39話 桜井との協力関係
「ここに蕎麦粉の低温恒湿倉庫があって、蕎麦粉が大量に保管されている」
隼人は運転席に座りながら、助手席に座る桜井がカーナビに登録していく中貫市の説明に聞き入っていた。
もっとも実際には、右の耳から左の耳へと抜けていっている。
――駄目だな。頭に入らない。
地元の霧丘市ならば、ナビを見ずとも迷わず移動できる。
どこに何が売っているかは把握しており、道順や現地の光景も思い浮かぶ。
だが中貫市は、どこに店があると言われても、サッパリ頭に入らない。
地元民の桜井は熟知しているが、左肘を骨折しており、町での活動が困難だ。
そのため2人は、協力関係となった。
桜井が情報を提供して、隼人が物資を収集して、成果を分配するわけだ。
「ご紹介頂いた穴場で物資を得られたら、分配は6対4で良いでしょうか」
「全然構わないよ。それどころか、貰いすぎだと思うね」
「この協力関係は、俺がホテルに不在の間、結依達の安全性を高めますので」
情報の対価として分配する話は、隼人にとっては名目に過ぎない。
桜井を協力関係にして、結依達を守らせるのが、主な目的だった。
新たな車を探す間、隼人は結依達を安全な場所に避難させておきたい。
「安全性を高めると言うと、何か懸念があるのかな」
「誰かに追われているわけではありません。ですが、結依は身長が低くて子供っぽいですし、菜月も女子高生で、ホテルの男性宿泊客に絡まれる可能性があります」
「それが絶対に無いとは言えないね」
結依は、身長150センチメートル弱で小学6年生並。
菜月は、どこから見てもれっきとした女子高生。
結依に対しては純粋に心配する人間が居るかもしれないし、菜月は平和な時代に街を歩けばナンパされる。
声を掛けられたとき、断っても相手が引き下がらなかったら、非常に面倒だ。
だが隼人が不在でも、成人男性で弁も立つ桜井が味方なら、相応の守りになる。
さらに杏奈も、ホテルに先住の女性として、味方の立ち位置で振る舞う。
隼人は情報ではなく、結依達の味方を作って、安全向上を図りたかった。
「ご紹介頂く穴場以外でも、いくらか物資の分配をします。その分、結依達を気に掛けて頂ければと思います」
「そういうことなら、了解したよ」
隼人の意図を理解した桜井が受け入れて、協力関係は成立した。
桜井は再び外の景色に目をやり、遠くに伸びる道を眺めて呟く。
「だが車で探索するのは、危険かもしれないね」
「どうしてですか」
「ゾンビもだけど、新秩序連合の連中も居るからね」
「そういえば、コミカルな連中が居ましたね」
車のフロントガラスには、大きな蜘蛛状のヒビが入っている。
今は車がほとんど動いていないので、取り逃がした残党が見れば、ニワトリ並の記憶力でも、思い出せてしまうかもしれない。
もっとも隼人が単独の時に襲ってきたとして、それが危険なのかと問われれば、そんな事はまったく無いが。
「あいつらって、どの辺りに居るんですか」
「彼らの拠点は、元は災害拠点病院だった中貫市民病院だ」
「病院ですか?」
「災害拠点病院には、自家発電装置や備蓄食料などがある」
不思議がる隼人に対して、桜井は事情を口にする。
「中貫市民病院には、軽油で動く自家発電装置や、地下水の汲み上げ施設がある。病室やベッド数も多いし、患者が勝手に出ていかないように出入り口も限られる。だから沢山の人間が泊まれて、ゾンビの侵入も防げるわけだ」
「そういうことですか」
説明を聞いた隼人は、病院を拠点にする理由に得心した。
軽油は、現在はガソリンスタンドから回収が出来る。
つまり現状では、安全で電気や水も使えるわけだ。
そのためには入院患者を追い出さなければならないが、隼人達に略奪や誘拐を試みた集団は、相手が老人だからと遠慮する性格には見えなかった。
「あいつらの人数、多そうですね」
「元々悪いグループが拡大していって、300人くらいになっているそうだよ」
「……戦国時代なら、1万石の大名が抱える兵力くらいですかね」
江戸時代の石高と人口は、ほぼ一致していた。
つまり1万石の大名なら、1万人の町を支配する程度になる。
新秩序連合は、江戸時代であれば、1万人の町を支配する勢力と同規模だ。
中貫市は、人口5万人以上から名乗れる『市』のため、新秩序連合の規模で全域を支配するには足りない。
――市の5分の1くらいを支配できる戦力かな。
新秩序連合の武装は鈍器などで、江戸時代の槍よりも弱い。
だがレジャーナイフなどを持っているかもしれず、それに刺されて死んだ野生のヒグマも居た。
それに銃器も、絶対に無いとは言い切れない。
「相手にするのは面倒そうなので、新しい車探しからすることにします」
「それが良いかもしれないね」
隼人がリスクを認識する様子を見て、桜井は満足そうに応じた。
「彼らは病院を占拠して、市内の物資を略奪し、女性を攫っている。避難所だって襲われたことがある。私が、杏奈を自宅や避難所に残して探索に行けない理由だ」
「戦国大名を想像しましたけど、単なる山賊団でしたね」
彼らが放置される一事だけでも、日本の治安能力の崩壊は明白だ。
いつか織田信長のように、天下統一を目指す人間は、現われるだろうか。
但し織田信長は、尾張で最大の勢力を持つ者の嫡男という生い立ちだった。
人々のゾンビ対策が安定して、地元に強い地盤を持つ家が登場した後でなければ天下統一を目指せないのなら、これから数十年は無理かもしれない。
「ところで君達は、どういう関係なのか聞いておいても良いかい」
桜井が、歴史に思いを馳せる隼人を現実に引き戻した。
桜井が守ってくれる結依達について、関係性を説明しておくのは否では無い。
「結依とは家が近所で、同じ学校の後輩でした。菜月は、私の友人が通っていた高校の後輩です。2人とも、連れてくるくらいの仲ですね」
隼人は結依達との関係について、幼馴染みや友人の後輩であるかのように、話を盛った。
もっとも発言内容について、嘘は吐いていない。
近所とは、近い所という意味なので、隼人と結依の家が近所であるのは事実だ。出会った際には霧丘北中学の制服を着ていたので、中学の後輩でもある。
霧丘農業高校には隼人の友人が通っていたので、菜月も友人の後輩だ。もっとも同級生の卒業後に入学している菜月は、単に学校が同じというだけでしかないが。
隼人は追及されることを避けるべく、結論をまとめる。
「2人は、もう親には会えません。ですが私は21歳で、高卒後に就労しました。結依は18歳、菜月は17歳。成人年齢は18歳ですし、自立で良いでしょう」
しばらく隼人の話を吟味した桜井は、やがて頷いた。
そして、どこか遠い目をする。
「うちの娘は、どれくらいで自立できるかなぁ」
「今、おいくつですか?」
「文明が崩壊していなければ、そろそろ中学の卒業式だね」
つまり杏奈は、中学3年生だったわけだ。
もっとも文明が崩壊して1年なので、3年間通えたわけではないだろう。
現状は、3年前に中卒で働くどころではない過酷さだ。
「親が居るなら、無理に自立しなくて良いでしょう。厳しい世の中ですし」
「だけど親は、先に死ぬからね」
「それは、桜井さんが仰るとおりです」
そう賛同しつつも、隼人は内心で、おそらく一般的ではないことを考えた。
隼人は、『生物の目的は生存して子孫を残すこと』が自然の摂理だと考える。
その思想で、生物の目的達成だけを考えれば、新秩序連合の偉い人間の妻という立場に収まることは、効率的な手段の一つだと言えなくもない。
生存と繁殖だけを効率的に考えるのなら、やり方はある。
気に食うか否かであれば、もちろん気に食わない話だが。
――織田信長が天下統一を志して旗揚げしたら、協力しなくもないかな。
協力して、本能寺の変も回避ができれば、一国一城の主になれるかもしれない。そうしたら、さり気なく側室を迎える所存だ。
だが南の島でバカンス中の政治家に付くのは、見返りを期待できないので嫌だ。
そんな風に思ったり、思わなかったりする隼人であった。


























