41. サマンサは母親代り
※ 2025/10/13 修正済
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2階のエリザベスの部屋。
エリザベスはドアを勢いよく開けた後、ベッドに突っ伏した。
『わああ~悔しい、悔しい! 旦那様のばかあ!』と大声で泣きじゃくる。
そのまま、ベッドの枕やクッションやら、子供の時からお気に入りの、白梟のぬいぐるみまで、思い切り床にバシバシ投げつけた。
ぬいぐるみはコロコロと絨毯に転がってしまい、同体と頭が逆さまになってしまう。
この白梟のぬいぐるみはエリザベスのお気に入りだ。
彼女が子供の頃、雪の降る森林で白い梟を一目見て大好きになった。
梟は首と頭部をくるりと回転できるので、この白梟のぬいぐるみも首が回る。
誕生日に父親におねだりして、おもちゃ屋に特注して作ってもらった。
『うう、うう……ひっく……う』
エリザベスは幼児のように泣き続ける。
部屋に入室したサマンサが、梟のぬいぐるみを拾って首をくるりと元に戻してあげた。
サマンサは笑顔でエリザベスの傍に近づいた。
『奥様、大丈夫ですか…?』
『う、ううっ、サマンサ………』
鼻水と涙でぐちゃぐちゃなエリザベスの顔。
そのままエリザベスは、サマンサの胸に顔を埋めた。
『さぞや、おつらかったんですね………』
サマンサがエリザベスの背中を擦って、頬をつたう涙の雫をハンケチで拭ってあげた。
『うう、もうダメよ、わたくし、とても破廉恥なこといってしまったわ』
エリザベスはサマンサに抱きついた。
『旦那様、あきれたお顔をしていたわ……淑女として最低ね』
エリザベスが嘆くのも無理はない。
クリソプレーズ王国の貴婦人は、普段の会話でも性生活の話をするのは一切タブーとされていた。
ましてや、妻が夫に夜の営みのおねだりをするなんてもっての外だと、貴族社会では一様に教育されていた。
多分、今回の夫婦喧嘩を母親のセーラが知ったら卒倒しただろう。
だが思いのほか、サマンサはエリザベスに同調した。
『……そんなことありませんわ、妻として当然の権利を申し上げたまでです』
『え、そうかしら?』
『はい、最近は旦那様はお仕事でお忙しいのか書斎にこもりきりでした。夜もそれぞれ別でしたし、奥様が淋しくなるのも理解できます』
『そうよねサマンサ! 旦那様ったら、わたくしをなぜか避けてたわよね?』
『はい、失礼ながら少々冷たい態度かと思われました。それに奥様は公爵家に嫁いでから、戸惑いながらもご努力しておりました。この1年以上、奥様は妊娠、出産と心もお体も変化の連続で大変だったでしょう』
エリザベスはよくぞいってくれた!といわんばかりに、ぱぁっと顔が明るくなった。
『サマンサその通りよ!──わたくしお妃候補になりたくて実家ではありとあらゆる勉強したけど、肝心の妻になる教育って誰も教えてくれなかったの!』
『そうでございましょう……』
サマンサは微かに溜息をもらした。
こういっては何だが、エリザベスは小さい頃から王妃王妃と、それしか眼中にない令嬢だったとサマンサも承諾していた。
『それに聞いてサマンサ、わたくし結婚して子供が生まれると、体調も精神も変わるなんて知らなかったわ……その……旦那様に抱かれるのも、最初はびっくりの連続だったのよ!』
エリザベスはあからさまに夜の営みを話しだした。
『……ええ、そうでございましょう』
とはいいつつも内心サマンサは驚いた。エリザベスが突然、寝屋の話を自分にするとは!
おかまいなしにエリザベスは話を続ける。
『ここだけの話、旦那様に抱かれてわたくしすっごく幸せだったわ、でもあっという間に妊娠したでしょう。そしたらもうばったりアレがなくなっちゃって──だから妊娠なんか大嫌いなのよ』
『そうでございましたか……』
サマンサの表情は青褪めていく。
『なのに旦那様は娘が生まれた途端、わたしのことはそっちのけで、リリーばかり大事にして悔しいったらありゃしない、さすがに可愛い赤ちゃんには勝てっこないわよ!』
『ええ……』
サマンサは、エリザベスの話を肯定しているものの、内心は呆けていた。
赤子も奥様の大切な子供ではないか! 母親が我が子と張り合ってどうするのだと。
『ねえサマンサどう思う? 旦那様はもうわたくしを愛していらっしゃらないのかしら?』
『え、そんなことはございません。奥様もリリー様も等しく愛されてますよ!』
『だから、それじゃ嫌なのよ!リリーよりもわたくしにかまって頂きたいの!』
エリザベスは、緑の瞳の瞳孔をギラギラと見開いた。
「奥様……」
やれやれ、母親が幼い我が娘と張り合ってどうするのか?
本当に奥様は独占欲が強い御方だわと、サマンサは途方に暮れたが前から確認したいことを思い出して、1つ質問してみた。
『つかぬことをお聞きしますが、奥様はリリアンヌお嬢様が可愛くないのですか?』
『え?』
エリザベスはハッと意表を突かれたのか、黙って顔を曇らせた。
『──そうね、サマンサだけには言うけど………余りリリーを可愛いとは思えないわ……』
『それは何故ですか?』
『だって赤ん坊ってすぐに泣くし……わたくしが抱くとあの娘、決まって泣きだすのよ。乳母のミナがおしめを変えた後でも、わたしが抱きかかえるとまた泣くの。──まるでミナじゃなきゃ嫌!ってダダこねてるみたい。リリーって母親のわたくしが嫌いみたい。だから無性に腹が立ってくるのよ』
『はあ……奥様、それは致し方ありませんわ!!』
流石のサマンサもエリザベスのこの言葉には呆れ果てて口調を強めた。
『ミナはリリアンヌ様の乳母ですし、四六時中側にいる者には誰も勝てませんわ。それに赤ちゃんはいってみれば小さな王様ですから……いくら奥様でも思い通りにはできません』
『わかってるわよそれくらい! 旦那様だって、わたくしは母親らしくないと溜息ついてなさってるのもね……それも凄く悔しいのよ』
『旦那様は奥様にリリアンヌ様をもっと愛して欲しいからでございましょう』
『それはわかるけど……ちょっと難しいわ、今はとてもそんな気分になれない…』
エリザベスは納得しかねるという表情で長い睫毛を伏せた。
「……」
サマンサは後ろを向いて、エリザベスに気づかれないように大きな溜息を零した。
駄目だ、奥様はまだ子供なのだわ。母親という自覚がまったくない。
これはもう時間を要するしかない。
サマンサは考えるのをあきらめた。
エリザベスに振り向いて、サマンサは口角を無理やりあげて笑っていった。
『奥様、いかがでしょう、気分転換にこれからお風呂に入られたらどうです? お体を温まってから就寝された方がよろしいかと……』
『ええ、サマンサ!それがいいわ、泣きすぎたら身体が寒くて堪らなかったの。お風呂に入って十分温まりたいわ!』
エリザベスはサマンサに愚痴ってようやく笑顔になった。




