54. エドワードとエリザベス(1)
2025/5/3 修正済
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公爵領本邸内
エドワードの執務室にはサマンサが立っていた。
『旦那様、どうか奥様ともう一度お話してみて頂きませんでしょうか』
サマンサが口を開いた。
『エリザベスはそんなに具合が悪いのか?』
『はい、この頃は酷い時は食事もせずに一日ベッドの中でぼおっとしています』
エリザベスは娘のケガ以来、あれほど毎日乗ってい馬にも乗らなくなった。
食もずいぶんと細くなり食べない日もあった。
『わかった、食堂テラスにもほとんど来なくなったしな、エリザベスが比較的穏やかな時間はあるかい?』
『左様でございますね、暖かい陽だまりの良い午後には、バルコニーへ出て景色を眺めてる時は、お心が穏やかなようです』
『わかった、今日は無理だが、明日のティータイムに行くとしよう』
『どうかよろしくお願い致します』
深々と一礼をしてサマンサは出ていく。
エドワードは金髪の前髪をかきあげた後で、煙草をストローのように口にくわえながら、マッチに火をつけて吸った。
『最近は心配事が増えて、寝酒と煙草の量も増えましたね』
と、執事のアレクに何度か注意は受けていても、一向に治らない。
──本当にエリザベスには弱ったものだ。一体なぜこうなった?
これまでもエドワードは、エリザベスの体調に気遣いながらも、なんとか娘のリリアンヌとエリザベスを会わせようと対策を試みたが、エリザベスは逃げるようにしてリリアンヌを避けた。
最近は、夫の私にすら顔を見せようとはしない。
前にもエリザベスが腰が痛いというので、落馬した後遺症かと思い、再び主治医に診せたがどこも悪いところはないと診断された。
主治医がいうには、事故にあった心因的なものが、エリザベスには痛いと感じるのではないか? と言われた。
心因的なものとはいっても⋯⋯。
こう何か月もだと、エリザベス悶々としすぎだった。
このままでは流石に不味いと、サマンサがエドワードに懇願してきたのだ。
エドワードもリリアンヌの退院以後は、領地の仕事に忙殺されていたが、エリザベスの様子がおかしいのは内心危惧していた。
そのうち時間が解決してくれると思っていたが、さすがに長すぎる。
──なんとかしなければ。
エドワードは灰皿に煙草の吸殻を、ギュッと潰して消した。
※ ※
翌日の晴れた午後、エドワードはサマンサと打ち合わせ通りに、妻の部屋にいくとエリザベスはベランダに出て、外の景色をぼおっと眺めていた。
『エリザベスどうだ、いい香りがするけど何を飲んでいるんだい?』
エドワードはエリザベスの傍につき彼女の肩にそっと手を当てた。
『あ、旦那様……今日は林檎茶ですわ。林檎の香りが好きで最近は良く飲んでます』
うつろな眼をしたエリザベスだったが、エドワードを見て少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
──良かった、今日は機嫌がよさそうだ。
エドワードがエリザベスの隣の席に座る。彼女を繁々と見つめた。
『随分と痩せたな、冬はあんなにふくよかだったのに、これ以上のダイエットはやめないと身体を悪くするぞ』
『ああ、そうでしたわね。わたくしったら、懸命にダイエットに精をだしていた時期もありましたわ。──ふふ、なんだか遠い昔のよう。今はただ食欲がないだけです』
苦笑いするエリザベス。
『やれやれ、大食いしたり食べなかったり…君って人は本当に極端すぎるよ』
エドワードちょっとからかうように明るくいった。
それでもエリザベスは元気なく頬杖をついて、ぼおっとした表情で外の景色を眺めている。
『さっきから何を見てるんだい?』
『え、別に……ただなんとなくクィーンズ市街を見てるだけですの』
クィーンズ市は丘陵地帯の農村とは逆方向にあり、色とりどりの屋根の家々や教会が遠くに見える。
人口は少ないがとても治安が良く、住んでいる人々も素朴で温かくて良い街だ。
『そういえば、最近市街にも行かないな、友達のご婦人と行ってきたらいいのに』
『ええ、お友達は夏のサマーパーティーが過ぎて、全員王都に戻っていってしまったわ。これからはまた人が減りますわね』
寂しそうにエリザベスが言う。
エリザベスは、今年のサマーフェスティバルも『具合が悪い』といって参加はしなかった。
エリザベスと仲の良い夫人も、ロバート王子と妹のマーガレット王太子妃も、パーティーに来なかった彼女を心配していた。
『今度の日曜、リリーと3人で街に出ないか?たまには外で食事やショッピングでもしよう』
『…………』
エリザベスは返事はしない。
『君はリリーと、どうしても会いたくないのかい?』
『…………』
『エリザベス、こっちを向きなさい!』
エドワードはエリザベスの体を自分に引き寄せた。
ビクッとなるエリザベス──。
『エリザベス聞いてくれ。リリーも退院してとても元気に歩けるようになった、この前紹介した新しく雇ったメイドで、アンナという少女も雇い入れた。ミナの姪だがリリーをとてもかわいがっている。──君もそろそろリリーの部屋にいってお願いだから会ってくれよ、頼む!』
とエドワードは苦しい表情で、エリザベスを抱きしめた。
『……ごめんなさい旦那様、わたくし、リリーの顔がどうしても見れないのです』
エドワードがエリザベスを見つめる。
青褪めたエリザベスの表情は硬い。
長い睫毛を伏せて、エドワードをみようとはしない。
『なぜだ? 何度もいったが、あの事故は君のせいではないよ、馬が驚いたのは小火のせいだったんだから……あれは不可抗力だったんだ!』
──そう、実際、エリザベスは何の責任もないのだ。
気難しいルイスメイヤーに乗ったのは、浅はかだったとはいえ、それが直接事故の原因ではない。
エドワードはしゃかりきになって、エリザベスを励ました。
『旦那様、ありがとう……でも無理ですの……』
『エリザベス⋯⋯』
エドワードからゆっくりと体を離すエリザベス。
『わたくしね、恐いの……あれ以来、あの日の馬と乳母車とリリーの夢をよく見るの……周りは、真っ赤な炎が燃え広がってて……その中で乳母車が飛んでいて中でリリーがずっ~と泣いてるの……』
『それは……夢だよ』
苦々しくいうエドワード。
『聞いて、夢の続きがあるのよ、わたくしもなぜか空を飛んでいて、乳母車の中を除くとリリーが大きな声で泣いているの──わたくしがリリーを抱き上げてあやそうとするとね…リリーの片ほうの足が…ぽきっと折れてしまうの!』
『もういい、エリザベス止めてくれ!』
エドワードは、怖い夢の話を聞きたくなくて、エリザベスの話を遮ってしまった。




