40. 初めての夫婦喧嘩
※ 夫婦喧嘩が勃発します。
※ 2025/10/9 修正済
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『エリザベス、君は太り過ぎだ!』
エドワードの発した言葉に、エリザベスの脳内で“太り過ぎ”のワードが何度も何度も木霊した。
エドワードがそうはっきりと言うのも無理はない。
エリザベスは未婚時代は胸と腰は豊満だが、ウエストはきゅっと括れており、細長い手足も相まって抜群な肢体だった。
それが今や見る影もなく、ウエストは寸胴でぶよぶよして顔や首、肩にも中年のお喋り夫人みたいな贅肉がついている。
──結婚してまだ1年半だぞ。一体エリザベスはどうしてこうなった!
思わずエドワードは誰かにつっこみたくなる。
これではさすがに社交界の大輪の薔薇と讃嘆された侯女に一目惚れのエドワードだったが、正直戸惑いは隠せなかった。
いくらエリザベスにベタ惚れとはいえ、現在の怠惰なエリザベスの醜態は、とてもではないが見たくないとエドワードは思った。
『だって、仕方がないでしょう、毎日毎日この街は雪ばかり振って、何処にも行けない。かといって王都のお友達もこんな極寒の地なんて来れやしない──結局、家に籠るしかないでしょう。だからわたくしは食べることしか楽しみがありませんのよ…』
エリザベスは口を窄めて言い訳をする。
『それにしても流石に朝から晩まで食べ過ぎだろう……』
エリザベスは口端をむすっと下げて、さらにチョコクッキーをひとつまみして頬張って言った。
『仕様ないじゃありませんか、とてもお腹が空くんですもの…(もぐもぐ)けれどそれだけが理由ではなくてよ!』
『何だ、他にも何か不満でもあるのか?』
エリザベスは、エドワードの問いかけを無視して、手が勝手に動くのか、モグモグとクッキーを食べ続ける。
『エリザベス、いい加減、食するのは止めろ、言いたいことがあるなら言いたまえ!』
エドワードの口調は更にキツくなった。
『なら言って差しあげるわ……』
クッキーをグッと飲み込んで、エリザベスは夫に指をさした。
『旦那様、太った原因はあなたよ、あなた! 旦那様がいけないのよ!!』
エリザベスは、ジットリと冷たい目線をエドワードに向けて大声でいい放つ。
『は、私か、私が原因なのか?』
『そうですわ……』
『わけがわからん、なぜ私が食べ物と関係あるんだ? わかるように説明したまえ!』
『ん~もう、旦那様が、リリアンヌばかり可愛がってわたくしを、放ったらかしにしてるからですわ!』
エリザベスは絶叫した!!
『……はあ?』
エドワードは、蒼い目を大きく見開いて絶句した。
『そうでしょう。さっきだって、わたくしには目もくれず“リリー、リリーって!” いっつもリリーばっかりじゃない。わたくしはあなたの何なのよ!』
『は…はは、なんだ、娘に焼きもちやいていたのか』
エドワードは苦笑いをした。
『──呆れたな、君はわたしの妻であり、リリーの母親だろう』
『ええ、そんなことはわかってますのよ、でも旦那様はリリーが生まれる前は、わたくしが一番だったのではないですか?』
エリザベスの眉間はピクピクと怖いくらい皺を寄せて、額には青筋を立てていた。
だが、表情はいまにも泣きだしそうでもあった。
『──旦那様は、領地のお仕事はお忙しくても、リリーだけは毎日忘れずに抱っこしてます、でもわたくしには朝の挨拶のキスだけ──それに何より出産してから、旦那様はほとんど寝室に来なくなって、夜だって私を抱いてくださらなくなったじゃない、酷すぎる……』
とエリザベスいいかけたが、『……あっ!』と言って慌てて口を押さえた。
そして、しまったと思ったのか、慌てて顔を背けた。
そんなエリザベスの姿を見たエドワードは驚愕した。
『エリザベス、君……もしかして……』
ようやくエドワードも妻の不満が理解できた。
『んん! もういいですわ、わたくしの言いたいこと、全て言わずとも殿方なら分かるでしょう! 妻にここまで言わせるなんて、旦那様は最低な夫よ、う、失礼しますわ!』
エリザベスは真っ赤になって半泣き状態で喚くと、八つ当たりしたかのようにクッキーの入った皿をテーブルにバアッとぶちまけた。
そのまま席を立ち、居間から、どたどたと重そうな体を引きずるように出て行った。
無惨にもクッキーは机上や床にもバラバラに散らばって酷い有り様だった。
「…………」
側にいた給仕の家令やメイドたちは沈黙していた。
彼等から見れば、これまでもエリザベスの機嫌が悪くなると度々あるある行動だった。
とはいえ、エドワードにしてみたら、結婚後初めてのエリザベスの癇癪だった。
エドワードの前ではエリザベスも猫かぶりして、淑女の態度をこれまでずっと見せていたから。
──あ……妻はなんていったんだ?
寝室、夜だって抱いてくれないって。あ、もしかして夜の逢瀬をしなかった不満だったとは。
みるみるエドワードの顔は赤く染まりだしていく。
ようやくエドワードは、妻が自分への欲求不満がわかったみたいだ。
『おそれいります旦那様』
二人のやりとりを見ていたサマンサが口を開いた。
『サマンサ……』
サマンサの表情は、初めての2人の口論を見て蒼白になっていた。
『あの……奥様が少々心配なので、これにて失礼致します──』
『ああ、分かった」
エドワードも項垂れた。
執事のアレクにいたっては身体が硬直してしまい、棒立ちのままである。
結婚してから初めての夫婦喧嘩はこの先の暗雲の序章でもあった。
※ エリザベスはとうとう欲求不満を打ち明けました!




