50. キースの後悔とミナの涙
2025/5/3 修正済
※ ※ ※
その後、納屋の火事は従事者たちの連携と自助努力で消し止められた。
従者の中で怪我人も何人か出たが、手足に少々の火傷と打ち身くらいですんだ。
厩舎と馬は無事で、納屋も火事で爆発したにしては、内壁と天井の壁が黒く焦げ付いたくらいで、思ったより被害は少なかった。
入口付近にあった干草や枯葉や藁はほぼ全焼だが、奥の食糧倉庫や農業用の肥料などは無事で大事に至らなかった。
爆発の原因は、どうやら枯葉や藁が何かの理由で燃え始めて、傍にあった灯油缶と石油コンロが引火して爆発したらしい。
焼け焦げたコンロの残骸と、燃えかすの藁等が真っ黒い床に散らばっていた。
5月といえども、早朝と晩はまだまだ冷え込むので、従者たちが厩舎と納屋の廊下などで、石油コンロを使用しているのだ。
だが、なぜ納屋の枯葉に火がついたのかは不明だった。
火事の後、公爵本邸の住人たちは一日中、馬の暴走で怪我人の手当てや、火事の後始末をしたりと右往左往していた。
※ ※
夕暮れ近くに、ようやくエドワードが護衛騎士たちと一緒に領地の視察から帰宅した。
直ちに納屋の火事と事故の経緯を、従者たちから聞いたエドワード。
現場の納屋にも立ち寄って一つ一つの詳細を確認した。
兎にも角にも怪我人は出たが、少々の火傷で済み命に別条はなかったこと、厩舎の馬たちが無事だったことにエドワードはひとまずは安堵した。
ただ、暴れたルイスメイヤーだけが、暴走後に庭園の垣根に衝突して、前足を骨折したことに心を痛めた。
馬は相当重症のようだ。
エドワードは納屋の火事を消し止めたり、夜遅くまで働いてくれた従者たちの労をねぎらった。
今晩は遅いので、火事の原因は明日の朝に検証となった。
医者は帰った後だったが、妻と娘の命に別条がないと伝えられていたので不幸中の幸いであった。
エドワードはすぐに2人の部屋へ向かおうとした矢先、キースに呼び止められた。
※ ※
苦渋な顔をした厩舎責任者のキースとエドワード。
『そうかルイスは足の骨が折れたか……』
『へえ、相当痛いようでずっと苦しそうに唸ってますだ』
『……仕方がない、可哀そうだが始末するしかないな』
哀しそうに顔を曇らせるエドワード。
『へぇ、かしこまりましただ……あと旦那様、わしをどうかクビにしてくだせえ⋯…』
キースが打ちひしがれた声で、帽子をとって神妙な顔をしている。
『…………何故だ?』
『へえ、リリアンヌ嬢様と奥様にケガさしたんは、全てワシの管理責任ですで……ほんに申し訳ねえ……』
キースはいつもの陽気さはすっかりと影を潜めて、小さく絞りだすような声でいった。
エドワードは暫し考え中だったが、キースの肩に触れた。
『キース、事情は執事から聞いたよ。お前の責任は問わん。火の不始末の原因は明日ゆっくり調べよう──とにかく今日は疲れたろうから休んでくれ……』
『……………』
『もう遅い、早く帰らないと家族が心配しているぞ』
キースの肩をぽんぽんと叩いて微笑むエドワード。
『へぇ、すんませんでした、エディ坊っちゃん』
一礼をしてトボトボと背筋を丸めて辛そうに出ていくキース。
キースは地元から通いの従者であり、エドワードの子供時分から仕えていた。
エドワードはキースから乗馬を習ったり、その他にも父が多忙で淋しい時に色々と面倒をみてくれたのだ。
いってみればエドワードにはキースは祖父代わり、家族のように大切な従者だった。
キースと入れ替わりに執事のアレクが入ってくる。
『旦那様…………』
『ああ、アレク、どうした。リリーとエリザベスはその後、大丈夫なのか』
『はい……主治医は旦那様の帰宅を待っていましたが、急患が入ったらしく旦那様とは行き違いでお帰りになりました。奥様は少し腰を打ちましたが大事ないそうです。リリアンヌ様は頭にコブはありますが、命に別条はないといわれました』
エドワードは安心したのか、大きく息を吐いた。
『そうか……ご苦労。とりあえずは良かったよ⋯⋯』
『ただ…………』
『……ただ?』
『主治医がいうには、リリアンヌ様の右足の腫れ具合からして骨が折れてるようだと……』
アレクは言いづらそうに伝えた。
『え、骨が……?』
『はい……一応応急処置で添え木はしてますが、何分にも赤子なので主治医がいうには、王都の専門の小児病院で診てもらった方がいいとおっしゃってました』
アレクの言葉を聞いて、エドワードの顔がみるみる青ざめた──。
※ ※
リリアンヌの子供部屋内。
エリザベスとミナ、そしてサマンサがリリアンヌのベビーベッドの傍にいる。
ミナの片手には包帯が巻かれていた。
転倒した時に手首を捻挫をしたのだ。
ベッドには、頭と右足に包帯をぐるぐるに巻かれているリリアンヌがすやすやと寝ている。
『乳母車で外へ出るなんてもっての外よ!』
エリザベスが大きな声でミナを叱った。
エリザベスの頬にも小さな絆創膏が貼られている。
馬から落馬した時に擦りむいたのだろうか。
『……まことに申し訳ありません……奥様……』
『あのくらいで済んだから良かったものの……もしリリーに何かあったら、あなたはどう責任取ったの!』
『う、うう申し訳……ひっく⋯⋯』
ミナはいたたまれずに泣き出してしまう。
『奥様、どうかお気をお鎮めになってください。散歩するように指示したのは私です。お咎めは私にしてください、本当に申し訳ありません……』
傍にいたサマンサがエリザベスに項垂れて謝った。
『いいえ! サマンサ様のせいではありませんわ。私が悪かったんです。乳母車を離してしまった私が悪いのです』
ミナがサマンサを庇う。
エリザベスはサマンサに向かって睨みつけた。
『サマンサ、お前は見てなかったから……わたくし馬に乗ってから⋯⋯本当に心臓が止まりそうだったのよ! あのまま衝突したらもうダメかと…………』
『すみません、本当に申し訳ありません……奥様……』
ミナは目を真っ赤にはらして泣きながら、頭を下げっぱなしである。
『エリザベス、もう止さないか!』
きつい口調でエドワードが部屋に入ってきた。
『旦那様!!』
エリザベスはとても嬉しそうに走っていき、エドワードの胸に飛び込む。
『お帰りなさいませ~』
エドワードは一瞬ためらったが
『ああ、エリザベス、ミナには責任はない。小火騒ぎで馬が驚いて突進してしまっただけだ! それにミナはとっさに乳母車を止めようとして転んだと聞いたぞ、ミナ、大丈夫か?』
『ううっ⋯⋯旦那様…申し訳ありません……』
エリザベスもはっと顔をあげた。
『そうねミナ、忘れてたわ! 確かにお前はリリーを庇おうとしてたわね。キツい言い方して悪かったわ──けれども旦那様、わたくし本当に驚いたのよ! もう⋯⋯心臓が止まるかと思いましたもの!』
エリザベスは上目づかいで、エドワードの顔を覗き込んだ。
『……君も落馬したんだって、怪我はなかったのか?』
『ええ、見てくださいまし……』
左頬のばんそうこうを指さす。
エリザベスの頬をそっと触るエドワード。
『ああ⋯⋯大変だったな、傷が残らないといいが。腰は平気か?』
『ええ、大丈夫ですわ。ちょっと痛いけど……看護婦がそれほど大事ないだろうと、湿布を貼ってくれましたわ』
『そうか、ミナも手を捻挫して痛いだろう、当分はリリーの面倒はいい、とりあえず代わりのメイドをあてがおう。ミナは指導と補助に回ってくれ。サマンサも手伝ってあげて欲しい』
『かしこましました、旦那様』
『はい、旦那様……ありがとうございます。本当に申し訳ありませんでした』
ミナはまだ泣きじゃくっていて、サマンサが寄り添っている。
『もう疲れたろう。2人共下がっていいぞ……』
ミナとサマンサは一礼をして項垂れながら出ていく。
※ ※
その間、しっかりとエドワードに抱きついているエリザベス。久しぶりに抱擁してもらって、とても満足そうだ。
『一週間ぶりですのね、とても淋しかったわ……』
『ああ、帰宅そうそうびっくりしたよ……』
エドワードはふぅっと大きく溜息をついた。
『ねえ……?』
『ん……?』
『あん、お帰りのキスをしてくださらないの……』
『あ、ああ……』
エドワードは気が回らなかったようで、エリザベスに口づけをする。
満足そうに頬を染めたエリザベス。
だが──。
──何かしら? 旦那様の様子がおかしい。
エリザベスは、エドワードの表情が曇って見えた。
『旦那様、浮かないお顔……どうなさいました?』
『──リリーが』
『……リリーがどうかして?』
エドワードはベッドの傍へ行き、眠っているリリーを見つめて、その頬を優しく撫でた。
赤子にも安心な薬草の痛み止めを飲ませて、すやすやと寝息を立てて眠っているリリアンヌ。
だが、その小さな右足の添え木と、包帯姿はとても痛々しかった。
エドワードの顔が曇っていく。
『旦那様………?』
『エリザベス、良く聞いてくれ、リリーの足はどうやら折れているらしいんだ』
『……何ですって?』
『それで……主治医がいうには、王都の専門医に見せた方がいいだろうと。もしかしたら……後々リリーは歩行に後遺症が残るかもしれないと……』
『! そん⋯⋯な…………』
流石のエリザベスも、思わず絶句してしまった!
※ ようやく50話までこぎつけました。30話までの話が、ずい分長引いてしまいました。
ストックも底を尽きたので、今後は1日1~2本を目安に書いていくつもりです。
呼んで下さった方にはとても感謝いたします。今後共もしもお暇なときは読んでくれたらとても嬉しいです。




