56話 危機到来
「ようやく終わったな」
結依が隠した靴の袋を収納した隼人は、溜息を吐いた。
あからさまな態度は、アクセサリーなどには付き合えないという意思表示だ。
懐中電灯で棚を照らしつつ、ゾンビを警戒し、他所の探索者を牽制して数時間。もう終わっても良いだろうと、隼人は分かり易く訴えた。
「えー」
「また今度な」
「はーい」
隼人から妥協を引き出したからか、結依は呆気なく引き下がった。
そして新しいスニーカーで、軽やかにステップを踏む。
靴は試着出来たので、そのまま履き替えた。
2年以上振りの靴なので、嬉しいのだろう。菜月と杏奈も満足そうにしていた。
「隼人は選ばないの?」
結依が、隼人の足元へ視線を送った。
異世界を経た隼人の靴は擦り切れてきており、明らかに交換を要する。
だが隼人は、首を横に振った。
「俺は明日来ることにする」
槍を握り続けたまま、隼人は周囲への警戒を続けていた。
2階にも探索者は訪れるが、誰も隼人に近付こうとはしない。
彼らが訪れた目的は物資の獲得で、現在は滅多に訪れない機会だ。その状況と、槍を構える隼人の存在が合わさることで、トラブルの芽を摘んでいる。
中貫市で新秩序連合に狙われたことがある結依は、頷いて納得した。
「この後、どうしますか?」
菜月が尋ねると、隼人は粛々と答えた。
「ホテルに帰る。そろそろ頃合いだろう」
「そうですね」
隼人にそれを言わせるために、菜月は尋ねたのかもしれない。
杏奈は様子を窺う表情を浮かべたが、隼人、結依、菜月の意見が揃ったことで、反対意見は述べなかった。
「満足出来たか?」
「初デート、ありがとう」
杏奈がトテトテと可愛らしく寄ってきたところで、結依が素早く間に入った。
「はいはい、おしまい」
「えっ、お礼ですよ」
「お礼で、何をしようとしたの?」
「ハグとチュー」
結依の表情が、瞬時に強張った。
「あっ、結依さんが先でしたね。ごめんなさい。お先にどうぞ」
杏奈が更なる追い打ちを掛けた。
隼人はナイスアシスタントと、内心ながら杏奈を全力で褒める所存である。
結依は、好感度バーが上がり切っていないんですけどと、狼狽えている。
杏奈は、結依さんがしないなら私がして良いですよねと、視線で訴えている。
――この娘、強いわ。
隼人は、杏奈の行動力に感動した。
菜月は、隼人と結依との3人で行動出来るように、調整役を担っている。それも貴重な人材に違いないが、結依に対して強い衝撃は与えない。
いわば正妻を立てつつ集団を維持する側室だ。
対する杏奈は、突如として襲来した愛人である。
隼人は杏奈を愛人にした覚えはないが、杏奈を加えることで、全体が隼人の望む方向にいきそうな気がしなくもない。
――食料とか、安全とか、色々とあるけどな。
現時点で隼人は、安住の地を手に入れておらず、食料を生産出来ていない。
例えば米は、結依と菜月の一生分は確保したが、杏奈を含めると足りなくなる。水や物資も3人と4人では、消費速度が相応に変わる。
結依は初期メンバーで、菜月は農高生の知識という価値を示した。
現状で杏奈が加わるのなら、相応のメリットを示さなければならない。
そのメリットが、結依が隼人にハグとチューをするか、辞退して杏奈にさせるかを選択させる行動で、隼人個人に対して示されようとしていた。
――有りだ。
隼人は結依の結論を聞こうと、耳をそばだてる。
すると高い聴力が、フードコートの方向から余計な言葉を拾ってしまった。
「新秩序連合だ!」
「ヤバい、何十人も居るぞ」
その瞬間、隼人の脳裏を掠めたのは、激しい苛立ちだった。
例えば、畑の作物が収穫期を迎えた頃に、野生の猿に食い荒らされた状況。
それは無いだろうという脱力感が隼人を襲う。
――杏奈は、結依のほうを見ているな。
隼人は瞬時に、右手に持っていた槍を収納した。
そして3人に告げる。
「残念だが、新秩序連合が来た。結依、俺に掴まれ。菜月と杏奈は、付いて来い。1階に降りて、脱出する」
「えっ、えっ?」
隼人の聴力を知らない杏奈は、突然の言動に混乱している。
説明が困難だと感じた隼人は、即座に方針を転換した。
「方針を変える。俺が杏奈を抱えて移動する。結依と菜月、付いてきてくれ」
隼人は右手で杏奈を抱き抱え、右肩に担いだ。
「ちょっと、どうしたんですか」
「良いから言うことを聞け。嫁志願だろう。旦那に連れて行かれて文句あるか」
「……分かりました」
切羽詰まった隼人の指示に、杏奈が大人しく応じた。
杏奈をしっかりと抱えた隼人は、映画館側の階段から駆け下りていく。
映画館側にしたのは、安全確保が終わっておらず、人が少ないからだ。
映画館のシアタールームには、明らかに物資が無いと分かる。
そのため誰も、シアタールームの扉を開こうとはしない。
その一方で、ショッピングモールにゾンビが発生した際には、逃げ込んだ人々が大勢居たかもしれない。シアタールーム内は防音で、人がショッピングモールに物資を取りに来ても、中のゾンビは気付かない。
映画館のシアタールームは、ゾンビの有無が不明なシュレーディンガーの猫だ。
おかげで人気が少なく、探索している人々の懐中電灯で照らされていない。
暗がりの中、隼人の懐中電灯の白い光が、床を切り裂くように進む。
探索している人々の喧騒は遠く、ここは一時的に静けさを保っていた。
隼人は足音を最小限に抑えながら進み、階段の上に立った。白い光が階段を下りながら螺旋を描き、下層へと進む道を示した。
「降りるぞ」
結依と菜月に告げた隼人は、先行して降り始めた。
そして階段を降りた先で、懐中電灯が捉えたものがあった。
――3体か。
映画館の1階は探索が進んでいないようで、ゾンビが残っていた。
隼人は担いだ杏奈が後ろを向いていることを確認して、右足を突き出す。
そして右足の爪先から、空間収納に入れていた車を取り出して置いた。
「杏奈、一回降ろす」
「えっ、はい」
杏奈を床に降ろした隼人は、左側からゾンビに飛び掛かった。
瞬時に出した槍の穂先で、一体目の顔面を叩き割る。
槍は上に軌跡を描いた後、二体目の頭部に振り落とされた。
「グアァァッ」
3体目が恐れずに飛び掛かってくる。
隼人は槍を半回転させて、穂先の反対側にある石突で三体目の腹を打ち据えた。
ヒグマの腕力で槍を振るえば、人間など軽々と吹っ飛ぶ。三体目は派手に吹っ飛び、映画館の床をゴロゴロと転がった。
それを見た隼人は追うのを止め、空間収納からスマートキーを出して、車の鍵を開けた。
「よし、車に乗れ」
「えええええっ?」
「早くしろ。菜月、杏奈を押し込め」
隼人が素早く後ろに視線を送ると、結依が助手席に乗り込み、菜月が後部座席のドアを開けて、杏奈を押していた。
「グァァッ」
「黙れっ」
右手を振りかぶった隼人が、起き上がった三体目のゾンビに槍を投げ付けた。
槍は轟音と共に飛び、ゾンビの胸元に大穴を穿ちながら、再び押し倒した。
菜月が車に乗るのを見届けた隼人は、槍を回収せず運転席に乗り込んだ。
そしてエンジンを始動させてアクセルを踏み、映画館から走り出した。


























