20話 各々の反応
京都。歴史ある街並みが広がる一角に、一つのモダンな家屋があった。景観を損なわない様に和を取り入れつつもモダンなその家は、古民家を改修してつくられた落ち着きのある家である。そこは関西で活動する多くのダンチューバーが所属する大手ギルドが保有する家であり、今は一組のダンチューバーがルームシェアをしている拠点であった。
「聞いて聞いて聞いて~~!!! ビッグニュ~~~~ス!!」
引き戸の玄関を開けるや否や、土間を駆けながら大声でルームメイトに声をかけるエメラルド色の髪をした女性。あまちゃちゃという名前でダンチューバーをしている探索者だ。
「あまっちゃうるさい。ご近所迷惑」
居間でくつろいでいた濡れたような艶やかな黒髪の女性が、元気溌剌のあまちゃちゃに苦情を入れる。彼女もカフェフェという名前でダンチューバーをしている探索者だ。
「あまっちゃどうしたん~? どっかとコラボ依頼でもあったん?」
こちらも二人と同じく、ほうじじという名前でダンチューバーをしている。茶色のくせ毛に猫のようなくりっとした眼は、彼女の自由奔放さを表している様であった。
「すっごいダンチューバーがデビューしたみたいなの! みんなに動画見てほしいから、こうちゃんとミルミルも呼んで!」
カフェフェに注意されたので声のトーンを落としながら、二人に要望を告げる。
「わかったわ。私はこうちゃんを呼んでくるから、ほうちゃんはミルミルをお願い。あまっちゃは手を洗ってきなさい」
「あいよ~。ミルミル絶対寝てるからちょい時間かかるかも」
二人が二階に上がる中、あまちゃちゃは手洗いうがいをし、人数分のお茶を用意する。ほどなくして、居間に合計5人が集まった。
「カフェちに呼ばれましたけど、どんなダンチューバーさんがデビューしたんですの?」
臙脂色の鮮やかな髪色の女性もダンチューバーで、配信者名はこうちゃちゃだ。長い髪はウェーブがかっており、品のある雰囲気と相まってお嬢様のように見える。
「むぅ。まだ眠いよぉ」
寝ぼけ眼をこすっているのは、ミルミルという配信名のダンチューバーだ。乳白色の髪は寝ぐせでところどころ跳ねているが、本人は気にしていない。
あまちゃちゃ、カフェフェ、ほうじじ、こうちゃちゃ、ミルミル。彼女たちは五人組の探索者パーティであり、茶々子というチャンネル名でダンチューバーをしている。彼女たちは京都探索者高校の同級生で、高校時代からのパーティだ。
現在は関西の大手ダンチューバーギルド『ディール』に所属しており、2層3区を探索している。ステータスも探索も順調で、存在進化するために日夜ダンジョンでレベル上げに勤しんでいる。ダンチューバーとしての活躍も目覚ましく、すでにチャンネル登録者数80万人を超え、3層に行くのが先か登録者が100万人を超えるのが先かと言われている程だ。
そんな有名な彼女たちが京都の一軒家に住んでいて防犯的な問題は無いのかと心配になった者もいるかもしれないが、そこは問題ない。探索者である彼女たちにはその辺の一般人ではどうあがいても勝つことはできない。そして他の探索者にしても、彼女たちの事務所には準一級探索者なども所属しているため手を出すことは無い。
探索者相手に一般人が危害を加えれば命の保証はなく、探索者が危害を加えようとすれば命は無い。探索者が絡むと人は簡単に殺され、警察も機能せずろくな捜査もされはしない。特に関西では探索者の地位が高いために、彼女たちを害す者は存在しえないのだ。
「すぅっっっごいダンチューバーがデビューしたんだよ! 狂鬼ってチャンネル名のダンチューバー!」
「狂鬼? けったいな名前だねぇ~」
ほうじじが名前に反応したが、それ以外は誰も無反応。まだ情報が入っていないようだ。
「まずは見てもらった方が早いと思うから、この切り抜き動画を見て!」
狂鬼の生放送のハイライトをまとめた切り抜き動画をみんなに見せる。高性能ドローンでも不可能な臨場感MAXのカメラワーク、いつも凶暴なだけのモンスターの穏やかな日常の様子、極めつけは相対するだけで失神しそうなほどのエリアボスとの戦闘シーン。そのすべてが既存のダンチューバーとは一線を画する映像となっていた。
狂鬼より強い探索者はいるだろう。去年大阪が誇る特級ギルド『猛虎伏草』が7層1区のエリアボスと戦った映像が一部公開されたが、彼らの強さは茶々子たちでは推し量れない領域だった。他にも、ギルドの宣伝要員として強さを売りにした1級探索者のダンチューバーもいる。
だが、そのどの映像よりも狂鬼の映像は洗練されていた。戦いではない。魅せるための戦闘。大猿との戦闘なんて、思わず呼吸をするのも忘れてしまうほどの戦いだった。ドローンが戦闘の余波に巻き込まれない様に、遠くから望遠で撮影している映像とは迫力が違う。まるでホームビデオとハリウッド映画くらいの差があった。
「これは……確かにすんごい動画だね、あまっちゃ」
「ほうちゃんの言う通りですが、私たちとは視聴者の層が異なるのでは?」
「カフェちのご指摘はもっともですが、狂鬼さんの戦闘を見られてしまっては私たちの戦いの様子は退屈なものになってしまわれますわ」
「この人、強い。レベル100超えた程度の探索者のレベルじゃない」
ほうじじ、こうちゃちゃ、カフェフェ、ミルミルと続き、そこからは狂鬼の解説動画を見ながら話し合う。
「狂鬼はスキルでカメラ動かせるんだって!」
「これが何よりの脅威ですわよね」
「そうね。私たちじゃこんなカメラワークで撮影できないし」
「マネージャーが前に言ってた、他の探索者にカメラお願いする案受けてみる?」
「う~~~ん。私は自分たちで何とかしたい! もうちょっと考えて見よ!」
こうして、狂鬼という新人ダンチューバーに刺激を受けた茶々子は、配信の質を高めるために議論を深めていくのであった。
◇
大阪。深層ダンジョンである大阪ダンジョンのすぐ近くには、関西を代表するギルドや企業がひしめいている。そんな一等地にひときわ目を引く巨大なビルは、関西最強の探索者ギルド猛虎伏草の拠点であった。
そんなビルの最上階。特級探索者と一部の許可された者のみが立ち入ることを許されているエリアで、ソファに横になりくつろいでいる女がいる。その女は白かった。脱色したような白髪に陶磁のような白い肌。背中からは白い羽毛に覆われた大きな翼が生えていて、瞳は銀色に輝いていた。
「天満さ~ん! これ! この動画見た~?」
くつろぐ天満に声をかける者がいた。狼のような立った獣の耳に、ふさふさな尻尾。頬や手まで毛で覆われたその姿は、存在進化の影響を色濃く受けていることが見て取れる。そんな狼男がノートPCを持ってやってきた。
「なんやなんや難波? めっちゃ嬉しそうやん。アイドルのハメ撮りでも流出したんか?」
「うっわ……。新世界のおっちゃんでも言わへんレベルのクソ発言やな。ドン引きやわ」
近寄っていた。難波が後ずさりするようにして、天満から距離を置く。
「ギルマスになんちゅう態度やねん、ボケ」
「相変わらず見た目と中身が一致してへんなぁ。天満さん、中身入れ替わり系の漫画とか出てへん?」
天満の天使然とした見た目とは裏腹な態度に、難波はなんともったいないと思いながらも件の動画を天満に見せる。
「この前、ダンチューバ―として新しくデビューした狂鬼いう探索者がおってな、1層5区のエリアボスとの戦闘シーンもあったんよ。ほな、それがとても5区のエリアボスとの戦闘とは思われへん内容やったから、共有しとくわ」
難波が流した動画は、狂鬼チャンネルの切り抜き動画だ。狂鬼は丸3日間の長時間に及ぶ生放送をしていたため、ハイライトを切り取ったまとめ動画が数多く出回っており、それの一つである。
「戦闘シーン見てもろたら分かるけど、どう見てもレベル100の探索者やとは思われへんレベルやな。腕が硬質化するスキル持ってるみたいやけど、その硬さもさることながら、体術のスキルレベルがめっちゃ高いんよ。多分レベル7は超えてるんちゃうかな。それにな、身体操作とか身体強化とかの各種強化スキルも、それなりに高い思うわ。極めつけは、エリアボスとの戦闘中に見失わせるレベルの気配遮断……って、聞いてへんか」
難波が狂鬼を解説するが、天満には届いていない。銀色の瞳をキラキラと輝かせ、ノートパソコンにかじりついている。
「難波ぁ!! こいつ誰や!?」
「狂鬼いうダンチューバーや」
「こいつ欲しいわ! どこのどいつかは知らんけど、東には絶対取られんようにせなあかん! この強さ……どんな地獄くぐってきたんや? 絶対に西しかコイツの居場所はあらへん!!」
天満は強い者が好きだった。弱者は囀るから好きじゃない。特に群れて集まって声だけは大きくなるから聞くに堪えない。烏合の衆にならず、個として強大な力を手に入れた探索者を彼女は愛している。
そんな天満からすれば、狂鬼はまさに最上級の探索者であった。まだレベル100を超えた程度のレベルしかないことなど些末なことでしかない。このレベルの探索者であれば特級探索者に成れない方がどうかしている。狂鬼の力はまさに狂気的な探索をしなければありえないほどの隔絶した強さだ。
ダンジョンではリスクとリターンは等価だ。圧倒的な力は、絶望的な死地を潜り抜けた者にしか与えられない。その法則を逸脱しているのが剣神であるが、あれは例外中の例外のため考慮すべきではない。この狂鬼からは剣神から放たれる圧倒的な天賦の才は感じられない。きちんと艱難辛苦の道をたどり、地獄の底を這いずった者特有の凄みが備わっている。
極上の探索者。それこそ、あの神童剣神と肩を並べうるほどの。
「せやろ。そう言うやろ思て、もう調査始めてんねん。こいつ、ギルドにも所属してへんみたいやから、コンタクト取るまでちょい時間かかるわ」
「ッハ! ギルドにも所属してへんとこも、また魅力やな」
獰猛に嗤う天満。その姿は天使というよりも悪魔のそれである。
「ああ、わかってるとは思うけど、拒むならまだしも東につく言うんやったら、蜥蜴働かせぇや」
「せやな。最近は東アジア相手に、せせこましく小遣い稼ぎしとるみたいやし、働いてもらおか」
こうして、猛虎伏草は狂鬼への勧誘を決定した。
◇
東京。皇居外苑に出現した始まりのダンジョンである東京ダンジョンのすぐ近く、都内一等地に居を構える巨大なビルは、国内最大手のギルドである不撓不屈の拠点だ。
所属する探索者のトレーニングや休憩室、優秀な探索者が持ち帰った様々なアイテムが保管されている宝物庫に、血を流しながらかき集めたダンジョンの情報が網羅された資料室、出納管理や探索スケジュールの検討に各ギルド間の調整などを行う事務所など、多くの機能が詰め込まれている。
そんな不撓不屈のギルド本部最上階に、剣神 天童八駒はいた。広く大きなデスクの上には将棋の盤が置かれ、テレビでは解説とともに将棋の試合が放送されている。天童の目の前の将棋盤には、テレビに映っているのと同じ配置で駒が並べられていた。
「う~~~ん。この手は何だろう。凄いよね。僕でもわからない手を指してゆく。やはりステータスを上げた程度では彼らには追い付けそうにないね、神田さん」
先ほど入室した神田に、もう話しかけても良いと会話を振る。将棋の一手を考える際は深く深く思考の海に潜る必要があることを、天童の周りの人間は知っている。その時間を大切にしている天童を慮り、緊急の案件でもなければその時間の邪魔をしてまで話しかけはしない。
「そうですね。探索者は全てのことができるほど万能ではありません。それに早く西の人たちも気づいてもらえると助かるのですが」
「何か西で動きでも?」
「はい。天童さんは狂鬼というダンチューブをされている探索者をご存じでしょうか」
「うん、知ってるし、動画も見たよ」
「さすが、早いですね」
大手ギルドで狂鬼の名前が出ない日は無い。それが過言ではないほど、世間は狂鬼に注目していた。
突如現れた所属・経歴・実力不明のダンチューバー。探索が困難を極める5区をまるでハイキングでもするかのように自由に歩き回り、1体1体が厄介な強さを持つモンスターたちと記念撮影でもするかのように間近で撮影して配信する、謎めいたダンチューバー。
当初は気配遮断特化の探索者という評価が付いていたが、現在は誰もそんなことを信じていない。初回放送から3日目、1層5区のエリアボスの戦い方をまるでレクチャーするような配信は、ダンジョンに携わる者ならば衝撃的な映像であった。
エリアボスとは通常は避けるべきモンスターである。天童や神田のように高水準なステータスを得て、ようやく戦うかどうするか検討できるようなモンスターだ。レベル100前後で成長限界を迎えるような探索者たちでは一生縁のない話であり、1級以上を目指す者のみがエリアボスとの死闘を選ぶのだ。
そんな死闘を選ぶ者たちには二通りの選択肢がある。1~3区のエリアボスを周回する道と、4区5区という名の魔境を探索する茨の道だ。
前者が現代の主流派である。1~3区のエリアボスも十分脅威であるため、ステータスを盛ることができる。さらにエリアボスを周回することで強力なアイテムや素材を数多く取得することができ、ギルドの強化にもつながる。多くの探索者がその道を選択することでエリアボスとの戦い方も確立し、必要なアイテムやパーティ構成などの知識も蓄積され、ますますエリアボス周回派が増える結果につながった。
一方4区5区は茨の道だ。その辺のモンスターでさえステータスを盛っている者が全力で戦わなければ倒せないほど1匹1匹が手ごわく、下手に戦闘が長引いて他のモンスターも追加されれば一気に死ぬ確率が上昇する文字通りの魔境。まるで1ランク2ランク上のモンスターと戦っているようなそんなエリアは、当然多くのモンスターと戦うことはできない。避けるべきモンスターの種類や数は多く、戦うべきモンスターを選別しながら探索しなければならないため、一日に倒せるモンスターの数は1~3区と比較して激減する。さらに1匹1匹が強いため戦闘時間も長くなる。
モンスターを多く倒せなければ当然レベルも上がりにくく、成長するまでかなりの期間を必要とされる。それなのに1戦1戦リスクが限りなく高く、常に薄氷の上で戦い続けているようなものだ。そんな4区5区で安全に戦おうとすると、1~3区のエリアボスを周回している者よりもステータスが盛れないなんて悲惨なことも起きる。
トップギルドであれば5区のモンスターを倒せば宝珠を得られるなんて情報は当然知っているが、たった一つのスキルを得るためにリスクが限りなく高くシビアな探索プランが要求される4区5区が廃れるのは自明の理。さらに、宝珠から得られるスキルは恐ろしく有能なスキルが得られることもあるが、多くは基礎的なコモンスキルであることも知っていれば、より魅力がなくなるのも無理もない。魔法職の探索者に体術のスキルが発現したりするのだ。命がけで得た報酬としては目も当てられない。
個人ならまだしも、ギルドという組織としてはそんなリスクばかりで得られるリターンが少ない道を、所属する探索者に選ばせるわけにはいかない。
そのため大手ギルドの間では、4区5区は理想論で言えば最強の探索者の頂に手が届くかもしれないが、どんぐりの背比べのようなわずかな強さを求めるにはあまりにも効率が悪い選択肢と結論付けられていた。
そんなトップギルドさえもリスクヘッジとして避ける5区のエリアボス相手に、約束組手でもしているかのように軽くあしらう探索者が現れたのだ。それも突然に。話題にならない方がおかしな話であった。
特に、大手ギルドたちはこの探索者をギルドに引き込めないか、すでに水面下で動き始めていた。
「その狂鬼ですが、裏どりはまだですが身元が判明しております。主に八王子ダンジョンで活動している定禅寺鈴鹿という四級探索者で、弱冠15歳とのことです」
「定禅寺……ああ、彼か」
「お知合いですか?」
「いや、知り合いというほどでもないよ。去年の年末に東京ダンジョンのロビーにいたところを見かけて、強そうだったから声をかけたことがあってね。その時はうちに誘ったんだけど断られてしまったんだよ」
点と点がつながったように、天童は納得した。若いのに随分と強い探索者がいたから声をかけたのだが、あの時はまだ常識内の強さであった。動画で見た限りの狂鬼は常識外の強さを得ている。恐らく試練を乗り越えたのかもしれない。
「彼についてはつい先日、うちのスカウトである永田も声をかけたそうですが、こちらも色よい返事はもらえなかったそうです」
「まぁ、そうだろうね。一応特級探索者になったら来てほしいとは伝えてあるんだけど、連絡先が分かってるならこちらから声をかけてもいいね」
剣神は強い者を求めている。狂鬼であればこちらから会いに行ってもよいと思えるほど、先の動画で強さが証明されていた。
「その狂鬼ですが、二つ問題がございます。正確に言えば、すでに一つは解決しておりますが」
「そこに西が関わってるのか。教えてくれ」
「はい。解決している方から先に。狂鬼ですが、2か月ほど東京ダンジョンの5区を探索していた履歴がございました。しかしその間一度も素材売却がされていなかったことで、警察から輸出法令違反の容疑で調査対象となっておりました」
ダンジョンの素材は探索者協会に必ず売却する必要はない。企業へ直接取引することも可能だし、個人間でやり取りすることもできる。しかし、ダンジョンの素材は国の戦略物資に指定されているため、国内の売買なら問題ないが国外への売却は相応の手順を踏む必要がある。
2か月もの間ダンジョン探索を行い一度も素材を売却しないのは、他に売却先があると判断されるのは自然な流れだ。特に狂鬼はギルドに所属していないため貴重な素材を倉庫に保管しておくなどの選択肢もとれず、実家の一軒家でそのようなことをしているとも思えなかった。
違法に国外にアイテムを輸出している犯罪組織と関りがあるのではと、近いうちに捜査が本格化するところであった。
それについて事前に警察から相談を受けた不撓不屈の元ギルドマスターであり現在は顧問としてギルドに所属している藤原が、直接狂鬼と接触したことで捜査は打ち切りとなった。藤原と会食に行くということは不撓不屈と狂鬼の間に関りができるということであり、犯罪組織程度が不撓不屈の関係者に手を出すことなどできないからだ。
さらに藤原からも狂鬼に関わるなと警察へ指示が出たことで、完全に捜査の芽は潰えた。本人が積極的に関わっていなくても犯罪組織へ物資を横流しするブローカーがいる可能性もあったのだが、その手がかりを掴むために虎の尾を踏むことはないと警察内で決断が下された。狂鬼の金の動きに不審な点が一切見られなかったことも、捜査を中止にする後押しにもなっていた。
「藤原さんと食事ね。いいな。僕も定禅寺君と食事したかったよ」
「天童さんへの連絡が遅れ申し訳ございません。藤原様は警察の相談が事前にされていたことに加え、件の狂鬼が定禅寺さんであるという永田からの報告を受け、お会いすることにしたそうです」
「で、二つ目の問題につながると」
天童は神田が話すであろう二つ目の問題がわかったようだ。
「はい。西、特に猛虎伏草が狂鬼を探っております。隠しもせず、周囲にアピールするように」
「それはまた。天満さんは定禅寺君好きそうだしねぇ」
「そのようですね。まだ定禅寺さんと紐づけされておりませんが、時間の問題かと」
「そうなると、藤原さんと会ったことも彼らは知ることになり、東に下ったと判断されたら定禅寺君に厄介ごとが降りかかるかもしれない、と。本当、めんどくさいねぇ彼ら」
東を統べる探索者ギルドである不撓不屈の創始者と食事に行ったとなれば、誰がどう見ても狂鬼は不撓不屈の紐づきになったと捉えるだろう。不撓不屈に所属しなくとも、関係者になったと判断される。
それで諦めてくれるなら良いのだが、猛虎伏草まで出張っているのならそれで済むことは無いだろう。それほど狂鬼は異質であり脅威であり魅力的な探索者だ。猛虎伏草はどんな手を使ってでも、寝返らせに動くはずだ。
「藤原様は定禅寺さんが暴れた場合の被害を懸念し、横浜に入り込んでいる蜥蜴の掃除を検討されております」
「まったく、探索者を優遇しろと言う割には他の探索者の足を引っ張ろうだなんて、彼らは矛盾してることに気が付かないのかね」
「そのようです。正論とは勝者の弁であるというのが彼らですから」
「いっそ清々しいよね」
キレイゴトではなく自分たちの利益を追求する彼らに靡く探索者が増えつつあるというのが、現在の探索者高校の教育の敗北だと言わざるを得ない。
「内容は承知した。藤原さんと今後について話し合った方がよさそうだね」
「はい。近いうちに会議を開かせていただきます」
「わかったよ。苦労掛けるね」
そう言って、天童は棋士が指した妙手について、再び考察に入るのであった。
◇
八王子。お祭り騒ぎのダンチューブを見ながら、猫屋敷は一つ大きなため息を吐いた。
「あいつ、どこまで強くなれば気がすむんだよ」
画面には兎が憤怒した仮面をつけた探索者が、見ただけで背筋が凍りつくような化け物相手にのんきに解説しながら戦っていた。いや、それはもはや戦いとは呼べない代物だ。まるで怒るモンスターを宥めるかのような圧倒的強者の戦い方。
あれが死地とも呼称される5区のエリアボスと誰が信じられるというのか。
「なんで素手で戦ってるんだとか、狂鬼って名前の由来あるのかとか、カメラ持ってるスキルはなんだとか、聞きたいことはいっぱいあるけど」
猫屋敷は画面から眼を離し、天井を仰ぎ見る。
「どうやったらそこまでの強さを手に入れられるのか教えてほしい」
切実な心情の吐露。
「……絶対聞かないけど」
どれだけの障害物があろうとも、毎日毎日歯を食いしばって一歩でも半歩でも前に進もうともがく猫屋敷。強さを求めあがき続けるが、あがけばあがくほど己の凡庸さを突き付けられる毎日。
心が削られ疲弊し、それでも今できる最善と思えることをこなし続けてきた。
しかし鈴鹿と会う度に、その努力が如何に陳腐なものかとまざまざと見せつけられる気分にさせられる。蠱毒の翁が言っていたように、『99%の努力をしたところで、1%の閃きが無ければ天才に成れぬ』という言葉の意味を、身体の芯から痛感させられる。
『凡才』、『ダメな子』、『何をやらせてもできない』、『言い訳ばかりで口ばかり達者になる』、『愚かな子』、『色目なんて使ってるからダメなんだ』。猫屋敷を矮小な存在に押し込めた母親への当てつけのように優秀な探索者に成ろうと努力しているが、結局自分は母親の言う通り平凡でつまらない価値のない存在なのかもしれない。
眼を閉じる。過去に投げつけられた言葉たちが脳裏にけたたましく鳴り響き、その度に胃が重くなり呼吸が苦しくなる。
それを猫屋敷は噛みしめる様に全身で感じとる。
「ああ、本当。僕はまだまだ弱っちぃね」
眼を開いた猫屋敷の顔は、苦痛に歪む顔でも、悲しさで泣きそうな顔でも、心が折れかけた絶望した顔でもない。恍惚とした艶やかな笑みだった。
「弱いってことはまだまだ成長できる余地があるってこと。鈴鹿と会うたびに思い知らされる。だから僕のためにいつまでも成長し続けて鈴鹿。何年かかろうが、いずれ喰らって見せるから」
自身の弱さを再認識するたびに、猫屋敷は己が成長できる幅を実感することができる。
昔の様にただただ落ち込むだけの自分はいない。今は前を進み続ける意味も意義も見いだせている。だからこそ、胃にかかるこの痛みを糧に、猫屋敷は今日も邁進する。
◇
島根。出雲大社から少し離れた場所に、一つの探索者ギルドの拠点があった。寂れた昭和の一軒家は、その家の歴史を感じさせる。だが、その家を拠点とするギルドの歴史は浅く、5年前に立ち上がったばかりの新興の探索者ギルドであった。
「はぁ~~~、やっばい。見て見なさいよあんたたち。どこ見ても真っ赤。何この経理アプリ。馬鹿にしてんのか?」
八雲舞が額に手を当てながら、他のギルドメンバーに現実を見せつける。
「そろそろ防具売って探高のジャージに戻る時が来たか?」
「もう、そんなこと言わないでよ。次の探索で宝箱からいいのドロップするかもしれないじゃない」
佐香清秀が冗談めかして提案するも、雲津美保が窘める。
「さすがにそれはやばいww なぁ洋?」
「うん。恥ずかしい」
鹿島健太と長浜洋が佐香の提案を却下した。
「私も反対だけど、視野に入れざるを得ないくらいにはヤバいわよあんたたち」
八雲がギルドの経営状況の悪さを懇々と説明する。聞いても鬱屈するだけだが、問題を先送りにもできないためメンバー同士でどうするべきか話し合う。
「あいつらが3層独占してるのが問題なんだよ」
「けど探索者協会に言っても聞いてもらえないし、出雲ダンジョンはもう無理だよ」
「でも私たちの地元じゃない。だから今まで大変でも頑張ってきたのに」
「美保の言う通りだけど、さすがにあいつらの最近のやり方にはお手上げよ。広島でもきっとこんなんでしょ? いっそ北海道にでも行ってみる?」
最近では毎日の様に議論し、堂々巡りをする話を今日もする。そんな時、会話に入ってこない者がいた。
「学も考えようぜ。気持ちはわかるけどさ」
稲田学がかじりつくようにパソコンを見ている。鹿島の誘いにも反応すら返さない。
「どうしたの学?」
なんだなんだとメンバーで稲田の下へ行けば、ただダンチューブを見ているだけだった。
「おい! 今大事な話してるんだから後で見ろよ!」
「そうだよ。ダンチューブは後でも見れるでしょ?」
「い、いや、これ! 凄いんだって!」
そう言ってみんなに見せる様に動画を戻して再生する学。そこには怒った兎のような面をつけた探索者がいた。
その探索者の優雅な探索風景に、隔絶した強さの戦闘シーン。一から十まで自分たちとは全く違う探索者の活動風景がそこにはあった。
「すっごいわね。この装備とかいくらすんの」
「5区のモンスターって戦えば即死するくらい強いんじゃないの?」
「その分素材も滅茶苦茶高く売れるらしいよ」
「4区5区ならあいつらに邪魔されないし、いいんじゃない?」
「……いやいや、僕らじゃお金の前に死んじゃうよ」
彼らのギルド名は雲太。明日の生活すらわからないほど困窮しているが、狂鬼の動画を見ながらどうすればいいか話し合っているこの時だけは、学生時代に戻ったように屈託なく笑い合うことができていた。




