34. リリアンヌ誕生
※ 2025/10/4 加筆修正済
※ ※ ※ ※
7月12日未明、ルービンシュタイン公爵本邸で新しい命が誕生した。
その日の正午近く、ようやくエリザベスは目を覚ました。
『エリザベス、起きたかい…』
『……旦那様』
エリザベスは目の前に、エドワードのなんとも優しい幸福そうな顔があった。
エドワードが、愛おしげにエリザベスの顔や髪を触りそっと撫でつけた。
そしてベッドの脇に腰かけて、エリザベスの手をしっかりと握って手の甲にキスをする。
『よくがんばったね、大変な思いをして、産んでくれてありがとう』
『そんな………』
『大丈夫かい。喉がかわいたろう』
サイドテーブルの水差しから白湯をコップについでエリザベスに渡す。
エリザベスはゆっくりと上半身を起こして、口の中を濯いでから水をゴクリと飲んだ。
喉元から身体の中に白湯がしみわたる感覚が、エリザベスの意識を徐々にはっきりさせていく。
エリザベスは突然、ハッとして──、
『……あ、赤ちゃんは………女の子でしたのね、わたくし⋯⋯跡継ぎ産めなくてごめんなさい』
申し訳無さそうに項垂れる。
『は、何いってるんだよ。私がどんなに嬉しいかわからないのかい? 君は無事に可愛い元気な赤ん坊を産んでくれたんだよ。こんな嬉しいことはないよ!』
とエドワードはきっぱりとした声でいった。
そして、エリザベスの肩を自分に引き寄せて、優しく抱きしめた。
『旦那様……』
エリザベスもようやく夫の歓びを実感した。
『赤ちゃんはどこ…?』
『こちらにいますよ』
『サマンサ……』
エドワードの後ろにいた、サマンサがベビーベッドから柔らかそうな真綿布に、くるんだ赤ちゃんを抱いている。
サマンサは近づいてきて、エリザベスに赤ちゃんを見せる。
眼を閉じて、すやすやと眠っている赤ちゃん─。
『先ほど、乳母がお乳を飲ませたので良く眠っておりますよ』
『まあ…………』
エリザベスが、身を乗り出して少しふらついたが、エドワードがしっかりと身体を支えた。
サマンサは、エリザベスに赤ちゃんを抱かせた。
ずしっとした赤ちゃんの重さを感じるエリザベス。
見た目よりけっこう重かった。
──これがわたくしの赤ちゃん?
エリザベスはまじまじと、胸の中に抱いている赤ちゃんを見つめた。
『はあ、とっても赤い顔をしているのね⋯⋯まるでお猿さんみたいだわ……』
思わず顔をしかめたエリザベス。
『えっ、おいおい、自分の娘に向かってお猿さんは酷いだろう!』
『え、でも旦那様、なんだか想像していたのと違って、くしゃってしてません?』
サマンサが頷いてうふふと笑う。
『──奥様、産まれたての赤ちゃんは皆そうですよ。直ぐに奥様と旦那様にそっくりな、とても可愛いお顔になります』
『そうなの⋯⋯あら見て?』
エリザベスが赤ん坊を見て驚く。
『ちょっとだけ髪の毛があるわ! とっても濃い金髪よ。わあ、旦那様と一緒だわ!』
『ああそうだね、おまけに瞳はとても綺麗なエメラルドだよ、君と一緒さ!』
『まあ、そうなのですか? 私と同じ瞳……赤ちゃん、おめめを開けないかしら……』
ようやくエリザベスの顔がほころんだ。
『ぅう、うぐぅ…うぇっ…』
赤ちゃんが周りの騒々しさに、ちょっとぐずりだして目を覚ました。
そうこうするうち赤ちゃんの大きな瞳がゆっくりと開き、エリザベスをじっと見つめた。
『あ、本当だわ。とても綺麗な緑色!──ねえ見てちょうだいな、わたくしと同じ瞳だわ!』
『くくく、だから綺麗な緑色と言ったろう。 う~べろべろばぁあ~!おとうちゃまでちゅよ~』
エドワードが赤ちゃんに向かって、人差し指と親指で自分の目を大きく開かせてお目々、ぱっちりの変てこ顔をする。
『ぶはっ! やだ、旦那様ったら!』
エリザベスは、おどけたエドワードの顔がおかしくてクスクスと笑う。
──旦那様って面白い方!
端正なお顔のくせに、けっこう子供じみたことするのね。
エリザベスはエドワードの新たな一面を知って朗らかに笑った。
『ほらほら、どうか私にも赤ちゃんを抱かしてくれ!』
エドワードはエリザベスから赤ちゃんを受けとって、自分の胸に抱きあげたまま立ち上がった。
『うぇ…うぇっ…』ぐずりだす赤ちゃん。
『よ~しよしよし──』
とあやしながら抱っこをする。
『うんうん、どうしたリリアンヌちゃんはお腹すいたのかな?』
『リリアンヌ……?』
エリザベスが聞き返す。
『ああ、今決めた。リズ見てごらん! あの花瓶の百合の花を、とても見事だろう?』
エドワードの蒼い瞳が、キラリと輝いた。
エリザベスはその視線の先を見つめると──。
『まあ、立派な百合の花だこと……』
鏡台に飾ってある花瓶には、大きな薄桃色と白色の笹百合の花が4,5本、とても見事に生けてあった。
笹の葉の形をしている笹百合は、ラッパの形の花びらが少し項垂れているのが可憐で上品でもある。
『な、とても綺麗だろう!』
エドワードは嬉しそうに言った。
『──今朝、庭師のベン爺が赤ちゃんの誕生祝いといって、庭園に咲いた花をたくさん摘んできてくれたんだ。その中でこの百合の花が、とても可憐だったから花瓶に飾ってもらったんだよ』
エドワードは、屋敷内の庭園を小さい頃からとても大切にしていて、花や草も庭師と一緒に時間があれば、手入れもするくらい熱心だった。
『夏に咲く百合の花は甘くフローラルな香りがするし、大輪なのに花びらがたおやかで美しい。エリザベス、この娘にぴったりな名前だと思わないか?』
エリザベスはエドワードの講釈を関心しながら聞いていた。
そしてパチパチと睫毛を瞬かせて頷いた。
『リリアンヌ⋯⋯素敵な名前……そう愛称はリリーかしら?……とても良い名前だわ』
『そうだろ、私たちの娘のリリーだ!』
エドワードはベッドに駈け寄り、抱いていたリリーをエリザベスに大切に渡した。
『──この子がわたくしの娘リリーなのね⋯⋯』
エリザベスは自分の胸に抱いている赤子は、とても小さくて不思議な生き物だと、エドワードには言わなかったが、内心複雑な気持ちで赤子を見つめていた。
──ああ、この子が男の子なら最高だったのに。
でも、これでまた旦那様と、以前のように一緒のベッドに寝起きできるのね。
エリザベスはとりあえず、リリアンヌを産んでお腹が凹んだと同時に、ずっと晴れなかった心のモヤつきが、出産したことで解消されるのだと安堵した。




