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国虎の楽隠居への野望・十七ヶ国版  作者: カバタ山
六章 大寧寺ショック

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京兆家家督継承の祝い

 ひたすらに赤字を垂れ流し続けた激動の天文二一年 (一五五二年)もようやく終わり、新たな気持ちで新年を迎える。


 とは言え、やり残した仕事が自然と片付く筈はない。年始の行事もそこそこ、俺達は後始末に奔走する羽目となる。


 具体的には伊予国日振島(ひぶりじま)を領する土佐一条家への報復攻撃の手配に讃岐香川(さぬきかがわ)家領内で防衛線を張る駐留部隊の派遣、更には阿波海部(あわかいふ)家内へ親遠州細川派閥を形成するための根回しであった。


 讃岐香川家の扱いはどうすれば良いかと悩んだりもしたが、当家から養子を受け入れるという申し出があったのを利用する形で山田 長秀(やまだながひで)改め畑山 長秀(はたやまながひで)を讃岐派遣を決める。畑山 長秀には嫡男がいるため、その嫡男を讃岐香川家の養子に送り込む形とした。先に讃岐国入りしていた部隊は、一部を残して土佐に戻るよう命を出す。


 新生畑山家を讃岐に派遣したのは養子送り込みだけが理由ではない。先の南九州遠征で壊滅状態となった家の建て直し、平たく言えば家臣不足の解決もその理由であった。阿波三好(あわみよし)家の侵攻によって領地を失った、讃岐香川家の家臣を取り込むという思惑である。


 畑山家家臣団の再編と同時に讃岐香川家の力を削ぐ。こうしておけば、讃岐香川家の家臣も畑山 長秀に対して表立った反抗もできないだろう。連中も元同僚とは対立したくはない筈だ。


 懸念は取り込んだ讃岐香川家の家臣が畑山家を牛耳ろうとしないかとなるが、これには阿波武田家の武田 信綱(たけだのぶつな)を与力に付けて対処する。武田 信綱は畑山 長秀が阿波国南部に駐留していた時代に仲の良い同僚だったと聞くため、讃岐香川家の家臣には同調をしないだろうという考えだ。


 こうして年末から持ち越した後始末は一応の決着となるが、後始末という意味ではこの件も忘れてはならない。


 それは南九州への遠征で手に入れた日向(ひゅうが)国の南部の処遇である。南九州は面倒な地というのもあり、山田 元氏(やまだもとうじ)に全てを任せるのは酷だ。手を広げ過ぎてしまえば統治が安定しなくなり、琉球(りゅうきゅう)国へ干渉する構想に大幅な遅れが出かねない。大隅(おおすみ)国と薩摩(さつま)国の二国に絞るのが妥当と言える。


 そういった事情を鑑みて、残った南日向は総州畠山(そうしゅうはたけやま)当主の畠山 晴満(はたけやまはるみつ)に任せる形とした。但し、志布志(しぶし)港のみは土佐山田家改め薩摩山田家の管轄とする。


 南九州の日向国は畿内から遠く離れているものの、当家の航路開拓によって海路が直接土佐と繋がっている。そのため陸路では遠く離れていても、海路で見れば思ったよりも近い。また、南日向は油津(あぶらつ)という良港や都城盆地(みやこのじょうぼんち)という穀倉地帯を抱えているため、領地経営がそう難しくはないのも魅力である。


 しかしこの決定に、総州畠山家前当主の畠山 在氏(はたけやまありうじ)は当初難色を示す。領地を得られるのは嬉しいが、畿内から遠く離れた地で小金持ちになる程度では尾州(びしゅう)畠山家の打倒という宿願が果たせないというのがその理由であった。


 ただ人というのは現金なもので、俺の一言であっさりと掌を返して日向国行きを喜ぶのだから面白い。


 その一言とは、「日向伊東(いとう)家は停戦期間が終われば滅ぼして良い」という悪魔のささやきだ。先の遠征では島津宗家の討伐を優先したために見逃したが、討伐も終わった今なら誰にも遠慮をする必要は無い。日向国の北隣に位置する豊後大友(ぶんごおおとも)家とは、この停戦期間中に良好な関係を築いておけば良いだけだ。伊予(いよ)国を手に入れた時点よりも当家の力は上がっているために、下手に出なくとも大丈夫である。日振島の土佐一条家の件にも豊後大友家は関わってはいないとやり過ごすのが見えていた。

 

 つまり、俺の一言で畠山 在氏は既に日向国一国を手にした気分となっている。この力があれば、太平洋航路を経由して上洛さえ可能と判断した。そんな所だと思われる。


 実際には日向伊東家の討伐はそう簡単ではないので、どこまでやれるかはお手並み拝見である。


 このように年明け早々から動いていた俺ではあるが、合間を縫ってちゃっかりと子供の顔を見に行くのも行っていた。先に産まれた双子がどの寺に預けられているかを教えてもらえないだけに、会える嫡男には余計に愛情を注ぎたくなるのが親心というものだろう。


 今日は抱っこでいっそ外に出て城下の街並みを見せるのも良いかもしれない。そう考えながら安芸(あき)城内へと入った矢先に母上から呼び止められる。


「国虎殿、丁度良い所で会いました。摂津(せっつ)国の三好(みよし)様よりお祝いの品を頂いたのと併せて書状を預かっておりますよ」


 ……読まなくても分かる。絶対に禄でもない内容だ。



▲ ▽ ▲ ▽ ▲ ▽



「国虎様、間違いなく三好の策です。今は土佐から離れるべきではありません」


「相政もそう思うか。俺も同じ考えだ。ただ策だと分かっていても、今回は京まで行かなければならない」


 摂津の三好様、言うまでもなく三好 長慶(みよしながよし)からの書状に書いてあったのは、細川 氏綱(ほそかわうじつな)殿の細川京兆(ほそかわけいちょう)家当主就任祝いへの案内状であった。場所は現在細川 氏綱殿が居城としている山城(やましろ)伏見(ふしみ)淀古(よどこ)城となる。


 ……もうこれだけで怪しさが臨界点に達しているのが分かる。


 細川 氏綱殿は、昨年の二月末に長年の夢であった細川京兆家の家督を継いだ。だというのに、すぐさま細川 晴元(ほそかわはるもと)が京奪還の軍を起こしている。確かにこれでは家督継承の祝いも延期せざるを得なかったというのは分からないでもない。


 だからこそ年の明けたお祝いムードのドサクサにそれをやってしまおうとしているのだろう。筋道は通っている。


 しかしだ。和睦して京に迎え入れた足利 義藤(あしかがよしふじ)が、昨年の一一月に京清水(きよみず)寺近くに新たに城を築いたと聞いている。三好宗家とは一触即発の状態だ。今ここで俺が京に出向けばほぼ間違いなく両者の争いに巻き込まれるのが見えている。


 また四国内でも阿波三好家が讃岐国を切り取りし、土佐では土佐一条家残党の内乱未遂事件があったばかりである。次に俺が土佐から離れれば何が起こるか分かったものではない。


 諸々の情勢を見れば、また当家に何かを仕掛けようとしているのが明らかであった。


 そんなあからさまな状態であっても俺が京に出向かなければならない理由はただ一つ。


「皆が俺の身を心配してくれるのは嬉しいが、当家が高国(たかくに)派として長年活動してきた以上は細川 氏綱様家督継承の祝いを欠席する訳にはいかない。今ここで欠席もしくは名代 (代理人)を出すようでは、巻き返してきた細川 晴元を調子付かせる。今回の祝いの意味は、晴元派もしくは中立陣営に向けて細川 氏綱様が盤石の状態であると見せるための政治的な行動だ。半軍事行動と言っても良い」


「まさか……」


「俺を釣り出す名目が家督継承の祝いのため、最低限暗殺は無いのが救いだな。ここで俺が死んだら祝いの席がぶち壊しになるだけでなく、細川 晴元の思う壺になる。三好宗家が馬鹿でないならその程度は弁えているだろう」


 そう、今の京は平和とはほど遠い状態だ。晴元派が巻き返しており、度々京の町でゲリラ活動を行っているという。噂好きな京雀達なら三好 長慶頼りなし、細川 晴元復権の日も近いと無責任に話していても何らおかしくはない。現実にはゲリラ活動で政権があっさり転覆するというのはあり得ないとしても、これ以上京の民が不安な日々を送れば心が離れていく。


 この悪循環を止めようというのが今回の目的であろう。三好宗家だけではない、自分達の味方には遠州細川家がいる。だから何の心配も無いと外に向けて示すためのものだと考えるのが妥当だ。


 本来であればここでその役割を果たすのは尾州畠山家だと思われるが、遊佐 長教(ゆざながのり)殿の暗殺事件が起きて以来未だに家中が安定をしていないという不幸がある。


 こういった事情が分かるだけに、晴元派陣営への牽制役をしなければならないとしたのが出席を決めた理由であった。


「皆の気持ちは分かる。それは俺も同じだ。都合の良い時だけ当家を使うな、三好宗家だけで何とかしろよと言いたい。ただな、当家の力を借りなければならない程、晴元派の巻き返しで三好宗家は切羽詰まっているのだろうさ」


「お待ちください。それなら国虎様の此度の京入りは……」


「ああ、そうだ。兵を率いて京入りして欲しいと書いてあった」


「それは今一度阿波三好家が、国虎様の不在を狙って侵攻を行うという意味でしょうか? 次は南阿波でしょうか?」


「しかしそれだと見え透いているので、今回に限り阿波三好家は動かないと誓うと思うぞ。信用はできないがな。それに本来京入りするのは、三好 長慶の弟が当主を務める阿波三好家が筋だ。まあ、これは主筋にあたる阿波細川家が許可しなかったのだろう。今ここで主力に抜けられてしまえば、阿波が手薄になって当家の侵攻を招くと考えた。結果、次点として当家に白羽の矢が立った。そんな所だろう」


「当家は阿波三好家の代わりですか。随分と勝手過ぎますな。では国虎様の考える此度の三好宗家の策は一体何でしょうか?」


「全ては分からないが、とりあえず当家の力を削ぎにきているな。今や四ヵ国持ちとなった当家がこれ以上力を付けないよう、京に兵を駐留させる。勿論兵の維持費は全て当家持ちだ。これだけで多額の赤字の垂れ流しになる」


「国虎様、いっその事それを逆手に取れませんか? 当家が全軍を挙げて京入りすれば占拠も可能かと思われます。お義父上の細川 国慶様の力も借りれば、ほぼ確実かと」


「三好に楽をさせるぞ。何食わぬ顔で京から撤退する。それで、俺達が細川 晴元や近江六角家を駆逐してボロボロになった後に漁夫の利を持っていくな」


「……あっ。な、ならば祝いの席に出た後は全員で土佐に戻るのはどうでしょうか?」


「できるならそうする。多分無理だろうな。細川 氏綱様を使って兵を駐留させてくれと懇願してくるのが見えている」


「そこまで分かっていながら、京まで行かなければならないとは……」


 京から細川 晴元を追い出し、公方足利 義藤と和睦をした。この一文だけを見れば、政治的には圧倒的に細川 氏綱殿……いや三好 長慶が有利に立っている。


 だが軍事的には違う。細川 晴元は単純に守り辛い京から撤退したに過ぎない。京という地は維持をするだけで多大なコストが必要となる。それを嫌い三好 長慶に押し付けたというだけだ。挽回をする見込みが最初からあったのだろう。


 その思惑通りに進みつつある現状だからこそ、公方足利 義藤は泥船から逃げ出そうと新たに城を築いた。ここまで見れば三好 長慶が相当苦戦しているのが分かる。そうなると次に出てくるのは、「俺達がこんなに苦労しているのに遠州細川だけ国を増やしやがって」というやっかみだ。伊予(いよ)の件は自分達が仕掛けたにも関わらず、喉元過ぎれば熱さ忘れるといった所であろう。俺からすれば、三好宗家が余計な真似をしなければ土佐に引き籠って開発に専念していたのをぶち壊されたという思いがあるが、それはまず理解してはもらえない。


 とは言え、これまで細川 晴元との争いを全て三好 長慶に丸投げして楽をしていたというのもまた事実である。そうした負い目があるために、俺はこの策に敢えて嵌まらなければならないと考えていた。


 細川 氏綱殿が細川京兆家の家督を継いだ今、絶対に細川 晴元の復権を許してはならない。例え出費が嵩むとしても、ここは兵を出して協力すべき時ではある。


 但し引っ掛かっているのは、


「問題は京入りする兵の数と将となるな」


 この部分となる。


 つまり、京に兵を駐留させるというのは細川 晴元との戦いに参加するという意味だ。ほぼ間違いなく後方で待機というのはさせてもらえない。確実に激戦地に放り込まれるのが見えている。少ない兵力ならあっという間にすり潰されるだろう。


 だからと言って多くの兵を京に置けば、多大な負担が圧し掛かる上に今度は土佐を危険に晒しかねない。土佐国内の兵力が少なくなれば、絶対に三好宗家は何かを仕掛けてくる。


 この二つの問題を一体どのように解決するか。


 そう言えばと、氏綱派には三好 長慶以外にもう一人の重鎮がいたのを思い出す。


「義父上の盟友である内藤 国貞(ないとうくにさだ)殿を頼るのが賢い選択になるか。志願して丹波(たんば)戦線で戦うのが被害が一番軽微になりそうだ」


「……国虎様?」


「よし決めた。阿波国との国境に駐留している津野 越前(つのえちぜん)以下土佐津野家と配置した兵五〇〇を呼び戻してくれ。後任は伊予国から出向してきた金子 元成(かねこもとなり)とその一党とする。浦戸から兵五〇〇を連れて粟井(あわい)城に入るように」


「どうしたんですか国虎様?」


「いや何、京入りする兵は国境の山中で頑張っている者達にした方が良いと思ってな。これなら精鋭兵として、晴元派が息を吹き返している丹波国で戦うには丁度良いと考えた。そうすれば連れて行く兵の数が少なくとも言い訳が立つし、丹波国を担当している内藤 国貞殿を手助けする形となる。三好に顎で使われないのが大きい」

 

「なるほど。内藤 国貞様を頼れば、当家の兵が無駄死にしなくて済むと言いたいのですね。丹波国は山地ゆえ、阿波との国境地帯に駐留している兵なら適応し易いと」


「そんな所だ」


 言い方は悪いが、当家の京入りは三好宗家の畿内統治を早める手助けとなる。ならば絶対に犯してはならないのが、近江六角家に対抗する力を与える事だ。これをすれば三好宗家が手を付けられない存在になってしまい、名実共に天下人になってしまうだろう。そうなれば三好宗家を打倒するなど夢のまた夢だ。同じ手助けをするなら、丹波戦線で有利になる程度に留めておきたいというのが今回の主旨となる。


 それにしても伊予の件だけではなく、今回の祝いの件でも細川 氏綱殿の名前を使ってやりたい放題してくれる。この借りはいつか返してやらないと気が済まないな。何とか出し抜く方法はないだろうか。


 いや、それよりもまずは京での祝いの席をやり過ごす方が先か。ここでも何かを仕掛けてくると見た方が良い。下手な言質を取られないよう、十分な警戒をして事に当たろう。

 

 決して物見遊山ではない。俺達の京入りは戦いと同じだ。

評価ポイントといいねを頂き、誠にありがとうございました。

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