59話 平穏への回帰
駅南で発生した火災から5日後。
隼人は、ショッピングモールとホテルを往復する日々を送っていた。
なぜか新秩序連合が姿を現さなくなり、人々の物資回収は、順調に進んでいる。
隼人自身も服や靴を得られたほか、双眼鏡も入手できた。
『あいつらは、バイクを使う。回収したガソリンに、引火したのかもしれない』
『仲間同士の内部分裂か、捕まっている人の報復かも』
『攫われた人や、殺された人の家族が怨恨でやったのかもな』
新秩序連合を恨んでいる人間は多い。
中貫天然温泉ホテルだけでも、モールを襲撃された際、死者・重傷者・行方不明者が合わせて30名近くに上った。
周囲の避難所にも人的被害は出ており、これまでの新秩序連合の蛮行に鑑みて、怨恨からの犯人特定は不可能だ。
隼人は1人に見られたが、当該人物が無事で「鎧の怪物が現われた」と証言したところで、相手にされるわけがない。
それらを踏まえた隼人は、気にしないことにした。
そして今日も今日とて物資を運び、ホテルのドアを規則的にノックする。
するとドアの鍵が、内側からガチャリと開かれた。
「おかえりなさい、旦那様」
1002号室から飛び出してきた杏奈が、隼人にぎゅーっと抱きついてきた。
そして隼人の胸に、スリスリと猫のように顔を擦り付ける。
「俺は、結婚した記憶は無いんだが」
「えっ、旦那様、記憶喪失ですか。モールで私を抱き抱えた時、ちゃんと旦那様と名乗られましたよ。早く2人のお家に入りましょうね」
「あれは命の危機が差し迫った状況で、緊急避難的な対応だったんだが」
隼人はしっかりと弁明を口にした。
当時、新秩序連合が接近しており、杏奈は状況を把握しておらず混乱していた。
隼人は有無を言わさずに連れて行くために、『良いから言うことを聞け。嫁志願だろう。旦那に連れて行かれて文句あるか』と言って、杏奈を大人しくさせた。
それでも新秩序連合のバイクと接触しており、ギリギリの脱出だった。
「両性の合意で結婚しました。離婚には同意しません」
隼人の弁明に対して、杏奈は日本国憲法第24条に定められる婚姻で対抗した。
法律には『法の優位性の原則』があって、憲法、国際条約、国内法律の順だ。
最高法規の憲法に定められることは、法律でひっくり返せない。
隼人の緊急避難(刑法)と、杏奈の日本国憲法が争うと、杏奈の勝ちとなる。
「ところで結婚可能な年齢って、何歳だったっけ」
「さあ旦那様、私達のマイホームに入りましょうね」
服を引っ張られた隼人は、物資保管用に確保した1002号室に引き込まれた。
隼人達が宿泊している1001号室と、隣にある1002号室は、37平方メートルと36.5平方メートルで、全体の広さは概ね変わらない。
両室の違いは、1002号室のほうが、テラスが5平方メートル狭くて、シャワーは客室露天風呂に付いていて専用ルームは無い。
その代わりフローリングは、3畳広い18畳となっている。
ようするに、1001号室に置けない物資置き場として、丁度良いわけだ。
『西山さん、実は1002号室もお借りしたいのですが』
『と、申されますと?』
『715号室に泊まっている桜井さんの娘さんと、仲良くなりまして。もちろん2人分、10倍の宿泊代をお支払いします。状態の良いモミでも、籾摺りした直後の玄米でも、精米直後の生米でもお支払い出来ます』
『かしこまりました』
ホテルの西山は、深い笑みと共に応じてくれた。
さらに隼人は、別の申し出も行っている。
それは自分達が借りている714号室、桜井が借りている715号室と、1001号室の真下にある901号室、902号室を交換できないかという申し出だ。
714号室は洗濯や炊事に使っていたが、1001号室から距離が離れている。
つまり部屋の移動中に、結依達が宿泊客から絡まれるリスクがある。
ホテルの元宿泊客には、ショッピングモールからゾンビを引き連れてきた高校生4人組も居たのだから、絶対安全というわけではない。
護衛として期待ができる桜井との距離も離れており、効果も薄い。
そのため901号室、902号室の住人に、半年分の宿泊代と多少の物資提供を引き替えに部屋を交換してもらえないかと、ホテル経由で打診した。
妥結すれば、ホテルにも同額の支払いをすると約したところ、成功している。
なお隼人は、護衛目的で部屋を移ってもらう桜井にも事前に同意を取り付けて、半年分の宿泊代と相応の物資提供を行った。
――杏奈は部屋と荷の管理人、桜井さんは護衛として雇ったようなものかな。
隼人の大盤振る舞いでホテルからの扱いが良くなり、結依達は安全が向上して、桜井親子も餓えずに済み、中貫市の治安も良くなった。
ずっと結依と菜月だけだと気が滅入るかもしれないが、杏奈も含めてカードゲームやボードゲームをすれば、多少は気も紛れる。
杏奈について、将来まで含めて何も期待していないわけではない隼人としては、最良の結果だと思っている。
「今日は2階でキッチン用品、タオル、ランドリーネット、それと本を確保した。洗濯用のネットは、結構使えそうだ」
隼人は、いくつもの鞄をテーブル周りに置いて、ジッパーを開けた。
すると不足していたキッチン用品、食器類、フェイスタオルやバスタオル、定番のスクエア型や立体型のランドリーネット、本が次々と出てくる。
「助かります。結依さんにお借りするのは、やっぱり遠慮がありますし」
「それはそうだろうな」
杏奈は目を輝かせて、鞄の中身を確認し始めた。
「それは全部、杏奈用だ。それじゃあ俺は、隣の部屋に戻る」
「えっ、もう行っちゃうんですか。1晩くらい泊まっていきましょうよ」
「それをすると怒られる。鞄の中身は整理しておいてくれ」
「はーい」
「俺が出たら、施錠しろよ」
「早く帰って来て下さいねー」
「夕食に来い」
そう言って隼人は部屋を出た後、隣の部屋を規則的にノックした。
すると先ほどよりも早く、ドアの鍵が内側から開かれた。
そして出てきた結依は、隼人の傍まで来て、先ほど杏奈が胸に擦り付けた臭いをスンスンと嗅いでから出迎えの言葉を掛けた。
「お帰りなさい」
結依は、「泥棒猫と遊んできたんでしょう」とは言わず、表情を変化させた。
眉をハの字に描き、口角は皮肉めいて微かに上げる。
亭主が浮気して帰ってきた。
そんな江戸や昭和期の惨憺たる家庭風景を彷彿とさせる演技めいた仕草だった。
「その演技、懐かしいな」
「はいはい、良いから入る」
結依に手を掴まれた隼人は、グイグイと室内に連行されていった。
今話で2巻分が終了しました。
安全地帯と食料を手に入れたところで区切り、ひとまず完結します。
ずっとゾンビ物を書いてみたかったので、書けて楽しかったです。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました!


























