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国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版  作者: カバタ山
四章 遠州細川家の再興

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海賊宇喜多 直家の誕生

 よく「噂と実像は違う」と言う。特に人物像においては、現代でもマスコミが面白おかしく騒ぎ立て、本来の人格とは別の人格を作ってしまう事がままある。ましてや情報化されていない時代なら尚更だ。正確な記録ができていなければ、後世に作られた創作の影響で現実とは真逆の人物像に描かれてしまうというのもある。中には教育という名目の元に神格化されてしまう人物もいる。


 例えば「織田 信長(おだのぶなが)」は第六天魔王という言葉が独り歩きをし、秩序の破壊者という認識のされ方をしていた。だが、実際にはとても保守的で常識的な人物だったとも言われている。


 また、「田沼 意次(たぬまおきつぐ)」に至っては後世に評価が一八〇度変わった人物として有名だ。ワイロ政治に邁進する悪徳老中のように言われていたのが今は昔である。


 そう言えば現代日本にはサブカルチャーとして「女性化」がある。有名武将を女体化するいうアレだ。艦船も含めて日本の女体化文化には節操がない。現代であれば笑って済む話だが、これが一〇〇年後、二〇〇年後にはどう評価を受けるだろうか? きっと真面目な人物なら歴史を冒涜したと激怒するだろう。


 それはさて置き、今俺の前には見るからに好青年と思われる「戦国の三大悪人」が一人、宇喜多 直家殿がいる。個人的には「三大悪人」「戦国の三梟雄」「三大謀将」と三つのタイトルを持つに相応しい人物であって欲しいと願っているのだが……この整った顔立ちや涼やかな目元からは全くそれを感じさせない。


「土佐までご足労頂きありがとうございます。こちらが勝手にした事ですから、気になさらないでください」


「そうは参りません。安芸殿のご厚意には宇喜多家家臣共々感謝しております。そのお礼に足を運ぶのは当然です」


 胡坐の状態で宇喜多殿が深々と頭を下げる。とても演技には思えない自然な動作だ。こうした折り目正しい所作を見ると、噂というのはつくづく当てにならないと思う。


 今回彼がここ土佐までやって来たのは俺が送った食料へのお礼である。天文一三年 (一五四四年)は彼が備前(びぜん)国 (岡山県)の乙子(おとご)城を浦上 宗景(うらがみむねかげ)より与えられた年だ。ここから備前宇喜多家の中興が始まったと言っても良い。


 ただ……城を持ったからと言っていきなり順風満帆にはいかないのが世の常。何にしてもそうだが、新規事業というのは軌道に乗るまでには時間が掛かる。それは古今東西変わらない。まだ何らかの後ろ盾があったら話は別だろうが……平たく言えばこの時期の彼は物凄く貧乏だ。家臣と共に畑仕事に精を出したり、食うに困って食べ物を盗んでいたとさえも言われている。


 もし本当なら悲し過ぎる。そこで、少しでも生活にゆとりを持って欲しいと、外交部門担当の横山 紀伊を名代として食料の援助を行なった。都合二〇〇石。幼少期の宇喜多殿の面倒を見ていたと言われている阿部 善定を通してその食料を渡してもらう。目録にもきちんと「食料二〇〇石分」と書いたので中抜きされてはいないとは思う。勿論、阿部 善定にも謝礼は渡した。


 今回の援助は俺の中では外交の一環と位置づけている。これまでも毎年尼子家と海部家には挨拶という名目で贈り物を届けており、その延長のようなものだ。幾ら土佐が田舎で外部からの干渉がほぼ無いとは言え、今後もそうだとは限らない。特に俺や親信という異物のお陰で歴史は少しずつ狂い始めている。なら生き残りのためには仲間が多いに越した事はない。特に歴史上の有名人物なら大歓迎だ。


 ……とそんな軽い気持ちの行動が、本日突然の訪問へと繋がった。恥ずかしい話だが、訪問を受けた本人が一番驚いているという有様である。


「それにしても不思議に思うのです」


「宇喜多殿どうされましたか?」


「いえ、まだ宇喜多家は乙子城を手にしたばかりの家です。支援頂けるのは嬉しいですが、何を求めて宇喜多家と誼を通じたいと思われたのか……」


 そう難しく考えずに素直に貰っておけば良いとは思うが、こういう思慮深さが未来の謀将の片鱗を感じさせる。もしくは猜疑心が強いのかもしれない。「何か裏がある」と考えたという辺りか。


 確かに「裏がある」と言えばその通りである。有名武将と縁を持ちたいというミーハーな理由ではあるが。現状では未来に彼が備前、美作(みまさか)の二国を手にするとは思いもしないだろう。普通に考えれば俺の援助に理由を見出せないというのは分かる理屈だ。


「それは宇喜多殿らしくない疑問ですね。安芸家が商いを大事にしている家なのは御存知ですか? 今後備前での商圏拡大を考えている。それが宇喜多家への支援に繋がったとお考えください。期待していますよ」


 だからこそこうした尤もらしい理由付けをする。実際、備前にはろう石もあれば有名な備前長船の刀匠もあるので、大事にしたい場所なのは間違いない。また、備前国は瀬戸内海でも屈指の港を擁しているというのも見逃せない。


「……」


 俺の発言が意外だったのか、宇喜多殿の動きが固まってしまう。商家の発言に聞こえた事だろう。こうした反応を見ると、安芸家や海部家、今村家が如何に異質であるかが良く分かる。津田家も含め、俺の周りは半商家ばかりだからかとても初々しく感じた。武家として考えた場合、俺達の方が間違っている。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「ささっ、どうぞ一杯」


「かたじけない」


 土佐まで来てくれた慰労を込めてここからは食事の時間。半分接待のようなものだが、やはりお互いを知るには美味い物を食べて美味い酒を飲むのが手っ取り早い。奈半利で作った清酒を注ぐと宇喜多殿が一気に煽る。今回は表面をさっと炭火で炙ったタタキ料理。毒を疑われるかもしれないと危惧したが、そんな素振りは微塵も見せずに恐ろしい勢いで食べていく。気に入ってくれたようだ。


「酒も料理もまだまだありますから、遠慮なく食べてください」 


 最初の一杯は俺が注いだが、その後はいつも通りシノさんがお酌を担当。最初は貴公子然としていた彼もいつの間にか顔を真っ赤にしていた。酔いが回ったのかそれともシノさんの色香に惑わされたのかは分からないが、これはこれで貴重な姿と言える。なお、いつも通りに俺は麦茶担当であった。


 酔いが回ると舌も滑らかになるというもので、他愛も無い話に花が咲く。何とか小さい頃の話が聞けないものかと様々に尋ねたのだが、どうやらそれは話したくないようであった。


 面白かったのが阿部 善定の話だ。俺はてっきり普通の商人……という言い方も変だな、地域密着で様々な商品を手広く扱う商社のようなイメージを持っていたが、実は違っていた。何と廻船業で身を立てていたというのだ。その上で大量の武器や具足も扱っている。大量生産された俗称「数打物(かずうちもの)」の備前長船を派手に売買していると聞いた時には卒倒しそうであった。こんな簡単に備前長船の伝手があるとは思わなかったからだ。そして最後の業務が金貸しである。


 ……どおりで雑賀衆が知っていた訳だと妙に納得してしまう。はっきり言って死の商人に近い。


「それにしても宇喜多殿の城は良い場所ですね。川もあり、耕す土地も豊富でしかも海も近いとなればこれからが楽しみでしょう」 


「……表向きだけですがね」


「それはどういう意味で?」


 そこから話し始める乙子城周辺の実態は予想外の内容であった。改めて考えれば彼が初陣で活躍したからと言っても、いきなりポンと城一つ与えるというのはおかしな話だった事に気付く。例えば大将首を取るような異例の大活躍をしたのなら分かる。だが、所詮は初陣の功績だ。上げた所でたかが知れている。与えられた兵も少ないだろう。


 何が言いたいかというと、今回手にした乙子城は半分罰ゲームである。それは何故か? 乙子城の近くには吉井川があり、そのまま児島湾へと流れ込む。それが意味する所は……出るのだ。海賊が。瀬戸内海は海賊の巣窟である。まだ民に危害を加えないなら目も瞑れるが、乙子城近くに出没する海賊はそんな生易しいものではない。土地を荒らし、作物を奪い去る。流した汗を一瞬で無にする存在がこの地を悩ましていた。


 こういった背景があり、乙子の地への赴任は誰もが嫌がっていたという。それほど過酷な場所のようだ。だが逆に言えば、それは大きなチャンスとなる。宇喜多殿はきっと何とかできると考え、敢えて火中の栗を掴んだのだと思う。ただ……分かってはいても、実際に海賊被害の洗礼を受ければ辛いものがあるという所だろう。


「確かにそれは大変ですね。確認ですが、海賊は何処から来ているか把握はしているのですか?」


「……はい。近場で一番厄介なのは『犬島(いぬしま)』を本拠地としている日本 佐奈介(ひのもとさなすけ)ですね。他にも四宮 隠岐(しのみやおき)というのもいますが、こちらは距離が離れているのであまりやっては来ません」


 目立つ所ではこの二つの海賊が彼を悩ましているらしい。しかも面倒な事に、この四宮 隠岐というのは、三〇〇〇もの配下を抱える力を持っている海賊の頭領だとか。幸いなのが下津井(しもつい)の海賊と抗争が続いており、そちらの方に掛かりきりになっているからか、乙子を荒らすのは跳ね返りのみとなっている事だという。こうした状況も日本 佐奈介がのさばっている理由となる。


 他にも零細の海賊がポツポツいるという話だが、この辺の脅威度は低いと言っていた。


 纏めると、宇喜多殿を悩ませる海賊問題は、日本 佐奈介を何とかすればほぼ解決するように思うのだが……ここからは単純な話で、本拠地の犬島を攻めようにも兵の数が足りずにどうにもならないらしい。現状は水際でもぐら叩きの様に追い返すのが精一杯のようだ。


 そしてこの辺が海賊問題の厄介な所だが、仮に借金をして海賊の本拠地を無理に落としたとしても、その本拠地の占領が維持できなければほとぼりが冷めた頃にまた戻ってくるというものであった。


「うーん。よく分からないのですが、その犬島というのは航路上重要な補給港があったりするのでしょうか?」


「それが理由ですね。犬島近辺は難所ですので寄港地があります。ですので、退治するだけではまた海賊が住み着き同じ事の繰り返しとなります。面倒なのはその地が作物を育てるのに向いていない所です。大所帯になるだけで食べるために略奪しなければいけなくなります」


 何の事はない。海賊として居を構えたは良いが、結局は食べられないというだけの話だ。港の使用料や通行料だけでは生活が成り立たないという意味である。行き着く先が略奪というのは間違っているとしか言いようがない。


「土佐も同じく平地が少ない場所ですが、その代わりに木材であったり海産物が取れるのです。彼らはそういった産業で生きるつもりは無いのでしょうか?」


「無理だと思いますよ。漁で生計を立てようにも買い手がいないでしょうから。商家からすれば犬島から海産物を買わなくても、地域の漁師から買えば良いだけですから。後は……犬島で取れるのは『石』くらいという話ですしね」


 ならせめて違う方法で生活が成り立てば略奪も治まるのではないか思ったが、宇喜多殿の知る範囲では無理だという判断である。だが、ここで宇喜多殿がポロリと重要なキーワードを零す。「石」というありふれた漢字一文字ではあるが、俺達が着工している手結港建設に今必要な重要素材であった。


 その時、パズルのピースが合わさったような感覚が脳を走る。こんな思いつきで決めるのは駄目だと分かってはいても、開いた口は止まらなかった。


「…………石ですか! それは大きいですよ。宇喜多殿、いっそ犬島の海賊を傘下に置きましょう。それで宇喜多殿は海賊の頭領にもなってください。兼任すれば良いだけです。安芸家が犬島の石を買うのでそれを元手にすれば食糧問題も解決ですよ。そうか、石と交換で食料を渡しても良いな」


「安芸殿、何を言ってるんですか?」


「私は本気ですよ。石の安定供給が可能な所をずっと探していたのです。こんな偶然はありません。犬島に安芸水軍を派遣しますので、一当てした後和睦交渉 (という名の降伏勧告)に持ち込んでください。後は四宮 隠岐ですが、その人物とも連絡を取って和睦してください。今後領海を荒らさない事と有事の際には援軍を送る事を約束すれば悪い気はしないでしょう」


「ちょ、ちょっと待ってください」


「そうですね。後、安芸水軍が犬島を包囲する際、四宮 隠岐に援軍を出してくれるように頼んでください。援軍の謝礼は私が出します。そうすれば、宇喜多殿が安芸水軍と親しいと示せるのでより彼も大人しくなる筈です。あっ、援軍があれば犬島での戦い自体をしなくとも良いかもしれませんね」


 未来の謀将に何を言っているんだと思いながらも、閃いた構想を全て伝える。安芸水軍はまだまだ成長中で数自体も心許ないが、それでも室津や甲浦の惟宗家と合わせれば五〇〇は確保できる筈だ。その上で安芸軍お得意の焙烙玉や木砲の火器を使用すれば十分に渡り合える。鯨油を利用して火攻めをするというのも効果的だろう。


 偶然の産物ではあるが、安芸水軍の初陣といこうじゃないか。


 俺の提案に勝機有りと感じたのか、それとも迫力に負けてタジタジとなったのか、その辺は分からない。しばらくの間を置いた後、宇喜多殿は静かに「分かりました」とだけ答える。今の彼にはこれ以外の答えは存在しなかった。


 本当に「噂と実像は違う」と思う。俺の中での宇喜多 直家像ならこの程度の海賊は、何らかの形で頭目を呼び出して毒殺すれば終了だと思うが、実際にはそういった発想さえできない普通の感性であった。彼の悪いイメージは後世の創作によるものが多いのではないか……そう感じてしまう。


 それは別として……この作戦が終われば宇喜多殿は晴れて海賊の頭領となる。


 きっと後世の歴史家はこう言うだろう。戦国三大水軍として「村上水軍」、「熊野水軍」……そして「宇喜多水軍」と。


 今日俺は大きく歴史を狂わせたかもしれない。

ブックマークと評価ポイント、誠にありがとうございました。


浦上 宗景 ─ 名目上の宇喜多 直家の主君。浦上家と宇喜多家の関係は家臣よりも半従属や同盟に近かったと言われている。人物的には浦上 宗景の方が梟雄に相応しい。


日本 佐奈介 ─ 犬島の海賊。1549年に宇喜多 直家と和解した。但馬国の海賊である奈佐 日本之介とは別人である。


時期は不明だが史実の宇喜多 直家も海賊討伐を目的として一時期海賊をしていたとも伝わっている。

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