53. リリアンヌの退院と錬金調理器具
2025/5/3 追加修正済
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セルリアン公爵領クィーンズ地区。
9月になりリリアンヌも無事に、王都の病院から退院した。
久しぶりに公爵領本邸に明るさが戻ってきた。
エドワードが幌馬車から降りて、リリアンヌを直接抱きかかえて本邸内のエントランスに入る。
『ほら、リリー、お家に帰ってきたぞ!』
『ウキャ、ウキャッ、かえて⋯⋯!』
リリアンヌは片言で、エドワードの言葉を真似した。
彼女はお気に入りのピンク兎の帽子と同系色のベビー服を着ていた。とても愛らしい。
よく見ると、フリルのついた白の涎掛けが少し汚れている。
リリアンヌの母親譲りの、エメラルドの大きな瞳が宝石のように煌めいていた。
リリアンヌは、小さくてぽっちゃりだった赤ちゃん体型から、手足が伸びて幼児らしくなった。
家令たちは以前よりも、リリアンヌが一回り大きくなって、戻ってきた姿を見て喜びの声をあげた。
『おかえりなさいまし、リリアンヌ様!』
『リリアンヌ様、お帰りなさい』
『リリアンヌ様、とてもお健やかに大きくなられた!』
『リリアンヌ様、おしゃべりしてる、とっても可愛らしい!』
本邸内の執事のアレクやサマンサ、他に主な家令たち一同勢揃いして、口々に退院のお祝いを伝えた。
後方に、乳母のミナと新しく雇った姪のおさげ髪の少女アンナが、リリアンヌを眩しそうに見つめていた。
アンナは姉妹がいないので、とっても妹が欲しかったのだ。
『ミナ叔母様、リリアンヌ様は本当に、緑の瞳の赤ちゃんなのね。私、生まれて初めてみたわ。なんて綺麗な赤ちゃんなんでしょう!』
『そうでしょうとも、リリアンヌ様みたいな御子は、王都中探したってどこにもいないわ。──良かった! もうすっかりお元気になられた⋯⋯うっ、本当に良かった!』
ミナの顔は涙と笑顔でくしゃくしゃになった。
ふとリリアンヌがミナに向けて、にこにこ笑っているのに気が付いた。
──ああ、私のこと覚えてくださってるみたい。
ミナは半年近く逢えなかったリリアンヌが、更に愛らしくなって帰ってきたから、感極まっていた。
リリアンヌの一番の大きな変化は食事だった。
屋敷にいた頃は母乳だったが、入院中は完全に離乳食に切り替わっていたのだ。
すでに7月でリリアンヌも1歳となり、入院中はお乳を欲しがらなくなった。
いわゆる卒乳である。
そうなると次は離乳食となっていく。
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エドワードは1階の厨房に行き、料理長に病院の看護婦長から渡された離乳食のレシピを渡した。
『おお、これはこれは、素晴らしい!』
屋敷の料理長は渡されたレシピを見ながら驚愕した。
さすがは王都の病院である。
たかが離乳食といえども、バラエティ豊かで、野菜のピューレや果物のコンポート、小麦の薄い粥上のものや、骨形成の為にヨーグルトやチーズも与えていた。
けっこう大人が食べても美味しそうである。
エドワードも厨房で、リリアンヌの離乳食作りがしやすいようにと、王都の病院で使用していたミキサーという、野菜や果物を粉砕と攪拌する調理器具を、購入して試させた。
『エドワード様、これはとても便利ですね、離乳食どころか、エドワード様のお好きな南瓜のポタージュも簡単に作れますよ』
と料理長のサムが、南瓜を茹でて切ったものを、ミキサーにかけて喜んでいた。
『そうだろう、これなら簡単に野菜や果物が細かく切れる、とても便利な調理器具なんだ』
エドワードも自信満々に言った!
『はい、さすがガーネット製の電気石製品ですな。我が国にない物ばかり作るから、料理人には大助かりですよ!』
と感心する料理長。
『まあ、確かにガーネットの技術は凄いけど、母国の電気石があってのモノだからな』
『本当ですな、王国同士持ちつ持たれつということですな、ガッハハ!』
と大柄で見事な筋肉質のサムは豪快に笑った。
サムは既に40代、エドワードが少年の頃から従事してる料理人だ。
元は公爵領の護衛騎士団の1人だったが、訓練として遠征先の野宿で、サムが作った料理がとても上手いと団員たちから褒められた。
そのまま騎士仲間に勧められて、公爵邸の厨房に見習いで入った。
あれから十数年。
今では押しも押さぬ料理長だ。
仕事は丁寧、料理の段取りの指示も的確で料理人からの人望も厚い。
エドワードはサムの作る料理が大好きだった。
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ガーネット製の電気石製品とは、隣国のガーネット王国が創る家電石で創った製品を指している。
十数年前から王都などで、普及し始めてとても使い勝手がよく便利な家庭用製品だ。
電気石の製品は、他にも冷蔵庫やコンロなどもあり、クリソプレーズの貴族や裕福な平民の家でも人気が高い。
ただ高額の他に予約注文しても、半年以上は待たないと出来ない。
なかなか製品を購入する家は貴族でも少ない。
電気石はクリソプレーズの鉱山でしか採れない貴重なもので、王族が管理している王立の鉱山である。
原材料の石をガーネット王国がクリソプレーズ王国から仕入れて、調理器具等の製品を製造して各大陸へと輸出する。
クリソプレーズ王国は資源輸出してる恩恵で、他の国よりも最優先でガーネット製品を、安価で購入できるという仕組みが成立している。
こうして隣国のガーネット王国は、クリソプレーズ王国とは貿易でも大切な友好国であった。
同盟を結んだ以上は王族同士の姻戚もあり、国王ライナスの側室の1人は、ガーネット王国の王女である。
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元々、資源に乏しいガーネット王国。
小国だが、昔から錬金術師を多く輩出していた。
国家が錬金術の職人の王立学園を創立するなど国をあげて力を入れているのだ。
今では錬金術の資格を持つ者を、各国に派遣している。
クリソプレーズ王立大学にも、錬金術の学部を設立してガーネット王国から講師を招き、日夜製品開発に励んでいる。
しかし我が国の場合、大学に行く者は圧倒的に平民が多い。
殆どの貴族は高等学院を卒業して家督を継ぐか、継げない者は本家から分家になって領地を分けてもらうか、より爵位の高い貴族に従事するからだ。
大学に進む貴族令息は変わり種と言われる。
だが、国立大学は専門職を学ぶ場という立ち位置で、卒業すると学者や職人、商人、占い師や錬金術師と専門分野で手に職をつけられる。
所領を持たない下位貴族や庶子などは、大学に進む者もいた。
王国としても、いつまでもガーネットの製品に頼らずに、自国の職人が腕を磨いてより良い製品開発に力を入れたいと、錬金術の学部を創設したのだが、まだまだガーネット王国の製品の性能面に於いては叶わなかった。
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ホームハウスに戻ったリリアンヌは、歩行には困らず壁に捉まりながら、よちよち歩きもできるようになった。
右足は若干引いてはいたものの、本人はとてもにこにこ顔で、足の悪さなど微塵も感じさせない、元気な幼児だった。
今ではミナも明るくなって、夫のドナルドもエドワードも一安心だった。
授乳の役目は終えても、ミナは引き続きアンナと共にリリアンヌの専属メイドを続けた。
こうして公爵領邸の皆が、リリアンヌの退院を喜んでいた時、1人だけリリアンヌを出迎えにこなかった人物がいた。
母親のエリザベスだ。
相変わらず、部屋から引き篭もり状態は続いていた。
行き来するのは殆どサマンサだけだ。
リリアンヌの足の怪我に一番ショックを受けているのは、他ならぬエリザベスだったことはエドワードも承知していた。
それでもエドワードは、退院したリリアンヌを妻に会わせようとしたが、エリザベスは頑なに拒否をした。
エドワードは困り果てた。
エリザベスの対応に首を傾げる屋敷の従者たち。
──奥様はなぜ頑なに、リリアンヌ様を避けるのだろうか?
本邸で従事する人々は、リリアンヌの足の件だとは薄々は感じていたものの、娘と会おうとさえしないエリザベスの見解など、理解できるものは誰一人いなかった。




