159. 緑の聖書と妖精の悪戯
※ 2025/6/18 修正済み
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エリザベスは、その夜は机の上に、緑の女神像と緑の聖書を置いて懺悔の祈りをした。
カミラは酷い暴言を吐いたが、緑の聖書の頁を切りぬいた指摘は正しいと言わざるをえない。
──緑の女神様、わたくしエリザベスは、罪を犯しましたわ。
そのせいで砂時計を、奪われてしまったのなら謝ります。本当に愚かなことをして申し訳ありませんでした。
ですが、わたくしにとってお祖父さまの砂時計がないと、夫と娘も妹や母たち家族共々も救えません。どうかどうかわたくしの罪をお許しくださいませ。
そしてどうかわたくしの元に、金の砂時計が戻ってきますようにお願い致します。
とエリザベスは手を組み、膝を折ってひたすら祈り続けた。
そして、何分過ぎた頃だろうか。
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突然、格子窓が、ガタガタと音がして開いた。
途端に大きな風がエリザベスの部屋にぱあっと吹き込んできた。
机上に置いてあった緑の聖書が風で、パラパラパラと自然に頁がめくれていく。
まるで見えない誰かが、素早く眼をとおしているようにどんどんめくれていく。
そして、パタッとめくれていた動きが止まり、緑の聖書はちょうど真ん中の頁に止まった。
その時だった、再び格子窓から一斉に風と一緒に、金色の粉がキラキラと光の洪水のように窓から入ってくる。
輝きながら、部屋の上空に金の粉が舞い踊る。
金の粉たちは、まるで一粒一粒意思を持っているかのように、踊っている。
そして次第に金の粉たちは、一つに固まっていった。
金の固まりは金の輪の道のような形を構成していく。
金の輪は空中をカーブしては、くるくると竜巻のように動きまわりだす。
──わぁ、何! この美しいキラキラした金の妖精たちは!
エリザベスには、空中を回っている金の粉が、どうやら妖精に見えるようだ。
彼女等をみて、エリザベスは口をポカーンと開けて、ただ見つめていた。
そして、一斉にその金の妖精たちは、緑の聖書をめがけて一直線上に、聖書の中に怒涛のように入り込んでいった。
その間、今度は緑の聖書が緑と金色にキラキラと輝き始めた。
『まあ、なんて綺麗なんでしょう!?』
エリザベスの青白かった頬がバラ色に変わった。
そして、その光が静かに消えた時、ふと聖書を見ると、砂時計で切り取った全ての頁が元に戻っていた。
エリザベスは緑の聖書にそっと触れて頁をめくる。
『ああ、なんてことでしょう。わたくしがナイフで切り取った形跡がないわ、おお女神よ!』
そこには、新品のように元に戻った緑の聖書があった。
※
一方、まだ日が陰る前に時を巻き戻す──。
夕刻前の、貴族牢を覆っている林の中。
どこからか、七色の光の丸い物体が、夕闇の中でキラキラと反射して空中に浮かんでくる。
光の物体が『ぽん!』と姿を現した。
ヨック、ハック、モック爺と3人の妖精が姿を見せた。
大きなブナの木の細い枝に腰を掛ける3人組。
『あ~ようやく、リズがいる牢屋の場所に来れたわね~とっても疲れたわ!』
と花の妖精のヨックが大きく背伸びをする。
『サマンサが公爵別邸まで戻ってくれて良かったぜ。あの乳母がこの場所へ来てくれなかったら、俺たちも貴族牢まで辿れなかったからな。それにしても、この林はジメジメとしてて陰気くせえなぁ。地面が苔だらけで臭いじゃないかよ~』
葉っぱの妖精で、口の悪いハックがとても嫌そうに鼻をつまんだ。
確かに鬱蒼とした林の中に、緑の苔が生い茂った大きな石に生えて、辺り一面苔だらけだった。
日陰の多い林なので、トウヒと苔むした石のある常緑樹林が多く独特の匂いを漂わせている。
『そうさのう、この林は空気がどんよりと澱んでいるようじゃ。シケる空気は腰が痛くなって、ワシにはちとシンドイ環境じゃわい!』
モック爺はやれやれと髭を触りながら、杖で肩と腰をぽかぽかと叩いている
どうやら3人の妖精たちは、公爵領本邸の庭園からここまでサマンサと一緒にやってきたようだ。
妖精はその都度、住処を移動できるが、突然エリザベスが王都に拘束されて知らない場所に連れ去られてしまうと、妖精たちは緑の女神の行き場を見失う時があった。
そんな時は、エリザベスの親しい者たちと一緒に行動すると、再びエリザベスを見つけられるのだ。
今回は、妖精たちはサマンサの馬車の周りにいて、この林まで辿りついた。
『でもハック、ここまでくれば、わたしたちがリズの助けを出来るわ。リズが緑の聖書に金の砂時計を隠してくれたから、すぐに此処から脱出できるわよ』
『だが、さっき見ただろ? あのカミラってメイド、そうとう性悪だぜ。リズの砂時計を盗んでしらばっくれて、おまけにリズに平手打ちするなんてよ~』
『そうさのお、ワシらの女神に酷いことをする能無しじゃて、あの女をちと懲らしめないといかんな』
珍しく、モック爺が怒っている。
『あ、ほらほら、あの女が林を通って家に帰っていくわよ』
ヨックが指を差して、貴族牢から林道を歩いているカミラを発見した。
『お、来た来た! ちょっとおいらが、あの女を脅かしてやろう!』
と、ハックがきゅるんと身体を一回転させてパッと消えた。
カミラが忙しげに歩く、上空の林の木々の中。
急に風がくるりと舞い始めて、一斉に葉っぱの大群がざああっと、カミラをめがけて竜巻の様に襲ってくる。
赤や緑の葉っぱたちがぐるぐるに、カミラの周りを囲んで生き物のように動きまわる。
『キャッ──何、この葉っぱ? 嫌──、苦しい誰か助けて~!』
カミラの周りが葉っぱだらけになって、行く手を遮られて、手で顔を懸命に覆う。
『ゴホッ、ゴホッ!』
咳き込んで、息が苦しそうなカミラ。
『へへ〜、ざまあみろ、いい気味だ~!』
ハックの悪戯で、葉っぱ攻撃をかけた。
カミラの上空にポンとハックは現れて、葉っぱたちの周りをくるくると飛びまわる。
『これこれ、ハック。そのくらいにしとかんと死んでしまうぞ!』
『モック爺、こいつは俺たちのリズをいじめたんだぜ、殺したっていいだろう?』
『待ってよ、ハック。殺っちゃったら砂時計の在りかがわからなくなるわよ』
『あ、そうだった。まだこいつを生かしておかないと駄目だったんだ~』
少々物騒なことを平気でいうハック。
いつしか葉っぱの攻撃は止まって、元の静寂な森に戻った。
『ふう、今のは何だったのよ?』
カミラは独り言をいって、体にまとわりついた葉っぱを叩いて落とした。
そしてまた歩き出す。
林道を抜けた先には、王宮殿の北の門がある。
カミラは王宮の通行手形を、宮殿の門の騎士に渡して外へ出て行った。
『ただいま~』
『お帰り、今日は遅かったな』
パイプをくゆらせた40代くらいの小柄な太った男が迎えた。
『ウン、林の中で、風が吹いてきて葉っぱの大群が襲ってきたんだよ、焦った!』
『なんだ、そりゃあ?』
『わかんないよ、ああ疲れた~』
『腹が空いた。飯のおかずは買ってきたのか』
『ああ、パンと豚肉の串焼きでいいだろう?』
『またそれか。たまには料理をつくってくれや』
『あんた、あたしは働いてきたんだよ。少しはあんたも働きなよ』
と、カミラは木製の椅子にドカッと腰かけて足を擦った。
『ああ、俺も足を挫いてなければな』
と、その男は少し片足を引きずっていた。
どうやら、この男はカミラの亭主のようだ。
『それで、あんた、あの時計は売れたかい?』
『それがな……』
『どうしたんだい、お前さん!』
『砂時計を骨董屋に持って行ったんだが、売り物の商品じゃないって断られたんだよ』
『なんだって、どういうことだい?』
『あ、ちょっと待ってな』
と男は別の部屋へ行き、金の砂時計を手に持ってきた。
『この時計はどうやら“いわくつき”らしいぞ。骨董屋の親父がいうには呪いがかけられているというんだ』
『なんだよ、そんな迷信信じる骨董屋だったんかね?』
『ああ、あの親父は緑の女神信仰の信者の塊みたいな奴だからな。呪いの商品には絶対に手をださないんだと』
『バカバカしい、なにが緑の女神信仰だよ。あたいらなんてまったく加護受けたことないわ』
『だよな、いつだったかお前は、緑の女神像を割っちまったもんな』
『そうさ、神様なんてこの世にいるもんか。いたらあたしは、とっくに大金持ちだよ』
『はは、全くだ。明日は別の骨董店にいってみるよ』
『そうしておくれ、このボロ屋根の修理しないと、冬を越せないよ』
『ああ、そうだな。腹がへった飯にしよう』
この夫婦は泥棒稼業の夫婦だった。
カミラがエリザベスから盗んだ金の砂時計を売ろうとしている。
無信仰のカミラ夫婦は、しょっちゅう貴族牢から囚人の衣服や金目の物を盗んで、売って生計をたてていた。
カミラの部屋には、エリザベスの青いドレスがあった。
他のドレスは見当たらない。とっくに売ってしまったのか。
夜、カミラはその青いドレスを試着して、鼻歌を歌っていた。
『このドレスは売りたくないね。あの女には勿体ない、私が来た方がよほど似合う』
と鏡の前で、そばかすだらけの顔をニタニタと気持悪く笑っていた。
その様子をじっと眺めていた3人の妖精たち。
『あいつ、ほんとの性悪女だったわね~』
『ああ、やはりさっき葉っぱたちに命じて殺っちまえば良かったぜ』
『これこれハック、やめんか』
『でも、モック様。このままだと金の砂時計が売られてしまうわ』
『いや大丈夫だ、ふふふ、ワシにいい考えがあるじゃて……』
白い髭を撫でながら、珍しく底意地の悪い微笑みをするモック爺だった。




