54話 隼人の敗北
ここ数日で、ホテルの雰囲気は一変していた。
交流スペースには人の出入りが絶えず、皆が活気に溢れている。
彼らは物資で満載のリュックを担ぎ、持ち帰った品や情報を交換し合っていた。
『ショッピングモール2階まで、かなりのゾンビが排除されたらしい』
『2階は、フードコートがあったよな』
『ああ。缶詰があるはずだ』
話題の中心は、突如として出現した優良な物資の収集地だ。
ホテルから遠くないモールには、隼人が回収せず、または見落とした食品類が、相当量があった。
食品売り場には、生米、菓子類、乾燥食品などが残っていた。酒も手付かずで、ワイン、焼酎、リキュールには、消費期限が切れていない物もあった。
お土産コーナー、レストラン街、フードコートにも、業務用の食品や調味料が、山のように残っていた。
2年前の米でも炊けば良いのだし、菓子類や缶詰なども包装や密封されていて、食べられないわけではない。
乾燥食品には、麺類のうどんや蕎麦、トッピングの昆布、干ししいたけ、海苔、ワカメなどもあるので、回収出来れば立派な食料になる。
魚介類の干物や豆類など、食べられる物はまだまだあった。
「熊倉君の物資回収が、行動の引き金になったようだね」
「そのようですね」
情報をくれたのは、隼人と協力関係にある桜井だ。
1001号室の椅子に腰を下ろした桜井は、勧誘されてしまう隼人の代わりに、宿泊者達から情報を集めてくれた。
隼人は大量のゾンビを倒した後、ショッピングモールに向かい、数日に渡ってホテル内に物資を運び込んだ。
その様子を見ていれば、ショッピングモールから物資を手に入れていることには気付くし、欲しいと思う。
ゾンビ500体を倒す隼人が行ったのだから、ゾンビが殲滅されていることは、想像に難くない。
隼人から力尽くで奪おうとすると、ゾンビ達のように射殺されるリスクがある。腕力や体力も異常に高いので、弓を持たない時でも勝率は分からない。
だがショッピングモールに行けば、戦わなくても山のように置いてある。
ならば自分達も行って、お零れに与ろう。
そう思った人間は、沢山居た。
「俺一人だと、回収できる量に限りがありますからね」
「それでモールのゾンビは、どうなんだい?」
「食品売り場の付近に居たのは、片付けました。ほかは、知りません」
隼人はモールの正面出入り口から入り、食品売り場に移動して、薬局に寄って、裏手から出た。
隼人が通ったルートのゾンビは、掃討済みだ。
「モールの出入り口は、正面側に3つある。そのうち左側の出入り口から入ると、左手には食品売り場しかない。そこが安全なら、右へと開拓していけるね」
長物を持った数人で行けば、正面からノロノロ歩いてくるゾンビ数体くらいは、脅威ではない。
後ろが安全であれば、探索は楽だろう。
数日経っており、今頃は右側への開拓が進んでいるのだろうと隼人は思った。
「ですがモールの右側は、別館のようでしたが」
「あれは映画館だよ。本館の営業時間外にも上映をするから、建物を分けたんだ。映画館は裏側にも、ちゃんと出入り口や駐車場があるよ」
「へぇ」
「本館1階のレストラン街や、2階の衣料品店から先に進むと、映画館に入れる。映画館にはファーストフード店があるから、まだ何か有るかもしれないね」
桜井の提案に対して、隼人は気乗りしない表情を浮かべた。
調味料は手に入るかもしれず、それが無価値とも思わないが、既に収納限界だ。後は個人用にした空間分しか、空きが無い。
だが少し考えた隼人は、結依と菜月に視線を向けて、声を掛けた。
「結依達も、一緒にモールに行くか?」
「どうしたの?」
隼人の提案に、結依が驚いて尋ね返した。
これまで物資の調達は、安全を理由として、隼人が単独で行ってきた。
例外は警察署での探索で、結依と菜月を車内に残しておけなかったからだ。
ホテルというゾンビからの安全地帯がある現状では、連れて行く理由が無い。
「服や靴が欲しいかと思った」
結依と菜月の顔が、途端に輝いた。
「モールで服とか靴とか探すの?」
「新品が沢山有りそうですね」
確認する二人に、隼人は頷き返した。
結依は自宅、菜月は寮から持ち出しているが、おそらく2年は買えていない。
成長期でそれは辛いだろう。
結依は、身長が伸びていない可能性も有る。だが、ろくに洗濯出来ずに着古した服を更新したい状況ではあるはずだ。
衣服には消費期限が無いので、モールに行けば、未着用の新品が手に入る。
「相当の人間が行っているから、ゾンビは排除されていると思うが」
「もちろん行くけど!」
「沢山残っていそうですね」
予算を気にせず、好きな物を持ち帰れる。
そんな状況に、二人は色めき立っていた。
すると二人が喜ぶ様子を見ていた杏奈が、隼人が座るソファーベッドに腰掛け、身体をぴたりとくっつけて甘えるように言った。
「ねえ、旦那様。私も行っていい?」
刹那、1001号室の騒ぎがピタリと収まった。
隼人は、『未婚の杏奈が父親の前で、旦那様と言いながら甘えても良いのか』や、『結依達の反応や如何に』と、周囲に視線を巡らせて様子を窺った。
桜井は、判断は君に任せるよという態度であった。
結依や菜月との関係もあるし、人数が増えれば安全確保の難易度も上がる。
隼人が連れて行っても良いし、連れて行かなくても良いという委任の構えだ。
――常識的な判断は助かる。
一方で結依と菜月は、反対の表情だ。
現状、桜井親子とは協力関係にある。
隼人は精米しており、カントリーエレベーターがある中貫市に当面留まる予定で、インバータ発電機を使う際にはホテルから出る。
ホテルで結依達の安全を向上させる桜井親子には、融通を利かせたほうが良い。
それは缶詰争奪戦を行った際に説明しており、二人も知らないわけではない。
だが杏奈を連れて行くと、問題が起こる。
――空間収納、大っぴらに使えなくなるからなぁ。
つまり、結依達の持ち帰れる服が減るわけだ。
隼人に渡して、コッソリ収納させる工夫は出来るが、多少の制限は発生する。
そんな事をつゆ知らず、杏奈は隼人に甘えてくる。
「お願い、旦那様ぁ」
隼人の左腕に、柔らかい感触があった。
15年物の特秀品である。
――果物の攻撃力は、大きさではないな。
隼人は、素直に参りましたと言いたかった。
負けを認めることは、恥なのだろうか。そのように悩み、おそらく一般的には、そうではないはずだと考えた。
「……服には個人の好みがあるし、他人が選ぶわけにもいかないからな」
危険だからと連れて行かず、代わりに服を持ち帰るのは、如何なものだろうか。
杏奈はお洒落でセンスが良いので、代わりに持ってきても、杏奈が選ぶより質が下がってしまう。
それに隼人が、杏奈の下着類を持ってくるわけにもいかないだろう。
――完璧な言い訳だ。
そのように隼人は、内心で自負した。
結依が、『あたしの目を見て言いなさい』と見詰めてくる。
対する隼人は、野生動物のように、サッと目を逸らした。


























