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国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版  作者: カバタ山
七章 鞆の浦幕府の誕生

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閑話:本願寺の事情

 弘治(こうじ)三年 (一五五七年)八月 芥川山(あくたがわやま)城内 畠山 慶興(はたけやま よしおき)


長慶(ながよし)様、近江(おうみ)国を探らせている草よりの報せです。朽木谷(くつきだに)にて公方様が兵を挙げて上洛への戦を起こすやも知れぬとの事にございます」


松永(まつなが)、それは誠か! ならば至急兵を集めて応戦しようぞ。此度は儂に一番槍を任せよ。長宗我部(ちょうそかべ)ばかりに良い役はさせておれぬからな」


「いえ長逸(ながやす)様、此度はそう簡単に行かぬのです。公方様の挙兵に合わせて、本願寺教団が一揆を起こすという噂が京でまことしやかに囁かれておりまする。そうなると、この芥川山城さえも狙われる恐れすら出てくるかと。この難局、如何に乗り越えれば良いのか……」


「本命はそちらの方という訳か。一向一揆が相手となれば、確かに厄介ではあるな」


 まさに今年は三好宗家にとって大きな飛躍になる年と言えよう。何より父上の差配によって等持院殿(とうじいんでん)様の二〇〇回忌法要を無事終わらせたのだ。公方様が京に居なくとも三好がいれば天下は治まる。その事実が日の本中に轟いたと言っても過言ではない。


 更には晴元(はるもと)派の重要拠点の一つであった若狭(わかさ)国をも制し、大きな楔を打ち込みもした。これにより晴元派の力は大きく低下したと言って良いであろう。残すは実質近江六角(おうみろっかく)家のみとなる。


 何ゆえ若狭国の制圧が重要となるか? 全ては近江六角家と越前朝倉(えちぜんあさくら)家の関係性に他ならない。


 これまで越前朝倉家が晴元派に協力していたのは、細川 晴元(ほそかわ はるもと)様のお力によるものと言えよう。それも若狭武田(わかさたけだ)家への支援という形で実現していた。近江六角家への支援は行われていない。


 これには訳がある。簡単に言えば敵の味方は敵となるからだ。越前朝倉家は能登畠山(のとはたけやま)家と敵対関係にあり、その能登畠山家は近江六角家と懇意にしている事情がある。


 つまり近江六角家への支援を行えば、能登畠山家と近江六角家が共同で越前国へと攻めかねない。これを越前朝倉家は警戒していると言って良いだろう。同じ理由で朽木谷に逼塞している公方様を大きく支援できない。京に攻めるには近江六角家の力を必要とする以上、朽木谷の戦力は近江六角家の考えによって矛先の向きが変わってしまう恐れがあるからである。


 結果として若狭国の制圧が晴元派の分断となった。これにより越前朝倉家や越後長尾(えちごながお)家からの支援は事実上途切れたと言える。もう一つの支援先である出雲尼子(いずもあまご)家は遠州細川(えんしゅうほそかわ)家と抗争中のため、支援どころではない。


 これが晴元派が実質近江六角(おうみろっかく)家のみとなった理由となる。


 ただ、そんな晴元派にも巻き返しの手がまだ残っていた。それは今年の四月に行われた本願寺一一世宗主顕如(けんにょ) 殿の婚儀である。お相手は公家である三条 公頼(さんじょう きんより)様の三女なのだが、この方は生まれて直ぐに細川 晴元様の養女となっただけではなく、近江六角家当主 六角 義賢(ろっかく よしかた)殿の猶子にもなったそうだ。


 そうなると顕如殿の義理の父は細川 晴元様と六角 義賢殿となる。この縁を使い一向門徒の蜂起を目論んでいるのであろう。私の祖父である三好 元長(みよし もとなが)様は一向門徒との争いで亡くなった。その悪夢を再びという絵図が丸分かりである。


 しかしながら、その目論見は実現しないというのが私の考えだ。


 まず第一に当時の本願寺と現在では宗主が違う。当時宗主であった証如(しょうにょ)殿は既に亡くなっている。


 次に天文(てんぶん)期の一向門徒の一揆によって、本願寺の信用度を大きく下げた。特に影響が大きかったのは公家との関係である。分かり易い例として、勧修寺(かじゅうじ)家などは一揆以来音信を拒否するようになったという。


 最後に本願寺には大きな目的がある。それは帝から門跡として認められるというものだ。


 本願寺の始まりは天台宗の寺院青蓮院(しょうれいいん)の傘下である (実際は妙香院(みょうこういん)候人(こうにん)から始まり青蓮院の傘下に組み込まれた)。この図式は本願寺の歴史が始まって以来何も変わっていない。そのため、天台宗からの脱却が本願寺の悲願となっている。


 だからこそ証如殿と顕如殿は、摂関家である九条(くじょう)家の猶子となった。亡くなった蓮淳(れんじゅん)殿は、生前融和路線を推し進めて公家と交遊を持った。


 つまりは今ここで一揆を起こせば、門跡の悲願は間違いなく達成されなくなる。そのため最低限門跡として認められるまでは、本願寺は一揆を扇動できないのだ。


 晴元派はこうした事情を考慮していない。


 実際、本願寺側は此度の婚姻をかなり渋ったという話だ。お相手は生まれてすぐに顕如殿と婚約されたというが、それも全ては転法輪(てぼり)三条家という清華家(せいがけ)との繋がりが欲したに過ぎない。武家との繋がりは本願寺側にとって余計である。


 それでもまだ、細川 晴元様の養女となったのは許せるであろう。これが無ければ、本願寺は公家との繋がりが持てなかったからだ。


 また、顕如殿を猶子とした九条 稙通(くじょう たねみち)様は今でこそ復権を果たしているものの、猶子とした当時は公家の界隈で失脚をしていた時期に当たる。つまりこの二人の関係は、銭の欲しい九条家と門跡要件を満たしたい本願寺との利害の一致によるものである。この関係を切っ掛けとして、本願寺が公家との関係を良好にできるかどうかはまた別の話と言えよう。


 だからこそ晴元派が本願寺を自陣営に引き込みたいなら、武家ではなく別の公家に三女の猶子を依頼するべきであった。例えば近衛 稙家(このえ たねいえ)様やその一族の猶子であれば、本願寺側も一歩踏み込んで協力を約束しただろう。


 だがこういった時、近衛 稙家様は自身の朝廷への影響力低下を考慮して手を出さない。本願寺と同列に見做されないためだ。いや、元々近衛家は九条家と対立しているため、本願寺に協力するという選択が無いのであろう。


 そんな状況で晴元派は何を思ったか三女を六角 義賢殿の猶子とする。これが悪手としか言いようがない。


 本願寺は天台宗の傘下からの独立を目指している。だというのに、天文法華の乱以降天台宗の総本山延暦寺(えんりゃくじ)と良好な関係を築いている近江六角家と関係を持てば、より天台宗の支配が進むと考える本願寺関係者も多い筈だ。これでは本末転倒となるであろう。結果として、戦での協力関係はより遠くなった。


 晴元派の目論見は痛いほど分かるものの、策の成立には相手の要望に応える必要がある。此度の婚儀は、晴元派が追い込まれているという実情が明らかになったに過ぎないと私は見ている。


 だというのに、この評定の雰囲気はどうだ。噂に惑わされて場が重苦しい。私一人だけが浮いてしまっている状況である。


「そう言えば慶興、土佐の私鋳銭を見た事があるか?」


「はい。見事な永楽銭ですね。本物と見分けがつかぬ程です」


 訂正しよう。私一人だけではなく、父 三好 長慶(みよし ながよし)も同じく婚儀を何とも思っていない一人であった。無用な雑談を私に振ってくる辺り、場の雰囲気に辟易しているのが見て取れる。


「慶興、次に土佐の私鋳銭を見る機会があれば、もっと良く見ておけ。あちらの方が本物よりも精巧に作られておるぞ。文字の擦れや潰れが一切無い見事な仕上がりだ」


「誠ですか? それは逆の意味で見分けがつきそうです。相変わらず国虎殿は面白き事をしますね」


「ああ、細川殿は本当に面白い。知っておるか? 土佐で作られた絹がその最たる物ぞ」


「それは私も存じております。初めて見ましたよ。水洗いしても縮まない絹があるというのを」


「どのようにすればあのような物が作れるか知りたいが、教えてはくれぬだろうな」


 今畿内では、土佐製の絹が静かな話題となっている。品質は明製に劣るものの、水洗いしても形が崩れないというあり得ない特性がその理由であった。汚しても気兼ねなく水洗いできるのは、画期的としか言いようがない。また、虫食いから守る樟脳も多く出回るようになったため、こちらも合わせて購入すれば更に長く使用できるようになる。


 そのため貝塚(かいづか)では、土佐産の絹が入荷すれば瞬時に売り切れとなるそうだ。しかも明製よりも安いとなれば尚の事であろう。


「それで言えば私は、あの"たおる"という産物がどのようにして作られているか気になります」


「確かに。儂は土佐産の"たおる"を愛用していてな……何とか自領でも作れないかと職人に相談したが、断られた過去がある。"たおる"も稀にしか手に入らないのが残念ではあるな」


「面白いのが、土佐にはこのように他に真似できぬ産物が数多くあるというのに、国虎殿の借財が四〇万貫 (約四〇〇億円)を超えていると噂されている所です」


「それは儂も土佐と取引のある商家に以前聞いた事がある。何でも稼いだ銭はすぐに使うゆえ、返済には一部しか回さないそうだ。それなのにまた借りるらしい」


「父上、もしや国虎殿は浪費癖があるのでしょうか?」


「違うぞ。多くは新たな産物の開発に使うという話だ。ただ慶興も知っての通り、新たな産物は銭を使ったからと言って必ずしも完成する訳ではない。失敗となった物も多いであろうな。それでも銭を投じ続けてきたからこそ、今の遠州細川(えんしゅうほそかわ)家があると見ている。儂には真似できぬな」


 借財の額だけを見れば、どう考えても土佐は貧しき地であろう。正直な所、国虎殿はいつ徳政令 (借金の踏み倒し)を出すか分からない危険な債権者だ。


 だというのに、寺社や商家は平気で国虎殿に銭を貸す。これはその気になればいつでも返せるという裏返しではなかろうか。そうなると土佐の商いでの利は軽く一〇〇万貫を超える。下手をすると、二〇〇万貫や三〇〇万貫になるのではないか。


 ……堺の商家が国虎殿と相容れない理由の本質はこれであろう。商家が武家に商いで負けたなど認めたくない。それに尽きる。


「長慶様、慶興様、何を悠長に話しておられるのですか! その産物を売って稼いだ銭が遠州細川家の軍備に回っておるのですぞ! 遠州細川家は我等の不倶戴天の敵! もう少しその辺を自覚してくだされ!!」


久秀(ひさひで)、土佐産の絹を愛用しておるお主が言っても何の説得力も無い。諦めて良い物は良いと素直に認めるのが肝要だ。感情的になれば、それこそ遠州細川家には勝てぬと心得よ」


「……」


「父上、久秀で遊ぶのはそこまでにしてくだされ。きっと久秀は、遠州細川家が石見(いわみ)銀山を手に入れたのを警戒しておるのでしょう。その気持ちは私にも分かりまする」


「それと、その戦いで使用された連発式の鉄砲の件であろう」


「はい。摂津(せっつ)国の多田(ただ)銀銅山から新たな銀の鉱脈が見つかり、こちらが一歩先んじたと思ったのですが……」


「そうそう上手くはいかん。だからこそ面白い」


「父上、楽しそうですね」


「ああ、楽しい。儂は細川殿とは知恵比べをしていると思っていてな。時折、二人で碁を打っているような気持ちとなる。石見攻めの件も我等に対抗しての一手であろう。なかなかやりおるわ」


 けれども父上は違う。そんな国虎殿を半端者の武士とは見ない。むしろ好敵手だと喜んでいる節さえある。この余裕が父上の偉大さであろう。


 それだけではない。父上は国虎殿の存在をも利用していた。


 三好宗家は成り上がりだけに周りは敵対勢力ばかり。味方もいつ謀反を起こすか分からぬような気の許せぬ者ばかりである。そんな危うい状況の中で我等が勢力を拡大できているのは、伸長著しい遠州細川家という脅威があるからに他ならない。私が尾州(びしゅう)畠山家の当主を今も続けられているのも、対遠州細川家で都合が良いからだ。そうでなければ尾州畠山家は得意の当主追放が行われていただろう。


 そういう意味では、私も父上も国虎殿には感謝をしている。


 このまま行けば、遠州細川家の脅威によって公方様との和議さえも叶うのではないか? 私にはその様な未来さえ見えていた。


 ただそのためにも、我等は国虎殿に負けぬ力が必要というのも事実であろう。三好宗家は頼れる存在だと天下に見せねばならない。


「なら父上、次の一手はどうするのですか?」


「ここで若狭国を制したのが生きる。次の一手は南蛮からの鉄砲と大砲の購入だ。長宗我部に若狭を任せたのは全てこのためとなる。長らく遠州細川家の大鉄砲や謎の火器に対抗する術を模索しておったが、これでようやく解決しそうだ。連発式鉄砲への対策は鉄砲の大量配備で何とかしようと考えておる」


「まさか若狭国を制した我等の真の狙いが南蛮からの火器購入であったとは、国虎殿も考えていないでしょう。しかも購入の原資となる銀も確保したとなれば、火器の数で遠州細川家を上回る日も近いと思われます。決戦を前にようやくこちらの準備も整いそうですね」


「いや、細川殿なら我等の大砲配備も想定していると見た方が良い」


「まさか!」


「それ位でなければ楽しくはない。その分こちらにも策はあるから心配するな。慶興、『埋火(うづみび)』の名は聞いた事があるか?」


「灰の中に埋めた炭火ですね。それがどうしたのですか?」


「対細川殿の策の一つと言っておく。どういった物かは調べておくがよい」


「はっ。それでは私からも。興福(こうふく)寺と一向門徒が争い消耗した大和(やまと)国への侵攻を、そろそろ行おうかと考えておりまする。朗報をお待ちくだされ」


「楽しみにしておるぞ」


「長慶様、慶興様、此度皆が集まったのは晴元派への対応、ひいては本願寺への対応が主な話題ですぞ。それをお忘れなきよう!」


「久秀、よく聞け。本願寺は動かぬ。よって晴元派ができるのは牽制までだ。本格的な戦にはならぬ。ただ、敵を調子付かせる訳にはいかぬからな。念のため儂が京へと入り、晴元派を引かせよう。これで良いな」


「……お見それしました」


 最早我等にとっての敵は晴元派ではない。本日からの私は対遠州細川家に向けて動き出す。

評価ポイントといいねを頂き、誠にありがとうございました。


多田銀銅山 ─ 北摂津山中の広範囲に採掘されてきた鉱山。伝承では742年から採掘が開始されている。1660年に良好な銀鉱脈が発見され、盛んに採掘された。本作ではこの鉱脈を三好が見つけ、南蛮貿易の資金源としたと設定しています。

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