172. ジャン・ルイ・バルロー
※2025/6/24 修正済
◇ ◇ ◇ ◇
「ジュディ様、誤解ですわ。わたくしジャン様を誘惑なんて……」
「そうだよ、ジュディ。エリザベス夫人に対して失礼だよ」
とジャンは、少し戸惑いながらジュディの手を振りほどいた。
「……ごめんなさい。余りにもジャンがエリザベス様を見つめてたから……やきもちかしら」
ジュディは俯いてボソッといった。
「はは、相変わらずいくつになっても子供だな。ジュディは」
といって、ジュディの頭をポンポンと軽く叩くジャン。
ジュディは少し恥ずかしげに拗ねた顔をした。
──んん? この光景いつぞやどこかで見たわ。どこでだったかしら?
そうだわ。なんとなく旦那様とジャン様のジュディを見つめる雰囲気が似てるのよ。
エリザベスは、ジャンのジュディへの接し方が、エドワードがジュディへの兄のような態度と重なって見えた。
「それより、私は来た早々、喉がカラカラなんだが、淑女方も一緒に一杯お付き合い願えませんかね?」
と少々くだけた感じでいうジャン。
「ええ、よろしいですわ、わたくしは林檎酒をお願いします」
エリザベスがすかさずにいう。
「なら私はオレンジジンジャーがいいわ」
「分かった、あ、君!」
といって近くの給仕に「シャンパンと、アップルジンジャーと林檎酒をグラスで頼むよ」
「承知致しました──」
給仕が一礼して下がっていく。
エリザベスはそつのないジャンの対応を見ながら思った。
──ジャン様ってとってもスマートで爽やかな殿方ね。
失礼ながら、とても隻腕の方には見えないわ。
そういえば、ロバート殿下も片腕を切断されたとか聞いたけど。一命は取り留めたっていってたけど大丈夫なのかしら?
殿下はとても矜持がある方だから、腕を失くしたなんてとてもお辛いだろうに。
エリザベスは、ジャンの姿を見て牢屋にいた時、サマンサからロバート殿下の惨劇を聞いたのを思い出していた。
残念ながらエリザベスのいなくなった王国ではロバートは数年後、帰らぬ人となっていた。
だが、現状のエリザベスは知る由もない。
◇ ◇
テーブル上には、給仕が持ってきてくれたシャンパンと、林檎酒とオレンジジンジャーが並んでいた。
ジャンがシャンパンを手に持ち乾杯の音頭をとる。
「それでは、ジュディの凱旋コンサートを祝して乾杯!」
「乾杯! ジュディ様おめでとう!」
「乾杯! 2人共ありがとう!2人のご多幸を祈って、悪魔よ去れ!」
3人は、お互いのグラスをカチンとぶつけた。
ジュディは、アベンチュリン式の乾杯方式をした。
「悪魔よ去れ!」といって乾杯するのは、グラスとグラスをぶつけて、その時の音で部屋にいる悪魔を追い祓うというものだ。
──さすがはジュディ様。長年、花と芸術の都のアベンチュリンに拠点を移して、演奏活動しているだけのことはあるわ
すっかり今ではアベンチュリン王都民なのね、とエリザベスは感心していた。
アベンチュリン王国。
花と芸術の王国でジュエリ大陸の中でも、最先端の流行を発信する芸術を愛する国。
そしてジュディの隣にいるのは、ジャン・ルイ・バルロー 29歳。
アベンチュリン王国でも有名な音楽名門一家、バルロー伯爵家の出身。
父はチェロリスト、母やソプラノ声楽家。
叔父にジュエリ大陸でも有名な指揮者&ピアニストのミスタヴィスがいる。
ちなみに、ミスタヴィスはジュディのピアノの師匠でもある。
ジャンもジュディ同様に、子供の時から神童といわれ、ピアノとバイオリンの名手であった。
特にバイオリンは10代でコンクールを全制覇するほどの天才少年だった。
“銀髪の貴公子”といわれ、端正なマスクも相まって、淑女たちから多大な人気があった。
腕前も相当なもので大人も舌を巻く完璧なテクニックと、若いのに情緒感あふれるタッチで滑らかなヴァイオリンの旋律を自由自在に奏でていた。
まさに若き天才ヴァイオリニスト、ジャン・ルイ・バルロー
将来、偉大なるヴァイオリニストになる道を進むであろうと、全ての音楽愛好家が羨望していた。
だが21歳の時に大きな悲劇に見舞われる。
ジャンが王宮の演奏に向かう途中で、馬車の衝突事故にあい、片腕を負傷したと新聞で読んだ。
◇
ここまでが、エリザベスが過去に知りえていた情報である。
当時、彼女はジャンに浸透していたので、子供の頃から音楽情報誌をチェックしていたのだ。
だが──腕を負傷したダメージは相当大きかった様で、その後、彼は演奏家から身を引いたと噂で聞いていた。
それ以来エリザベスは、ジャンの事故がショックでバイオリンのサロンコンサートだけは、避けるくらい辛かった。
──まさか、こんな所でジャン様に出会えるなんて!
それも隻腕とは考えもしなかったわ。
腕の負傷といっても、手をせいぜい怪我したくらいしか思っていなかった。
◇ ◇
ジュディはしょんぼりとした顔でエリザベスに
「エリザベス様、先ほどは、失礼な態度取ってごめんなさい」
と謝った。
「あらジュディ様。どうかお気に無さらないで、ジャン様はわたくしに社交辞令を仰っただけですから。ね、ジャン様」
「いえいえ、お世辞なんてとんでもない、マダムは本当に美しいから私は素直にいったまでです」
「あら、ジョン様。マダムは呼びなれてませんの。どうかエリザベスと呼んでくださいませ」
「畏まりました、それではエリザベス嬢に再度乾杯~!」
シャンパンを片手に、ジョンは笑顔でくったくなくいう。
ジョンは、本当に爽やかな笑顔である。
「ジュディはどうもいまだに子供っぽくて我儘なところがあってね、僕が美しいご婦人を褒めると、すぐに拗ねるんですよ」
「まあ、ジャンたら酷い、私はもう21歳よ。いつまでもあなたの生徒ではないわ」
ジュディが隣にいるジャンに反論した。
「うふふ、なんだかご兄妹のように仲がよろしいのね」
エリザベスは微笑ましくいう。
「そうだね、私はこの通り、事故で腕を失った後、叔父の紹介でアベンチュリンの国立音楽院の講師になったのです。そこの生徒がジュディだった。私は一目で彼女の才能にほれ込んで、今ではマネージャーまで引き受けてしまった。もうかれこれ7年になるかな」
「まあ、そんなに長いお付き合いなのね」
「エリザベス様、ジャンの才能は演奏だけではありませんわ。ピアノの教え方も上手でしたの。私、学院時代から、彼のおかげで何度もコンクールで賞が取れたんです。こうして演奏活動しているのも全てジャンのおかげですの」
「まあ、それは凄いですわ! ジャン様は多才な方ね」
「おいおい、ジュディのオレンジジンジャーはアルコール入ってるのかい? 褒められるとなんだかこそばゆいなぁ」
「まあ、ジャン様ったら!」
3人は、笑い合って楽しく語らいをした。
その後、ジャンはジュディの来月の演奏活動の打ち合わせがあるとの事で直ぐに帰っていった。
彼はプロモーターとしても才を発揮していて常に多忙らしい。
それでも7月一杯は、ジャンも夏のバカンスがてら、このクィーンズ市街地のホテルに滞在するとのことだった。
◇
ジャンが帰った後、エリザベスとジュディは、少し時間があったので邸宅のバルコニーへ出た。
蒼い月明かりのバルコニー。
どこかで梟がホーホーと鳴っている。
小ぢんまりとした邸宅だが、池があり水鏡は月を美しく映している。
2人はバルコニーの大きな手すりに飲み物を置きながら、庭を眺めていた。
エリザベスは少し林檎酒を飲みすぎたのか、ほろ酔い気分でうっとりと庭園を見ていた。
「エリザベス様?」
「はい?」
「今夜は、エリザベス様と話せて良かったですわ。貴方が、わたしやジャンの崇拝者というのも驚きでした」
「ええ、だってお2人の演奏は唯一無二といえるくらい素晴らしいものですもの。当然ですわ」
「ありがとう、本当は今日の祝賀会を承諾したのは、クィーンズにいるお兄様と貴方に会いたかったから。特にエリザベス様、私はあなたに、どうしてもお聞きしたいことがあったの」
「何かしら?」
「何故エリザベス様だけ、セルリアン領にいないで王都に住んでらっしゃるの?」
「!?」
「教えて、何故です?」
「そ、それは……」
──そうだった、この後、彼女は夫への愛の告白をわたくしに向かって怒涛のようにするのだったわ。
エリザベスは、突然に、未来のジュディの言葉と同じ展開になって、一気にほろ酔い気分がピタリと醒めてしまった。




