221. エリザベスの懺悔と不安
2025/7/19 修正済み
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公爵領本邸
ロバート王太子が王都の宮殿から行方不明になった知らせは、クリソプレーズ全土に内密に通達された。
セルリアン領主エドワード公爵の元にも届いた。
屋敷内のサロンでエリザベスと一緒に、ティータイムを楽しんでいたエドワードは、王室からの密書を読んだ途端、真っ青な顔になった。
「旦那様、どうかしました?」
エリザベスは大好きなアップルティーの香りを、心地よさげに嗅ぎながら訊ねた。
「リズ、ロバート殿下が先月末に王宮から、突然失踪したそうだ」
「ええ──?」
思わずエリザベスは、こぼれそうなくらいティーカップを強くテーブルに置いた。
慌てて席を立ち、エドワードの側に近づいて王室からの密書を見せてもらう。
「なんてこと、とても信じられないわ。ロバート殿下はどうしたのでしょう?」
「私にもわからん、サマーフェスの舞踏会以来会ってないしな。ただ、あの日の殿下は舞踏会に遅れてきてたよ」
「確かそうでしたわ。そういえば遠目でしたけど、なんとなくロバート殿下のお顔がいつもより、精彩を欠いていたように感じましたわ」
「私も同じだ。それにあの殿下が、君と一度もダンスを踊らなかったじゃないか。あれもおかしいなと思ったんだ。てっきり、殿下は公妾の話が流れて気落ちしたくらいに思っていたんだが……」
思わずエドワードは本音をいってしまう。
「気落ちしたって旦那様……わたくしと殿下は何もありませんわよ。それよりマリーとも踊らなかったわ。せっかくあの子が元気になってダンスまでしたのに。そうそう、あの時マリーがなぜ、フレデリック王子様と踊ってたのかしら?とずっと気になってました」
エドワードは少しだけ無言になった。
──リズは、娼婦のエバを知らないからな。
彼女と殿下はもうだいぶ長いこと関係を続けている。
いくらマーガレット様がお元気になっても、お2人の仲は多分元に戻らないだろう。
愛人のエバを実際に見たエドワードは、いつぞやの『ラピス・ルージュ・ラズリ』のロバートのデレデレぶりを久しぶりに思い出していた。
「旦那様は、ロバート殿下の愛人のことをご存じなんですか?」
「え、なんだ急に──?」
エドワードはエリザベスに心を見透かされたかのようで、思わずドキッとした。
「いいえ、ただわたくしロバート殿下が心配なんですの。その娼婦の女は、そうとう殿下を手玉にとっていると感じますもの。万が一殿下の身に何かあったら怖いと思いまして……少々不安ですわ」
エリザベスがが案じたのも無理はない。
彼女は未来時に自分が貴族牢に入っていた折に
『ロバート殿下が娼婦館の女に切り付けられて片腕を失った』と聞かされたのを思い起こされたからだ。
──もしその切りつけ女が、ロバートの愛人だったら?
とエリザベスはロバートの身を案じた。
「はは、さすがにそれはないだろう。いくら娼婦でも相手はか弱き女だ。俺も知っているが、妖艶で凄い美女だったよ」
「妖艶で凄い美女──?」
エリザベスは、エドワードの『美女』という言葉にひっかかった。
「ああ王都でも有名な娼婦館があってな、そこの売れっ子の娘だ。名はエバという。漆黒の長い髪と金色の鋭い瞳で、豊満でロバートの好みの女性だった」
「まあなるほど……旦那様もその豊満な娼婦にお逢いしたのですね。どのくらいの頻度で館に行かれてましたの?」
「え……?」
エドワードは思わずエリザベスの顔を見た。
彼女の表情はかたく強張っていたが、瞳は濃い緑色にギラついていた。
──まずい、べらべらしゃべりすぎたとエドワードは気付く。
「誤解だ。俺は娼婦館など言ってない、いや……独身の頃はその何度かはあった。まだ殿下の護衛してた頃な。あ……でも結婚後一度はあったかな?」
エドワードは慌ててぎこちなく訂正した。
「別にわたくしは旦那様に娼婦館に行くなとはいってませんわ。それに、あの頃はわたくしだって旦那様に、追い打ちをかけるような酷い暴言を沢山吐いてましたもの。でも……」
「でも……?」
「………」
「でも、どうした?」
エドワードはエリザベスの様子がおかしいと思った。
「うっ……」
エリザベスは、突然ぽろぽろと泣きだした。
「おいおい、どうした?」
慌ててエドワードはエリザベスの両肩に手をかけた。
「う、ごめんなさい。なんだかわたくし、昔のことを思い出しましたの。なんでわたくしは、貴方に二度と子供を産まない!とか側妃を作れ!とかその女に子供を産ませろ、などと酷い言葉を……沢山……投げつけたんだろうって……わたくし心底悪妻……で……ひっく旦那様……申し訳…ありま……」
エリザベスはそのまま、エドワードの胸の中で懺悔するように泣きじゃくってしまう。
思わず抱きしめるエドワード。
「ふふ……馬鹿だなぁ……もう昔のことじゃないか」
エリザベスの懺悔の言葉を聞いて、エドワードの蒼い瞳も心なしか少し滲んでいる。
エドワードも、当時の様々な2人の思い出が頭の中に去来した。
リリーの足のケガのショックで別居を決めた2人。
それでも戻ってきてくれと、エドワードが懇願した日々が続いた。
時にはお互いが罵りあって、お互いに傷つけあった日もあった。
時にはもう駄目だと、孤独な絶望を感じたことも何度となくあった。
(でも、今、こうして愛しい妻は、自分の胸の中にいるじゃないか)
エドワードの金色のサラサラの前髪が少しだけ揺れた。
「リズ、顔をあげて──」
エリザベスは泣いているぐしゃぐしゃの顔をあげた。
エドワードは、彼女の頬をつたう涙の雫を指でそっと拭ってあげる。
そのままエリザベスは睫毛を閉じた。
口づけをするエドワード。
その後でエドワードはいった。
「約束する、君だけだよ。俺は絶対君だけだ、こんな美しい緑の女神の妻を娶って、浮気なんかしたら神々から罰を被るさ──誓って私は浮気などしない」
と優しく笑って、エリザベスを抱きしめるエドワード。
エリザベスの頬には、また涙が流れ落ちた。
──ああ、わたくしはなんて幸せなんでしょう。
だけど旦那様、わたくしはどうやら“本物の緑の女神”のようなのです。
もしそれを貴方様が知っても、今のようにわたくしをずっと愛してくれるでしょうか?
エドワードに抱きしめられても、エリザベスは一抹の不安を隠せなかった。




