夢を追い求める自由な選択肢も取れてよいだろうと一石を投じるために。
現在の探索者の多くは、探索者高校に通う。そして、教員たちの指導のもと基礎訓練を行い、人数を集めてモンスターを囲んで安全に倒してゆく。卒業するときには既存の探索者ギルドに就職し、与えられたノルマをこなす日々を送る。その探索者像は、希凛が夢見た探索者像とは異なっていた。敷かれたレールを進むのが、果たして探索者と言えるのか、と。目指すならダンジョンの最深部。より多くの階層を、自分の手で開拓していきたい。それが希凛が目指す探索者像であり、夢であった。
そんな思いに応えてくれるメンバーにも恵まれ、探索も順調に進んでいった。四人という比較的少ない人数で探索することでステータスを盛りながら、さらにスキルを強化するためにはどう戦っていけばいいのか常に考えて探索を行う。パーティリーダーとして希凛は奔走する。資料という資料を読み漁り、探索者高校に残っているドローン映像から優秀だった卒業生の探索方法を学び取り、さらに一歩踏み込むにはどうするべきかメンバーと日々議論を重ねる。議論することで各々の考えや発想を深く理解し、思いを共通のものへ形作ってゆく。希凛はダンジョン関係だけでなく、心理学などパーティ運営に必要だと思えるものは何でも吸収していった。休む暇などないとばかりに。
その努力をメンバーは知っているため、希凛に続こうと各々も奮起する。有益な情報はすぐに共有し、見当違いだろうと臆せず意見を出し合い、手探りながらもパーティとしての形を作り上げた。
そんな中、希凛は鮮烈な衝撃を受けた。それは鉄パイプの姫と呼ばれていた、ある一人の探索者との出会いであった。
鈴鹿と名乗るその探索者は、異常であった。探索者を目指すならば探索者高校、ダンジョン探索をしたいのなら探索部がある高校へ行くか大学の探索者サークルに参加する。これが常識であった。どれくらいの常識かと言うと、免許を取るなら教習所か免許合宿に通う、それくらい常識だった。いきなり運転免許センターへ行き一発試験を行うくらい突飛な行動だ。
一発試験をすれば教習所の費用が抑えられるが、逆に探索者高校に通えば武器防具やドローンの支給までしてもらえる。探索者協会からの支援があるため、授業料も都立や県立高校と変わらず安い。それでいてちゃんと高卒の資格も取れるのだ。探索者を目指すなら通わない手はない。
別に探索者高校に籍を置いて、あとは自由にダンジョン探索をしたっていいのだ。探索者高校の教員の指導を受けなくてもいいし、自分のやりたいように有益な支援だけを受けてダンジョンに挑むことができる。もちろん高卒認定を受けるために各教科のテストなどはあるが、知力が上がっている探索者にとって暗記ゲーの学校のテストなどそこまで難関ではない。過去問を見て、教師が配布するプリントを丸暗記しておけば、赤点は回避できる。
だからこそ、特級や一級探索者であろうとも探索者高校には通っていた。希凛たちのように恩恵を受けるだけ受けて、指導は受けずに独学でダンジョンを探索するのだ。装備は最初から整い、探索者高校という巨大な組織に庇護されることで自由にダンジョンへ入れ、多くの情報に触れることができる。
だというのに、鈴鹿は探索者高校に通っていない。というか、まだ中学生だった。気になったから入った。入れる年齢だったし。そんな当たり前なんですけどみたいな体で話す鈴鹿を見て、希凛は瞠目した。真の天才を見た気分だった。まるで自分と鈴鹿の差をまざまざと見せつけられるように。
最初は強がった。あまりの衝撃に自分の努力の方向性が揺らがないように、鈴鹿のやり方ではダメだと必死に虚勢を張った。行き詰ったらパーティに誘ってみようかなんて、ひどく傲慢な考えすら持った。自分の弱い心を護るために。
だが、水刃鼬との戦闘で、そんな驕った考えは粉々に砕け散った。むしろ清々しいほどに。片やパーティを全滅の危機に陥れ、片や凶悪なエリアボス相手に一人で圧倒する。彼我の差は目を覆いたくなるほどに明らかだった。
それでも、希凛はただでは転ばなかった。鈴鹿と交友関係を結び、より一層貪欲に強さを求めた。パーティメンバーも鈴鹿から良い刺激を受け、希凛に続くように強さを渇望した。
そして明日、そんな彼女たちにとってカンフル剤である鈴鹿を、将来立ち上げるギルドへ勧誘することとなった。
そう、もう決まっているのだ。ダメもとでも勧誘しようと。それなのに、珍しく希凛はうじうじと考え込んでいた。理由は鈴鹿の性格によるものだ。
鈴鹿はかなりはっきりとした性格をしていると希凛は思っている。例えば、初めて会った時は敵と認識されるや店内で堂々と武器を取り出して臨戦態勢を取るような苛烈な態度を見せるが、少し話して仲良くなればエリアボスである兎鬼鉄皮の情報だって出し惜しみなく教えてくれる。危ないけど頑張ってと。
そこから、鈴鹿は友誼を結んだ者には尽くすタイプだと希凛は印象を持っていた。だからこそ、希凛たちがギルドに誘えば鈴鹿はきっと参加すると言ってくれるだろう。手伝うよと。してほしいことがあれば言ってねと。
それは大変ありがたいことではあるが、希凛は両者にメリットの無いことは提案したくない思いが強い。ちょっとしたお願いなら別だ。鈴鹿が毒魔法のことで猫屋敷を頼ったように、希凛たちもまた鈴鹿に頼ることもあるだろう。
だが、ギルドへの勧誘は契約だ。きっちりしなければ、せっかく友人となれた少年との縁も切れてしまう。それは希凛にとって不本意だ。鈴鹿の強さは探索者ならば誰もが憧れを抱くものだ。それと同時に尊敬も。強くなることの大変さや危険さを深く理解しているからこそ、探索者は強い者が貴ばれるのだ。
そんな尊敬する相手との友好を利用するような真似に、希凛はうじうじと悩んでいたのだ。
希凛たちが鈴鹿に差し出せるものなど大したものはない。鈴鹿の方が先を進んでいるのだ、差し出せるものが多くあるわけがない。4区や5区を探索している鈴鹿にとって、金銭などもはや魅力に映らないだろう。アイテムだって5区を探索していればより強力な物を持っているはずだ。もちろん、鈴鹿が持っていない物を希凛たちが持っている可能性もあるため、そういった物を差し出すことはできる。
だが、鈴鹿にそれが必要かと問われれば、必要だと言い切れないのが厄介なところだ。普通はエリアボス相手には対策を十全にして臨み、先人たちが文字通り命がけで持ち帰ってきた情報を積み重ね、探索する範囲を拡大していくのだ。だからこそ歴史のあるギルドは人気があり、新興ギルドが立ち上げにくい現状があるとも言える。そんな重要な情報やアイテム類を鈴鹿が必要としているだろうか。そうは思えない。そんなことで彼の歩みが止まっているとは、かけらも思えなかった。
逆に、その重要性をひしひしと感じるのが、今の希凛たちだ。4区という情報が乏しいエリアの探索は、まさに手探り。まるで1950年のダンジョン誕生時に戻ったかのようだ。何が現れるかもわからず、出てきたモンスターの形状や名前からどんな攻撃をしてくるかを予想し、初見の敵でもなんとか対処する。
事前情報がないだけでどれほど大変か、嫌でも理解させられる。装備一つ、アイテム一つ無いだけで死ぬかもしれないリスクを常に背負いながらの戦いが、どれほど緊張を強いるものなのか。まるで全ての戦いがエリアボス戦の様に神経がすり減らされる。ただ、それと同時に楽しくもあった。こんなモンスターがいたのかと。どんな攻撃をしてどんなアイテムをドロップするのだろうかと。難敵を自分たちの力だけで倒せた爽快感は、何物にも代えがたい。
この領域に立ち、初めて鈴鹿が見ていた景色の一端を見れた気がした。ダンジョンを楽しむ気持ち。そして、探索という言葉の意味を知ったのだ。
「はぁ……。鈴鹿ちゃんは何を欲してるんだろうね」
まさかギルドに所属しているという肩書を求めているなど、露ほども想像しない希凛。
ギルドとは会社だ。所属するギルド員には働いてもらう代わりに恩恵を与える必要がある。御恩と奉公の関係は、対等であるためには必須の条件だ。何も出せないのに、拘束することはできない。鈴鹿というネームバリューは多大な効果を発揮するだろう。所属してもらうだけで、希凛たちが立ち上げるギルドの注目度は凄まじいものになるはずだ。
それを裏付けるように、あの不撓不屈が鈴鹿をスカウトしたと情報が入った。この段階で鈴鹿に目を付けた不撓不屈の調査力を感心するべきか、いきなりギルドの最上位から声をかけられる鈴鹿に驚けばいいのかわからない。ただ、これはきっかけであろうことは理解できる。ここから先、さらに多くのギルドが鈴鹿を勧誘することだろう。東京はもちろん、全国の特級、一級ギルドが声をかけることだろう。不撓不屈が声をかけたという事実は、強さと潔白さが保証されているということの裏返しでもあるのだから。
だからこそ、そうなる前に先手を入れることになったのだ。
もちろんまだ希凛たちのギルドが創設されたわけでもないため、鈴鹿が他に気になるギルドが出てくればそちらに加入するのも問題ない。希凛たちはまだ1層4区を探索してるのだ。5区の探索を終えて存在進化してギルドを立ち上げるのは、1年以上はかかるだろう。
ただ、彼女たちの中ではギルドを創設することは決定事項であり、常に新鮮な驚きを与えてくれる友人の鈴鹿をギルドに招きたい思いがある。それは伝えておくべきだろう。そうzooの中で方針が固まったのだ。
「そうだ。まだ私たちのギルドに入ることを確約してもらうつもりは無いんだ。ギルドを創設するまでに、鈴鹿ちゃんが求めるものを提供できるくらい強くなるしかないね。これはまた、大変だ」
そうして、希凛はいつも通りの達観したような笑みを浮かべる。鈴鹿すらも求める物を手にするために、より一層踏み込んだ探索をすることを決めながら。




