外されたレンズの下から覗いたのは、瑠璃色
四月の始業式を経て、葉子は正式に高校三年生となる学年を迎えた。級友達はそれぞれの胸の内をお互いに語り合い、高校生活最後の年の予定などに思いを馳せている。けれど葉子は、葉子だけは無表情の顔に人知れず大きな不安を隠していた。
この週の初め、まるで悪夢でも見ていたかのように思えるあの出来事。それは決して夢幻の類いではなく、現実に起きた事であった。
その後葉子は自室で魔導器を確認している。いつでも自分の意思で、自由に出現させられる。
強い武器を、怖ろしい力をその身に宿してしまった。
強くなる事は、彼女自身然程望んだ事ではなかった。ただ剣を振り他者と技を競う、その瞬間を楽しいと感じていた。勝敗は無論気にならないわけではなく、やるからには勝つが。そのために身体を鍛え、技を磨いた。
けれどこの力は。
魔物がこの日本にも存在しているならば、必要なものだ。この身を守り、家族を守り、友人を守り、そして傷付けようとする者どもを打ち払う事が出来るだろう。
しかし何故自分がこのような境遇に置かれたのか。その疑問をあれ以来抱えている。
他には誰もいないのか。自分だけが力を得たのか。自分一人で、戦わなければならないのか。
これまでずっと一人で戦って来た彼女も、ただの少女。これまでは一人でも大丈夫だった。それは誰しもが同じところに立っていたから。鍛え、磨いたものがあったとしても一個の人間でしかなく、他の誰もと同じだった。
しかし今は。
こんな力を手にしてしまって、同じだなどと言えるのか。同じだなどと思ってもらえるのか。
少女は生まれて初めて感じた孤独に、押し潰されようとしていた。
「七海さん?」
不意に声をかけられ、そちらを見上げる。相変わらずの無表情からは、誰であろうと何も読み取れない。
「久しぶり! 春休みはどうしてた?」
たわい無い日常は、そうして始まった。
けれど少女の深いところにまでは届かず、暗い不安と灰色の孤独だけが覆い隠すように胸の内を取り巻く。
始業式だけで終わったその日は、昼を前に帰宅となる。最寄りの駅まで電車に揺られ、降りたホームを颯爽と歩く。見る者全ての目を奪う美しさは胸にわだかまるものがあっても変わらず、制服のスカートを翻して行く彼女は今日も人の目を集めた。
力に目覚めてすぐに、彼女もまたカラーコンタクトを購入している。翡翠の瞳を隠すため、暗い茶色をかぶせた。おかげで学校も問題無く通えており、翡翠の瞳を知るのは家族と、一部警察の者だけである。
いつも通る川沿いの遊歩道。常であれば昼間の人通りはそこそこにあるこの道も、今はめっきり減っていた。
通り魔事件。そう呼ばれるあの夜の事があってから、この遊歩道は避けられる傾向だ。
葉子も現状であえてその道を通ろうなどという気にはなれず、違う経路を辿って自宅へと向かう。少々遠回りになるのだが警察による調査は今尚続けられており、厄介になったばかりでまた顔を合わせるというのも気が引けた。
そうして、今朝からこちらの道を使っている。
遊歩道を使う道のりとの差は五分から十分程度と大した違いではなく、普段と異なる景色を眺めながら歩く道中には新たな発見などもあって楽しく感じられた。けれどふとした瞬間には再び重く沈んで、人々の営みに紛れて存在を確かめたところで少しも上向こうとしない。
そんな時、微かに聞こえた声に意識が持って行かれた。
「ああ、疲れた。目がごろごろする……」
何かの企業の敷地の裏手を歩いていた。塀はあるものの薄く、背も低い。その向こうから聞こえた。小さな声だったにもかかわらず葉子の耳に残る。
何故なのか。疑問に思いながら、葉子は近付いて行く足を止められない。
大した言葉ではなかった。誰でもそっと呟くように漏らす、何でもない一言だ。
しかし無視出来ない。頭で理解出来ていないのに、身体が勝手に動いて向かうような不可思議さで足は一歩また一歩と踏み締める。
ちょうど辺りには誰もいない。葉子は確認しなかったが、ともあれ誰に気付かれる事も無く、見られる事も無かった。
塀に手をかけ、そっと覗く。少し離れた位置だがスーツ姿の少女が見えた。背伸びでもしてスーツを着ているかのような、少女が。
今はちょうど昼時。広く開けた敷地の片隅で食事でもするのだろうと考えた。しかしその予想は裏切られる。彼女が鞄から出したのは、見覚えのある物だった。
片手に持てる程度の箱。暗いブラウンの線が入った、カラーコンタクトの箱。それを脇に置いて、その手を綺麗に拭い始めている。そして片方の手にスマートフォンを持ち、その画面を覗き込みながらもう片方の手の指を目に向けた。
それは葉子にも覚えのある行動だった。スマートフォンのカメラを利用して鏡の代わりとして使い、目にかぶせたコンタクトレンズを外す。自分とそっくりそのままの行動で、思わず見入る。
外されたレンズの下から覗いたのは、瑠璃色。
その瞬間に、葉子は悟った。そして、こんなにも近くにいたのだと知った。
頭を引っ込めて、葉子は帰途に戻る。自分は、決して一人ではなかった。瞳の色を変えた者は、他にもいたのだ。それも、近くに。
彼女も……いや。彼もまた、自分と同じものだった。
葉子の胸の内に、湧き上がる感情があった。そして打ち払われてゆく感情も。暗雲のように立ち込めていた重苦しさは、突然吹いた瑠璃色の颶風によって吹き飛ばされた。晴れ渡る空が広がり、行く手を真っ白な陽光が照らす。
ただ一人、同じ境遇の者がいる。それも知らない仲ではない。それだけの事で、こんなにも晴れやかな心地になれるのか。葉子は自分の心の動きに戸惑いながらも、この変化を嬉しく感じていた。
そしていつか彼とこちらでも話し、この事を共有出来れば。そう望むまでに幾らの時もかからなかった。その時の事を想像すると浮き立つような感覚に襲われる。
一方的なものではあったが、彼女の心に強い親近感が芽生えたのだった。
その変化は、容易くその行動に表れた。
水に濡れた彼が馬車に入れられた際、自ら彼に触れようと動いていた。タオルにまみれさせて、女三人で滅茶苦茶にして遊んでしまった。
これまでであれば、このような事には参加しなかった。けれど、自然に動いていた。
着せ替え人形のようにあれこれと着替えさせられていた際も、友人の女性と一緒になって写真を撮影していた。もちろんそれまでであれば、考えられない事だ。
そして彼はリーフと目が合うと、優しく微笑んだ。
宿の部屋で端末の写真を眺めていると、話しかけられる。
「今日のリーフ様は、いつになく楽しんでいらっしゃいましたわね。わたくしもつい浮かれてしまいましたわ」
頷いて返事をするが、リーフは少々恥ずかしくなって俯く。
「ラン、ですわね。お気に召しまして?」
「……ランは、良い人」
「ええ。優しくて楽しげで、ついからかってしまいたくなる面白い方ですわ」
その言葉に、以前から気になっていた疑問が浮かぶ。そして今日は、それが口を突いて出た。
「……ヒルダは、ランが好き?」
「あら、珍しい事を聞かれますのね。……そうですわね、好きと言えばそうなのでしょうけれど。わたくしのこれは、恋や愛とは違いますわ。親愛や友愛、そして……性愛と言うものなのだと考えておりますの」
その横顔は思慮深さに彩られ、常日頃の妖しさはなりを潜めて見られない。真摯に答えるべき事を話す時にする顔で、そんな時の彼女はやはり日頃は見せない雰囲気を持つ。
兄弟姉妹のいないリーフは、この彼女の事を姉のように感じている。
「焦がれるような思いは掻き立てられませんし、わたくしのものにしたいとも思わされておりませんわ。そばにいると構いたくて、ついやり過ぎてしまうのですけれど。容姿や彼の個性は好ましいですわね。ただ、それだけですわ」
「……意外。そうなのかと思ってた」
「わたくしは人に勘違いさせてしまう方ですもの。それで困らされた事も幾度となく。けれどそれがわたくし。変えるつもりはございませんわ」
恋や愛というものについて未だよくわからないリーフだったが、少なくともヒルダがランに向ける感情は違うのだと理解した。そして焦がれるような思いや、独占したいという思いがそれに近い、もしくはそのものであるとも知れた。
剣の道を生きてしまった自分に生まれたこの変化の正体が何なのか。その答えには至らないが、パズルのピースにはなるかもしれない。
そう考えて、考察のために撮影していた動画を確認する。
「まあ、そんな! リーフ様!? 今のをそちらに残されたのですの!?」
「……うん」
「後生ですわ! 無かった事にして下さいまし!」
普段見ない類いの慌て方に思わず吹き出す。
たまにはこんなのも良いか。そんな事を意地悪く思いながら、構わず流し続けた。
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名前 リーフ・セルティウス
種族 エルフ
性別 女性
階級 五
筋力 一六
敏捷 二〇
魔力 八
魔導器 強化打刀
魔術 練気放出 練気強化
練気治療
技術 剣 格闘
軽業 看破
抵抗力
恩寵 旧神フレーティア
ID 〇二五〇〇〇〇〇〇一
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