22話 本当の狂気を知る
雑談配信という名の2層4区5区ツアーをした次の日、鈴鹿は5区で再度配信を開始した。
「おはようございます。狂鬼です」
【わこつ~】
【はよ~】
【朝早すぎるぅぅ】
朝だからかコメントはまばらだが、挨拶を交わし合う。ソロでの探索も気楽でいいが、配信していると誰かと一緒に探索しているような気持になり楽しかった。その分ソロに比べて探索スピードは落ちてるものの、綺麗な景色を共有しながら配信できるのは面白い。
「昨日は4区で寝ましたが、やっぱり5区より快適ですね。涼しいのが何よりよかったです」
2層5区の景色を見せる様に、スマカメをぐるりと周囲に向ける。広がるのは砂漠と荒野。ごつごつとした巨大な岩山がそこかしこにあり、岩山のふもとは砂漠化していたり石が転がる硬い地面が広がっていたり大きな水たまりができていたりと、2層1~4区を混ぜ合わせたような景観が広がっている。
探せば寝泊まりに良さそうなところもありそうだが、4区まで戻るのは大変でもないので昨日は4区で野営し、ご飯を食べ終わるところまで配信したのだ。
「それにしても、昨日思ったんだけど俺実はいい相談相手なんじゃないか? 人生の悩み相談枠とかつくって配信してもいいのでは? どう思う?」
昨日は観光がメインだったのでコメントと会話しながら移動していた。多くは鈴鹿についての質問であったが、中には相談内容も多くあり、都度鈴鹿は持論を語った。そこに確かな手ごたえを感じたのだ。
【Q.4月から探高に通います。どうして狂鬼さんは親分狐と戦ったんですか? A.親分狐がいたから】
【Q.なんで危険な4区5区を探索するんですか? 1~3区のエリアボス周回の方が効率よくないですか? A.4区5区があるから】
【Q.避けるべきと言われているエリアボスと戦うにはどうしたらいいですか? A.エリアボスってことはエリアで一番強いやつってことだから、そのエリアで十分戦えると思えたらエリアボスとも戦えるだろ】
【Q.成長限界に到達してしまい、もうこれ以上強くなれないのかと絶望しております。どうすれば強くなれるでしょうか。 A.スキルだなスキル。探索者の強さはステータスとスキルだ。ステータスが止まったならスキル鍛えればいい】
【Q.探高生です。ステータスがなかなか上がりません。狂鬼さんはどうやってステータスを上げましたか? A.安全優先しすぎてるんじゃない? 大人数でモンスターボコってたらステータス上がんないよ。6人パーティなら最低限同数以上の敵か、数が難しければレベル的に格上の敵と戦えばいいと思う】
【Q.現役探索者です。強さは中の下くらいです。それでもダンジョン探索は安全だと思ったことはなく、いつも必死に戦ってますがステータスは盛れません。何故でしょうか。 A.大怪我とかしたことある? 必死と安全じゃないは全然違うよ。大人数で少数のモンスターと戦う。タンク役は必死に敵の攻撃を受けるし、攻撃役は隙だらけの背中を必死に叩く。これのどこが安全じゃないと? 傷だらけになるとか死ぬ一歩手前とか、それくらいのリスク負わないとステータスは上がらないよ】
【誰も参考にならない相談劇場だった】
【探高生とか引いてただろ】
【あまりにも脳筋すぎる】
【そもそもダンジョンに金属バット片手に一人で挑み、その後も一人で探索し続けてるやつに聞くのが間違い】
【狂鬼が今も生きてるのが不思議なレベル】
【ステータス伸びません⇒怪我してないからじゃない? 考えが怖すぎる】
言われ放題である。しかし、鈴鹿は気にしない。当然だ。鈴鹿は彼らに語ったのではない。相談者に語ったのだ。鈴鹿という一般的な探索者とは異なる者の話を聞くために、鈴鹿に聞いたのだ。だからこそ、鈴鹿は彼らの望み通りの回答をしたと思っている。
「まぁまぁまぁ、それはさておき、今日は待ちに待ったエリアボス対決だよ。昨日で5区も大方見て回ったからね、今日はさっそくエリアボスと戦ってみようか」
【うぉおおおお!!! 待ってました!!】
【狂鬼のカメラワークでのエリアボス戦とか滅茶苦茶楽しみ!!】
みんなエリアボスと戦うのを楽しみに待っていたようだ。昨日も一日綺麗な景色みたりモンスター観察したりしていたが、やはりガチバトルをみんな見たいのだろう。
「じゃあ早速エリアボス探しに行きますか。大体の場所はわかるから、そっちに行ってみま~す」
時間ももったいないので、コメントが聞き取れる程度の速度で走りながら雑談する。視聴者が楽しみにしていたように、鈴鹿もまた久しぶりのエリアボス戦を楽しみにしていたのだ。
5区を駆けながら、奥へ奥へと進んでゆく。途中に出現する大きな水たまりや泥濘を迂回しながら、小一時間走ればエリアボスがいるであろうエリアにたどり着いた。
「そろそろだと思うんだけどなぁ」
【4区のエリアボスだと5区経由で行った方が楽なの?】
【4区は渓谷の自然迷宮だったからショートカットむずいしね。5区から回った方が楽そう】
【エリアボスって基本奥にいるから5区から回れるのか】
流れてくるコメントに違和感を覚えた鈴鹿は、内容を訂正する。
「みんな勘違いしてるかも。今日は4区のエリアボスじゃなくて、5区のエリアボスと戦う予定だよ」
鈴鹿が今いる位置も5区の奥深くだ。視聴者にはマップの情報を共有できないため、自分たちがどこにいるのかわかっていないのだろう。内容から察するに、4区と5区の境界沿いを走り回っていると思われたようだ。
【え、なんで?】
【狂鬼ってレベル103じゃないの? 嘘ついてた?】
【狂鬼なんか勘違いしてる? まず5区のモンスターと戦ってレベル上げしないとでしょ】
【昨日も4区のモンスターとしか戦ってなかったじゃん。強がんなくていいよ】
【無理にエリアボスと戦わなくても、5区のモンスターと戦ってるところも見たい!】
なるほど。コメントを読む限り、鈴鹿が5区のエリアボスと戦うなんて誰も想像できないようだ。しかしそれも当然である。2層4区のモンスターはレベル70~100、エリアボスはレベル120だ。方や2層5区はレベル100~130のモンスターが出現し、エリアボスに至ってはレベル156もある。レベル103の鈴鹿が挑むようなエリアボスではなく、コメントの通り5区のモンスターと戦ってレベルを上げた後に戦うべき相手だ。
しかし、鈴鹿はそれをしない。今の今までレベルで劣るモンスターしか倒していないのもきちんと考えがあってのことだ。
鈴鹿は猿猴戦を経て、スキルの重要性とスキル強化の方法を理解した。『聖神の信条』というチートスキルがあったからこそ成せた荒行ではあるが、それで強化できるというのなら今後も使わない手は無い。だからこそ、鈴鹿は自分のレベルが上がらなそうなモンスターのみを倒してアイテムだけをゲットし、自分のレベルが上がってしまいそうな同格以上のモンスターはスルーしてきたのだ。
「レベルは103だよ。まぁ、証明しようがないから信じても信じなくてもどっちでもいいけど」
【1層5区や2層4区で宝箱が出現してるから、レベル103は嘘じゃないと思う】
【高くてもレベル110とかじゃない?】
宝箱やエリアボスは適正レベルのエリアでのみ出現するため、自ずと鈴鹿のレベルも絞られる。
「で、なんで5区のモンスターともろくに戦わずエリアボスに一気に挑むかというとだね、あ、ここ重要だから探索者目指す人は覚えといて」
【なになに】
【裏技でもあるの?】
「理由はスキルを強化するためだ」
鈴鹿はドヤ顔と共に自身の強みである情報を開示した。しかし、お面をしているために視聴者にはドヤ顔は見えず、内容も理解できていないコメントであふれる。
「詳しく説明するよ。まずみんなに考えてもらいたいんだけど、レベル103の俺がレベル156の2層5区のエリアボスと戦って勝つにはどうすればいいと思う?」
【そもそも戦わない。死ぬだけ】
【無謀すぎ】
【ぶっ飛んでて考えられん】
「探索者なり探索者目指してる人は真剣に考えてみて。どうすれば勝てると思う?」
【めちゃくちゃステータス高くても、レベル50も差があるし5区のエリアボスが相手だし、10秒でも生き残れてたら称賛されるレベルじゃない?】
【マジレスするなら、レベル差ハンデ=ステータスのハンデってことでしょ? それならその差を埋められるような強力なバフアイテムとか、遺物級の武器やアイテムを持ってるとか?】
【アイテムは確かに。エリアボスからゲットできる強力なアイテムならワンちゃんある?】
【バフアイテムてんこ盛りプラス強力な武器やアイテム、あとはスキルとか?】
【剣神級のスキルがあればいけるとか?】
徐々に鈴鹿が言わんとしている方向に流れていくコメント。やはり視聴者も鈴鹿も凡才なため、行きつく思考回路は一緒ということだろう。
「いいね。正解。たしかにバフ系の装飾品とか強力なアイテムがあればステータスの差を埋められるだろうけど、今回俺がエリアボスに挑む理由はスキルの方」
【とうとう狂鬼のユニークスキル開示か!?】
【そんなレベル差覆せるスキル持ってるの!?】
【狂鬼の強さの一端がわかるのか!】
コメントは盛り上がっているが、また勘違いしている。たしかに『聖神の信条』はレベル差を覆せるスキルだが、それを開示するつもりはない。鈴鹿はスキルを強化したいのだ。
「昨日誰かの質問でステータス上がらないってのあったじゃん? で、俺の回答がスキルの強化だったよね。今日はそのスキルの強化の仕方を教えるよ」
【いや、強力なスキル持ってたら苦労しないよ】
【ユニークスキルの取得の仕方を教えてくれるのか?】
【それはぜひ教えてほしい】
「ま、内容はシンプル。レベル差が50もあって、かつエリアボスが相手だとどうしてもステータス足らないよね?」
【当然】
【私はレベル差10あってもきついけど】
「それでも挑んでみると、どうなると思う?」
【死ぬ?】
【ステータスは絶対だからね】
【子供が大人に勝てないようなもの】
コメントでは無謀だというものがほとんどだ。
「そう無謀なんだよ。ステータス差は絶対だ。だからこそ、その差を埋めるために様々なスキルが強化される」
【?】
【意味がちょっとわからない】
【また狂鬼ワールドか?】
「探索者の強さはステータスとスキルだ。ステータスが足らなくてもスキルが強ければ倒すことができる。だから、無謀な戦いでも生きて戦い続けられれば、スキルが強化されていずれ倒せるようになるんだよ!」
本来は足りないステータスはアイテムで補い、それでも無理なら挑まない。ステータスが劣っていてもスキルで打開できると考えるのは、強力なユニークスキルを所持している者だけだ。
「まぁ、この方法が全員使えるとも思ってない。さすがにレベル50も差があるなら挑むべきじゃないよ。死んじゃうと思う」
【狂鬼は平気なの?】
「俺は自己再生ってスキルが発現してさ。名前の通り大怪我しても再生してくれるんだよね。だから多少の無茶ができるようになった」
【自己再生!? ユニークスキルじゃないかそれ!?】
【自己再生って……どれだけ死にかけたらこんなスキル発現するんだ?】
【スキルデータバンクでも出てこない。ユニークスキル確定だ】
【狂鬼の奥の手じゃないのそれ!? 配信しちゃって大丈夫??】
本命は『聖神の信条』なので、自己再生は大丈夫。むしろこれからのエリアボス戦で多分死にかけると思うから、その時の言い訳用に最初からばらしちゃった方が楽だと判断した。
そんな会話をしていたら、エリアボスを見つけることができた。砂漠にぽっかりと出来たオアシス。その周囲だけは木々や草花が生い茂り、茶色の大地に彩りを与えている。そんなオアシスの湖面から一本生えている枯れ木の上に、それはいた。
青天雷鳥:レベル156
それは美しい鳥だった。燕やハヤブサ、シジュウカラのようなシュッとしたフォルムのその鳥は、頭部は黄色く尾っぽに近づくにつれて白みがかっていた。羽毛でできた鶏冠と、長い尾っぽが特徴的だ。それに閉じていてわかりにくいが翼も2対ある。大きさは小さく、木に止まっているサイズは鈴鹿よりも少し低いくらいだろうか。鳥にしてはかなりの大きさだが、1層5区では巨大なエリアボスばかりだったため、余計小さく感じた。
【綺麗なモンスター】
【神々しいな】
【鬼強そう……】
レベル150を超えているということは、つまり存在進化先の強化を済ませた状態が適正ということだ。1層5区のエリアボスよりも1段階先にいる強力なエリアボスに、コメントも少なくなってしまう。
だが、鈴鹿はこのエリアボスとの出会いに感動すらしていた。こんな素晴らしいタイミングで出会えるとは思ってもいなかった。やはりレベル差50以上で挑むような無茶をする者にダンジョンは微笑んでくれるのだろうか。運命的な出会いに、鈴鹿は狂気的な笑みを浮かべる。
「青天雷鳥レベル156だって。じゃあみんなにスキルレベルの上げ方ってやつを見せてあげるよ。いやはや、こんなお誂え向きのエリアボスが出てきてくれるなんてな!! 絶対に喰らいつくしてやるよ!!」
エリアボスの名前は青天雷鳥だ。雷という文字が入っているのだ。雷を行使するエリアボスに違いない。鈴鹿の雷魔法はスキルレベル1。雷魔法だけでこの格上たるエリアボスを倒せたら、一体鈴鹿のスキルたちはどんな強化を経てくれるのか。
【どうしたどうした急に】
【格上すぎるモンスターを前に壊れたか?】
【自己再生があったとしても即死したら意味ないだろ。気づかれてないうちに逃げとけ】
コメントが何か言っているが、鈴鹿の耳には入ってこない。鈴鹿の全神経は目の前のモンスターに向けられているのだから。
鈴鹿が気配遮断を解除する。凄い勢いで雷鳥の顔が動き、鈴鹿を捉えた。
「アッハッハッハァアアァアァァァアア!! 絞りだせよ雷鳥。でなきゃすぐに焼き鳥だ!!」
雷鳥から閃光が迸る。雷魔法によるレーザー光線のような速度の雷撃が鈴鹿に襲い掛かる。だが、速いだけでは鈴鹿を捉えることはできない。体術スキルに見切り、身体操作と各種スキルが高レベルの鈴鹿が相手では、そんな単調な攻撃が当たることは無い。
回避と同時にお返しの雷球を放つ。雷魔法は速度がある魔法のため、スキルレベル1の鈴鹿が放つ雷球でも剛速球程度の速度は出ている。しかし、鈴鹿やエリアボスからしたら蠅が止まる遅さだ。
雷鳥は止まっていた枯れ木から飛び立つと、凄まじい速度であたりを旋回しだす。まるで戦闘機やF1マシンのような頭のおかしい軌道を描きながら、全周囲から雷魔法を行使してくる雷鳥。
対する鈴鹿は毒手を使用しない。雷魔法だけで降り注ぐ雷撃を相殺せんと魔法を展開する。しかし、いくら魔力操作のレベルが高くともレベル1のスキルでは展開できる速度も質も威力も何もかもが足りない。鈴鹿が展開できた雷球は4つ。かたや雷鳥が放った雷撃の数は53。さらに鈴鹿の雷球が直撃した雷撃は雷球を破壊し、雷球では雷撃を止めることも敵わなかった。
結果、雷鳥の雷魔法は鈴鹿を捉え、高電圧の雷撃が鈴鹿の身を焦がしつくす。鈴鹿の魔法耐性すらも食い破り体内で暴れ狂う雷撃は、筋肉を痙攣させ自分の意思とは関係ない動きを身体に強要する。吐き出す息は焦げ臭く、内臓がズタボロにされ身体の一部が炭化したようだ。
【え、、、】
【狂鬼死亡?】
【さっきまでの威勢はどうしたww】
【それよりも通報するべきだろ! ダンジョン特定して救出しないと!!】
【もう手遅れだろww今ので死んでるしww】
【焼き鳥にしちゃうぞ!キリッwwwww】
【みなさ~ん。これがリスク取った末路なので目に焼き付けてくださ~い】
【所詮1層でしか通用しない張りぼて能力でしたねww乙で~~すww】
【探高は狂鬼(笑)のピエロっぷりを教材にして教えるべきwww】
鈴鹿に雷撃が直撃したことで、アンチたちが活気づく。だが、鈴鹿にはそんな声は届かない。かろうじてスマカメが壊れないように見えざる手は動かしているが、それ以外は全て雷鳥に集中している。
「やっぱ効くなぁ。初っ端から鹿肉ちゃんよりも火力高いんじゃないか?」
雷撃によって舞っていた砂ぼこりが晴れれば、無傷の鈴鹿がいた。防具は猿猴の防具のまま。さすがに生配信中にあられもない姿になるのはいただけないため、今日は防具は解除しない方針だ。
「雷鹿の肉は美味かった。雷魔法の影響かピリッときてなぁ」
鈴鹿の黄金の瞳が狂気で爛々と輝いている。
「俺は鶏肉も好物なんだ。お前も肉落とすだろ?」
鈴鹿の視線に何を感じ取ったか、雷鳥が雷でできた槍を撃ち込んでくる。だが、鈴鹿は即座に五つの雷球を展開し雷槍にぶつけることで何とか攻撃を霧散させた。
「そうと来れば鳥狩だぁあああ!!! 今日の晩飯はぁぁぁあ!! 雷鳥のから揚げだぞぉぉおお!! いくぞからあげ君ッ!!!」
雷魔法だけで格上のエリアボスを倒す。それも雷に耐性のありそうなエリアボスをだ。どれだけスキルを成長させる必要があるのか。死なないことをいいことに、自分のスキルを縛ることで強制的にスキルの成長を促す鈴鹿の荒行。
傷は治るとはいえ、毎度毎度想像を絶するフレッシュな痛みが身体を駆け巡る。常人であれば発狂し廃人になってもおかしくないほどの痛みを喰らい続ける鈴鹿。その痛みに抗うために、今日も鈴鹿は狂い続ける。廃人にならないために、狂うことで理性を保ち続ける狂気の沙汰。
そこにいるのは、ダンジョンに魅入られた一匹の狂った鬼。理性も正気も常識も、生物としての防衛本能すらもかなぐり捨てた成れの果て。常人では踏み込む資格すらない修羅の世界。その世界は強さが基準ではなく、どれだけ狂っているかを試される鬼の栖。
一帯をのたうち回るように破壊し尽くす雷撃の轟音と、鈴鹿の狂った笑い声だけが響き渡る世界。
1層5区ではよく見られた光景。昼夜問わず響き渡る戦闘による轟音と、聞いた者の心胆を凍てつかせる鈴鹿の狂気に染まった笑い声。1層5区では聞く者はいなかった。周囲に生息するモンスターたちがその場から逃げ出すだけで、ヒトは誰も聞いていない。
だが、今はダンチューブの配信中。鈴鹿の狂気は電波に乗り、世界へと届けられた。
◇
目の前の画面の映像に、山田悟は目が離せないでいた。降り注ぐ雷撃、空爆の爆心地のように凄惨な攻撃が行われているが、中心では狂鬼の無事を知らせる笑い声だけが木霊している。何故これだけの攻撃を受けて生きていられるのか、自己再生とはそれだけ再生能力が高いスキルなのか、それでも痛みはあるだろう。数々の疑問が湧き出ては消え、山田は乾いた唇もそのままに画面にくぎ付けになっていた。
人間とは思えない壊れたラジオのような笑い声に、大橋ひとみは思わず画面を消した。他の配信者では見たこともないような景色やカメラワークをする狂鬼、会話の内容もぶっ飛んでいて聞いていて飽きなかったため今日も配信を見ていた。しかし、始まったのは戦いと呼ぶにはあまりにも悍ましい気狂いのぶつかり合い。思わず目を逸らしたが、パソコンから流れてくる恐怖を掻き立てるような笑い声に、大橋は耐えられなかった。
春休み期間を利用し今話題のダンチューバー狂鬼を見ていた佐々木達也は、自信を喪失していた。佐々木は狂鬼と同い年で、来月から探索者高校の1年生だ。狂鬼くらい強くなってやる。俺だってすぐにダンジョン入ってエリアボスもぶっ飛ばしてやる。探高なら仲間もできるから狂鬼よりも上に行けるはずだ。そう思っていた佐々木が夢見た探索者高校での生活は、目の前の映像で脆くも崩れ去った。俺と狂鬼は違う人種だと本能で理解した。これには絶対になれないし、これにならなければ上に進めないのかと、佐々木は絶望に打ちひしがれながら狂鬼の映像を呆然と見ていた。
都内の雑居ビルの一室で、平田由美は狂鬼の配信を見ていた。最近話題のダンチューバーということで、ゴシップ紙の編集者である平田は記事を書くためにどんなものかと配信を見ていた。探索者についてギリギリを攻めることを売りにしている平田の出版社では、最近は比較的手を出してこないダンチューバーを標的にすることが増えていた。だから平田は知っている。他のダンチューバーの戦闘の様子を。ただ、目の前で繰り広げられている戦闘と比べれば、あれは幼稚園児のお遊戯会だと言われても信じられるだろう。この探索者には関わってはいけない。流れてくる身の毛もよだつ笑い声を聞きながら、平田は自身の安全のために狂鬼の記事を断念することに決めた。
淀んだ空気が蔓延るゴミが溢れたカビ臭い部屋で、堀田健司は切れ散らかしていた。「嘘だ嘘だCG乙目立ちたくて必死キモ過ぎゴミ探索者」。いつものように流れるような悪態を放つタイピングは鳴りを潜め、画面から流れる狂気的な映像に打ちかけた悪態は二の句が継げずにいる。堀田がいくらこの探索者を下げようとも、誰も堀田に同調しない。先ほどから必死に狂鬼の本性を晒してやっているのに、ここの奴らは堀田を邪魔だと遠ざける。言うことを聞かない理解できないゴミたちに怒り狂った堀田は、キーボードを殴りつけパソコンが衝撃でフリーズした。
探索スケジュールを遅らせてまでリアタイしようと仲間を誘った現役探索者の横山和樹は、後悔していた。彼らは最近3層1区まで探索を進めることができ、3級探索者へと昇格して勢いづいていた。狂鬼が今日エリアボスと戦うと聞いたため、少しでも参考になるんじゃないかと思い、ギルドに掛け合って探索開始日を明日へずらしてまで、ギルドハウスで狂鬼の配信をメンバーと一緒に見ていた。だが、それはあまりにもショッキングな映像だった。突き付けられる才能の壁。なまじ探索者としてやってきた実績があるからこそ、理解できる狂鬼との断崖絶壁の差。横目で見たメンバーたちの顔を思い出し、横山は明日の探索も見直そうとギルドに報告することにした。
良かったぁ、そう思わずこぼしたのは坂口雄介だ。坂口はダンチューバーとして初期から活動しており、ダンチューブ黎明期を支えてきた一人だ。ダンチューバーとして確固たる地位におり、積極的に企業ともコラボ案件を企画し、気が付けばダンチューバー専属のギルドまで立ち上げていた。そんな坂口は、画面から聞こえてくる耳を塞ぎたくなるような狂気入り混じる笑い声に安堵していた。期待の超新星と言われた狂鬼というダンチューバー。同業者である坂口は狂鬼の出現に身構えていたが、杞憂に終わった。狂鬼は劇毒すぎる。たまに見る分にはいいかもしれない。だが、毎日は見たくない。視聴者は毎週放送のアニメのような安心感をダンチューバーに求めており、毎回超大作の長編映画を見せられたくはないのだ。これなら坂口のギルドのメンバーの視聴者には大きな影響はないだろう。そう安堵し、恐ろしい笑い声をいち早く消すためにブラウザを閉じた。
夕方からのバイトのために活力となるダンチューブを見ていたはずの田中茂は、予想外の展開にもなんとか喰らい付いていた。話題のダンチューバー狂鬼の生配信が始まってたから見てみたら、ただのホラー映像だった。戦闘は凄まじいの一言で、狂鬼のスキルによって撮影されるその戦闘は見事な迫力だった。しかし、そのせいで焼け焦げ炭化した腕や皮膚、雷撃によって筋肉が硬直したことで関節が捻じ曲がるような気味の悪い動きをしている狂鬼まで鮮明に映っている。なんとか見届けようと頑張った田中だが、狂鬼の身の毛もよだつ笑い声が響き渡るとそっとブラウザを閉じ、削られたSAN値を取り戻すために推しのダンチューバーのアーカイブを見に行くのであった。
食い入るように画面を見つめる紋別汐里の表情は、まるで縋る様な切実なものだった。一級探索者ギルドに所属し、自身もとうとう一級探索者へと昇格した紋別。ギルドが蓄積したノウハウを全力で活かしながらここまで突き進んできたが、レベル150の壁を越えてからの歩みは遅々たるものだった。伸び悩み、探索者として初めての大きな壁。もうこの先に進めないのかと鬱屈する日々。しかしそこに光明が現れた。僅か15歳で圧倒的な力を秘めたダンチューバーの登場。彼は言った。強くなりたいならスキルを強化しろと。今眼前で繰り広げられている命すら簡単に差し出すような狂気的な戦い方は、紋別では決して選ぶことのできない修羅の戦い。しかし、目に見えるほどに狂鬼が行使する雷魔法の練度は高まっている。彼は紋別に教えようとしてくれているのだ。スキルの強化の仕方を。紋別は自身を教え導いてくれる師を見つめる様に、真剣に狂鬼を目で追い続けた。
咥えたばこを吸いながら狂鬼の戦闘を見ていた西成愛理は、目を細めて笑っていた。上からダンチューバーを勧誘するから調べろなんて言われたときは気が狂ったのかと勘繰ったが、狂ってるのはダンチューバーの方だった。異常な強さ、それを裏付ける泥臭く狂気的な戦い方。間違いなく頭のねじというねじが抜け落ちた探索者だった。ダンチューバーについて早々に調査を開始した西成だったが、探索者協会のネズミに探らせても引っかかりはしなかった。つまり協会側が情報に規制をかけたということで、そんなことを呼びかけられるのは東側しかいない。つまりこのダンチューバーは東が抑えているか息がかかっているかのどちらかだ。だが、西成はほくそ笑む。こんな劇物、探索者の矜持だ誇りだなんだと妄想垂れ流すだけの東が扱いきれる訳がない。西成は近い将来同胞になるであろう狂鬼の戦闘シーンを、のんびり鑑賞するのであった。
能代つかさはカーテンも閉め切った薄暗い部屋で、恍惚とした表情をしながら画面を見ていた。映るのはどれだけモンスターに攻撃されても怯むこともなく、前に進み続ける憧れのダンチューバー。その映像は能代の小さく狭い世界をいとも簡単に破壊するだけのインパクトが込められていた。聞く者によっては身の毛もよだつ狂鬼の狂ったような笑い声も、彼女からすればまるで福音の様に耳心地の良い物に聞こえていた。ああ、狂鬼様。そうこぼす彼女の様子は、狂信者のそれであった。
午前中に始まった狂鬼の戦いはそのまま一昼夜行われ、翌日の深夜、一筋の白き稲妻が雷鳥の身を焦がしつくし煙へと変えたことで、ようやく終わりを告げた。




