東京入居:下町
鞄に収まる荷物を抱えて30分、裏路地に入って直ぐに私が入居する借家が佇んでいた。
横浜にいた時の家に比べればワンランクダウンしてしまうが、それでも借家で住めるだけまだ恵まれているほうだ。
借家の主である大家さんが私の到着を待ってくれていて、私が到着するとよく来ましたと頭を下げて挨拶までしてくれたのだ。
大家さんから鍵を預かり、借家に入ると思っていたよりも広々とした間取りであった。
畳が敷かれて清潔感のある一軒家だ。
私はこの借家を気に入り、早速畳の上で移動の疲れを癒すためにごろ寝をすることにしたのだ。
荷物を部屋の片隅に置き、蚊帳を設置してその中で横になって右腕の上に頭を乗せる。
まだ網戸というものが普及していないので、現状扉を開ければ外なので虫が入り放題…。
なので、虫が入ってきても寝ているこの場所に入らないようにすれば安全圏が確保される…という仕組みだ。
夏真っ盛りではあるが、この時代の東京はかなり涼しい。
体感温度でも30度を超えるような真夏日ではない、2020年代のように連日連夜35度越えの酷暑日ではないので、あの暑さを経験している私からしてみれば、明治時代の夏はまるでクーラーを付けている部屋にいるような涼しさすら感じられる。
2020年代は特に7月から9月初旬まで地獄のような酷暑が続いたので、各地でプールや海が大混雑していたのを遠い昔のように思い出す。
いや、私にとっては昔の話だが…この時代では一世紀以上先の未来の話だ。
「はぁ~っ………涼しいなぁ………そろそろ店の事もしっかりと考えないとな」
さてさて、私は大家さんのご厚意を受けて、この浅草を拠点に店を開こうと思う。
ただ…横浜の時のようにすでに店を持っているわけではないので、別の方法で金を稼いでから店を出店するつもりだ。
まだ、企画段階ではあるが…雑穀煎餅のレシピを駄菓子屋や屋台の人に売り込んで「脚気対策」として健康食を大々的に宣伝し、雑穀煎餅の製造レシピを教える代わりに売上の10%を使用料…ロイヤリティーとして受け取るフランチャイズ計画を考えている。
既に、雑穀煎餅のレシピは完成されている上に、調合量と焼き加減さえ間違えなければ美味しい上に健康にも良く、子供にも親しまれる煎餅として横浜の一角で成功した商品だ。
ただ、これで調子に乗って天狗になってはいけない。
フランチャイズ計画をするのもいいが、それを悪用して他人に勝手にレシピを教えて大手商店で販売される危険性もある。
そうなれば後ろ盾のない私は真っ先に潰されてしまうだろう。
それよりも形だけでもいいので商店を作るべきだろう。
阿南商店は横浜でやっていた時の店名であるが、縁を切った親戚一同が押し寄せてきたらと思うと恐ろしいので、別の名前を使う予定だ。
明日は浅草の街を聞き廻って商店を出店してくれる建物を貸してくれる所を探すことにした。
なんといっても浅草は人の出入りが多いので、うまく人を集客することが出来ればその店フランチャイズ計画をしなくても済む。
予算としては調理ができる場所代込みで一月に10円程度で済むのがいいが、それが無理なら多くて20円でも借りたい。
いや、なんといっても人が横浜と比べても多いからね。
宣伝と集客手順さえ間違えなければ人気が出るはずだ…。
この借家の一月の家賃は5円…首都近郊にある中では安い分類に入るだろう。
父が良くしてくれていた骨董商の人の伝手を頼って私はここで住むことになったのだ。
その点に関しては亡き父である草摩に感謝している。
赤坂さんは撃たれた傷が元で一週間後に亡くなってしまった…。
楼宮貿易会社…彼らの悪事はいずれ世間に公表してやるつもりだ。
だが、今の私にはまだ悪事を平気で働く楼宮貿易会社への対抗手段を持ってはいない。
いずれ…会社を立ち上げて楼宮貿易会社よりも力をつけたらケリをつける。
両親と…迷惑ばかりかけていたが最後の最後で家族を守ろうとした馬鹿一郎と次郎の弔い合戦だ。
長くなりそうだが、必ず仇は討ってやる。
まだまだ午前11時頃だが、私の眠気はかなり大きくなっていく。
目を瞑り、夢をみるかどうかまでは分からないが、家の中に入ってくる風の音が次第に小さくなっていくように感じる。
風の音が小さくなっていく代わりにからん…からん…と風鈴の音が聞こえてくる。
誰か風鈴を売って歩いているのかもしれない。
風鈴の音色か…久しぶりに聞いたような気がする。
この音色を聞くと夏が来たんだなと思うようになる。
外が暑すぎて窓を閉め切ってクーラーを掛けることになれてしまった現代からやってきた私にとって、この音色は前世の少年時代を連想させる。
この身体は16歳…ちょうど二度目の人生とやらの真っ最中だ。
まだまだチャンスや機会は多い、家族の死という辛いことが多く重なってしまったが、挽回できる。
いや、挽回してみせる。
私が食品会社で学んできたレシピや知識を明治時代でぶち込んでやる。
遠慮なく………私自身の力でやってみせるさ。
そして、私はお昼過ぎになるまで寝ていたのであった。




