46話 風呂付き客室
「広ーーいっ!」
結依の第一声が、1001号室にある15畳のフローリングに響き渡った。
フローリングには、セミダブルベッド2台、大きな机、ソファーベッド、椅子、テレビ、エアコン、冷蔵庫、エスプレッソマシン、空気清浄機が置かれていた。
ほかにも踏込、トイレ、洗面所、シャワールームが別々にある。
そして結依が小走りで駆け、ガラガラと開けた戸の先には、テラスまであった。
テラスは、左右両側と天井が、建物の壁で囲まれている。
テラスの奥には腰ほどの高さの手すり壁があり、引き戸を開けると半露天風呂、閉めると展望風呂となる。
「お風呂、広いですね」
菜月が感心したとおり、風呂もセミダブルベッドくらいの広さがあった。
源泉からの天然温泉が引き込まれており、湯船にはお湯が張られている。
温度は少しだけ熱いが、水を足せば簡単に調節できそうだった。
「部屋は37平方メートルで、テラスも20平方メートルあるそうだ」
「前の部屋は、どれくらいだったんですか」
「18平方メートルだそうだ」
ホテルのツインルームは、目安が18から24平方メートルとされている。
中貫天然温泉ホテルの場合は、ギリギリ標準の範囲内で、違法ではない。
単にプレミアム客室が、立派なだけだ。
格差社会、ここに極まれり。
「シャワールームとバスルーム、ガラス張りなんですね」
「カップル用の客室で、混浴風呂らしいからな」
菜月の指摘に、隼人は受け売りの言葉を黙々と伝えた。
自分で入ったことはないが、噂に聞くラブなホテルを想起しないでもなかった。
もしかすると江戸幕府が「吉原遊廓でやれ!」と怒る案件かもしれない。
だが、ここで焦ってはいけない。
極めて冷静、かつ合理的な説明が求められる。
「狭い客室やバスルーム、見知らぬ他人と一緒の大浴場だと、ストレスが溜まる。それで探索すると、ミスの元になる。だから部屋は、広いほうが良い」
はたして隼人の言い訳は、何点くらいだっただろうか。
ガラス張りで見える件に関する説明は、微妙に為されていない。
本音である「ちょっと見えるけど、探索を頑張っているから、ご褒美で!」を、政治家や役人のように取り繕いながら「お察し下さい」と言ったようなものだ。
ジーッと無言で見詰め返す菜月の様子からは、本音がバレていると推察された。
「今日から、この部屋だなぁ」
宣言した隼人は、広いソファーに重々しく腰を下ろした。
テコでも動かないという意思表示である。
「……水出しコーヒーでも入れましょうか」
「ああ、頼む。今、粉を収納から出す」
菜月からは、駄目だという言葉は発せられなかった。
連れて行く際、自分なら良い、同行者が居ても良いとは言っていた。
だが結依とハーレムでも良いとまでは、言っていなかったような気もする。
そして現代の日本人女性は、基本的にハーレムを許さない派だ。
1万円札の肖像になった渋沢栄一は、奥さんとお妾さんを同居させたそうだが、彼を選んだ財務省は凄いと感心せざるを得ない。
――やばいかもしれない、気がしなくもない。
菜月のようなタイプは、爆発すると非常に危険である。
以前、「未亜ちゃんを助けてくれたら、ハーレムでも良いですよ」と言ったので、あの時に物凄く頑張って、何とかすべきだったかもしれない。
「水桶と食料も出しておこうかな」
隼人は誤魔化すように、空の水桶や木箱を出していった。
洗面所があって、水を自由に汲めるのは便利だ。
空の水桶を置くだけで良くて、水の在庫を減らさずに済む。
いくつか桶を置いた後、隼人はフローリングの片隅にドサリと米袋を置いた。
それは自分達の食事用に小分けした、5キログラム用の米袋だった。
「それ、お米?」
はしゃいでいた結依が、米袋を目聡く見つけて戻ってきた。
米袋を開けて、サラサラとした美しい生米に目を見開く。
「カントリーエレベーターから持ってきた。状態は、なかなか良いと思うが」
隼人は追加で、モミを入れた30キログラム用米袋を出した。
すると水出しコーヒーを作った菜月が戻ってきて、コーヒーを机に置いた後、袋に入ったモミを観察する。
米袋の中をゴソゴソと漁り、結露や湿気、乾燥や酸化、カビや害虫などの問題が無いかを確認していく。
「サイロのどのあたりから取り出しましたか」
「建物の3階、サイロの真ん中辺りだ」
停電後のモミの状態は、下のほうが良いと言われていた。
だが一番下には、目視用のアクリル板は見当たらなかった。
――圧力の問題かなぁ。
下のほうが圧力は増して、アクリル板を厚く作らなければならなくなる。
真ん中辺りに目視用の窓を作るのが、板の厚さ的にも、モミの状態確認的にも、妥当だったのかもしれない。
「状態は、かなり良いと思います。どれくらい回収しましたか」
「20フィートコンテナ1個分。3人でも毎日3食のご飯を66年食べられる」
「お米―っ!」
隼人が具体的な数字を挙げると、結依は笑顔を浮かべて、喜びを露わにした。
それを見た隼人が、すかさず確認する。
「発電機を使って炊飯器で米を炊くためにも、714号室は手狭だろう。今日からここで暮らすということで、結依も異存ないな?」
「う゛っ」
喜んでいた結依が、ピタッと停止した。
そしてぎこちなく、ガラス張りのシャワールームへと目を向ける。
やはり結依も、カップル用の客室が気になっていたらしい。
「この部屋だと、いつも白米を食べられるなぁ」
「う、ぐ、ぐっ」
「どうしても駄目だというのなら、714号室はキープしたままだから、結依だけその部屋にするか?」
そう言った隼人は、傍に居た菜月を軽く引き寄せた。
すると隼人に引っ張られた菜月が、隼人の腕の中に収まる。
それを見た結依が、頰を引き攣らせた。
「はあっ、なんでそんなことを言うの?」
ツンデレのツン、発動である。
ちなみにデレは、あまり無い。
隼人は内心では戦々恐々としつつも、ポーカーフェイスで勇敢に挑む。
「結依が、本当にどうしても駄目と言うのなら、714号室もあるというだけだ。結依もこの部屋で良いなら、何も問題はない」
隼人は、菜月の顔が後ろに向くように抱き抱えた体勢で、結依に判断を迫った。
その体勢にしたのは、アイコンタクトで菜月に同調するように指示を出させないためだ。
結依は、うぐぐと呻った後、キレた。
「はいはい、分かりました。この部屋で良いですよーだ」
結依の反応は、まるで第二次反抗期の最中にある14歳の中学生だ。
もちろん隼人は気にしない。
世の中は、結果が全てである。
――勝った。
勝利を確信した隼人は、「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」などと、初の月面着陸をしたアームストロング船長の名言を阿呆に使いながら、勝利の余韻に浸った。
そして「米は強い、稲作農家は最強だ」などと、農家を褒め称えたのであった。
◇◇◇◇◇◇
そして、夜が訪れる。
「あー、今日も、疲れたなぁ」
隼人はわざとらしく呟きながら、シャワーを浴びた。
疲れたと言える作業は、カントリーエレベーターを往復して、サイロのアクリル板を壊して、モミの回収と精米を行ったくらいだろうか。
異世界での労働と比べてどうかと問われたら返答に窮すが、一般的には、程々の労働かもしれない。
身体を洗った隼人は、ガラガラと戸を開けて、展望風呂に出る。
すると展望風呂には、先客の姿があった。
――だが、ここは天然温泉ホテル。合法の露天風呂だ。
ホテルは以前から営業していたのだから、明らかに合法である。
それでも隼人は、きちんと文化を踏襲した。
「えーと、あれだ。田舎者でござい、冷えものでござい、御免なさい」
江戸後期の作家で、浮世絵師だった式亭三馬の『浮世風呂』(1809年)では、「田舎者なので江戸のマナーが分かっていなかったら御免なさい、冷えた体が当たったら御免なさい」などと挨拶して出入りするのが銭湯マナーだったという。
ちゃんと挨拶した隼人は、半露天風呂に向う。そして身体に掛け湯をしてから、風呂に入った。
完璧な作法である。
先客が2人ほど居るが、日本の文化なので、特に問題は無いだろう。
二人とも、しっかりと身体にバスタオルを巻いている。
良く見ると、なんと隼人の知り合いであった。
「結依と菜月か、露天風呂で会うとは、奇遇だなぁ」
口元をヒクヒクと引き攣らせた結依が、良く言うわねと表情で訴えてきた。
身に覚えのない隼人は、首を傾げてみせる。
「……ちょっと狭いんですけど」
「そうかな。セミダブルベッドくらいの広さで、3人なら丁度良いと思うが」
隼人に1001号室を割り振った西山は、慧眼であったと言わざるを得ない。
だが結依が狭いと主張したので、隼人は渋々と菜月のほうに身を寄せた。
そして左手を伸ばして、肩を抱き寄せる。
菜月はビクッと身体を震わせたが、結依とは真逆で素直に引き寄せられた。
「ちょっと、何してるの」
「狭いと言うから、菜月のほうに寄ってみたのだが」
「はあ?」
ツンなのに嫉妬するのは、如何なものだろうか。
だが隼人は、この展開を予想していた。
要するに、フローリングで菜月を引き寄せていたのと同じ戦法だ。
最初から一直線に攻めても、結依は徹底抗戦の構えを見せる。
だが結依だけを仲間はずれにすると、それはそれで怒る。
その習性を利用して、「怒るのなら仲間に入れよう」という作戦だ。
「じゃあ結依も」
隼人の右手が、結依の小さな肩に触れた。
結依は頰を朱に染めており、内心では「ぎゃー」と叫んでいるのかもしれない。だが反骨心を見せて、隼人の右手を両手でガシッと掴んだ。
右手を封じられた隼人は、手を自由に動かせなくなった。
「くっ、やるな」
「何を言っているのか、わかんないんですけどっ!」
菜月のほうは、普通に肩を抱き寄せられている。
手を下げれば首筋、そしてバスタオルへと行き着くだろう。
隼人の手がバスタオルの下に入った場合、江戸幕府は許さないかもしれないが、きっと菜月と財務省は許してくれる。
だが隼人は左手が利き手ではなく、右手は結依と攻防中で、集中力を回せない。
右手と左手で別の作業をするのは、とても難しい。
10人の話を同時に聞き分けたという聖徳太子は、まさに偉人である。
隼人が苦戦する中、結依は自分の髪を縛っていたゴムを解いた。
そしてゴムを使って、隼人の右手と『あやとり』を始めた。
その複雑な動きに、隼人の思考力は大部分を割かれてしまう。
「子供をあやす親かっ」
「子供みたいなものでしょ」
結依の言い分は、隼人にとっては遺憾の意である。
ちょっと江戸時代の田舎者の作法を真似て、ふざけてみただけだ。
こうなっては仕方がないと、隼人は正論を訴える。
「俺の努力に対する見返りが、ちょっと少ない件について」
「シャワールーム、ガラス張りなんですけど?」
それは非常に頑張れるかもしれない。
隼人は一撃で論破された。
こうしてお米という大成果は、客室のグレードアップに変わったのであった。
毎日投稿は、本日までとなります。
以降は週2回(金・土)で20時に投稿します。
お詫びで「そして、夜が訪れる。」以降を加筆しましたので、
何卒お許しを( ˆ꒳ˆ; )


























