31話 郊外にて
本日より、第2巻開始となります!
3月の柔らかな朝日が、隼人が走る郊外の道を穏やかに照らしていた。
すれ違う車は皆無で、信号機が機能しなくても、車同士の事故は心配ない。
むしろ懸念されるのは飛び出してくるゾンビで、隼人は道の中央を進んでいた。
「郊外も、軒並み略奪があったんだなぁ」
暢気に宣ったのは、ゾンビが車には追い付けないからだ。
助手席に乗る結依、後部座席に乗る菜月も、興味深げに外の景色を眺めている
道沿いの店は、シャッターが歪に開けられ、ショーウィンドウは割られていた。
「スーパーとかコンビニは分かるけど」
「うん?」
「銀行の支店とかも、ガラス割られてるね」
結依が眺めている左側の道沿いには、窓ガラスが壊された銀行の支店があった。
「あー、世紀末だよなぁ」
銀行には、明らかに食料は無いと分かる。
それでも人が居らず、警察も来なければ、入ってみたいと思うのかもしれない。
隼人も銀行の内部がどのような構造なのか、少しだけ興味はある。
そして誰かは実際に見てみようと思ったようで、銀行には侵入の形跡があった。
「お金、使えますかね」
「……無理じゃないか」
菜月に問われた隼人は、少し悩んでから答えた。
お札と引き替えに商品を提供してくれる店が、そもそも存在しない。
燃料が無いので商品を搬入できないし、店を開いても訪れるのはゾンビだ。
頑張って稼いだところで、稼いだお金を使えないのだから徒労となる。
それどころか価値のある商品を提供する分だけ、自分が損をしてしまう。
隼人が前方を観察しながら進んでいくと、道路脇から新たに1体が姿を現した。
腐敗した死体は、ゆっくりとよろめきながら車に向かってくる。
隼人はゾンビを大きく避けるように、車体を右側に寄せた。
「こいつら魔素で動くから、何年経っても、動かなくならないんだよなぁ」
「それって、どういうこと?」
助手席の結依が、隼人の呟きを聞き返した。
ゾンビを避けた隼人は、車を走らせながら答える。
「別の転移者が予想していたんだが……」
生物は、死後から腐敗が始まる。
筋細胞が腐敗すると、タンパク質が分解されて、筋繊維の収縮機能を失う。
また筋肉と骨を繋ぐ腱も腐って千切れ、筋肉の力が骨に伝わらなくなる。
関節を動かす滑液も無くなり、靭帯も腐って、骨と骨との接続が外れる。
神経組織も壊死して分解されるため、脳からの信号も伝わらなくなる。
そのため通常は、夏場では2週間、冬場では2ヵ月ほどで動かなくなる。
だがゾンビウイルスは、活動に必要な部分を魔素で補う。
腐敗した部分には、ウイルスが魔素で特殊なタンパク質マトリクスを生成する。
タンパク質マトリクスは、血液循環の代替機能や細胞レベルでの代謝も果たす。
見た目は腐っているが、細胞内の構造タンパク質や細胞膜の構成タンパク質は、魔素で補われているわけだ。
魔素は大気中に存在し、灼熱や氷点下でも機能が衰えない。
そのためゾンビは暑さや寒さにも多少の耐性があり、魔素が無くならない限り、身体を維持して動き続ける。
「だから、多少は動きが衰えるが、いつまで経っても動かなくはならない」
「何年くらい動くの?」
「異世界では、600年前に滅んだ古代王国のゾンビも徘徊していたぞ」
結依は、うわぁと嫌そうな顔を浮かべた。
なお補うといっても、頭部を破壊するか切り離せば、信号伝達が途切れる。
だからゾンビを倒すときには、頭を狙うのが正しいわけだ。
逆に心臓を破壊しても、ウイルスが魔素を使って筋肉の収縮エネルギーを供給しているので、動きは止まらない。
「異世界だと、どうしていたの?」
「転移者でなくても、町にいる教会の神官は、神聖魔法で治療できた。町の兵士がゾンビを倒して、噛まれていたら治療して、問題解決だな」
「神官が居ない村とかは?」
「少し使える人が治療しながら、噛まれた人を町まで運んで解決」
隼人は神聖魔法について、超文明の転移装置が原因だと考えている。
装置の使用時、遺伝子改造とナノマシンの植え付けが行われたという予想だ。
また異世界人の身体にもナノマシンがあり、母体から子供に受け継がれている。
ただし異世界人には、使える者と使えない者が居て、効力にも差があった。
転移者が遺伝子改造と植え付けの第一世代だとすれば、血が薄れたか、そもそも子孫ではないかであろう。
すると地球人の場合、基本的に神聖魔法は使えないことになる。
――俺の子供だと、使えそうな気はするが。
隼人の子供は、改造されてナノマシンを植え付けられた者の第二世代になる。
神聖魔法を使えるようになる予感が、隼人にはあった。
もっとも、それを大っぴらにすると、とても面倒なことになる。
「俺は、ウイルス除去薬として一生監禁されるのも、人体実験されるのも嫌だな。政府は、自力で頑張ってくれ」
政府に対しては、国民の権利や自由を守るために国がやってはいけないことを定めた憲法を守ってほしいと、切に願う次第である。
「右側の工場、生存者がいるね」
助手席から結依が指差した方向には、鉄格子とトタン板で周囲を補強した工場が建っていた。
工場の屋上からは赤い布が揺れ、誰かが手を振っている。
「そうだなぁ」
隼人は淡々と返した。
エンジン音の静かな車体が、朝もやの立ち込める道を滑るように進む。
「寄ったりはしないんですね」
「俺にメリット、無さそうだよなぁ」
後部座席の菜月が遠慮がちに尋ねると、隼人は素っ気なく応じた。
一応、何を言っているのか聞こうと思って、ドアの窓を少し開ける。
そして徐行すると、工場から男性の声が聞こえてきた。
「おーい、止まってくれっ!」
窓上から、男性の声が響いた。
小さく見えていた人影が、手すりを乗り越えて屋上の端まで駆け寄ってきた。
男性の大声に、ビルの周囲を徘徊していたゾンビ達が一斉に顔を上げる。
「あー、何をやっているんだか」
隼人の周囲では、ゾンビ達が続々と工場に向かい始めた。
腐敗した身体から異臭を漂わせながら、よろめく足取りで集まってくる。
道路の反対側からも、新たなゾンビが姿を現した。
「待ってくれ。食料があるんだ!」
付き合いきれないと思った隼人が車を動かすと、男が引き留めようと訴えた。
「メリットあると、言っていますけれど」
「きっと罠に違いない」
菜月が指摘すると、隼人はバッサリと切り捨てた。
「どんな罠ですか?」
「車を奪う罠かな。物資を調達する手段が欲しいとか」
車があれば、閉じられている店のシャッターを破壊できるし、移動中はゾンビに押し倒されて噛まれたりもしない。
車を動かせることは、生存に有利となる。
だが海外からの燃料供給が途絶えた今、車は容易に動かせない。
「ガソリン獲得方法を知りたいとか、色々と有りそうだ」
隼人は空間収納にガソリンを入れながら移動している。
だが普通は、独自にどこかのガソリンスタンドを確保していると、思うだろう。それなら自分達も仲間にしてほしいと考えるかもしれない。
サイドミラーで屋上を見ると、別の人間が白いシーツを大きく振っている。
その動きに反応して、さらに多くのゾンビが集まってきた。
「おい、やばいぞ」
「くそっ、早く隠れろ」
屋上のほうから、慌てた声が次々と響いてくる。
シーツを振っていた人影が慌てて姿を消し、屋上の男性も手すりの向こうへ転げるように消えていった。
工場の周囲には、既に数十体のゾンビが集まっている。
ゾンビはよろめきながらも、愚直にバリケードを叩き始めている。
出入口の鉄格子は頑丈そうだが、壊そうとする音に引き寄せられて、次から次へとゾンビが現れていた。
「あの、大丈夫でしょうか」
菜月は心配そうに、後ろを振り返った。
「バリケードを破れないからこそ、この辺にゾンビが集まっているんじゃないか」
隼人は淡々とハンドルを握ったまま、バックミラーに映る光景を見やる。
なおヒグマ並の身体能力を持つ隼人の耳には、未だに屋上の声が聞こえていた。
「もっと上手くやれよ!」
「だって、もう食料が底を尽きそうだったから……」
「車を入口に寄せさせてから、ゾンビに襲わせれば良かっただろうが」
建物の中で始まった口論が、うっすらと聞こえてくる。
生憎と工場の食料は、そろそろ尽きそうだったらしい。
彼らは食料があるとは言ったが、どれだけあるとは言っていない。そして食料を分けるとも言っていない。
「さて、先に進むか」
災害発生時は、自助、共助、公助の順だと政府も言っている。
まずは各々が、自分自身を助けなければならないのだ。
隼人がアクセルを踏むと、車は静かに その場を離れていった。
バックミラーには、ゾンビの群れが着実に大きくなっていく様子が映っていた。


























