皇太子殿下からの呼び出し
学院生活にも慣れてきてしばらく経ったある日。
私は一学年上の先輩に廊下で呼び止められた。
上級生、しかも令息の知り合いなんていないので何を言われるのかと身構えていると、彼は一言「皇太子殿下がお呼びです」と伝えてくる。
それ以外の言葉を話す気はないようで、彼はただジッと私の返事を待っている。
皇太子がどういう意図で私を呼び出したのかは分からないが、何か悪さをして呼び出されるようなことはしていない、はず。
半分くらい何を言われるのか興味もあって、私は先輩である令息に皇太子の元に向かう旨を伝えた。
道中一切何の会話もなく、彼の案内で連れてこられたのは応接室のような場所。
普段は学長が要人と話をする際に使われる場所だが、皇太子ともなると簡単に使用できるのか。
などと考えながら部屋に入り、ソファーに座っている人物を見る。
まるであの皇帝の子供の頃とそっくりな容姿をした十代の男の子。
彼は私が入ってきたことを気に留める様子もなくお茶を飲んでいる。
「お連れ致しました」
「ご苦労」
皇太子の言葉に令息はすぐに部屋の端に移動した。
同時に彼の視線が私に注がれ、鋭い眼差しに射貫かれる。
私が敵か味方かを確かめているように見えた。
「君がフィルベルン公爵家のアリアドネ嬢か」
「お初にお目にかかります。アリアドネ・ルプス・フィルベルンと申します」
「フィルベルン公爵家の娘、とは名乗らないのだな」
「二年ほど前まではそうでしたが、今の当主は従兄であるフィルベルン公爵ですので」
一応、対外的にはフィルベルン公爵家令嬢ではあるが、皇太子の態度から察するにそういった返事はしない方が良いだろうと判断した。
実際、エリックの温情のお蔭で変わらず今の立場にいられるのだから、と思っていると皇太子と私を案内した令息がどこかホッとしたような雰囲気を出しているのに気が付いた。
不思議に思って首を傾げていると、皇太子が先ほどとは打って変わって穏やかな笑みを浮かべている。
「圧をかけてしまったようだな。アレス卿のこともあって少々君を警戒していたんだ」
「アレス、お兄様の?」
危ない。うっかり呼び捨てにするところだった。
というか、警戒されるほどのことをしたのかあの人は。
「皇太子殿下に対して何をしでかしたのか存じ上げませんが、兄に代わり謝罪致します」
「いや、大したことではない。ルプスの名を取り上げられた今でもフィルベルン公爵家の嫡男として私に接してきているだけだから」
「……本当に申し訳ございません」
なんてことをしでかしてくれたのだ。
自分の立場を全く分かっていないではないか。
エリックが独身だから、その内自分が後継者に選ばれるとでも思っているのか……。
情けない。
「あれは彼自身の問題だ。アリアドネ嬢が頭を下げることではない。それと君を呼び出したのはアレス卿の件について話すためではない」
「そうなのですか?」
苦情を言われても仕方ないと思っていたのに、皇太子は随分と心が広い。
彼はフゥとため息をひとつ吐くと、座るように勧めてくれたことで私は対面に腰を下ろす。
私が落ち着いたところで彼は重々しく口を開いた。
「実は最近、セシリアの体調が悪くてね」
「皇女殿下の体調が? 大丈夫なのですか?」
「大丈夫とは言いがたいな。良くなったり悪くなったりを繰り返しているんだ」
「宮廷医はなんと?」
「それが……困ったことにセシリアは疑心暗鬼になって宮廷医もリーンフェルト侯爵の問診も拒否しているような状態でね」
その二人の問診を拒否など相当ではないか。
けれど、何故疑心暗鬼になってしまったのだろうか。
「体調不良ゆえに心細くなっておられるから拒否されているのでしょうか?」
「いや……。宮廷医の渡した薬を飲み始めてから体調不良が長く続くようになって、薬のせいだと宮廷医が自分を害そうとしていると思ってしまっているようでね」
「実際に薬に問題があったのでしょうか?」
「ない。リーンフェルト侯爵にも調べてもらったが至って普通に使用されている薬だった」
ということは単純にタイミングが悪かったということだろうか。
薬を飲んだのに悪化したとなると、疑いたくなる気持ちも分かるけれど。
「ですが、診察を拒否しているとなると心配ですね」
「ああ。治るものも治らないからね。それに少し頻度が多すぎる。病気ではないのでは? と疑ってしまうんだよ」
拒否していたら原因を調べようにも調べられない。
子供が突発的に発熱するのは良くあることだが、頻繁だとするなら何かがあるのは間違いない。
どこか悪いところがあるのかもしれないし、誰かが毒を盛ったのかもしれないし。
どちらなのか診察を受けないと分からない。
分からないが、ある程度どちらか判断出来るかもしれないと私は皇太子に質問を投げかけた。
「幼少時は突発的に熱が出たりは良くあることですが、そう頻繁ですと色々と心配になってしまいますね。ちなみに皇女殿下のお食事におかしなところがあったりは……」
「ないな。そもそも我々皇族が口にするものは全て毒見している。今までおかしなことは何もなかった」
「元々体があまり丈夫な方ではないのですか?」
「いや、季節の変わり目に熱を出すことはあったが、数日程度だった。ここまで寝込むことは一度もない」
「では、薬を飲まなくなってから体調がさらに悪化したとかは?」
「悪化というか……良くなったり悪くなったりを繰り返しているな」
薬を飲んでもいないのに良くなったり悪くなったりは不自然に感じるが、本人の体質や心因性のものが関係していれば起こる可能性もある。
けれど、話に聞く限り一般的な子供より少し悪いかな程度の健康具合だし、どこか納得がいかない。
「ちなみにですが、体調が悪くなり始めたのはいつ頃からでしょうか?」
「ここ一ヶ月くらいで急激に、だな」
「何か大きなストレスを受けたということはあったのでしょうか?」
「セシリアを取り巻く環境はここ数年変わっていない。利発で物怖じしない子だから嫌なことがあれば両陛下や私に言うはず」
では、ストレスでということはなさそうだ。ならば体質だろうか?
けれど、変わった物は食べていないというし……。
やはり毒の類いなのかとウンウン唸っていると、皇太子殿下がポツリと呟いた。
「リーンフェルト侯爵の言う通りだな」
「どういうことでしょうか?」
「セシリアの件を相談したときに君にも意見を求めてみると良いと言われてな。実際、君が指摘した点はリーンフェルト侯爵も言っていたのだ」
「リーンフェルト侯爵も毒の混入を疑っていたのですね」
「ああ。だが、宮廷医もリーンフェルト侯爵もセシリアが拒絶するから診ることもできない……。そこで君だ」
なるほど。だから私が呼ばれたのか。
宮廷医やクロードに代わって私にセシリアを診て欲しい、もしくは診察を受けるように説得して欲しいのどちらかだろう。
ただの一介の学生にそこまで重大な仕事を任せることはしないだろうから、説得して欲しいの方だろうな。
「宮廷医の診察を受けるようにセシリアに話してもらえないだろうか? それと、知識や判断は自分にも劣らないとリーンフェルト侯爵が言っていたから、君から見て気になった点を教えて欲しい。頼めないだろうか?」
「……お力になれるかは分かりませんが」
「構わない。私はとにかくセシリアが苦しんでいる姿が可哀想で見ていられないんだ。今も一人で寝込んでいるかと思うと、どれだけ心細いかとあの子の気持ちを考えて胸が苦しくなる。説得しようと気負わなくてもいいから、あの子の話し相手になって欲しい」
「そういったことでしたら、喜んでさせていただきます」
仮に本人の心因性によって起こっているのならば、外部の人間と関係を築いて仲良くなることで改善するかもしれない。
セシリア皇女と仲良くなれるかは分からないけれど、やってみる価値はあるはずだ。
「日時は追って連絡する。協力に感謝するよ」
「できる限りのことは致します」
ここで私と皇太子の話し合いは終了し、お開きとなった。
二人に挨拶をして部屋の外に出ると、令息が見送りに出てきた。
私は彼にジェスチャーで扉を閉めて欲しいとお願いすると、彼は不審に思いながらも扉を閉めてくれる。
同時に周囲に人がいないことも人の気配がないことも確認する。
皇太子に直接聞くのは気が引けたけれど、一応これは聞いておいた方が良いだろうと私は口を開いた。
「ひとつ教えていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「ええ。必要とあればお答え致します」
「皇室に対して恨みを持っている人物にお心当たりはございますか?」
「……ありすぎて答えられませんね」
「国内と国外だとどちらが多いでしょうか?」
「……国外、でしょうね」
「なるほど。お答えいただきありがとうございます。それでは」
欲しい答えが得られたわけではないが、それ以上の情報を令息は持っていないだろう。
長々と話すわけにもいかないので、彼との会話をそこまでにして私は応接室から離れた。
皇太子の話だけでは毒だと断定はできないが、その可能性は高そうな気がする。
(国外となると、真っ先に行方が分かっていないヘリング侯爵がまず思い浮かぶけれど……)
生きているのか死んでいるのかも定かではないが、帝国だって情報収集はしているだろうし、どこら辺に潜伏しているのかくらいは把握しているに違いない。
問題は当時ヘリング侯爵に陰で情報提供していた貴族が今も帝国にいることくらいだろうか。
ただ、彼らは臆病で強い方に付く卑怯者だから自分の得にならないことには手を出さないとも思う。
(ただ、あの父も一緒に逃亡したと考えると毒の知識を提供しているでしょうし、あり得ないと一蹴できないのよね)
けれど違う可能性も大いにある。
行き過ぎた人身売買で帝国に滅ぼされた旧バインズ王国や三十年ほど前に内乱で滅んだ旧ラギエ王国の生き残りの線もあるだろう。
ここ二十年ほどの他国との外交関係は詳しくはないが、他にも大なり小なり帝国を疎ましく思っている国や組織があってもおかしくはない。
けれど、薬を飲んでいないのに良くなったり悪くなったりを繰り返しているというのがどうにも引っかかるのだ。
誰か人の手が入っているような、巧妙さというか悪意を感じてしまう。
(念のためにエドガーにヘリング侯爵の行方を調べてもらいましょう。それと帝国内で最近変わったことがなかったかどうかも)
調べた結果、何もなければそれでいいのだ。
だが仮に、仮にではあるがもしも毒が使用されていたのなら……。
「子供に使うなんて到底許されないわ……」
ポツリと呟いた私は鋭い眼差しで窓ガラスに映る自分を見つめていた。




