85. ロットバルトとエリザベス
2025/5/18 修正済み
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雨と霧の林道に現れた貴公子は、エリザベスの毛嫌いするロットバルト伯爵だった。
『あなた、何故ここにいるの?まさかわたくしの後を付けまわ……』
『おやおや失敬な! 偶然ですよ。流石にあなたを四六時中付け回すほど、僕は暇ではないんでね。これでも一応色々と多忙な身です』
ロットバルトは言葉を遮って、さも“心外だなあ”とでも言いたげに薄い唇を尖らせた。
『あなたならやりかねないわ……』
エリザベスは負けずにやり返した。
ネロとマルコが不思議そうに二人の様子を見て
『あの〜奥方様、この方とお知り合いなんですか?』
マルコが訪ねる。
『あ、ええまあ……彼はロットバルト伯爵。ガーネット王国からきた留学生よ』
『え、留学生が農園──?』
弟のマルコが驚く。
『留学生でこの国で薬草農園なんて所有できるのですか?』
ネロも驚いて矢継ぎ早に尋ねる。
『う~ん、普通そう思うよね〜僕は大学で錬金術師の講師もしていて、学生たちに薬学も教えてるんだ。実はこの国にきた理由の一つに、珍しい薬草があるのを知って、実験と研究を兼ねて農園を王室から借りてるんだ。』
『へえ、薬学まで学生さんに教えてるなんて凄い方なのですね〜』
『本当だよね~兄さん』
二人はにこにこ顔で、ロットバルトを尊敬の眼差しで見つめる。
──ちょっと、ネロとマルコったら!
ロットバルトに丸め込まれないでちょうだいよ!
こいつは悪魔なんだから!
エリザベスは人の良い兄弟が心配になってきた。
ロットバルトがマルコの左肩をじっと見て──
『おや、マルコ君といったね。君は肩を強打しているみたいだな。──とても痛そうだ。農園に良い湿布薬があるから早く塗った方が良い!』
『え、よく肩を打ったってわかりましたね。実はそうなんです、最初打った時よりズキズキして痛くなってきました。でも、これくらいたいしたことないですよ』
とマルコが手で筋骨隆々の左肩を揉みだした。
『ああ、揉んではいけないよ! そうだ確か、私のマントに湿布薬が残ってた。これをあげるから、肩に貼って今直ぐに冷やしなさい』
ポケットから袋を取り出して、二つ折りになった布をマルコに渡した。
開くと円い布は、緑色の草を潰したものが附着していた。嗅ぐとハッカと臭い草の香りがする。
兄のネロがマルコの服を脱がせて、湿布剤を肩に貼ってあげた。
『あ〜、なんだかひんやりして痛みが軽くなったようです』
マルコは少し痛みがとれて嬉しそうだ。
『とりあえずの応急処置だからね、動かせるなら骨は大丈夫だろう。とにかく早く農園へ行こう』
『そうですね、先ほどよりは雨脚が弱まってきました。奥方様、お手数ですが早くマントを着て、馬車から出て今のうちに出発致しましょう』
とネロは、エリザベスに促した。
『でもネロ、この人は……』
『奥方、君の従者のマルコ君がとても苦しそうだよ』
また、ロットバルトがエリザベスの話を遮る。
『伯爵、心配してくれてありがとうございます。でも俺のことはいいんです。それより馬車の馬だとヘタれて、2人乗りできません──伯爵さまの黒馬はとても立派でいなさる。伯爵さまが奥様を乗せて先に行ってくださいませんか。俺は足があるんで馬の後を追っかけますから』
マルコが恭しくいった。
『それはお安い御用だよ』とご機嫌なロットバルト。
『ちょっとマルコ!』
エリザベスはマルコの言葉でびっくりする。
『奥方様、この状況では致し方ございません、どうかお願いします』
兄のネロまでマルコに加勢する。
『ほら、奥方殿、従者君たちのいう通りだ。いつまでも馬車の中にいても仕方がない、素直にマントを着なさい!』
『分かったわ……マルコの肩に何かあったらわたくしの責任だもの』
と、エリザベスは何かしら理由をつけて、自分に言い聞かせるようにいった。
青いフード付のマントをはおり、ロットバルトが差し出した、黒皮のグローブの手を掴んで馬車から降りる。
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外へ出てみると、馬車の左の車輪はそうとう穴に挟まっていて、左斜めに馬車も傾いていた。
エリザベスは雨具用のブーツを履いていたが、足首まであるドレスは泥を跳ねて泥濘だらけの道で滑りそうになった。
『おっと、危ない!』
すかさずロットバルトが彼女の身体を支えた。
『奥方、そのドレスだと、この道では汚れてしまうね~』
といって、エリザベスを軽々と抱きかかえる。
巷でいう“お姫様抱っこ”だ。
『ちょっと、離しなさいよ──!』
『動かないで、これが一番いい方法なのですから、いい子にしていて下さい』
とエリザベスの話も聞かずに、ロットバルトは黒馬の方までスタスタと歩いていく。
『ハデス!』と黒馬を呼ぶ。
ハデスと呼ばれた黒馬は、ロットバルトの方へ歩いてきて目の前で止まった。
『よしよしいい子だ。どうです、これが私の愛馬の“ハデス”です。とても可愛い娘でしょう』
『ヒヒヒーン!』と
とエリザベスに挨拶するかのように嘶く。
近くで見ると黒鹿毛で黒味がかった赤褐色の馬だった。
黒目だけを見ると、とても人懐こそうで可愛い。
額から鼻付近まで菱形の流星が真っ白なムーンストーンをつけてるようだ。
漆黒の鬣が雨に濡れてキラキラ輝いていた。頭が小さくが、四肢がスマートで美しく、非常に馬体が大きい。
優に550㎏以上はあるのではないか。
──まさに、おとぎ話に出てくる神話の冥府の神が騎乗しそうな黒馬だわ。
エリザベスはこんな立派な馬はみたことがない、というくらいまじまじと見つめてしまった。
『ではエリザベス奥様、私の失礼な振る舞いお許しを!』
『え、何、キャッ──!』
ロッドバルトは、お姫様抱っこをしたエリザベスを、そのまま軽々と上に持ち上げて、馬の背に荷物と同じようにどさっと彼女を乗せた。
『いやあああゃっ──!』
エリザベスはあろうことか、うつ伏せ状態で黒馬に乗っかった状態だ。
すぐさま、ロットバルトが鐙に足をかけて軽々と騎乗した。
そして、馬の背に必死に捉まっているエリザベスをくるりと回転させて、自分の前にスッと横座りさせた。
ほんのあっという間の出来事である。
『あ〜あなたね〜、なんて乱暴な……』
とエリザベスが顔を真赤にして怒るが、ロットバルトが遮る。
『乱暴で申し訳ない、じゃじゃ馬はこうでもしないとね。ほら、しっかりと私に捉まってないと泥の中に落ちますよ。さあ出発しましょう──マルコ君たち用意はいいかい?』
『『はい、大丈夫、いつでも行けます!』』
ネロとマルコの兄弟は同時に返事をした。
ロッドバルトはパカパカと馬を並足させてゆっくりと進む。
そして『ではいくぞハデス、ハッ!』
と手綱を持ち、愛馬ハデスの腹をしっかりと蹴って合図を送った。
ハデスは合図とともに、軽やかに駆けだした!
『ひぃっ……!』
エリザベスは怖くて、悲鳴をあげた。
回りの林の景色が鮮やかにどんどん跳んでいく──。
降りしきっていた雨も徐々に小雨となっていたが、走るスピードにフードで隠した顔にも、雨粒がぴしゃぴしゃとあたる。
エリザベスとロットバルトを乗せた黒馬のハデスは、もっと速く走りたいが、ロットバルトの手綱がそうはさせない。
後に続く馬車馬に騎乗した、ネロとその横を走るマルコに歩調を合わせているからだ。
雨は、小雨になってきたが依然として霧が深い。
『エリザベス嬢、僕にしっかりとつかまってくださいよ、ハッ!』
ロッドバルトは、紫の瞳を輝かせながら笑顔でいう。
いつしか、エリザベスのウエストを支える手に力が入った。
『!?』
エリザベスはびくっと身体を固くした。
『ちょっと、余りベタベタしないで頂戴!』
『はいはい、振りおとされないように、貴方は僕に体を預けないと危ないよ』
と、ロットバルトは少し意地悪く緩めようとしたが、
『あ、危ないじゃないの、もっとしっかりと支えなさい!』
『ははは、お姫様はとんと我儘だな!』
エリザベスは顔をあげてロットバルトを睨み付けるが、ロットバルトはとても朗らかに笑う。
まるで今までみたことのない少年のような笑顔だ。
その笑顔が爽やか過ぎて、エリザベスは自分でも思いがけないほどドキンドキンと心音が上がっていった。




