164. エバの愛と苦悩
※ 今回、殺戮したシーンがありますので、苦手な方はご遠慮してくださいませ。m(_ _)m
※ 2025/9/13 修正済
※ ※ ※ ※
エバが振り降ろした短剣は、ロバートの心の臓の寸前で止まった!
『!!』
エバは短剣を持つ手が、ブルブルと震えるのを止められなかった。
──エバ、あなたなぜ仕留めないの?
そのまま簡単に心臓ひと突きできたのに……
エバは心のなかで自問自答する。
いつしかエバの眼には、ぽろぽろと涙が溢れてきた。
──無理よ、どうしてこの方をあたしが殺せようか……
そうだ、私にはフレディ様は殺せない。
いつの間にかあたしは、この方を誰よリも大切な想い人になっていたんだ。
エバは私情に負けた。
間者として成すべき任務を果たせなかった。
エバはアドリアの命令を初めて放棄したのだ。
エバはきつく唇を噛み締めた。
──逃げよう、全てから。
もうアドリア様にも顔向けはできない。
エバがベッドから離れようとしたその時──。
『エバ……?』
『!?』
ロバートが目を覚ました!
『『!』』
エバの金色の瞳とロバートの蒼い瞳が、一瞬重なるように見つめあう。
その瞬間、ロバートは王太子の直感で、エバが自分の刺客だと察した。
『エバ、貴様──!』
ロバートは突然起き上がり、自身のベッドの隅にいつも護身用に隠してある短剣を掴み、エバに襲いかかろうとした。
だがその前にエバの短剣が大きく弧を描き、ロバートの肩にザクリと振り落とされた。
『ぎゃあああああああああ──!』
ドサッと、ロバート王子の右腕が無残にも切り落ちた!
肩腕を押さえて倒れ込むロバート。
物凄い血しぶきがベッドに壁に、そこら中に飛び散った!
エバの顔にも血しぶきが真っ赤に飛び散った。
ロバートは余りの痛さでのたうち廻る。
『ううっつ、エバ、お、お前………なぜ?』
『フレディ様、いえロバート殿下、どうか許して!』
エバは短剣を、そのまま直ぐに鞘に収めた。
エバはロバートを見た。
哀しそうな顔を一瞬だけしたが、踵を返して寝室の窓を開け、そのままひらりと外へ飛んだ。
『うう…、エバ……まてぇ!』
ロバートは追いかけようとしたが、余りの痛さで蹲る。
エバはあっという間に走り去り、朝もやの中へと消えた。
『おのれ~っ、うぁああああああああああ!』
ロバートは絶叫し、体中、血まみれで床に倒れ込む。
『なんだ、何事だ!!』
ロバートの悲鳴で寝ていた護衛騎士たちが、びっくりして目が覚めた。
慌ててスィートルームのドアを『ドンドン!ドンドン』と大きく叩く。
『殿下、殿下どうなさいました!』
開けようとするも、ドアは内側からカギが掛かっていて開けられない。
『どいてろ!』
と、がっしりとした大男の騎士が、体当りしてドアを蹴破った。
『ロバート様──!!』
『うわあ〜なんだこりゃ〜!!』
護衛騎士たちは、余りの悲惨な惨状を見て一瞬、体が硬直するほどであった。
※ ※
朝方の王都の繁華街の裏通りの道、人の姿は殆ど無い。黒マントを着たエバが、古びた酒場の裏口から静かに入いる。
階段を上り、二階の個室部屋の中に入って行く。
ドアの外から男の声が聞こえてきた。
中には黒マント姿のエバと同じ、黒マント姿の背が高い男がいた。
男は刺客の隊長だった。
これまで少女のエバに訓練し、一流の間者に育て上げた。ある時は助言し支えてきたエバの上司である。
『それで、殺ったのか?』
『…………』
『おい、答えろ!』
『いえ、ただ、右手を切り落としました』
『右手を……』
『……はい』
『仕留め損ねたのか』
『はい』
『何たることだ、お前らしくもない……』
『ですが、あの腕ではもう戦うのは無理でしょう』
『お前、奴に惚れたな?』
『…………』
エバは顔を伏せた。
『やはりな──』
『すみません……』
『まあいい。仕方ない、お前はまだ若い。今回は片腕だけでも良しとしよう』
『…………』
ガチャっと大きな袋を渡す男。
『この金で例の場所に隠れていろ。あそこなら先ず見つからない』
『分かりました』
『次は私情を挟むなよ、あの方のご恩を絶対に忘れるな!』
『はい、肝に銘じます』
『とりあえず、お前に何人かの下僕をつけよう。その下僕を好きにするも、どうするもお前の自由だ、今回は若いお前には正直、辛すぎた命だったからな』
『…………』
黒マントの男はエバの憔悴しきった表情に同情を禁じ得なかった。
『エバ、少し休め。なあにお前はまだ若い、高貴な麗しい男を女人のお前が愛するのも致し方ないさ。御主人様もなかなか厳しいお方だ──』
『⋯⋯⋯』
『分かった、下僕たちは見目が麗しい男ばかり選んでおこう。彼らが少しは、お前の慰めになるであろう』
『マスターそんな……若い男の下僕なんて私には必要ありません』
エバは顔を上げて唇を尖らせて怒った。
『いや、あそこは簡素過ぎる。お前は寂しくなって必ず人恋しくなるよ、きっとその男たちの中で、一人くらいお前が所帯を持ってもいいと思う男が見つかるだろう。その男と結婚して子をなせ!──そして家族でまたあの方の為に、今後も働くのだ!』
『結婚なんて……あたしなんかが、そんな人並みの幸せなんて、出来るはずがない……』
エバは投げやりに虚ろにいった。
金色の瞳は、この世の何も映さないかのように、睫毛を伏せた。
男はエバの頭をポンポンと軽く叩いて微笑んだ。
『なあに、老いれば今の能力も落ちていく。エバ、元気を出せ──人の気持ちも変わるぞ、その時は引退だ。それまでに遮二無二働いて、悠々と余生を暮らせる金は、十分に貯めておくんだ。擦ればお前の使命も終える。それまでの辛抱だ』
『わかりましたマスター、ともかく自分はこのまま隠れます』
『よし、今回の失敗では御主人様は、おまえを処分するかもしれん、あの方は時に感情の起伏が激しい。任務に失敗した今は直接会わんほうがいいな。オレが上手く伝えておこう』
『マスター、ありがとうございます。御主人様には誠に申し訳なかったと、心よりエバが申してたとお伝えください、そして今まで与えて下さった数々の愛情も勿体なかったと、くれぐれエバは感謝していたと……』
エバの声は涙で最後は言葉にならなかった。
『相わかった』
男は黙って、エバの頭をまたポン!と優しく叩いてそのまま出ていった。
※ ※
エバは、その日一日中泣いた。
これ以上ないくらい、生まれて初めて泣き疲れるくらい泣いた。
奴隷のエバを拾って、教養と衣服と食べ物を与えてくれたアドリア妃。
彼女はアドリア妃の間者として契約したのだ。
今までも、女の手管を使って平気で何人も陥れてきた。
罪悪感など一度も感じなかった。
──アドリア様の為に働けるなら何だってできる。
そう、エバは信じて疑わなかった。
だが、今回だけはエバは一生、自分で自分を許せないだろうと心底悟った。
『フレディ様、堪忍……ゴメンなさい、愛してたのに……大好きだったのに……』
王子殺害が出来ず、敢えて腕だけを切り落としたのもわざとであった。
王子を愛してるからこそ、腕を無くし未来の王としての地位がなくても、王子としての肩書があれば生きていけるだろうと。
エヴァのせめてもの、最低限の愛情だった。
※
その後エバは消息を隠して、マスターが与えてくれた下僕の一人と所帯を持ち、子供までなした。
不思議とマスターのいった通りとなった。
そして、エバはその男と二人でアジトから忽然と消えた。
エバはもう自分が愛した人間を傷つける、間者の仕事に嫌気が差したからだ。
その後、アドリアは消えたエヴァを許した。
彼女はエバを敢えて裏切り者として、執拗に探そうとはしなかった。
なぜなら息子のフレデリック王子が、ロバートの後釜で王太子になったのだ。
アドリアの念願だった、王太子を失脚させてくれたのはエバであり影の功労者であった。
ロバートは、というと隻腕の王子となって、自慢の剣技が振るえず、愛するエバの裏切りに絶望した。
好いた娼婦に腕を斬られ、世を恨み自暴自棄になっていく。
それほど迄にエバを愛していたことに、ロバートは気がついた。腕を斬られたのに、尚更、彼女の愛憎は増すばかりだった。
ロバートはエバのいない寂しさや虚しさを紛らわす為に、市井で酒や賭け事に興じて、王太子の使命を果たさずに、そのまま自滅していった。
ライナス国王もだが、メルフィーナ王妃が嘆いたのは言うまでもない。




