これはもしや……混沌の領域であったか?
荒れた大地をひたすら駆けて辿り着いたそこは、断崖絶壁だった。見ただけじゃ穴だとわからない程の広さで、途轍もない大きさで、大地に穴が開いていた。
彼方を見ても果てはエーテルに消え、縁は左右の何処までも続く。緩いカーブは描いているように見えるけど、その先はやっぱりエーテルに消えてる。そして底は見えない。これだけの大きさで、ソールの光が当たってるのに底まで光が届かないって、どういう深さなんだろう……。
これもエーテル? エーテルが隠して見えなくなる深さって事? となると、数キロは覚悟か。
魔物の姿は無い。少なくとも見渡せる範囲にはいない。戦争に皆出払ったかな。
降りようと思えば降りられる。魔力操作でゆっくりだけど。帰りも壁を登れない事も無さそう。剣を突き刺しながら壁を蹴って跳べるでしょ。
とりあえず周辺を見ただけだけど、一旦動画を送ろう。ゲイルとレジーナさんに送っておけば、ヒルダ様にも見せてくれるよね。
さて、それじゃ降りてみようか。せっかくここまで来ておいて見ずに帰るなんて、何をしに来たのかわからなくなる。魔穴がどんなものなのかを確認に来たんだから、調査に向かわない理由が無い。
でも、なるべく早く終わらせよう。具体的には四時間くらいで。それでも日付が変わっちゃうくらいだ。睡眠時間がごりごり削られる。
最悪三時間くらいでも良いけどさ。
ひょいと絶壁から飛び降りて、いつでも剣を壁に突き立てられるようにしながらゆっくり下降して行く。速度が上がり過ぎたら突き立てて減速させる。そんな事を繰り返して、眼下に見える暗闇へと落ちて行った。
辺りは少しずつ、僅かずつ闇を深めてゆく。ソールの強い光がだんだんと弱まり、薄暗くなり、仄かな程度となってやがて届かなくなる。暗闇を照らすのは魔導器の放つ瑠璃色の明かりだけ。
何度壁に剣を突いて速度を落としたかな。もう数えるのはやめてた。聞こえるのは、僕が立てるがりがりと壁を削るこの音だけだ。他には何も聞こえない。一切の音が無くて、何処までも静寂に包まれていた。
真っ暗闇を降りながら、ふと上を見上げて不思議に思う。これだけ大きな穴なのに光が届かないなんて。これもエーテルに遮られてるからなんだよね。
あちらとは成り立つ理屈の違う世界だから当たり前なんだけど、不思議で仕方ない。
『確かにエーテルは光を遮るが。しかしここまで暗くなるとは……』
変なの?
『うむ。地上において遠くが見えぬのは、物に当たって反射した光がエーテルに遮られるからだ。しかし遮られるとは言うても届く光と届かぬ光がある。空が青いのは、この届く光が青く見えるためだな。ではここはどうだ? 直上から光の降り注ぐここは、本来ならまだ充分光の届く距離よ。にもかかわらず見えなくなっておる』
納得。と同時に、背筋がひやりとした。それじゃここは、何なのさ?
『進めば、わかるやもしれんの』
まあ、行くけどさ。そのために来てるんだから。
そうして降下開始から一時間が過ぎただろうか。歩くよりは速いスピードで降りて来たと思うから、その深さはおよそ七キロから八キロ? 深過ぎない? ともあれ、一番下に着いた……いや、見えた。
降りたくなかったんさ……。
剣の光に照らされた底は、一面黒だった。その黒は光を照り返した。そしてその黒い何かは、蠢いていた。
思わず壁に剣を突き刺して落下を止めた。そこから情報を得ようとしたけれどよく見えなくて、仕方なく少しずつ下降を始めた。それで大体十メートル地点まで近付いて、ようやくその黒が何なのかに気付いた。
人の手だった。
内臓が締め付けられるような痛みを訴える。
さらに観察すれば、腕はもちろん脚や頭も見つけられる。そしてよく見つめてみれば、それはばらばらというわけではなく、全てちゃんと繋がっているとわかった。
つまり、人の姿をした真っ黒な何かが夥しい数で底を満たしている。押し合うように、圧し合うように、絡み合ってぐちゃぐちゃになって、横たわっている。
あまりにもおぞましい光景に、僕は身体を固めた。
何これ……。
『これはもしや……混沌の領域であったか?』
これが、混沌の領域?
『恐らく、としか言いようも無いのだが。思えばこの付近の大地は荒れておった。あれは混沌の領域が存在する証であったのだな。そして混沌の領域であるならば、光が届かぬのも一応理解は出来る。繋がってはおっても、ここは既に生命の領域ではないのだからの』
混沌の領域があると大地が荒れる。そんな話は前に聞いていたね。それでロランシルトの北側は荒野になってたんだ。光が届かないのは領域が変わったから。ソールの光は混沌の領域にまで届かないってわけね。
『いや、そうではない。生命の領域と混沌の領域とでは理屈が違うのだ。光の通る距離が違っていても不思議ではないという事、光の遮られる理屈そのものが違っていてもおかしくはないという事よ』
地上での理屈通りにはなってないのか。それはまた厄介な。
ところで、この魔穴は発見されたばかりだ。以前は無かったって考えて良いよね? 大地の荒れ具合が急速過ぎない?
『混沌の領域の発生には法則性など無い。突然現れる事もあろうし、実は既に存在していたという事もある。大地が荒れておれば混沌の領域があると考えられようし、逆に荒れた土地へとどめを刺すため発生するという事もあろう。それを我も失念しておった。長く封じられておった弊害かのう……』
となるとこの魔穴は、とどめを刺すために現れたわけか。まあ、あらかじめわかってたとしても結果は変わらない。特に問題無いよ。
話を変えるけど、混沌の領域は魔物を生み出すんだよね。それじゃあの黒い人は魔物?
『あり得はするが、お主の光を見ても襲って来ぬしな。手を伸ばし、掴もうとはしておるのだがの』
うわ、本当だ。それで最初に手を見たのか、僕は。
……ん? 何か聞こえない?
『呻きのようだの』
何か、さ。魔物ってよりは囚われて酷使されてる奴隷っぽい? 助けを求めてるようにも見えるし。疲れちゃうのか、すぐに落ちるんだけど。
でも繋がれてはいないんだよなあ。一面に見える誰も彼もが同じ様子。何でこんな状態なんだろ?
『ふむ……ん? ラン、魔力感覚に集中してみよ』
何かあったのかな? 意識を周辺の魔力やエーテルに向けてみる。するとこんな地の底なのに、地上みたいに風の流れるような動きがある。不思議だ。風は吹いてない。なのに何処かへ静かにゆっくりと流れて行く。
……あれ? これって……?
『あの黒い者達から流れ出ておらぬか?』
やっぱり? それってどういう事? まるで魔力を……奪われてるような……。
何で混沌の領域が魔物から魔力を? でも魔物っぽくはないんだよね。
……黒い人達が魔物じゃないとしたら、あれは……人? 人が捕まってる?
混沌の領域が……混沌が捕まえてる人……魂? ここは魂から魔力を奪ってる?
『その仮定が正しいのだとすれば、この者達を救う事さえ出来るなら……』
魂は解放される?
わからない事が多くて、疑問と仮定を繰り返す事しか出来ない。でも可能性があるのなら、試してみたいな。
……四神が望んでる、世界の維持を叶える行いだけど。ファリアはそれで良い?
『神ではなくなったのだ。世界についての責任など最早持たぬ。維持されるのでも、終末を迎えるのでも、今の我には関知せぬ事よ。お主が望むようにすると良い。それが叶う事こそ、今の我の望み。お主とともに在ると、決めたのだからの』
「……ありがとうございます」
誰かが苦しめられてる姿は、見るに堪えないからね。
僕に出来る事があるかわからないけど、まずはとにかく調べる事だ。調査して情報を集めて、どうしたら良いのか突き止める。僕に出来ない事なら一旦戻って、情報を提供しよう。
そしたら、誰かが何とか出来るかもしれないしね。
最初は……触っても大丈夫か、からかな。降りるの怖いんだけど。
ゆっくり降りて下から一メートルのところの壁に剣を刺す。そこで身体を支えてそっと足を……脚を掴まないでもらえない?
「ちょっと! お触り禁止!」
あ、やめてくれた。話せばわかるんじゃん。
触っても触られても大丈夫みたい。ちょっと安心した。これなら探索出来そうだ。
「体重かけないようにしますから、ちょっと踏ませて下さいね」
踏ませて下さいって、やば過ぎる言葉だなあ。どSじゃないから勘弁して。
その後、謝り倒しながら進んだ。言っても触って来るのがいるんだけど……。必死なのかただのスケベか、それが問題だね。
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名前 ラン
種族 ハーフエルフ
性別 男性
階級 三
筋力 六
敏捷 一四
魔力 一八
魔導器 属性剣
魔術 魔力操作 魔力感覚
技術 看破 軽業
跳躍
恩寵 旧神ナルラファリア
ID 〇二六〇〇〇〇〇〇一
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