アリアドネとセレネ
授業が終わり寮の部屋に戻った私が着替えを済ませてソファーで寛いでいると、勢いよく扉が開き外からセレネが飛び込んできた。
顔には怒りを滲ませており、鼻息も荒い。
授業が終わって一人で帰って来たことに怒っているのか? と思っていると彼女が口を開く。
「昼食のときから我慢していたけれど、もう限界! なんなのこの学院! まともな令嬢は居ないの!?」
ムキーッと頭から湯気が出そうなほど怒っている。
怒りの対象が私でなかったことにホッとしたが、昼食時に伯爵令嬢達と一緒にいて何か言われでもしたのだろうか。
「その場で口に出さなかったのね。偉いわ」
「だって、騒ぎを起こしたらお姉様やエリックお兄様に迷惑をかけてしまうから……。本音は紅茶を顔にかけて差し上げたかったけれど我慢したのよ」
「……そこまでなるだなんて、珍しいわね。何を言われたの?」
聞いても気分の良くない話だと分かってはいたが、誰かに話すことで楽になる部分もある。
セレネはムッとした表情を浮かべて何やら考え込んでいたが、ゆっくりと口を開いた。
「あの令嬢達、お姉様が立ち去った後で私に『常にアリアドネ様に監視されているなんて息が詰まるでしょう?』と言ったのよ。『我が儘を言ってセレネ様を一年早く入学させるなんて、そこまでして自分が優位に立ちたいのかしら』って」
「つまり、あの令嬢方は私が優越感に浸りたいからセレネを無理やり入学させたと思っているのね。見当外れもいいところだわ。一体どこからそのようなお話になったのかしらね」
「……アレスお兄様よ」
下を向いたセレネは言いにくそうに呟いた。
その一言だけで、アレスが以前と全く性格が変わっていないと知る。
「あの人が親しくしている下級生にお姉様の我が儘に振り回されるセレネが可哀想だって言いふらしていたって。私がお姉様に失礼な態度を取っていた頃の話を持ち出して、あの頃からよくセレネを泣かせていたとか両親の頭を悩ませていたとか言っていたらしいの。あれは全部両親と私が悪いのにあの人は何を見ていたのよ……!」
「彼は未だに両親の落ち度に気が付いていないのね」
「妹としてすごく恥ずかしいわ。おまけにエリックお兄様が公爵になったのも、両親と自分が離宮に追いやられたのもお姉様のせいだって言っているみたい。どうして自分の非に目を向けないのかしら」
……あながち間違ってはいないと思う。
計画を立てたし、そうなるように動いていたし。
だからといってこのまま傍観するほど罪悪感は持っていない。
「二年近く経ってお姉様の噂もなくなっているんじゃないかって思っていたけど、焚き付ける人がいたなんて……。これじゃお姉様の学院生活が脅かされてしまうじゃないの」
「しかも身内で信憑性があるからたちが悪いわよね」
「そうなのよ……。他の方は私達の何を見ているのかしらね。あんなにお姉様を慕っているのに……。良かれと思ってしたことでお姉様の足を引っ張るなんて自分が許せないわ」
「……人は自分の見たいものしか見ないところがあるものね」
自分に都合の悪い事実は無意識に流してしまうものだ。
しかし、セレネには嫌な話を聞かせてしまった。
自分の意思で学院の試験を受けたのに、自分のせいで私の評価を悪くしてしまったことを気に病んでいる。
「私はセレネと一緒に学院に通えることが嬉しいと思っているし心強いとも思っているわ。それにまだ一週間しか経っていないもの。私達の姿を見せることで聞いていた話と違うと見る目を変える方はきっといるわ。だから自分を責めないで」
「やっぱりテーブルをひっくり返すべきだったわ」
「どうしていきなりそういう思考になるの!」
「お姉様の器の大きさに比べて、嘘の話を信じている人達の小っささに余計に腹が立つからよ! 私のお姉様は大陸一の美女で才女で優しいのよ! と宣伝して回りたいわ!」
「変な宗教を疑われるから絶対にやらないでちょうだい」
ただの悪女が少し心を入れ替えただけで性根はなにも変わっていない。
神聖視されるような人間ではないから、胸が痛くなる。
「それに嘘の話に惑わされない方もいるわ。今日、昼食で同席したボナー男爵家令嬢がそうだったもの。全員の貴族がそうではないのだから、きちんとこちらを見て対応して下さる方を大事にしていきましょう」
「ボナー男爵家って言ったら貿易で有名な?」
「そうよ。よく勉強しているのね」
「お姉様に敬意を持って接してくれたと?」
「ええ。とても気持ちの良い方で親しくなりたいと思ったわ。彼女は新興貴族であることにあまり自信が持てないようだったけれど、人付き合いにそういったことは関係ないもの」
私の話を聞いたセレネは「ふぅん」と呟くと満足そうに笑った。
少しは機嫌が良くなったようで一安心だ。
「ボナー男爵家令嬢は確かな目をお持ちのようね。お姉様にご友人ができて私も嬉しいわ」
「ありがとう。でもセレネにも心を許せる友人がいればいいのにとも思っているのよ」
「それは私も思うけれど、相手を信頼するってとても難しいことだから……。私って人を見る目があまりないから、この方は大丈夫なのかって疑って見てしまって」
「セレネは慎重なだけでしょう? それは悪いことではないわ。無闇に人を信用するよりよほど良いと思うもの」
「無闇に人を信用したせいで、あんな性格になってしまったからね……」
子供は無条件に親を信用するものだし、親が間違っているなんてまず考えない。
あれは仕方の無いことだと思う。
けれど、親がああだったのだから他人は……と考えると全員を疑って見てしまうのも分かる。
軽く人間不信になっているのかもしれない。
「悩んでしまうのなら無理に仲良くする必要はないわ。どちらだろうかと悩んだら私に尋ねてもいいし、あまり重く受け止めないで。無神経なことを言ってしまってごめんなさいね」
「お姉様のせいではないわ! 私が過去のことを引き合いに出してそうしなくて良い理由を言っただけだもの」
「その言葉からでも、もう昔の貴女ではないと分かるわ。驚くくらいに成長しているもの。自分をちゃんと客観的に見られているのは凄いことだと思う」
「……お姉様のお蔭よ。私を見捨てずにいてくれて本当に感謝しているの」
真っ直ぐに向けられる好意的な視線。
嬉しいからこそ、アレスの流した噂の下劣さに腹が立つ。
本当にどうしてくれようか……と考えていると、何か思いついたのかセレネが「あっ」と声に出した。
「今度アレスお兄様を闇討ちするのはどうかしら?」
「武力で黙らせようとするのはやめなさい……!」
「そうですよ、セレネ様。ここは我々にお任せ下さい」
これまで黙って給仕をしてくれていたミアがサッと会話に混ざってくる。
表情は変わっていないが、目が一切笑っていないところを見ると彼女も腹が立っているようだ。
「あ、エリックお兄様に報告するのね!」
「ええ。こんなにも早く相手が尻尾を出すとは思ってもいませんでしたが。本当に……アリアドネ様もセレネ様もご聡明でお優しく思慮深いのにどうしてと思わずにいられません。お二方のお兄様に対して申し訳ない気持ちもありますが」
「いいのよ。ミアの言うとおりだわ。公爵という立場なだけで自分の実力だと過信して偉ぶっていたような方々だもの。血縁であることが恥ずかしいと思っているから」
「失言に対して寛大な対応に感謝致します。すぐに旦那様にご報告して対処していただきますので」
「お願いね。私達はしばらく静観していましょう。絶対に一言言ってやろうなどと思ってはいけないわよ?」
すぐに行動に移しかねないセレネに注意をすると彼女は引きつった笑みを浮かべた。
やるつもりだったな……。




