第二十一話 彼のものを呼ぶ声
◇◇◇
「……はぁ~っ……ふぅぅ~ッ!……ぐ、ぐぉああッ……ぁぁ……きあいぃ…………」
「……リュウジロウくん、治癒のポーションを」
「……ぅぁ、ゴホッ! クソ……てやんでぃ…………うぐ、ううう……っ」
「――――は……はぁ!? 何してんだコイツ!?」
マグリョウさんが、あっけにとられた声を出す。
「…………っ!?」
スピカは顔を覆いながらも、その隙間から驚愕の色を浮かべる。
「……無茶だ。理解出来ない」
カニャニャックさんはただただ困惑し。
「うっわぁ……すっご……」
ジサツシマスは、俺のすぐ側でため息のような声をあげる。
そして、俺は。
「――ば、ばかじゃねぇの!? 何を……何をやってんだよ、お前はっ!!」
ひたすら混乱した。
◇◇◇
今尚語り継がれる史実。多くの時を経ても決して色褪せぬ、矜持に殉ずる威風堂々たる死に様。
古い時代の日本国に生きた、誇りある剣士が魅せる、壮絶な気位の推し量り。
由緒正しき、信念に生きるもののふの……自らの身を斬り伏せて、気概を世に示す志。
だからと言って、必ずしもすべきことではない。
いや、このご時世においては、決して認められてはならぬこと。
切腹。割腹。自刃。腹切り。
伝承でしか聞いた事のないソレが…………俺の眼の前で、俺の友によって、行われた。
…………なんだよ、コレ。
何をしてるんだよ、お前らは!
「お……おかしいだろっ! 何してんだリュウ! キキョウも……何をさせてんだ!」
「…………」
「まめしばも、ロラロニーも! どうしてお前らは何も言わないんだよっ!? こんな、こんな事……こんな馬鹿げた事、どうして止めなかった!」
「…………」
「Re:behindでそれをするって事が、どんな意味を持ってるのか――――お前らだって知ってんだろ!?」
目に映るのは、歯を思い切り食いしばり、その端から血を流しながら……ぼろぼろ止まらぬ涙を零す、真っ赤な顔のリュウジロウだ。
根性全開で我慢して、ひゅうひゅうと危険な呼吸音を出しながら、必死に自分を飲み込む激痛を抑え込んでいる。
全身で表す露骨な瀬戸際…………限界をとうに越えているとしか思えないほどの、見ていられないくらいギリギリいっぱい。ぶるぶる震える腕や首に、額に浮かぶ血管は今にもはち切れそうで。
そんなリュウを見る俺は……頭の中を怒りに染める。
アホなリュウにこんな事をさせた、キキョウへの憤り。
そしてそれを止めなかった、まめしばとロラロニーへのムカつき。
お前らはわかってる筈だろ。
アイツは……リュウは、アホだから。すぐ意味のわからん事へと突っ走るんだから。だから誰かがそれを止めなきゃいけないって。
それをするのがパーティメンバーってもんで、仲間ってやつだろう?
だって言うのに、どうしてお前らは……。
どうして悲痛な顔をしながら、何も言わずに見ているだけなんだよ!
「わわ、サクくん。暴れちゃだめやよ」
「だ、だって!」
「聞いて、サクくん……ボクの名前『ジサツシマス』は……それをする為って、言ったじゃない?」
「…………」
「そこに嘘偽りはなくって、ボクはこの地に降り立ったその日に……自分の首筋にナイフを這わせたんやよ」
「…………」
「――痛かった。信じられないくらい。今までプレイしてきたどのVRゲームより、どこの仮想現実より……現実で同じ事をした時よりも、ずっとずっと痛かった。 "自傷行為における痛みのフィードバック" は、とてもじゃないけど洒落にならないんやよ」
俺をその腕でしっかり抱え、ひそりひそりとジサツシマスが語る。
その内容は……自身の豊富な経験の話。
「びっくりしちゃった。結構勢いよく斬りつけたから、それはもう――――死ぬほど痛くて、死んじゃったほうがマシなくらいでさ。
痛みに慣れたボクでさえ、首の皮一枚をそうしてあれほどだから……きっとお腹をばっくり開けた彼の痛みは、普通は耐えられないレベルだと思うんだ。
……だから、きっと……彼は初めてじゃないよ。今日この時の為に、痛みを積み重ねて来たんだと思うよ。理由があって、今ここで……ああして耐えているんだよ。
…………堪えてあげよう? 彼の意思を汲んで……ね? 良い子だから、ね?」
この女の言う事には、納得できなくもない。
ここで嘘をつく理由がないし、何より『Re:behind 攻略Wiki』にもそういう事が書かれてるから。
"自傷行為は、してはいけない"
"死ぬほど痛い、死ぬより痛い"
"心が壊れて、リアルに死ねる"
仮想空間内での自殺遊び対策、モラルや人間性がどう、とか色々見た気がするけど……そんな理由は今はどうでもいい。
リアルより痛くて抜群にヤバい……それがここでの自傷行為における、歴然たる事実だって事には変わりない。
……だから、ことさらに理解出来ない。
何故そんな事をするのか、何故そんな事をさせるのか。
この状況は……なんなのか。
「……平気ですか? リュウジロウくん」
「…………んっく、はぁ……おう、よ。こんなの……なんでもねぇや。……俺っちは……漢だからなぁ……」
「……リュウ」
「リュウくん……」
キキョウが出した治癒のポーション――――凝った造形の瓶を見るに、それは課金の高級品だ――――それを半分飲み干して、もう半分を自分の体に注いだリュウ。
回復効果は目に見えてあらわれ、みるみる内に傷が癒えていく。
だけど……体は治っても、耐え難い痛みは消えないのだろう。
息を荒くし、涎を垂らして……顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
そんなリュウを、他の奴らが心配そうに見つめている。
……ロラロニー。悲しそうな顔をしているな。
そんなに見るのが辛いのなら……やる前に止めればいいだろうにさ。
もうパーティを抜ける俺ですら、苦しむリュウを見るのはここまで辛いんだ。
お前らはこれからも一緒なんだから、きちんとお互いを思いやって……尊重しあっているべきだろ。
これに懲りたら、もうリュウの無茶を見過ごすような真似はせず――――――
「……よし…………気合い入れて…………もういっぺん、行くぜ」
「――――は?」
なに? なんだ? 今、何を言った?
リュウは今……なんて…………?
「サクの字、まだ目は閉じんなよ」
「……お、おい……待てって」
「耳も頭も、すっかり空けて、覚えとけ………………『聖女』」
嘘だろ。おかしい。意味がわからない。
さっきやったろ? 痛がってただろ? もういやだって、そんな顔してただろ?
だけどそこには、掴む剣の柄。止まらぬリュウの、狙いは自腹。
俺の目に、まるでデジャヴのような光景が映る。
嫌だ、もう見たくない。
お前が痛がる姿なんて、見たくないんだ。
お願いだから、もう――――――
「聖女! 白い女で、ニヤけッ面のクソアマ、聖女ッ!!」
「や、やめろ! やめてくれ! もういい! 待てよっ! やめろよおっ!!」
「聞けやサクの字ぃッ!! 天地に轟く喚声で、虎でも馬でもブチのめす!! 漢一匹面子をかけたぁ、このリュウジロウが大立ち回りッ!!
――――『聖女』がァッ! 白百合がァァッ!! なんぼのモンだコラァアアッ!!」
とびきり大きな声。まるっきりアホな行為。はっきり燃える強い瞳。
煌めく白刃で……自分の腹をぶった斬る……二度目の切腹。
……なぁ、誰か教えてくれ。俺はどうすればいいんだよ。
聖女もヒールも……そんな言葉のトラウマで、頭を痛める暇もなく……。
リュウの馬鹿げた自殺を何度も見せつけられる俺は…………。
…………何を考えればいいのか、もうわからない。
◇◇◇
静まるカニャニャック・クリニック。
誰も彼もが息を潜めて、愚かな行いを繰り返すリュウを見つめる。
そこには初心者もトッププレイヤーも関係なくて、誰も彼もが呆気にとられるんだ。
「……なんだよ、これ…………何がしたいんだよ……」
「……ぐうぅっ! くぁああ……ゲホッ! ガホッ!!……べらんめぇ……あああっ! おえっ」
「……何でそんな……死ぬほど痛い事を……何回もやって…………」
経験豊富なジサツシマスも、死への理解が深いマグリョウさんも、人の心に敏感なスピカも。
どんな人間であろうとも、この状況は訳がわからない。
見つめるしかない。ただ呆然と。これは一体何をしてるんだって。
「……サクリファクトくん」
「…………」
「……私は、雷のスペルが得意です」
「……?」
そんな静寂の店内に聞こえるのは、キキョウの落ち着いた声色だ。
ただ、その内容は……唐突すぎるもの。今現在は、まるで関係なく思えるもの。
「練りました。何をすべきか。沢山、長い時をかけて考え……どうすべきだったか、どうあるべきだったかを、思考し続けました」
「…………」
「"あの時私が器用であれば" と。 "もっと多くが出来ていれば" と。そう結論付けました。ですから……私は、解決するんです」
「……何を言って――――」
「磁力。キミを誰にも奪わせない、離れていても引っ張れる。電気を使った、強力な磁力。私は雷のスペルから……それを編み出しました」
ぱちん、と音が鳴る。キキョウの手には、二つの硬貨。
離れていたその二枚の間に、紫電が走ったかと思えば……それらがくっつき、硬質な音を出す。
電気をどうにかして、引力を生ませた?
「……もう二度と、キミがどこかへ連れて行かれないように。どこに居たとて、引っ張れるように」
「……なんだよ、それ」
「…………怖いストーカーの掴む腕から。不条理な聖女のスペルの範囲から。いつでもすぐに……キミを救い出せるように。そんな引き合う力を、手に入れたんです」
「サクちゃん」
「……まめしば」
「私とロラロニーちゃんでね、新しい企画をやりはじめたんだ」
「…………」
「『まめタコロニーの漫遊記』っていうシリーズでね。女の子プレイヤーでも安心な旅が出来るように……色んな自衛アイテムを紹介したり、首都に近いお出かけスポットを紹介したりしてさっ」
「…………」
「Metubeのリビハ動画は、どうしても戦う系が多かったからね? ロラロニーちゃんと二人で一生懸命考えて、やっと見つけた新しいジャンルの投稿動画。…………それのおかげでチャンネル登録者数も100万人を越えたんだよっ、どう? すごいでしょ?」
「……うん」
「サクリファクトくん……」
「……ロラロニー」
「私……これからも頑張るよ。いっぱいお散歩して、楽しい物を見つけて……動画を沢山見てもらえるようにって。カメラに映るのはちょっと恥ずかしいけど……頑張るからね」
「………………」
「だから……だから、大丈夫だよ。ミーチューブでお金がいっぱい貰えたから……課金の治癒のポーションだって、沢山買えるから。私達のパーティには……回復のスペルなんて、ずっと必要ないからね。もうヒールは、ずっと見なくていいものになるから。もう大丈夫だからね」
…………。
……そうか。
キキョウもまめしばもロラロニーも……俺と一緒にRe:behindが出来るよう、今後またパーティとして活動出来るよう…………色々頑張ってくれていたのか。
キキョウは俺を守る為。もう二度とあんな状況にしないようにする方法を。
まめしばとロラロニーは、ヒールに頼らない為。パーティで遊ぶ日々を動画にして、その収入で治癒のポーションを買い続ける下地作りを。
それぞれ必死に考えて……努力を重ねて来てくれてたのか。
「――ゲホッ! うあぁ……チキショウッ……こなくそぉ……」
「リュウ……おい! おいっ!」
白い敷物の上、正座の姿勢のまま力を込めて痛みに耐えていたリュウが、ようやく口を開く。
そんな友達の姿を見て――――思わずジサツシマスを振り払い、体が動くままに駆け寄った。
「お前は……結局、何をしてんだよ……っ」
「ああ、サクの字…………どうだった?…………俺っちはとびきりの……阿呆だったかよぉ?」
「…………阿呆だし、うるせえし……意味わかんねぇよ……っ! 聖女だのヒールだの言って腹切って……何だっつーんだよ、お前のアレは……!」
「へへ……こいつぁ重畳、何よりだぜぇ……」
「……はぁ?」
「サクの字……お前、『聖女』だの『ヒール』だの……どうだよ?」
「どうって……」
「その言葉で浮かぶのは……俺っちのとびきりデケェ声と、最高に阿呆なハラキリに…………なったかよぃ?」
ぐ、と息が詰まった。
まさか、コイツ。
「俺っちは阿呆で赤くて、何よりうるせえ。それはお前が俺っちに言った、このリュウジロウが持ってる全部のモンだ」
「お前……」
「俺っちにはソレと気合いしかねぇから……キキョウやまめしば、ロラロニーみてぇに、器用に対策を練るだなんて……出来ねえ!
…………だけどそれでも、お前はダチ公で……お前が苦しむのは、気に入らねえッ!!」
「…………」
「俺っちに出来る事、俺っちがしてぇ事は…………サクの字の虎だか馬だか言う……そんなつまんねえ恐怖ってやつをよ」
「……お前……まさか……」
「とびきりの気合いを込めた大声出して、真っ赤な目で見て馬鹿な事して、それをド根性で乗り越えて――――白い女のニヤけ面も、つまんねぇ花も胸糞わりぃスペルも、俺っちの全部でぶっ飛ばしちまおうと思ってよぉ」
嘘だろ、コイツ。そんな、不確かで効率の悪い事の為に?
『聖女』と『ヒール』の二つの言葉……それに繋がる俺の恐怖をかき消す為に、こんな乱暴で馬鹿げた事を?
「どうだよ? うるさかったろ? 阿呆だったろ? そんでもって、目を焼くくらいに真っ赤だったろ? …………『聖女』って言葉と『ヒール』って言葉…………その言葉と一緒に起きたここでのとびきり馬鹿な出来事は……海で起きた小せえことなんて、忘れちまうくらい派手で喧しいおおごとだったろぃ」
そう言ってニヤリと笑うリュウの口元は、未だ乾いていない血がついている。
腹を見てみれば、血で赤黒く染まったサラシは斬り裂かれ……白い敷物は、まるでリュウの髪色のように真紅に染まって。
痛みが抜けきっていないのか、顔を強張らせながら……『どうだっ』って感じに笑いかけてくるリュウは…………。
目がくらむような、阿呆面で。
「…………ばっかじゃねーの」
「……かか! 言われ慣れたぜぇ」
「……一度で良いだろ、そんなのさ。もっとスマートにやれよ、アホリュウ」
「聖女とヒールで二つだったからよぉ……二回やんねぇといけねぇと思ってなぁ」
「……いつもいつも、考えが足りねぇんだよ……お前はさ……」
「……かかか、そうかもなぁ」
「……い、痛かっただろうにさ……涙まで流してさ。血だってさ……こんなに、さぁ…………」
「なに、誉れよ。ダチ公の為に体を張れるのは、漢冥利に尽きるってもんだぜぇ」
「…………うぅっ……馬鹿だろ、マジで。あ、あほ……アホすぎる…………呆れるっつーの……」
「……『聖女』、『ヒール』……どうでぃ、サクの字。何が浮かぶよ?」
「……そんなの…………そんなの、もう……ば、馬鹿な奴の……天まで轟くうるせえ声と……ふぐっ……ボロボロ泣いて痛がって、地に這い回る阿呆面しか…………ひ、ひひっ…………出てこねえっての……っ」
「…………かかかっ! 天地に名を刻むのが、このリュウジロウだからなァ!」
頭が熱い。胸が軋む。足が震えて眼の前が歪む。
だけれどそれは、トラウマやPTSDなんかの怖い事ではなくって。
とめどなく溢れる涙と、痛いほど締め付けられる心と、どうしたって止まらない口の歪みは。
耐えきれないほどの、嬉しさだ。
「……ううっ……うああ…………あああ……っ!」
とうとう嗚咽が止まらない。止めようと言う気にもならない。
格好悪くて、ダサくて、馬鹿みたいなままに……涙をぽろぽろ流して鳴く。
ただ嬉しくて、感謝しかなくて、どうしようもないから。
偶然ダイブイン初日が被っただけの、目的もちぐはぐな五人組。
求める所が違ければ、やりたい事だっててんでバラバラで。
だけど一緒に遊んでいる内、かけがえのない仲間になってた。
それは『仮想世界』という、偽物の舞台の上での話。
仮初の友達で、本当の顔だって知らない架空の存在。
カニャニャックさんとジサツシマスのような、リアルでの繋がりもない仮想の仲間。
わざわざ俺の事なんて気にせずに、ただ自分が楽しいように遊ぶ事も出来た筈だ。
"磁力魔法" なんていう変な物を作り上げずに、普通に火力を求めたり。
今まで通りリビハ情報をまとめるくらいで、のんびりMetuberとして活動したり。
恥ずかしがり屋なんだから、カメラに語りかけたりせずに、ぽやぽやとぼけて自由に生きていられたり。
……そして何より、俺のトラウマの消す為に……死ぬほど痛い思いをしてまで、阿呆な事をやる必要なんて…………無かったと言うのに。
そうだと言うのに……こうして迎えに来てくれた。
一人じゃ立てない駄目な俺を、引っ張り上げて助けてくれた。
リアルにお金と時間を使って、俺の為だけを考えていてくれた。
一緒に行こうと手を取って、出来る限りをしてくれたんだ。
こんなに嬉しい事はない。
「『聖女』も『ヒール』も、ぶちのめしてよ。また俺っちと遊ぼうぜ、サクの字ぃ」
そう言ってリュウが呼ぶ『聖女』の名には……まるで恐怖を感じない。
そうしてリュウが呼ぶ "サクの字" は、かけがえのない友の声だ。
コイツが言った、誰かを呼ぶ声は――――俺の心を、震わせる。
……カニャニャックさんがこちらを見ている。
前にも見たような女神の顔で、柔らかく微笑んで。
あの時あなたが言った言葉が、今は何より心に響くよ。
『君は、不幸に遭ったけど……今この場では、Re:behindの誰より、幸運さ』
そうだ。そうなんだ。
有名プレイヤーたちに心配されて、最高の仲間たちにこうまでして貰えて。
俺は………… "水城キノサク" は…… "サクリファクト" の精神は。
俺の名を呼ぶその声に、Re:behindの誰よりも…………幸せな涙を、流すんだ。




