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第七十六話 Dive Game『Re:behind』




     ◇◇◇




――――"俺とチイカをリスのところへ"。


 俺がパーティのみんなに言ったのはそれだけだった。

 どうやってそれをするのかも、そうして何をするのかも言わずに、ただそれだけを言った。


 そして俺たちパーティは、今からその通りのことをする。


 どうしてそうなるのかなんて、そんなのは決まってる。

 俺たちパーティってのは、ずっとそういうもんだからだ。




「……ロラロニーちゃん、どう?」


「うぅん、まだ危ないよ」




 ロラロニーのビビり症が産んだ、危機回避能力。

 それは万能ではないものの、本当の危険から何度も俺たちを救ってくれた、信頼足りうる第六感だ。


 そんな彼女見つめる位置……リスドラゴンの辺りを見る。



「――『火壁』っ!」



 名前も知らない魔法師(スペルキャスター)が詠唱し、リスの目の前に炎の壁を作り出す。

 それを避けようともしないリスは、感情のない瞳のままそこへ突っ込み、何の反応も示さないまま突き抜ける。

 全身のあちこちからプスプスと煙をあげ、毛をところどころ炭色にしながら、それでもなお歩き続けた。




「『電磁帯』!」「『来たれ冬の大地』」「『エア・スパイク』ッ!」




 そんなリスの眼前に、次から次へと巻き起こる超常の力。

 それは俺たち日本国勢のプレイヤーによるものだ。


 マグリョウさんが見せた『攻撃の設置』という手段。

 それがリスに有効だったところを見て、そこに勝機があると踏んだのだろう。

 そうして各プレイヤーが自主的に発現しているのは、ぶつけるんじゃなく、置いておく魔法(スペル)

 それをリスの進行上に並べ、とにかく命を削りきろうとしていた。




「チ……チチュチュゥ!!」




 ただまぁ、そういう『ドラゴン攻略法』があると知ったのは、ラットマンも一緒だ。

 それなら奴らだって黙ってない。

 俺たち日本国勢にそれをさせないよう、立ち回りを変えてくる。


 炎の壁に水をかけ、電刃が唸る地帯を土で覆い、凍った地面を火で焼き、()()

 魔法(スペル)魔法(スペル)で対抗し、リスの足元を安全にして進行の手助けをする形だ。




「チュァアアアアッ!!」「『ヘブンズドライブ』!」

「『カッカ1500℃』!」「ぢゅぅぃいいいッ!!」




 必死で進ませるラットマン。

 それを止めようとするプレイヤー。


 辿り着いたらRe:behind(リ・ビハインド)が終わる。

 そんな、戦いですらない滅ぼし合いの、意思無き爆弾――リスドラゴン。


 そんなあいつを終わらすために、俺たちは行く。




「ロラロニーよぃ、ぼちぼちいいんじゃねぇか?」


「まだ、まだだよ」


「くぅ……辛抱ってのぁ俺っちのタチじゃねぇのによう」




 思いつく方法は他にもあった。


 たとえば『設置』。

 それはプレイヤーたちがしていることで、俺も一番現実的に考えていたものだ。

 何しろそれは、こうまで効いてる。『超再生』も『高防御』もないリスには目に見えて有効なのだから、じわりと命を削るその戦法だって、続けていればいつかは倒れるに違いなかった。


 たとえば『前進』。

 リスが俺たちの首都へと辿り着く前にラットマンの陣地に向かって全力で走り、俺たちの『ゲート』が破壊される前にラットマンの『ゲート』を破壊するという手段。

 それが一番わかりやすく、そしてなおかつ『接触防止バリア』をリスに付与した運営が考える最終決戦の形だったんだろうと思っていた。


 たとえば『放置』。

 そもそもの話、『ドラゴンを殺しきらなければ勝てない』なんてことはない。

 俺はすでに勝った。数多の強化を得て、真正面から堂々と、ローグらしい卑怯な手でリスドラゴンをぶち倒した。

 そしてあの時のラットマンと俺たちは、互いがその一騎打ちに勝敗を賭けていた。

 だから互いに余計な邪魔をせず、最強のドラゴンと代表のプレイヤーに勝利への願いを込めるばかりをしていたんだ。

 だから本当は、その時点でこの戦争は勝負がついていたんだ。


 それならばあとは、ロラロニーのタコに水を吸わせたりしてリスの通せんぼだけして、ただラットマンの残党処理をするだけでも良かった。

 何しろあっちは、もう負けを受け入れてたんだ。だったらあのリスドラゴンは 『すでに終わったもの』として戦場から除外して、勝負に勝った俺たちがラットマンの陣地を攻め尽くしたって問題なかった。


 大戦争の終結には地味かもしれないけど、ただ勝ちを求めるだけなら……そんな作戦で十分だったんだ。




「……時間がありません。ラットマンによるドラゴンの護衛は、今なお増え続け力を増しています。それにサクリファクトくんの『強化』も、残り時間がそうまで長くは…………」


「だけどまだ危ないよ。あっちの人は長い詠唱をして今から何かをする気だし、ネズミの人たちも私たちのほうを向いているから。だから今はだめなんだ」


『流石だ、我が巫女よ』


「…………いやはや、視野が広いですね。それは一体どういった経験によるものなのでしょうか?」


「私ね、リンゴをキャッチするゲームとか、みんなでかくれんぼするゲームが得意なんだ。『【VR版】みんなでわいわい おうちであそぼう なかよしゆうえんち』ってゲームなんだけどね。ずっと前に半年間ランキングで一番になったこともあるんだよ?」


「……なるほど。そういえばロラロニーさんは、網を振り回したりするのも得意だったと記憶しています。それも似たようなゲームの経験があってのものだったのですね」




 …………だけどそれじゃあ、駄目だった。

 そんなやり方、そんなリスの終わらせ方は、認めたくなかった。


 俺も、チイカも、そういう最後じゃ……駄目だったんだ。




「……いいか、チイカ。勝負は一回きり……駄目だったらまた次なんて悠長なことは考えるなよ」


「どうして いっかい ?」


「まず1つ、ネズミ共も馬鹿じゃない。何度も俺たちのチャレンジを許すなんてことはないだろうから。そして2つ目は……多分だけど、そろそろ俺の『強化』がなくなるからだ」


「……わかった」


「だからこの一回だけ、この一回に全部を込めろ」


「……うん」


「その場所までは、俺たちが必ず連れて行ってやるから」


「…………ありがとう」




 不安げな声、自信のなさそうな顔。こっちを見て、ほのかに微笑んだ顔。

 前と比べて流暢に喋るようになったチイカは、その表情もすっかり豊かだ。

 まるで他の奴らと変わらない、ただの普通な少女みたいに。




「……うん、うん! いいよ、行こっ!」


「おっしゃ!」


「ほいさ!」




 ロラロニーの号令を聞き、チイカを抱く手に力が入る。


 ……体がダルい。意識が朦朧とする。

 軽いはずのチイカがひどく重く感じてしまう。

 チイカには『強化』が切れるとだけ言ったけど、それは半分本当で、半分が嘘だった。


『強化』は切れる。確かに切れる。

 だけどそれでどうなるのかっていうのは、チイカに伝えていなかった。


 数え切れない七色の『強化』。

 荒ぶりまくったステータス。

 人知を超えた運動性能。


 それによって激しく動いた俺の体は、本来可能である動き以上に働いた。

 それは言わば、『10』の力しかない体で『100』の力を出したようなものだった。

 簡単に言えば、俺はやりすぎたんだ。


 つまりは今のダルさや頭痛が、その反動ってやつなんだと思う。

『強化』が切れ、体が元の状態に戻されて、やりすぎたツケがまわってきてるんだ。

 体にも、頭にも……そして、心臓にも。


 だから多分、いや間違いなく、これが切れたら――――俺は死ぬ。

 HPだとかダメージのような話じゃなく、『とんでもない筋肉痛』みたいなもので、死ぬ。


 ……だけどそれは、チイカには言わなかった。

 そんなどうでもいいことは、言う必要がないと思ったから。




「行こう、チイカ。リスのところまで」


「……うん」




 俺は死ぬ。

 だけどそこに恐怖はない。


 俺が怖いのは、やりたいことができないことだ。

 チイカを守ってやれないことで、願いを叶えてやれないことだ。


 これはゲームだ。

 命は安く、死は軽い。


 だけど決意は、そうじゃない。

 命を捨てて死に向かってでも、やらなきゃいけないことがある。




「……安心しろ。必ず、死んでも、連れてってやる」


「…………うん」




 それが俺のRe:behind(リ・ビハインド)

 それが俺の『本気でプレイするダイブ式MMO』。


 そう心に強く誓い、手に伝わる体温を噛みしめる。


 すべてを終わらせる時だ。

 精神没入でむき出しの魂、その中で滾る意思を燃やして、リスを『灰』にしに行こう。


 俺の命とチイカの愛で、熱く燃やして灰にするんだ。




     ◇◇◇




「――――漢一匹【ハラキリ】リュウジロウ、押し通るッ!」


「ンチュ!?」




 絶え間ないリスの進路妨害魔法(スペル)の、その合間。

 詠唱と発現の中にあった一瞬の静寂を切り裂く、天に逆立つ赤い髪、そいつのうるさい声。

 我らがパーティの映えある一番槍は、当然その漢だ。




「ちゅぅ!」


「邪魔立てすんなら容赦はしねえ! 俺っちの一太刀、とくと味わえやぁッ!!」




 構える刀は "五尺(約150cm)" の大太刀。

 それを脇に抱え込み、腰を落として力を溜める。

 どう見たってただの横薙ぎが来るその姿勢に、ラットマンは剣で受ける用意をした。




「チァアアッ!!」


「――……『伝説の漢斬り』ィィィッ!!!」




 左から薙ぎ、右へと払う。

 リュウの性根を表すように、馬鹿正直な横一文字。


 しかしてその剣閃は、何のためらいもなく振り抜かれる。

 そしてその道筋にあった3匹のラットマンの胴体は、綺麗に両断されていた。


 ……今ここに、二つ名の効果はない。

 けれど、それがなくとも、確かに経験は残ってる。

 だからこれは、二つ名効果や特別な技能(スキル)効果ではなく、純粋なリビハ内での経験値が生んだものだ。


 自身に与えられた【腹切り赤逆毛】、そして【ハラキリ】の名を誇りに思っていたリュウ。

 あいつは勝手知ったる愛刀『武者走り』一本で、来る日も来る日もその名を示す『腹切り(胴への斬撃)』ばかりを繰り返していた。


 そうして培う、腹を切るという得意。

 愚直なまでに研鑽を積み、極限まで磨き上げられた唯一にして無二の剣筋は、強く鋭く疾く閃く極意。




「……(ダチ)が居て、刀がありゃあ、このリュウジロウこそ百鬼無双よ!」


「ぢ、ぢぃ~っ!?」


「俺っちの前にヘソ晒したら、四の五の言わずにたたっ斬る! 死にたくなけりゃあ背を向けて、すたこらさっさと道開けなァ!!」




 数値とシステムで語るような、薄っぺらい斬撃じゃない。

 現実の人間が努力をし、キャラクターを動かす者として成長し、魂に生き様を込めて高らかに名乗り上げるような斬撃だ。


 それが『伝説の漢斬り』。

 最初は見栄を張る大ボラで、ただの出任せだったリュウの技。

 そして今は、本当の意味でRe:behind(リ・ビハインド)のリュウジロウが繰り出す『必殺技』だ。


 そうした熱き剣筋を放つに至ったその生き様……それを見つけた姿勢こそ、『本気で遊ぶ』ってことなのだろう。




「――……『グース・バラージ』っ!」




 そんなリュウの背後から跳び上がる、弓を構えた青い髪。

 そこからまとめて放たれる矢が、複数の魔法師(スペルキャスター)ネズミをすぱっと射抜く。


 その手に持った黒弓は、かつて彼女の友だったものだ。

 日本のドラゴン、カブトムシ。俺たちを何度も救い、そして死んで行った誇り高き化物(モンスター)。その遺品であり置き土産であるのが、その弓だ。


 ……さやえんどうまめしばは、虫が嫌いだ。

 虫モンスターと出逢えばぎゃあぎゃあと騒いだし、そんな虫が徘徊するダンジョン探索を最後まで反対していたのも彼女だった。

 それに特別生き物が好きってわけでもなく、仮想世界の動物に熱を上げることもなくって、モンスターと仲良くなれる調教師(テイマー)なんかには欠片も興味を持たないタイプだった。


 そんなまめしばは、あのカブトムシの死に涙した。


 ……嫌いな虫で、偽物の命。

 キモい足と無機質な目でうぞうぞ蠢く巨大怪虫が、AIによる演算で弾き出された自動応答をしていたことをわかっていながら……それでもしっかり悲しんだ。


 そうした彼女とあの虫の絆が、あの黒弓を遺したのだろう。

 だからあの弓こそが、まめしばが『本気で遊んだ』その証だ。




「『引き寄せのイベリス』」


「キキョウ、ないすぅ! 『グース・バラージ』っ!」


「……ふふふ、軽くて硬い魔法金属『ミスリル』の矢ですからね。もったいない精神で、リサイクルをして行きましょう」




 まめしばの黒弓から放たれた矢が、ばちばちと紫電を纏って再び弓へと()()()

 それはキキョウの『磁力のスペル』、『引き寄せのイベリス』の効果によるものだ。


 狙いはばっちり。攻撃力は抜群。その上消費はほとんどなくて、一本の矢を十回射れる。

 そうすることで隙や弾切れはなくなって、弓を扱う狩人(ハンター)の弱みはすっかり消える。


 そんなキキョウのスペルこそ、あいつの『本気』が表れているのだと思う。

 くっつく磁力。引き寄せる力。それを使ってすべてが欲しい。

 磁力で宝を探したい。それを転がし財を築きたい。

 引き寄せる力で仲間を守り、金と仁義に生きながら、思うがままに商人人生を貫きたい。

 そうしてこの世界での生活を、存分満足行くものにしたい。


 そういう願いがあったから、キキョウはそういうスペルを身に着けた。

 テンプレートからは大きく外れた異質な力だったけど、どこまでもキキョウらしい最高のオリジナルスペルだってのは、パーティ全員が思っていることだ。




「みんながんばれ~!」


『良い声援だ、我が巫女よ。それはまるで海の歌姫セイレーン』




 ……そうして戦う俺たちの後方から聞こえる、気の抜ける声。

 それはどうしようもないただの応援で、戦力的にはまるで役立たずだ。

 だけど俺は、それでいいと思ってる。


 決まった遊び方が存在しない、自由な世界がMMOだ。

 だからここには『正しいパーティ編成』なんかはなくて、ならば『パーティに絶対に居なきゃいけないやつ』も『パーティに絶対居てはいけないやつ』も存在しない。


 そりゃあもちろん、ゲーム的な数値のやり取りで、全然役に立たないやつだって居るだろう。

 だけどそれなら、そいつはただ見ていればいい。

 一緒に喜んだり悲しんだりして、時間を共有すればいい。

 そしてその上で、みんなのために自分にできることを精一杯するのなら……そいつはちゃんとパーティメンバーで、大事な仲間の一員だ。


 使える使えないは関係ない。同じ世界を一緒に楽しめればいい。

 時給だ効率だと生き急ぐのは現実だけで十分だ。ここでは遅い歩みだって楽しめる。


 弱いも強いも関係ない。不遇だ地雷だなんて言っているのは余裕をなくした下手くそだけだ。

 ネットゲームの仲間ってのは、隣に居ればとにかくプラスであるべきだ。

 自由な世界における友達ってのは、損得勘定を抜きにした、そういうものであっていい。


 そんなネットゲームだけの楽しさを俺たちに教えてくれたのが、ロラロニーだ。


 あいつはずっと本気だった。

 ゲームの攻略を知らないなりに、一生懸命木の実を集めて。

 AI制御だとたかをくくらず、しなびたタコの心配をして。

 そしてたかがゲームで意地を張るこの俺の、情けない背中を支えてくれた。


 ロラロニーは最初から、きちんとリビハに本気になっていた。

 プレイングは下手くそで、知識は壊滅的で、成長だってひらすらゆっくりだったけど。

 それでもこのゲームを楽しもうと、誰よりしっかり世界を見据えていた。




「――開けたっ!」


「おっしゃ! 行ったれ、サクの字ぃ!!」


「さぁ、終わらせる時です。我が友よ」


「がんばれぇ~っ!!」




 ……そんな俺たちと、一緒に居たいと願ったお前は。


 ようやく本気でゲームを始めたお前は。


 ここで、何を見つけた?




 なぁ、チイカ。




     ◇◇◇




「…………」




 リスドラゴンのところまで、目測でおよそ30メートル。

 頼れる仲間が作った突破口から躍り出ながら、チイカの言葉を思い返す。


 "勝手に殺すのは悪い、だからやめる"。

 "『ヒール』は治してあげるもので、殺して終わらすものじゃない"。

 "だから私はこれからは、そういう真っ当なヒーラーとして、みんなと一緒にRe:behind(リ・ビハインド)をして行きたい"。


 "……だけど"。

 "それでも"。

 "それは、わかっているけれど"。


 "それを理解した上で、それでもあのリスドラゴンを、私が勝手に殺してあげたい"。

 "『接触防止バリア』を貫通する『ヒール』で、殺して終わりにしてあげたい"。

 "真っ当なヒーラーではないかもしれない、善行ではないかもしれない、もしかしたらみんなに嫌われてしまうかもしれないけど……それでもやっぱりあのリスは"。


 "私が『はい』にしてあげたい"。


 …………それが正解なのか、それとも間違っていることなのか。

 それは俺にはわからない。


 だけど、そう願ったチイカの決断は……今のチイカが自分で考えたものだ。

 何もかもを一緒くたにして考えているわけじゃない。世界はこうだとたかをくくってるわけでもない。

『ヒール』で殺すのは駄目なことだと、今までずっと積んできた自身の過ちを認めていながら、それでも今はそれが正しいと導き出して、一生懸命意思を示した。


 幸せにしたい、苦しみから開放したい、戦士として誇り高く終わらせてあげたい、と。

 間違えていた自分を見つめ、それを反省し、その上で間違っていたはずの行いを今再びしたいのだ、と。

 そう願って、俺に訴えたんだ。




「…………」




 目測およそ20メートル。

 腕に力が入らなくなり、意地で無理やりチイカを支える。

 そうして駆ける腕の中、ふるふる震えるチイカを見て、思う。


 こいつは今まで、ずっとリビハをしていなかった。

 キャラクター越しの相手を理解しようともしないまま、どこかで学んだ自分の優しさを押し付けるっていう、間違ったやり方をしているだけだった。


 だけどそんなチイカは、自分が今まで培って来た正しさを切り捨て、この世界に生きる俺とみんなとリスドラゴンを見て、そうして感じたことをきちんと受け止めて。

 そんな『ゲームでの体験』を元にして、優しい答えを導き出した。


 それが本気だ。『ゲームを本気で遊ぶ』ということだ。

 チイカは今になって、ようやく自分のRe:behind(リ・ビハインド)を始めたんだ。



 ……"死は救い"。

 それは身勝手な救済の押し付けで、はた迷惑な慈悲だった。


 けれど、そんな自分の今までを間違いだと認めた上で、チイカは再びそれを言う。


 ……"死は救い"。

 それは同じ言葉でありながら、今までとは全く違う。


 ゲームを本気でプレイした、今のチイカだから出る言葉。

 今この時までリスを見続けていたからこそ、ようやく見つけたチイカの答え。



【聖女】のチイカは『殺すヒール』をして、それをやめ、だけど再びそれをする。

 そんな彼女の選択は、何より尊ぶべき優しい心。


 そういうものを、本当の愛と呼ぶんだろう。




「………………ヂ……」




 目測およそ15メートル。

 頭が痛んで視界が歪む。死がすぐそこに迫って来てると実感する。


 ふざけろ。まだだろ。こんなところで死ねるかよ。

 明日明後日その次の分まで、この安い命をくれてやるつもりで、この瀕死をもう少しだけ引き延ばせ。



 …………チイカのおかしさ、その特異性。

 それを考えれば、自然と思い至る。


 ……きっとこの『【聖女】のチイカ』ってプレイヤーの裏側には、何かの大きな意思がある。

 何しろこのRe:behind(リ・ビハインド)と言えば、今や世界を巻き込む一大事業となっているんだ。

 そんな中でとびきりにおかしい力を持つチイカなんだから、そういうことがあると考えるのが妥当だろう。


 だからチイカのこの決断は、間違いなく強い影響がある。

 それこそ世界を揺るがすような、何かが大きく変わってしまうような……そんな影響が。


 そこで出てくるのが、このRe:behind(リ・ビハインド)の大原則――『自己責任』という絶対ルールだ。


 ……もし、チイカの裏に何かがあるなら。

 そしてそれが、『ヒールで全員殺す』ということをチイカに命じていたなら。

 もしそうだとしたら、それをしなくなったチイカは、()()()()()()()()()()()を負わされる。

 そしてその上で、リスドラゴンにだけ『ヒールで殺す』をした身勝手さの責任だって、きっと背負わされるんだ。




「……ヂ…………」




 リスまで残り10メートル。

 生気の抜けた瞳を開ける、命を失くした戦友が、うわ言のように鳴いている。


 …………これからチイカにのしかかる、大きな大きな『自己責任』。

 チイカはそれをわかってる。


 そして、それをわかっていながら……それでもリスを、敵を、見知らぬ誰かを救うと決めた。


 ……俺は。

 パーティメンバーとして。

 ネットゲームの仲間として。

 そして何より、大切な友達として。


 そんなチイカの生き方を、誇りに思う。

 何より気高いと思う。

 誰より聖女らしいと思う。


 その想いが、願いが、覚悟が、愛が……報われて欲しいと、そう思う。




「………………ヂ…………」




 ……チイカ。

 お前は俺を殺した酷いやつだ。

 無差別P(プレイヤ)K(ー・キラー)の悪いやつだ。

 ニヤけた面を貼り付けた、感情のない殺人マシーンだ。

 だけど今日のお前は、俺の隣に居たお前は、誰より良いやつだった。




「…………ヂ……」




 ……お前がどういう考えで、そういうことをしてたのかなんて、俺は知らない。

 どうしてそんな強い力を持っていて、どうしていっつも笑ってたのかだって、俺には何にもわからない。




「……ヂ……ィ…………」




 そしてそんなの、どうでもいいって思ってる。


 お前が何者であろうとも、今は俺の友達だ。

 "そういう色々があった" ってだけで、今は大切なパーティメンバーだ。


 だから今日から、そうしよう。

 俺の隣に居るチイカと、チイカの隣に居る俺として、俺たちと一緒に生きていこう。


 今日から、一緒に。

 この長い時間の最後の最後、すべてを終わらせるこの場所から。


 俺とお前のRe:behind(リビハ)を。








「………………はじめようぜ、チイカ」










「 ささやき(murmur)




――――()()()()声。

 まるで子供のように舌っ足らずな、甘くさえずる可愛らしい声。


 ……安心しろ。

 お前はもう、間違えない。

 お前には、間違ったことなんて絶対させない。


 俺はお前の友達だ。

 だからお前の選択が正しくない時は、ケツでもぶっ叩いて止めてやるんだ。

 そんなことはするんじゃねーって。今のお前はおかしいぞって。

 友達ってのはそういうもんだ。


 だから、想え。




「 えいしょう(chant) 」




 ()()()()()を続けるチイカの体が熱を帯び、全身からほのかに光が溢れ出す。


 ……だから、迷うな。大丈夫だ。

 今のお前は俺の友達として、何ひとつだって間違ってない。

 お前が今からする全部のことは、ここで本気で生きてる俺たちが、絶対正しいって保証してやる。


 だから、願え。




「 いのり(pray) 」




 ……()()()を込めて組まれた手。

 それは特定の宗教の作法にならったものじゃなく、チイカが思う祈りのルール。

 誰かのためを思ってする、一番優しい祈願の形。


 そうだ。お前は他の誰でもない、ここに居るひとりきりの聖女だ。

 二つ名や役目としてじゃなく、俺が思う完璧な聖女だ。


 だから、聖女。聖女のチイカ。


 その思いやりを、ささやけ。


 その覚悟を、となえろ。


 その慈しみを、いのって。



 その愛を――――









「――――ねんじろ!!」


「――――ねんじろ(invoke)っ!!」
















 …………。



 チイカをリスへと押し出して、俺は意識を失っていく。

 そんな最後に聞こえて来たのは、涙に濡れながらささやきかける、『ヒール』と言う優しい声で。

 だけど不思議と俺の耳には、チイカが『おやすみ』と言っているように聞こえていた。


 それを聞いて、何となくわかった。

 リスドラゴンは、ちゃんと眠れたのだと。




     ◇◇◇




     ◇◇◇




     ◇◇◇




「…………ーる……」




 ……暖かい。

 ぽかぽかとした、心地の良い感じだ。




「……ひ……る……っ」




 それと、声がする。

 必死で何かを叫ぶ声だ。




「…………ひーる……っ」




 まぶたが重く、ひどく眠い。

 だけど……子供のようにあどけなく、悲痛に響いたその声が、どうしようもなく胸を痛めて……目を開けなきゃいけないって思わせてくる。





「……チ、イ……カ」


「……る……っ!」




 そうして無理やりまぶたを上げれば、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたチイカが居た。


 ……あぁ、そういえば……終わったのか。




「ひぅ~……うぇぇぇ~…………」


「……なにを……ないてんだ…………」


「……し しんじゃ やだぁ…………ひー る……ぅぅ……」




 俺を膝枕しながら、ぽたりぽたりと雫を落っことしてくる。

 その間にも絶え間なく、俺を死なせないため『ヒール』をかけ続けて。


 ……喋るのだって死ぬほどダルい。

 もうとっくに限界は超えてるんだ。

 だからずっと、それこそリスに突撃を仕掛ける間だって、何も言葉を発してなかったってのに。




「いや……ヒールとかしても…………意味ねーって…………体を使いすぎたから……その反動で死んじゃうってやつだし……」


「……で でも…………やだよぅ…………」




 やだと言われても、困る。

 流石にこれはどうにもならないことだし。


 ……それに、何より。




「……つーか…………死んでも首都で生き返るだけだって……知ってんだろ…………」


「…………そ それでも…………さくりふぁくとぉ が しんじゃうのは…………いやだぁ…………」




 結局ゲームだ。

 命は安く、死は軽い。


 だから大事にするべきなのは、その命が尽きるまでに何をするかだ。


 …………そう考えると、これは駄目だな。

 俺が死ぬのは構わないけど、こいつが泣いているのは良くないことだ。


 チイカのセリフじゃないけれど、それはなんつーか……嫌なんだ。




「…………泣くなよ、チイカ……またすぐ戻ってくるから」


「……ふっ……うぇ…………」


「…………もう……アレだ…………秒だぜ……秒。お前があくびしてる間に……さらっと帰って来てやるって」


「…………うぅぅ~…………」




「……だから、頼むから……泣き止んでくれよ…………俺はお前の泣いてるところは……見たくないんだ…………」


「…………ひぅぅ…………」


「……いつもみたいにほがらかに……可愛く笑って…………居てくれよ………………そのほうがずっと良いから……」


「……うぇ…………ぇ…………?」




 朦朧とする意識の中で、思ったままを口にする。


 すると、チイカの動きがピタっと止まった。

 そしてぽかんと口を開け、あっけに取られた顔をした。




「…………かわ いい……?」


「え……? あぁ、うん……可愛い。チイカは笑ってたほうが良いぞ……」


「……そ そうかな…………」


「うん……そう。チイカの笑顔は可愛いぞ…………見てると心が…………こう、癒やされるし…………ずっと見ていたいって……思うんだ…………」


「…………あ……ぅ…………」


「あらま、サクちゃんったら!」


「わぁ……サクリファクトくん、すごい~」




 そうしていつの間にか寄って来ていたまめしばとロラロニーが、2人で手を合わせながらきゃいきゃいと騒ぐ。


 ……正直に言っただけなんだけどな。

 散々ニヤけ面とか言ったけど、チイカはやっぱり笑ってたほうが可愛いし。





「……ずっと……前から…………そう思ってたんだ。笑うと可愛いな……ってさ」


「…………うぅ~」


「こ、これは……ついにあの唐変木なサクちゃんに、恋の季節が……!?」


「えへへ、よかったねぇ」




「あぁ……可愛い。一番可愛い。白くて……ふわっとしてて…………にっこりでさ……」


「……む むぅ~」


「…………すごくアレに、そっくりで……可愛いんだよなぁ…………」


「…………あれ ?」


「……ん? うん、そりゃあ、アレ…………アレだよ………………あの……アザラシの、赤ちゃん」


「…………あざら……し……?」


「…………あ~、うん……アザラシ。……似てるだろ? チイカと、色とか形とか……色々とさ…………」




 ずっと前から思っていた。

 インターネットで見た、白くて丸いふわふわの動物――ゴマフアザラシって動物の赤ちゃん。

 その目を閉じた寝顔がまるで笑っているように見えて、可愛いなぁと思いながら、何かとそっくりだなぁと考えて。


 そしてそんなアザラシの笑顔と、チイカの笑顔がそっくりだってことに気づいたんだ。

 あの時は驚いたな。優しく閉じた目とか、口角の上がった口元とか。あと全身の色も白くて同じだし、もう何もかもが一緒だったから。




「……いいだろ……? アザラシだ……チイカはアザラシ…………アレは可愛いぜ…………まるくて、白くてさ……」


「あざらし…………」


「え……いや……え? ちょっと、サクちゃん……!? 何? ア、アザラシ……!?」




「……む~!」




 突然チイカが立ち上がり、膝枕していた俺の頭を乱暴に地面に投げ捨てる。


 おいおい、なんてひどいやつだよ。俺は死にかけてるんだぞ。

 しかも悪口とか全然言ってないってのに。どうなってんだ。




「うおぉ……いてぇ…………なんだよ、チイカ……ひでーぞ…………」


「むぅ~!」


「サクリファクトくん、それはちょっと……だめだよ」


「……え? いや、なんで……? だって、動物だぞ……? 女の子は動物に似てるって言われると、嬉しいんだろ…………? ほら、猫みたいとか……小動物みたいとかさ…………」


「……猫とかはそうかもしれないけど……アザラシはちょっと、私も嫌かなぁ」


「…………はぁ……?」




 全然意味がわからない。

 猫もアザラシも同じ動物だし、どっちも同じくらい可愛いだろ。

 それの何が違うんだよ。生息域か? それとも鳴き声とかか?


 ……全然意味がわからない。

 どういう理屈で生きてんだ、女の子って。




「……いや、サクの字よぃ……それが良かねぇってのは、俺っちでもわかるぜ?」


「ふふふ、サクリファクトくんにしては気の利いた事を言うと思えば、まさかアザラシとは……ふふふ、ふふふふふふ」




 そうして死にかける俺に遠慮なく苦言を呈するリュウとキキョウの奥で、チイカがこっちを振り向き、言う。




「……ばか」




 短くつぶやく、悪態の言葉。

 だけどどうしてだろうか。

 その顔はいつものように、アザラシみたいな笑顔に変わっていた。


 ……猫はよくてアザラシで怒るのも、今ここで笑うのも、俺には全く理解できない。


 やっぱり女の子の相手って難しい。

 それこそドラゴンを倒すほうが、よっぽど簡単だったな。



 そんなことを考えながら、胸いっぱいの達成感の中で、心地よく死んで行く。



 俺たちは、勝ったぞ。

Re:behind(リ・ビハインド)最終決戦』、ここに終結だ。




     ◇◇◇




 

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