58. 七色の瞳のグレース
2025/5/4 修正済
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ローズ公爵家の豪奢なクリスタル・シャンデリアが煌めく大広間。
今宵の晩餐会はまだ続いていた──。
天井からホールを見下ろす。
大勢の紳士が黒やグレーのタキシードが花に触れる虫だとすると、淑女の色とりどりのドレスが、無数の花びらのようにクルクルと輪舞する。
──まさに華やかな花のワルツである──。
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エリザベスと男装の麗人グレース・ローズ夫人は4度目のワルツを踊っていた。
『ローズ公爵夫人はとってもリードがお上手ですね、いつも男性側なんですの?』
『そうね、その時の気分で半々かしら。殿方にリードされるのもいいけど、たまには綺麗な淑女たちと踊りたくなるのよね〜!』
ローズ夫人は自分をボオっと呆けて、熱い視線を送る令嬢たちにウィンクをした。
『キャーッ!』と凄い歓声があがる。
『ふふ、ローズ夫人、貴方様は若いレディにも人気ありそうですね、わたくしとばかり踊ってると彼女たちに妬まれそうですわ』
と、エリザベスはテーブルについている、若い令嬢たちの熱い羨望の眼差しを、痛いくらい感じていた。
『そうね、あなたを悪女にしたくないわ。そろそろこの1曲で終わりにしましょうか。それよりもルービンシュタイン公爵夫人?』
『はい?』
『私、ずっとあなたにお会いしたかったの、よろしかったら私とお友達になってくれない?』
ローズ夫人のはしばみ色の瞳がブルーに煌めいて見えた。
『あ……ええ、勿論わたくしで良ければ喜んで……』
エリザベスはローズ夫人の瞳が先ほどの、オレンジからブルーに変化したのに気付いた。
『まあ、ありがとう! これからは私のことをグレースって呼んでね。あなたのこともリズって呼びたいから……』
ローズ夫人のはしばみ色の瞳が、今度は黄金色に煌めく。
『は、はい、グレース様』
──まあ、この方の瞳は何なのかしら?
光の加減でオレンジやブルー、金色と目まぐるしく変化するわ、ちょっと珍しいかも!
王都に七色の瞳の貴婦人がいるって噂は、この方なのかしら?
エリザベスは驚きで、睫毛をパチパチはためかせた。
『リズ“様”はなしよ、グレースって呼び捨てでいいわ』
『でも失礼ですが、年上の方に呼び捨てはちょっと……』
エリザベスはローズ夫人の年齢は知らない。
──確か彼女のご主人のゲーリー・ローズ公爵は大分年齢が高かったはず。
ちなみにローズ公爵家は、ルービンシュタイン公爵家と双璧をなす名家だ。
領地には、あのクリソプレーズの宝石ともいわれている電気石鉱山がある。
王家が所有する鉱山とはいえ、ローズ家の管理料は毎年莫大なはず。
エリザベスは実家にいた頃、王妃教育の一環として、王国の全ての高位貴族の名簿を図書館から借りて、当時1人1人のプロフィールを記憶していた。
エリザベスの疑問を見透かしたかのように
『あら、私はまだ26歳よ。あなたと大して変わらないわよ』
『ええ! 失礼ですが、ゲーリー公爵は50代後半でしたよね?』
思わず、年齢を言ってしまうエリザベス。
『……そう、父親以上も年は離れているわね……』
ローズ公爵夫人は少し顔を曇らせた。
『あ、わたくしったら⋯⋯失礼なこといって申し訳ありません!』
──馬鹿、どうしてわたくしって思った事をストレートに言ってしまうのかしら。
『ふふ、いいのよ。それよりグレースって呼んでほしいの。その方がお友達っぽくていいわ』
『……わかりましたわ、それではグレース』
エリザベスはローズ夫人が微笑んでくれてホッとした。
──何故か、この御方は初対面なのに、不思議と自分が磁石のように引き寄せられる。
エリザベスにとっては珍しい感覚だった。
ちょうど有名なワルツの曲が終わった。
『ありがとうレディ! 楽しかった、リズはダンスをとっても軽やかに踊るわね』
『こちらこそ、ありがとうございます。グレースのリードに助けられただけですわ。わたくしもとても楽しかったです』
エリザベスは、再度、膝を折まげてカーテシーをした。
彼女に改めて敬礼を表したかった。
『ああ、汗をかいてしまった、何か飲み物を取ってこよう、リズは何がいい?』
額の汗を手で拭うグレースの瞳は緑色に煌めいた。
『あ⋯⋯はい、林檎酒をお願いします』
──おお、今度は緑だわ、これで4色、あと3色ね。
エリザベスはにっこりとリズ・スマイルをした。
こうしてエリザベスとグレースとの友情は成立した。
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グレース・ローズ公爵夫人。
26歳。金褐色の髪にはしばみ色の瞳だが、時折七色に変化する。
鼻筋がスッと通っていて薄い唇。
豊満な色気というより、中性的な魅力のある貴婦人で男装姿が良く似合う。
背丈は女性にしては高くスレンダーで、クール系の美女だ。
ちなみに、エリザベスも背は高いがグレースは更に高い。
エリザベスが大輪の赤い薔薇なら、グレースは白の胡蝶蘭のような華やかさだ。
性格はいたってさっぱりとして、高位貴族特有の矜持がない。
彼女の経営するオートクチュール(高級衣装店)本店の他に、既製服のプレタポルテを王都に出店したのも
『ファッションは貴族だろうが、平民だろうが女性はお洒落を楽しみもの』というコンセプトで企画したらしい。
だが一部の高位貴族、特に高齢の貴婦人たちには、余り良い顔をしていないらしいが。
それでもグレースはローズ公爵の正妻である。
夫のゲーリー公が、妻の事業にまったく口を挟まないでいるのだから、おいそれとは非難はできない。
この時代──まだまだ女性が、特に貴婦人が職をもつというのは珍しくもあり“家名の恥”と噂する老害もいた。
ほとんどの貴婦人たちは、夫が領地経営で生活できるので裕福な暮らしの為、社交界での人脈活動か、せいぜい慈善事業に参加するくらいだからだ。
エリザベスが王国一の偉い女性、すなわち王妃を夢見ていたとすると、グレースの夢は女だてらに事業経営者になることだった。
“受け身だけの淑女にはなりたくない!”という、2人がシンパシーを感じたのは、偶然ではなく必然だったのであろう。




