二公八民
──どいつもこいつも凶悪そうな面構えをしている。
島津宗家の本拠地である内城へと入り、むさ苦しい男連中と対面をした。縄で繋いではいないものの、全員の武装解除は行っている。周りは完全武装の兵で固めているため、何かあれば即座に槍でめった刺しにする段取りだ。また俺の脇は、大野 直昌以下の久万衆が刀を抜いた状態で護衛に付いてくれているという過剰なまでの状況となっていた。
それもその筈。既に降伏を伝えてきたというのに、ここにいる連中は敵意を隠そうともしない。まだ俺達は完全に負けた訳ではないとでも言いたげな表情だ。中でも一人の男は、目を血走らせて今にも掴みかからんとする鼻息の荒さである。その者は言わずと知れた島津宗家の現当主 島津 貴久であった。
「降伏と聞いて城を接収させてもらったのだが、これでは話もできそうにないな。そこまで不満ならもう一度やり合うか? 次は城ごと吹き飛ばしてやるぞ」
「はっ。儂を誰だと思っている。源 頼朝様の時代以来、違約することのない御家の当主だぞ。それなのに細川ごときに敗者として平伏するなど笑止の限りではないか」
「……分家当主の間違いだろう。血を誇るなら、公方様を騙して本家当主の座を掠め取るような真似をするな。人として卑しいのはどちらの方だ」
「よくぞ言うた! ならば今すぐここで決着を付けてくれん。細川よ、刀を持て!」
これでは子供が駄々を捏ねているのと変わりはしない。そんな往生際の悪さと言えよう。
例え降伏をした所で罪が許される訳ではない。ましてやこちらは、重臣でもあり俺の理解者でもあった畑山 元明が討たれた身でもある。敵方の当主に責任を取らす形で死を迫るのは、過剰な要求とは言えないだろう。
島津 貴久のこの場での態度は、そんな現実を受け入れたくはないと言わんばかりのものであった。
自尊心が邪魔をして素直に命乞いができない。そんな所だろうか。とは言え今更命乞いをした所で、俺は一切許す気は無い。
「そうまでして降伏を反故にしたいというなら、付き合ってやるか。よし、今すぐこの内城から撤収するぞ。二日間時をやるから、島津宗家はそれまでに戦支度をしておけ。但し、もう二度と降伏は受け付けないからな」
だからこそ俺は話を打ち切るような態度に出る。これ以上は面倒臭くて茶番に付き合う気にもなれなかったというのも大きい。いっそ全てを壊してしまえば後腐れなくすっきりするというものだ。そうすれば島津 貴久も現実を受け入れざるを得ないだろう。
「お待ちくだされ!!」
しかし、そんな俺の言葉に危機感を覚えたのか、ここで待ったが掛かった。
これまで島津 貴久の後ろに隠れて存在感さえも消していた若者が、何食わぬ顔ですすすと前に出てくる。
内城へと入り、島津 貴久と直接対面してから俺はずっと違和感を覚えていた。当家に対する包囲網を築いた手腕とこの場での言動に落差があり過ぎる。本当に同一人物なのかと。だがこの瞬間、その回答を得た気分となる。
どうやら、ついに黒幕の御登場らしい。
「細川様、父が無礼な振る舞いをしてしまい誠に申し訳ござらぬ。父上、約束をお忘れか。口を閉じてくだされ」
「あっ……いや、すまぬ」
のっけからこの態度だ。ピリピリとした空気の中でも委縮する事無く、平気で父親を窘められる。これだけで随分と肝の据わった者だというのが分かる。
年の頃は俺よりも少し下のようだ。親子だけあって二人は似てはいるものの、雰囲気はまるで違っていた。島津 貴久を動とするなら、息子の方は静。島津 貴久と比べてより厄介となりそうな臭いがプンプンするが、それでもこの息子の方なら話も通じるだろう。
「細川様、此度の降伏に嘘偽りはございませぬ! それだけは信じてくだされ」
「まずは名を教えてくれるか? 名が分からなければ俺も話が進められない」
「失礼をしました。島津 貴久が嫡男島津 義久 (この時期はまだ義辰だと思われるが、義久の方が有名なためにこれで統一)が以後話を引き継がせて頂きます。宜しくお願い致します」
名前を聞いた瞬間に全てが繋がった。島津 義久と言えば、俺の知る限り島津宗家を九州統一直前にまで導いた人物である。弟達を手足のように使い勝利を重ねていったその手腕は、今回の包囲網にも通じるのは間違いない。若さから詰めの甘さがあったものの、その才能は十分に発揮されたと言って良いだろう。
そう、俺達はこれまでずっと当主の島津 貴久ではなく、九州の英雄とも言えるその息子の島津 義久と戦っていたという訳だ。そんな大人物を相手取って、よく勝利をもぎ取れたものだとしみじみ思う。
「話の引継ぎの件、了解した。細川 国虎だ。こちらこそ宜しく頼む。それで降伏の話になるが、島津宗家は当主を含め家臣の殆どが納得していないようだな。これでは当家の統治を拒否されるのが目に見えている。どの道言う事を聞かないなら、今一度争った方が手っ取り早いと考えているがどうする? 特に当家は武家の領地保有を認めていない。俸禄払いとなる。これを受け入れられると思うか?」
「領地安堵をして頂かなければ、家臣や臣従している者達が路頭に迷いまする。当家の降伏に免じて何卒温情を頂けないでしょうか?」
「だから俸禄雇いにすると言っている。生活に困らない額は支給する。これでも十分な温情は見せていると思うがな」
「島津宗家が降伏の証として全ての領地は差し出すと言っているのです。何ゆえそれで納得して頂けないのでしょうか? 家臣達の領地まで奪う理由を教えてくだされ」
「簡単に言えば、武家がこの南九州の発展を邪魔している。寺社の存在も同じくだ。だからこそ全ての領地を没収する。民の困窮を見て見ぬふりをし、八幡という言葉が独り歩きしてしまっている責任を取ってもらわなければならない」
「細川様ならこの地を裕福にできるとでも言いたげですね。我等がこれまで何もしていなかったとでも言いたいのでしょうか?」
「民を置き去りにして一族内や内輪で争っていたのだから、言い逃れはできないと思うぞ」
「……そ、それは」
「武家を土地から切り離せば、もう二度とそんな真似はできない。それは分かるな。それに加えてこの地では大胆な政を行う。具体的には税を二公八民にして、製鉄や樟脳製造、茶の栽培で雇用を生み出して外貨を得る。シラス台地の土の輸出もあるな。基幹産業を作り領内の物流を促進すれば、発展は現実化する」
「苛政は虎よりも猛し」という言葉を知らないのか、この時代の領主は平気で重税を強いる。それでは絶対に発展できないと知っている俺は、土佐で商いの傍ら少しずつ民の税負担を減らしていった。但し、富裕層には五割負担を課している。本当は一公九民にまで下げたい所だが、この辺りが限界だろう。家臣からはこれ以上は下げないでくれと嘆願され、民からは頼むから税を上げてくれと直訴されるようにまでなっていた。
その甲斐あってか、もう食料の無償提供は行わなくても済むようになり、他国より仕入れている穀物の販売だけで笑うくらい利益が出るようになっている。塩の販売もそうだ。酒や衣類、タオルの販売も加えれば、結果的に重税で得られる以上の利益となり、土佐の経済は良い循環へと回り始めている。
それをこの南九州でも実施する。幸いな事にこの地は土地の性質上、作物が育つ場所が限られている。そのために常に食糧が不足しているのが実情であった。ならば食料を仕入れて民に販売するだけで、莫大な利益が出るのは確実だ。これまで多くの直轄事業を展開し、食料買取を進めてきた当家だからこそできる裏技と言って良い。
民の可処分所得を増やして無駄遣いをさせる。これが税収最大化の肝だ。中には貯蓄に回そうとする者もいるだろうが、そもそもが貧しい者が多いためにその割合はかなり低い。無視して良いと言える。
「二公八民にすれば民は喜ぶでしょうが、それでは武家が生きられませぬ」
「だから俸禄払いにすると言っている。製鉄その他は直轄事業にするし、穀物は他国から購入して利益を乗せて民に販売する。これらの利益で俸禄も賄える上に軍備も整えられる。余剰も出るぞ」
「あり得ませぬ」
「事実だ。知ろうともしないで頭から否定するから戦にも負けたと思え。逆に聞くが、南九州よりも平地の少ない土佐でどうすれば遠征できるほどの軍備を整えられたと思う?」
「それは雑賀衆や根来寺などの協力を得たからでしょう。何を分かり切った事を」
「依頼する度、毎回報酬を払っているぞ。そうでなければ協力はしてくれない」
「……」
「火器にしてもそうだ。開発にも使用にも多額の銭が必要になる。それは何処から出てきたんだ?」
「……」
「否定したければ好きなだけ否定しろ。そんな連中に温情は与えたくないし、役立たずは要らない。頭は悪いし、戦も弱い。それでいて自尊心だけは天より高い。滅ぼしてしまうのが世のため人のためだ」
「今の言葉、撤回してくだされ」
「……何か言ったか?」
「島津は強く、家中の者は皆優秀です。一度戦に勝ったからと言って、勝手に決めつけないで頂きたい。知ろうともしないで頭から否定するのは細川様の方でしょう。島津の力はこんなものではありませぬ」
「なら、それをどうすれば知る事ができる?」
「今ここで反発しても、他家に逃れて今一度敵対したとしても、細川様相手なら太刀打ちできないのが目に見えております。悔しいですが、以後細川様の家臣としてこれ以上無い程の手柄を立てまする。これが我等の力を見せられる最良の術かと。いつか細川様を平伏させてみせましょう」
「それは楽しみだ。是非俺の考えが間違いだったと思わせてくれよ。勿論真面目に働けば、俸禄の額も増やして良い暮らしもさせてやる。ただ、俺を幻滅させるような真似をすれば、容赦なく切り捨てるぞ」
「良いでしょう。その言葉、忘れないで頂きたい」
売り言葉に買い言葉。奇妙な縁ではあるが、こうして島津宗家は当家の家臣となる。島津宗家の家臣達も俺と島津 義久とのやり取りに感化されたのか、島津の力を見せつけるために土地を差し出しても良いと途端に掌を返してきた。
大隅国、薩摩国、日向国の三州制覇が島津家の悲願であったと記憶していたが、その可能性を捨ててでもただ俺をぎゃふんと言わせたい。そんな馬鹿げた話で数多くのしがらみが捨てられる。良い悪いは抜きにして、この腹の据わり方は傑物以外の何者でもない。
念のためにしがらみの一つでもある近衛家との関係を今後どうするのか尋ねた所、悩む素振りすら見せずにあっさりと縁切りしても良いと言われてしまう。長く近衛家との縁が続いていたのも、島津 貴久が修理大夫に任官できたのも、献金を行っていたからだそうだ。けれども当家に負けて領地を失った以上は、これまでのような献金はままならない。そうなれば、金の切れ目が縁の切れ目。近衛家とは疎遠になる未来しかないのだという。当家が南九州を領有した事で近衛家と敵対したとしても、無理をして仲を取り持ったり自分達だけ関係を維持しようとは考えていないときっぱり言われてしまった。
それよりも、これからは島津宗家が家臣となるのだから、遠州細川家にはより一層の勢力拡大をして日の本一の大大名になって欲しいと言われる始末。その時の俺は「考えておく」と曖昧な言葉を返すのが精一杯だった。
その後は島津宗家御一行を土佐に移住させる計画と今後を話し合う。幾ら島津の優秀さを証明したいと言っても、何もかもが特殊な当家でいきなりは活躍はできない。数年は下積みや勉学に勤しんでもらうような段取りを組んだ。嫡男である島津 義久には奈半利の座で当家の実態を学んでもらい、次男以下は亀王様と同じく勉学や体作りに集中させる。他の家臣達は、まずは適性を見るために文官仕事を任せ、合わない者から順次軍へ移動という形となった。
さすがは島津宗家、遠州細川家のような脳筋連中ばかりとは違うと言える日を楽しみにしている。
最後は現当主 島津 貴久の処遇だ。息子の島津 義久が上手く俺と話を纏め、領地こそ失うものの土佐へ移住後は多くの者が今よりも良い生活ができるようになる。ある意味厚遇とも言えるだろう。その対応を見て、何がしらかの情状酌量があるとでも誤解したのか機嫌が良くなっていた。
だがそこに俺の無慈悲な言葉が飛ぶ。ただ一言「二日後に処刑」とだけ伝え、兵に牢へぶち込んでおくようにと命じた。
もしかしたら島津宗家の家臣からこの決定に抗議が起きるのではないかと考えたりもしたが、悲しいかな自らの生活の方が優先のようで、誰もがその決定に異を唱えなかった。しかもその家臣達は皆、バツが悪いのか島津 貴久から目を逸らして見ようともしない。
今回の戦の全ての責任を島津 貴久に押し付ける。それが島津宗家の結論となる。
そんな態度に緊張の糸が切れたのか、足元から崩れ落ち床へと突っ伏す。
島津 貴久は恥も外聞も無く、嗚咽を漏らしながら泣いた。
ブックマークと評価ポイント、それといいねも頂き、誠にありがとうございました。
島津 貴久 ─ 元々は分家の相州家の出身である。一度は宗家当主である島津 勝久の養子となり家督を継ぐものの、薩州家の島津 実久がこの家督継承に反発して挙兵する。その戦いの結果、島津 貴久の養子縁組は解消されて元の分家に戻った。
後に島津 貴久は父親と共に挙兵して反抗を開始。薩州家の島津 実久を出水に追いやる。だが、こうした行動が今度は他の薩摩国や大隅国の豪族の反発を生み、更なる戦いに身を投じる羽目になる。島津 貴久の人生は、多くが薩摩国や大隅国の統一に注がれたものであった。
島津 義久 ─ 最強の引き籠り。薩摩国統一前の1566年に父から家督を受け継ぐ。以後は快進撃を続け、たった10年で薩摩国、大隅国、日向国の三州統一を成し得た。
以後は沖田畷の戦いで龍造寺隆信を討ち取り、豊後大友家を追い詰めて九州統一直前まで成し得たが、豊臣 秀吉の介入により全ては御破算。島津家は薩摩国、大隅国、日向国の一部のみの領有となる。
その状態でも何とか朝鮮出兵、関ヶ原の戦いを乗り切り、幕末まで続く薩摩藩の基礎を作った人物。




