21話 新種のゾンビ?
「勿体ないかも」
第2回霧丘市民マラソンを終えた隼人は、結依の家に帰った。
そして成果を報告したところ、食事の際に結依から指摘を受けた。
勿体ないというのは、入手したゴム手袋を交渉に使う件についてだ。
ゴム手袋の箱には、「ゴムコーティング、スマートタッチ、洗濯可能、12ペア」と書かれていた。
値札に書かれていた価格は、驚異の1万4321円。
つまり1組ですら、1200円もする。
「確かに高級品だな」
電話やネットが一切使えなくて、隼人のスマホは空間収納に入れっぱなしだが、それくらい繊細な作業を行える高性能な手袋ということだ。
成人男性用のサイズで、結依の手には合わないが、隼人であれば使える。
「これから作られることは、無いと思う」
「そうだろうな」
ゴム手袋を作るための主な原材料は天然ゴムだ。
天然ゴムは、主にゴムノキの樹液から採取される。
だが日本では国内生産量が少なくて、大部分を海外から輸入している。
隼人の記憶では、マレーシア、インドネシア、タイなどアジアで南方の国々が、主要な供給国だった。
そして輸出入が止まっているため、原材料のゴムが日本国内に入ってこなくて、新たなゴム手袋は生産できない。
「海外との輸出入が再開するのって、いつだろうな」
「そもそも海外へ輸入に行ける船の重油とか、残っているの?」
「日本の船は、帆船レベルに戻りそうだな」
江戸時代の和船であれば、燃料を使わない。
大型船として有名な北前船は、荒波の日本海を行き来して、大阪から北海道まで荷を運んだ。
もっとも内海の船なので、外海を航行してゴムを輸入するには厳しそうだ。
「再生産できなくて、需要も高いよ」
「そうだろうなぁ」
日本各地では、ゾンビを防ぐバリケードを作ったり、農作物を育てたり、物資を回収したり、果てはゾンビと戦ったりと大忙しだ。
そして作業をすれば、手を傷付ける。
性能が高い手袋の需要は、相当高いだろう。
「隼人が使うための手袋も、あったほうが良いと思うけど?」
隼人を心配した結依は、粉末を水で溶かしたドリンクを口に運んだ。
隼人も一息吐き、自分の前に置かれたコップを手に取る。
薬局で手に入れたレモンタルトチェリー味の粉末ドリンクは、自分が薬局によっても絶対に買わないジャンルだ。
どのような味がするのだろうと口を付けたところ、爽やかな酸味と甘みが、絶妙なバランスで成り立っていた。
――レモンの酸味と、タルトのバター味と、チェリーのフルーツ味の甘みか。
異世界の食事を続けた結果、甘味には敏感になったかもしれない。
隼人は酸味と甘みの余韻を味わいながら、二口目を飲んだ。
そして落ち着いたところで、代替案を口にする。
「使わないヘアケア・ボディケア・スキンケア用品でどうだ。農作物の種は、食べ物になる。食べ物は、シャンプーよりも必要だろう」
結依は即答しなかった。
女子の身嗜みは、食料並に大切なことであるらしい。
隼人は、さらに告げる。
「安物からで良い。スキンケアにコラーゲン養潤クリームとかもあったが、コラーゲンを塗っても肌がプルプルになったりはしないと聞いたぞ」
「はぁ?」
隼人の主張に対して、結依の表情は全面的な拒否反応を示した。
「コラーゲンは、肌の構造を支える重要なタンパク質で、肌の弾力や保湿性を高める効果があるんだけど。クリームを使ったら、肌の水分が保持されて、お肌の乾燥を防ぐことができるんですけど?」
結依は訴える最中、次第に他人行儀な丁寧語へと変わっていった。
そして隼人の次の言葉に、全力で反撃する構えを取る。
「分かった。すまん。メンズ用のやつを持っていく」
かくして霧丘農業高校には、男性用のヘアケア・ボディケア・スキンケア用品が持ち込まれることとなった。
◇◇◇◇◇◇
翌日、結依の父親の旅行鞄に男性用の各製品を詰めた隼人は、霧丘農業高校に訪れた。
前回まで使っていたリュックサックは、帰り際に物資を入れて菜月に渡しており、代わりに旅行鞄を貰い受けた次第だ。
ズッシリと重い鞄を担ぎ、大森が居る職員室で中身を告げたところ、女性教師達がゾンビのように群がってきた。
そして鞄を奪われ、ジッパーを勢いよく開けられる。
「ちょっと見せて! それ何が入っているのっ」
興奮した声を上げたのは、中年の女性教師だった。
続けざまに別の教師も叫ぶ。
「全部出しましょう。まずは中身を確認するわよ」
彼女達は、鞄の詰め込まれた品々に視線を走らせた。
シャンプー、コンディショナー、ボディソープ、スキンクリーム、デオドラントなど、男性用でも気にならない様子で、それぞれ手に取り始めた。
なぜなら彼女達は、最低でも1年以上、それらを入手できていない。
「これ、香りがさっぱりして良いかも」
「成分表を確認させて。男性用だけど、女性でも肌荒れしないのもあるから」
「それ、香料を確認するから貸して」
一人の教師が、ボディソープのパッケージを凝視しながら呟くと、別の教師が食い気味に割り込んでいった。
まるで大勢のゾンビが、一斉に人間に群がっているような光景である。
その間、大森は隼人の隣で腕を組み、唖然とした表情を浮かべていた。
「熊倉君、なかなかの物を持ってきたね」
「はい。なかなかの結果になりましたね」
これが女性用だった場合、なかなかでは済まないことになっていた。
大森と隼人は、目の前で繰り広げられる小競り合いを静かに見守る。
やがて教師の一人が、手に取ったスキンクリームのフタを開け、中身の香りを確認し始めた。
「保湿力はどのくらい?」
別の教師がすかさず反応する。
隼人が黙っていると、グリセリン、ミネラルオイル、シア脂、ホホバ種子油、スクワラン、ヒマワリ種子油といった未知の単語が飛び交い始める。
それらは保湿、水分の保持、乾燥防止などの効果があるらしく、液体を少し出して臭いを嗅ぎ、触り、調べ始めた。
旅行鞄の中身は既に空で、隼人が持ち込んだ全ての商品が、職員室に並んだ机を広く占拠している。
大森は、女性教師陣から視線を外しつつ、隼人の成果を讃えた。
隼人も、何も見えないことにして、大森との会話に戻った。
「運が良かったのか、悪かったのか、微妙なところです」
「と言うと?」
「ガソリンを回収するホースとポンプを探しに、霧丘北のホームセンターに行きました。そこで目的の物は見つけたのですが、欲張って2度目の探索に行ったら、バックヤードがゾンビの溜り場でした」
薬局のシャッターを力でこじ開けたと言えない隼人は、入手先を偽った。
「ホームセンターに立て籠もっていた人達が、ゾンビに侵入されて感染したのかもしれません。あわてて床の鞄を掴んで逃げたのですが、流石に焦りました」
「そういうときは、鞄を捨てて逃げた方が良い」
「これからは注意します」
入手方法を偽った結果、かなり無謀な人間と思われてしまった。
もっとも、あわやゾンビにのし掛かられるという状況に陥ったのは事実であり、気を付けたいのは隼人の本音だ。
嘘に本音を混ぜた結果、大森は納得を示して頷いた。
「ホースとポンプは、上手くいったんだね」
「はい。実はガソリンも手に入って、車も直せました」
「凄いじゃないか!」
隼人が成果を報告すると、聞き耳を立てていた小林が声を上げた。
指導した小林は、結果を気にしていたのだろう。
そして車に関する教え子となった隼人の成功を、我が事のように喜んだ。
「教えて下さってありがとうございました」
「いやいや、最終的には熊倉君が頑張ったからだよ。ガソリンは、どこで手に入れたんだい?」
「大型ショッピングモールに近いスタンドです。あそこなら人が多いから、ゾンビが沢山居て、回収できなくなっていると思いました」
「君は、大概無茶だね」
今度は隼人も正直に言ったが、嘘を吐いたときと同様に、無謀を窘められた。
もっとも、既に終わった話だ。既に大森が窘めており、隼人は注意すると返事をしているので、小林は追求しなかった。
「行き先は、どこにするんだい?」
「寒くても、暑くても駄目なので、日本の真ん中辺りで長野県、山梨県、静岡県、三重県辺りを候補に考えました」
「そうか。日本海側は寒いからね」
口を閉じた小林は、日本海側に思いを馳せているようだった。
隼人も想像したが、人気の失せた雪景色の街に、ゾンビだけが徘徊している光景が浮かんで、頭を振って想像を打ち消した。
「程々に暖かいところが良いですね。作物も育ちそうですし」
本題に戻った隼人が大森に顔を向けると、大森は大きく頷いた。
「小林先生、熊倉君に種を分けてあげてくれ。任せるよ」
「分かりました。どうせなら農業指導もしておきたいけど、こればっかりは難しいからね。ああ、農業の教科書も付ければ良いのか!」
小林は、名案が浮かんだとばかりに、ポンと手を打った。
「それは、もう一回くらい何か持ってこないとですね」
「教科書くらい、通えなくなった生徒の物が余っている……けれど、持ってきてくれたほうが、良いかもしれないね」
小森が視線を向けた先には、女性教師達が群れていた。
そして次を催促するように、無言で鋭い眼光を放っていた。


























