52. エリザベスの手記
2025/10/27 修正済
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「エリザベス⋯⋯リリーの片足は完全には、治らないかもしれない」
そう旦那様は仰った──。
あの恐ろしいボヤ騒ぎの夜、リリーの足のことを伝えられた日から、わたくしはなかなか眠れない。
あの日からエリザベスは眠れぬ辛い夜が続いていた。
睡眠に良いとされる薬を飲んでも駄目だった。
体が眠気を誘っても、心の中が何やら誰かに追い立てられるようで、幾度となく目覚めてしまう。
エリザベスは起き上がって、机上のランプの灯りをつけた。
寝間着のままで、自分の心を整理したくて思わずペンを取った。
※ ※
まずエリザベスは、あの日の状況と屋敷の住人たちについてペンを走らせた。
自分の犯した過ちにどうしても、彼らに謝りたかったのだ。
納屋の小火騒ぎから、ルイスメイヤーが暴走して左前脚を骨折してそのまま抹殺されたと聞かされた時、わたくしは罪悪感でいっぱいになった──。
ごめんね、ルイス。
痛かったでしょう⋯⋯。
わたくしが無理に騎乗しなければ、死なないで済んだのに。
あの馬、すごくわたくしになついてくれて可愛かった。
愚かな賭けなんてするんじゃなかった
もっと走り回りたかったよね。
本当にごめんねルイス。
どうか安らかに⋯⋯
※
あれ以来、わたくしの頭の中は走馬灯のように、リリーの乳母車と接触した出来事が、何度も思い起こされてゾッと身震いしてしまう。
旦那様が帰宅した時、わたくしがミナにきつく当たったのも、自分の愚かな行為を正当化しようとしたに過ぎない。
あの時とっさに、リリーの怪我はわたくしのせいではない、と旦那様に思って欲しくてミナを責めたんだわ。
ああ、ミナ、ごめんなさい──。
あんなに泣かせてしまった、とても傷つけてしまったわ。
ミナも捻挫した後、家族の元でゆっくり過ごしてるとサマンサから聞いた。
良かった。
あの子もリリーのために、必死で体を張ってくれたのに⋯⋯。
そして厩務員のキース、あなたもよ。
あの日、わたくしのかすり傷をたいそう驚いて、何度も何度も頭を下げたわね
憔悴しきったキースは、責任を感じて屋敷から退くつもりだったと後で知った。
旦那様が子供の頃から従事していた大切な家令だという。
ああキース、ごめんなさい!
あなたのせいじゃないわ。
わたくしが銀貨の賭けなんて、馬鹿げたことをしたからよ。
旦那様がキースを止めてくれて、ようやく屋敷に止どまると聞いてほっとしたわ。
サマンサもわたくしの、頬のかすり傷をひどく心配していた。
サマンサはいつだってわたくしを守ってくれる。
わたくしのもう一人の母親。
執事のアレクは『腰の状態はいかがですか』と、食事時には時おり労わりの言葉をかけてくれる。
ほとんどしゃべったことがないからよく知らないけど、けっして悪い人ではないわ。
だって、あれほど旦那様に信頼されてる執事なんだしわたくしにもとても腰が低い。
※
最後に旦那様。
旦那様は、リリーを王都へ連れて行くために、幌馬車まで新調したと聞いたわ。
『何としてでもリリーを王都へ連れて行って足を治してくる!』
貴方はわたくしに誓ってくれた。
ああ、旦那様は、わたくしにはとても勿体ない方よ。
我儘なわたくしをちっとも責めない。
本当に優しい方よ。
そうよ、リリーが怪我をしたのは事故であって、わたくしのせいではない。
それはわかってる、わかってるのに──。
なんだろう?このモヤモヤする思いは……。
あの日のこと、どうしても考えてしまうの!
もしもあの日、荒馬のルイスメイヤーに騎乗しなければ?
もしもわたくしが手綱を上手に右に曲げていたら?
それより最初から、従順な馬のオルフェに騎乗してたら?
リリーとぶつからずに済んだかもしれない。
ああ、自分のした浅はかな行為が自分で怖くなる。
幼いリリーの足が折れてたなんて!
ましてや足を引きずるなんて!
動かなくなるなんて!
嫌だ、絶対に嫌!考えるだけで嫌──!
わたくしの娘は完璧であって欲しいのよ。
旦那様に似た濃い金髪で、わたくしと同じ緑の瞳ならば、未来のデビュタントにお披露目したら暁には、誰もが羨むレディになるのは間違いないのに。
なのに、なのに足が動かなければ、カーテシーすらできなくなる。
初めてのダンスは上手に踊れるの?
もし転んだら、きっと他の意地悪な令嬢たちに嘲笑されるに決まってる。
カーテシーもダンスもできないリリーは、茶会やパーティーを嫌いになっちゃうかしら?
そう、妹のマーガレットがそうだった。
あの子は病弱でほとんど家にこもりっきりだった。
わたくしは正直、あの子が不憫だったけど、わたくしよりもお母様に可愛がられてたからあの子を妬んだわ。
本当はわたくしだって、あの子の側で色々と助けてあげたかったのに……
ああ、わたくしはいつだって愚かで後悔ばかりだわ。
ルイス、リリー許して──。
結婚して母親になってもわたくしはわたくしなのよ。
自分ではどうにもできない。
※
ここ迄書いて、エリザベスはペンを置いた。
窓際に行き月に向かって跪いた。
『どうか緑の女神様、リリーの足をお治してくださいませ。
さすれば、わたくしはリリーを笑顔で迎えて母親らしく心を改めます。
思いきりギュッと抱きしめてキスをしてあげまする!
たとえ、旦那様がわたくしよりもリリーを可愛がろうとも、嫉妬などしない、わたくしもきっとリリーを愛せるわ。
だからどうかリリーを治してくださいませ!
どうかお願いいたします!
そうでないとわたくしは、このままでは一生、リリーの顔をまともに見れない!
その夜、エリザベスは緑の女神にひたすら祈りを捧げ続けた──。
※ エリザベスは事故の後遺症で病んでしまっています。




