蒼龍:蒼い髪
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西暦1896年(明治29年)3月25日
最近朝の冷え込みも緩くなってきたので、起きるのも辛くはない。
おまけに今日は仕事は休みだ。
朝はゆったりできるが、午後からは忙しくなる。
というのも一人で家にいるのも、これで最後だからだ。
今日は新しく遠路はるばるやってくる人が来る。
私をこの時代に連れてきた人…いや、竜と言うべきか。
蒼龍…最初名前を聞いた時は日本海軍の空母かと思った、蒼龍…果たしてどんな感じの人なのだろうか…范さんの話によれば、人間の女性と殆ど変わりないというが…まあ、下手に美人ですとか綺麗ですとか売り文句を言わないので、普通の顔立ちの人…だとおもう。
正直、蒼龍が来る事よりも新年が明けてからも会社のほうでてんやわんやしていたものだ。
幸い優秀な従業員の人達の手助けもあって順調に進んでいる。
浅草を中心とする地域一体型の町おこし…いや、健康食品ブームに似たような波が押し寄せている。
雑穀煎餅の評価は上々だが、軍民問わず長期保存できる非常食の開発を工場が完成する6月には発表できるようにするつもりだ。
当初の予定としてはインスタントラーメンを挙げていたのだが、構想中に一つ重大な問題が生じた。
その問題とは、インスタントラーメンを包んでいる包装用のセロハン紙がまだ開発されていないということだ。
似たようなビニール系の袋も探したのだが、まだ発明すらされていない代物な上に、工業系の知識を持ち合わせていない私には作り方すら知らない…つまり、インスタントラーメンの作り方を知っていても、肝心のインスタントラーメンを包む袋が無ければ話しにならないのだ。
紙の用紙で包んでみてはどうかと思ったが、それは非常にマズイと思う。
というのも、インスタントラーメンの袋は耐久性に優れており、湿気にはある程度耐性はあるし、落下しても破れにくく、長期保存しても保存している環境が適温であれば問題なく食することができる食べ物だ。だが、紙で包まれた用紙にインスタントラーメンを包んでしまうと…紙がネズミに食べられたり、湿気のある場所では紙の用紙がカビてしまい、中のインスタントラーメンまでダメになってしまう…。
クーラーなどの温度管理機械があれば、それでも大丈夫かもしれないが…。
そんな機械はまだない…セロハン同様にまだ発明すらされていないものを調達してこいと言われたら、確実に無理ですと私は答えるしかない…。
つまり、現時点では…短時間保存食としてならまだインスタントラーメンは作れるし有効だが、その強みである長期保存ができないと話しにならないというわけだ。
そこで、考案したのがジャムだ。
まだジャムは日本では広く普及していないので、これを好機とみてジャムの製造及び販売を6月から実施してみたいと考えている。
ジャムは雑穀煎餅の間に塗って挟む方式を取って、パンよりも安価で…かつ庶民にも普及できるようにするのを目的としている。
ジャムであれば、瓶でも保存が可能な上に、調合量さえ間違わなければ長期間保存が可能な食品である。
杏子や桃であれば入手が容易なので、地主の農家に赴いて交渉して直接仕入れすれば安く済むはずだ。
丁度杏子は工場が完成する6月ごろから収穫の時期になる。
その際に農地に赴いて交渉したほうがいいだろう。
提示した金額で払えるようなら、値下げ交渉はせずに一気に握手を交わして交渉したほうがいいだろう。
下手に値切りなんてしたら足元を見られてしまうかもしれないし、出荷直前に他の企業から引き抜きなんてことになったら、大変なことになってしまう。
食の生産者には商品の原材料を提供してくれることに敬意を示さないといけない。
食を扱う上で、生産者への敬意を忘れてしまっては絶対にならない…前世で勤めていた会社の社長は、その点に関しては凄く厳しい人だった。
だが、雑穀煎餅以外の健康食品…もしくは、食品以外の事業の開拓も視野に入れていかないといけないようだ。
今の所、陸海軍からの雑穀煎餅の生産要請並びに、専売特許許可証の発行などで当面の間はそれでやっていけるだろう。
事業が大きくなればなるほど、人手が足りなくなる。
おまけに、私の会社は新興企業だ。
既に明治政府との癒着などがある大企業からは目を付けられているだろう。
暗殺まではいかないにしろ、これから先嫌がらせ等があるかもしれない。
従業員や店の警備なども一層に強化しないといけないな…従業員の安全を守るのも経営者として欠かせない要因の一つだ。
さて、本題の蒼龍に関することに戻るが…蒼龍やその付き添いの人、並びに范さん達を住まわす場所はなんとか確保できた。
100メートル半径の家を確保することが出来たのだ…我が家に蒼龍、他の家に范さんを含めて寺院の関係者の人達を住むことになるので、しばらくは家の中は賑やかになるだろう。
もうじき、蒼龍や范さんが家に到着する頃の筈だ…淀橋の時計屋で購入した懐中時計の時刻は午前10時丁度…その時に家の玄関で、ごめんください…と范さんの声がしたのだ。




