44話 精米作業
隼人が覗き込んだサイロの内部には、モミがぎっしりと詰まっていた。
「アクリル板なら、壊せる気がする」
3階の高さにある目視用のアクリル板は、そこまで厚みが無いように思える。
30メートルほどのサイロで、3階の高さであれば、ちょうど中間辺りだ。
水族館で、水深15メートルの水槽の下のほうの厚みと同じくらいか、あるいはモミのほうが密度は低いので、より薄くて済む。
7から8センチメートルもあれば、余裕で耐えられるだろう。
そして隼人は、ヒグマ並の怪力であり、槍の穂先はダマスカス鋼だ。
もっとも、今すぐアクリル板を割ると、大変なことになってしまう。
現在は3階の高さで、足元は格子状の金属床。
ここでアクリル板を割れば、流れ出したモミが1階まで落ちていく。
「地球に戻ったとき、スーパーで掃除用具は手に入れたけど、ほうきとチリトリで回収した米を食べたいかと考えれば、否かなぁ」
思い留まった隼人は、サイロを離れて、施設の1階に戻った。
最初に入った出荷倉庫には、空の米袋が大量に積み上げられていた。それを格子状の金属板の上に敷き詰めればモミが落ちないし、回収する袋にもなる。
最初から収納すれば良かったと思いながら、隼人は各サイズの米袋を回収した。
なお回収を躊躇った理由は、収納空間の空きが少ないからだ。
異世界の物品を整理しているが、未だに捨て切れていない物もある。
「勿体ないと思って取っておいたけど、弓300張なんて、要らないんだよなぁ」
隼人の収納空間には、弓が300張も入っている。
現状の日本において、弓矢はゾンビへの攻撃や野生動物の狩猟に使える。
隼人が所属していた部隊でも、弓矢を戦闘と狩りの兼用にしていた。野営の際、追加の肉を手に入れることにも非常に役立った。
だが射手が隼人だけなので、300は明らかに不要だ。
「結依や菜月に持たせても、弦を引っ張る力が足りなくて、使えないだろうし」
もちろん将来の交易品には役立つだろう。
弓矢で狩猟を行う場合、制作が一番難しいのが弓だ。
弓だけではなく、矢を射る右手を守る弓掛、矢を収める矢筒も付けられる。
矢だけは譲れないので自作してもらうことになるが、木の枝をナイフなどで削れば良いので、大して難しくはない。
なにしろ世界中の人類の祖先が、かつては矢を自作できていた。それに矢は、獲物から引き抜けば再利用も可能だ。
先端に取り付ける鏃は、ホームセンターなどにある太い釘を使えば良い。
矢羽根は、ニワトリの羽などでも代用が出来る。
だが隼人は、将来の交易よりも、目の前のモミが欲しい。
それにバラ撒けば、新秩序連合のような集団の食糧事情を良くする懸念もある。
「帰り際、どこかの民家に置き捨てるかな」
袋を回収して3階に戻った隼人は、アクリル板の下に、袋を敷き詰めていった。それにより、モミが流れ出てきた時の受け皿が完成する。
作業を終えると、隼人は槍を取り出した。
そして振りかぶり、アクリル板を睨み付け、歯を食いしばって振り抜いた。
「ぬあああっ!」
金属の響きが、隼人の叫びと共に施設内に鳴り響く。
槍を叩き付けた衝撃で、アクリル板に大きな亀裂が入った。
隼人は槍を引き戻し、立て続けに振り抜く。
「らあああっ!」
ズガアアンッと、先ほどに劣らぬ重機の如き衝撃音が、辺りを揺るがした。
アクリル板が弾け飛び、金属部分がゆがみ、中から米のモミが溢れる。
隼人はさらに槍を引き、振りかぶって、凹んだ金属部分に叩き付けた。
「だあああっ!」
アクリル板を取り付けていた金属部分が弾け飛び、さらに穴が拡大した。
圧密されたモミは出なかったが、隼人の腕を突っ込めるくらいの穴は空いた。
手を突っ込んでモミに触れれば、収納できる。
一息吐いた隼人は、アクリル板を叩き割った槍の穂先を眺める。
「この槍は、そろそろ寿命だったな」
そう呟いた隼人は、穂先の折れた槍を収納せずに放り捨てた。
槍を投げ捨てた隼人は、次いで少し離れた場所に機械を出す。
ホームセンターで入手したインバータガソリン発電機、エンジンオイル20L缶、籾摺り機、一回通し型精米機2台だ。
籾摺り機は、1時間で100キログラムのモミを玄米にできる。
一回通し型精米機は、1時間で30キログラムの玄米を精米できる。精米機は、2台あるので、60キログラムを処理できる。
隼人は説明書を見ながら、発電機にオイルと燃料を入れ、操作を始めた。
「ガソリンのコックをオンにして、夏以外はチョークを引いて、エンジンスタートの鍵をオンにして、スタートまで回して……」
隼人が操作すると、キューという音が鳴り、グワングワングワンとインバータ発電機が動き始めた。
ドドドドドドッと爆音が鳴り響く。
「エンジンがかかったら、チョークを戻す。エコノミースイッチを入れると、音が静かになる」
エコノミーモードにすると、発電機がキュイイイと呻って、音を下げた。
だが発電機は、充分に煩い。
騒音値は55から60デシベルとあるが、常に会話しているくらいの音だ。
――ホテルでは使えないな。
隣の部屋の桜井親子には、気付かれそうな気がする。
何しろテレビもスマホも動いておらず、現代人は音に敏感なのだ。
桜井は、隼人がホテルの不在時に結依や菜月を守ってくれる大人で味方側だが、何もかも開示する気は無い。
次いで隼人は、空いた穴に手を突っ込んで、触れたモミを回収した。
空間収納でモミを回収すると、そこに隙間が空いて、周囲や上のモミが落ちる。それをさらに収納していけば、どんどん回収できる。
すべては回収しきれないが、突っ込んだ手の先に米袋を出せば、穴は塞げる。
「モミの状態は、良好っぽいな」
モミの回収は、サイロの中段からとなった。
それでも上には100トン単位のモミがあり、充分に圧密状態だ。
菜月曰く、圧密されると空気の動きが少なく、温度が安定して、乾燥状態を維持できるらしい。
実際にモミの状態は、非常に良好だった。
収納でモミを集めた隼人は、籾摺り機の投入口から入れて、稼働させた。
籾摺り機の稼働音がグワーンと鳴り響き、モミ殻を機械の横に吐き出しながら、ザラザラと玄米を作り始める。
隼人は、慌てて玄米が出る口に30キログラム用米袋を当てた。
さらに籾摺り機の下に木箱を敷いて、玄米を受け易く調整する。
「次は、一回通し型精米機か。滅茶苦茶忙しいな」
精米機は、タンクに玄米を投入してスイッチを入れて、レバーを引いて、1から10までの白度調節を行うと、精米を始めてくれる。
そして投入している玄米が無くなると、自動的に止まる。
隼人が手に入れた精米機では、0が玄米で、10が白米となっていた。
玄米は白米に比べて、ビタミンやミネラル、食物繊維が豊富に含まれている。
もっとも欠点が無いわけではなく、玄米は白米に比べて、食べ難いとされる。
――白度は、結依や菜月と要相談かな。
玄米は見た目が褐色や赤褐色で、取引で古米と間違えられかねない。
そのため玄米食にするとしても、一部は白米で持つほうが良いかもしれない。
玄米の白度を自由に調整できる精米機の下部には、精米時に発生する4キログラム用の糠箱も付いている。
米糠とは、玄米10キログラムを精米すると1キログラムほど発生する粉だ。
畑の肥料、家畜飼料に混ぜる、洗剤などの用途があり、玄米を削った一部なので食べることもできる。
隼人が標準設定で操作をすると、ギーンと音が鳴って、精米が始まった。
――8畳の部屋1室分くらいの白米を抱えておくのは、有りだな。
精米すると量が7割になるらしいので、最初は1室分より多目に回収しておき、地道に精米していけば良い。
隼人が精米する速度は、1時間に60キログラムで2袋。
地道な作業が必要だが、そこまで遅くはない。
一部は、田植え用にモミの状態で保管しておいても良い。
「1室に550袋くらい、入るかなぁ」
空間収納からスマホを出した隼人は、550袋を計算してみた。
1袋30キログラムは、3万グラム。
茶碗1杯が生米75グラムとして、1袋30キログラムは400食分。
1日3食なら、1袋400食は133日分。
550袋で7万3150日となり、3人で割れば2万4383日。
2万4383日を1年の365日で割ると、66年。
つまり隼人は、87歳くらいまでお米に困らなくなる。
なお田植えをすれば生産できるので、在庫は気にしなくても良くなる。
「取引でも使うから、1室分は持っておくか」
白米は、大抵の取引に使える。
中貫天然温泉ホテルでは1ヵ月の宿泊で1人2キログラムだったが、そのような価格になっているのは、主食で必須なのに入手が困難だからだ。
江戸時代の年貢は、米だった。
日本円が紙切れになった現在、最強の通貨は米かもしれない。
その日、諸事情に鑑みた隼人は、近隣の民家を弓の武器庫と化した。


























