17話 ホースと手動ポンプ
破れたシャッターから出ると、外の空気は冷たく、わずかに湿り気を帯びていた。
曇り空の下、太陽がかすかに顔を覗かせている。
隼人は深呼吸して、埃にまみれていない新鮮な空気を吸い込む。
ゾンビが蔓延り、車の往来が途絶えて以降の空気は、3年前より澄んでいるのだろう。隼人が居た異世界と比べて、さほど悪いとは思わなかった。
「よし、次に行くか」
カー用品店で用件を済ませたばかりだが、隼人は次の目的であるガソリンを得るための道具を探しに行くことにした。
ガソリンの地下タンクにあるガソリンを回収するためには、ホースと手動ポンプが必要になる。
カー用品店には、地下タンクに差し込む長さのホースは無い。
だがホームセンターには、あるだろう。
――ホースも、食べられないからな。
何を回収されており、何が残っているのか、非常に分かり易い。
隼人は自転車を取り出して、跨がった。
そしてカー用品店に放り込んだテントを一瞬だけ思い出し、自転車を前に押し出した。
ペダルを踏み込むと、自転車はグイグイと前に進んでいく。
放置車輌の死角には、ゾンビが居るかもしれない。隼人は大きく避けながら、記憶にあるホームセンターを目指した。
自転車での移動は静かだが、市外も負けず劣らず静かだ。
不気味で、不意に『人が死に絶えた街』という言葉が思い浮かんだ。
もっとも、まだ生存者は居る。
結依、結依を追放した霧丘北中学の避難者、隼人が取引している霧丘農業高校、そして大森が話していた霧丘農業高校と取引している人々。
「あとは政治家だな」
隼人は自転車を進めながら、元気であろう日本の政治家達を思い浮かべた。
避難場所は、勝手に離島ではないかと想像しているが、伊豆大島や八丈島、小笠原諸島などのほかには、どこが考えられるだろうか。
水、食料、安全は必須で、安全とはゾンビに噛まれないことだ。
噛まれてしまえば、電気やガスがあって便利でも、意味がない。
するとゾンビが辿り着けない場所に逃げる必要があり、ゾンビが泳いで渡れないであろう島に逃げるのは、妥当な判断だ。
――成り立てのゾンビって、船のエンジンは動かせるのかな。
酩酊状態の人間が動かせるのであれば、成り立てゾンビも動かせることになる。
もっとも、1体が島に向かったところで、自衛隊と一緒であれば負けないだろう。
「考えても仕方が無いか」
隼人は島に行けないし、行って扱き使われる気も無い。
現在は、本州で湧き水を得られる場所が良いのではないかと思っているが、どこが良いやら皆目見当が付かない。
名水で有名な都道府県はどこだったかと思っているうちに、ホームセンターが見えてきた。
隼人は手前で自転車を停めて、店の入り口を確認する。
シャッターは半ば壊れており、いくつかの商品が落ちており、誰かが侵入した形跡が残っている。
周囲を見渡して人やゾンビの姿が見当たらないことを確認した後、壊れたシャッターに向かった。
店内は薄暗く、倒れた棚で足元も悪い。
隼人は空間収納から、着火済みのオイルランプを取り出した。
するとランプの温かな光が店内を照らして、薄暗い店内が浮かび上がった。
「どこにあるかな?」
ランプを持ち上げて店内を照らし、目的のホースと手動ポンプが無いかと付近を見渡す。
床には、電気を必要とする照明など、無価値な商品が乱雑に散らばっている。
代わりに電池や懐中電灯といった商品は、陳列棚から消え失せていた。
隼人は入り口から、奥へと進んでいった。
――滅多に来ないからな。
普通科の男子高校生は、ホームセンターには頻回に足を運ばない。
ろくに来たことがなくて、直近の3年は来ていないのだから、どこに何が有るのか分かっているはずもない。
だが流石に、店の入り口に大きな物は、置いていないだろう。明らかに異なる文房具類が並んだコーナーを見渡しながら、次第に奥へと歩みを進めていった。
はたしてホースやポンプは、どこにあるのだろうか。
店外がガーデニングコーナーになっているホームセンターもあるが、生憎と外にホースは無かった。
あるのは役に立たない電気製品、ゴミ箱、テーブルや椅子などで、テーブルや椅子は組み立てを要する。
間違った方向に来たと察した隼人は、踵を返して反対側に向かった。
「ホラーだわ」
薄暗く、物音一つしない店内は、不気味だった。
テーブルや棚があるのに入り口を塞いでいないので、生存者は居ないだろう。
だからといって、ゾンビが居ないわけではない。
生存者とゾンビが店内で争いになって、生存者が棚を倒してゾンビを下敷きにして、逃げたとする。
下敷きになったゾンビが出られずに残っていて、隼人が気付かずに傍を歩けば、足首を掴んで……。まさにホラーである。
自分で自分自身が怖がることを考えるという阿呆な真似をしながら、隼人は店内の反対側に到着した。
するとそこは、目的の工具コーナーだった。
巻かれたホースが並んでおり、いくつもの燃料用ホースが残っている。
そして隣には、燃料用のハンドピストンポンプやポンプパーツもあった。
目の前に広がっていた品々は、現在の隼人にとって宝の山だった。
工具コーナーには、いくつかのホースやポンプが並んでいる。
最初に巻かれて置かれているホースを見ると、種類は豊富で、燃料用ホース、耐圧ホース、耐油プレッシャーホースなどが並んでいた。
見慣れた水用ではなく、潤滑油や混合油を移すのに適したホースであるらしい。
耐圧ホースは透明性が高くて、ホース内の燃料を目視できると書いてあった。
「全部使えそうだけど、長さが必要だよな」
小林の話では、ガソリンスタンドの地下タンクの深さは約3メートル。
地上での作業用を考えれば5メートルが必要で、余裕を持つ場合の目安は、7メートルであるらしい。
幸いホースの長さは7メートル以上あって、隼人には選択の余地があった。
もっとも、どれが最適であるのか分からない。
一先ず全種類を、色々な長さで確保することとした。
――テント、置いてきて良かったな。
収納空間には、大きな余裕が有る。
次にポンプを見ると、そちらも何種類かが残っていた。
ポンプの種類には手動、サイフォン式、電動などがあるが、電動はもちろん使えないし、サイフォンも駄目だと聞いている。
隼人は、ガソリンスタンドの地下タンクにホースを差し込むことを考えている。
地上の高い位置からガソリンを吸い上げる場合、サイフォン効果が使えないと指摘を受けており、諦めて手動ポンプに絞ることにしたのだ。
手動には、ハンドポンプと、ピストン式ポンプがあった。
ハンドポンプは、ハンドルを手動で動かして吸引するポンプだ。
隼人が見つけたのは、ドラムをグルグルと回すタイプで、ガソリン、灯油、軽油、A重油などにも使えるようだった。
ピストン式ポンプは、ピストン部を上下させて吸引するタイプだ。
上下に動かすことで液体を吸い上げ、押し出す仕組みらしい。自転車のタイヤの空気入れのようなものだろうか。
高所からガソリンを回収する場合、ハンドポンプでは吸引力が足りず、ピストン式のほうが良いと隼人は教わった。
「小林先生って、理科の教師か何かか?」
あるいは農業高校なので、農業用の大型機械に重油を補給することがあって、知識を持っているのかもしれない。
空間収納には余裕があり、どちらも複数が回収された。
店舗としては当然の配置だが、関連部品が一緒に置かれていたので、ホースとポンプを繋ぐポンプパーツも回収した。
欲を出した隼人は、ほかにも何か無いかとランプを掲げた。
だが流石に、ガソリン携行缶などは無かった。
放置車両からガソリンを抜き取る場合、ガソリン携行缶が必要になる。
ポンプの幾つかも無くなっていたので、先に分かる人が回収したのだろう。
だが7メートル以上のホースは、車からガソリンを抜くには長すぎて使えない。それで沢山残っていたのだろうかと、隼人は考えた。


























