初日
翌日、屋敷を離れて自分でも知らぬ間に緊張していたのか予定よりも早く私は目が覚めてしまった。
「さすがにこの時間じゃミアはまだ起きていないわね」
軽くあくびをした私はミアを起こすのも悪いと思って一人で身支度を整えた。
鏡に映る自分の姿を見て、まさかまた学院に通うことになるとはと苦笑する。
生前はクロードに勝つことしか考えていなかったから学院では知り合いを多く作っていたものの深く付き合う人はいなかったし、ほぼ勉強しかしていなかった。
だから、今回は他人を拒絶することなく友人の一人や二人作ってみたい。
学院生活を楽しみたいという気持ちが強い。
「アレスがいる時点で難しいかもしれないけれどね」
あとミランダの存在もだ。
学院の女王様になりたいのであれば、快く譲るので敵対してこないで欲しいところである。
本当にできれば放っておいて欲しい……と思っていると、ノックの後に扉が開いてミアが室内に入ってくる。
彼女はすでに起きていた私に目を丸くしていたが、それも一瞬のことですぐに「おはようございます」と声をかけてくる。
「少し早いですが朝食をお持ちしましょうか?」
「ええ。お願い」
反射的にお願いしたが、上位貴族ともなると部屋まで持って来て貰えるのか。
生前は寮の食堂しか利用できなかったというのに、扱いの差に驚いてしまう。
そう思っている間に朝食が運ばれてきて、フィルベルン公爵家のメニューと遜色ない内容に驚きつつも食べ終えた。
まだ時間があったので教科書を読んでいると、ノックの音と共にセレネが部屋に入ってくる。
「お姉様、教室に行きましょう!」
「まだ早いわよ」
「もう! 初日が大事なのです! 特に今年は皇太子殿下と四大名家の子息令嬢が揃う貴重な年なのですよ?」
「そうだったわね。昨日エレディア侯爵家のミランダさんは確認したけれど。そういえば残りの四大名家のご令嬢はサベリウス侯爵家のシルヴィアさんだったわね。私達の一学年上だったはずよね。今までお顔を拝見したことがないからどのような方なのか楽しみだわ」
四大名家と言われるフィルベルン、リーンフェルト、エレディア、サベリウス。
昨日はミランダに会えたが、シルヴィアは名前だけしか知らない。
確か皇太子の婚約者だったはず。
穏やかな方だったらいいのにと思っていると残念そうな表情を浮かべたセレネが口を開いた。
「えーと……シルヴィアさんのことなのだけれど。昨日リサに聞いたら病欠でずっと休んでいるみたいなの」
「……お体が弱い方なのかしら?」
「多分? 入学してからずっとって言ってたわ。だから生徒達は誰もシルヴィアさんのお顔を知らないのだって」
「籍だけ置いているという状態なのね。でも誰もシルヴィアさんのお顔をご存知ないなんてことあり得るのかしら」
生前はとにかく顔を知られなければ、顔を売らなければと色んなところに出ていた私からすると不思議に思う。
けれど、今の私やセレネもあまり貴族と交流がなかったし、四大名家ともなれば顔を売る必要もないから仕方ないのだろうか。
「さすがに皇太子殿下はお顔をご存知なんじゃない? でも卒業するまではシルヴィアさんのお顔を見る機会は来なさそう」
「そうね。早く体調が良くなればいいのだけれど」
一度も授業に出なくても多額の寄付さえすれば卒業はできるのだから、優遇されている。
それが良いか悪いかを論じる立場ではないけれどね、と思いながら私とセレネは授業の話をしながら教室に向かった。
向かっている途中でゆっくりと歩いているテオドールの姿を発見した。
彼は私達の姿を見つけるとニッコリと微笑みを浮かべてくる。
「おはよう。アリア、妹君」
「テオ様、おはようございます」
「入学式には参加できずにアリアと会えなかったから、今日こそは会おうと思って早くから待ってたんだ」
「前日にテオ様が学院に入学されることを聞いたのに見当たらなかったので、不思議に思っていたのですが何か予定があったのですね」
「そうなんだよね。……でも待ってて良かった。アリアの制服姿、大人っぽくてすごく似合ってるし素敵だと思う」
「ありがとうございます。テオ様もお似合いですよ。それに以前お会いしたときよりも背が高くなりましたか? いつの間にか抜かされてしまいましたね」
言葉通り、テオドールの背はすっかり私を追い抜いている。
男の子の成長って早いわね、と感慨にふけってしまう。
そういえば同じ年の頃だったクロードもこのくらいの身長だった気がする。
懐かしいものだ。
「夏の間に一気に伸びたんだ。アリアと同じ身長だとちょっと男として悔しかったから抜かせて嬉しいな」
照れ笑いを浮かべながら、どこか誇らしげなテオドールの姿が可愛らしい。
真っ直ぐ私を見つめて好意をぶつけてくれるのは嬉しいものである。
好かれたことも愛されたことも経験がないから、どこかむず痒さもあるけれど。
「それよりも入学式で何かトラブルはなかった? 誰もアリアに無礼な態度を取らなかった?」
「何もありませんでしたよ」
セレネといいテオドールといい、過保護過ぎな対応に私は苦笑してしまう。
「アリアは何を言われても受け流してしまうところがあるから心配なんだよね」
「本当にそうよ! お姉様は器が大きすぎるわ」
「普通なら怒って相手を切って捨てるようなことをされても平然としているしね」
「だから見ているこっちがやきもきするのよ! 私のお姉様になんてこと言うのって!」
「優しくて器が大きいところがアリアの良いところだけど、他の奴はそれで調子に乗るからね」
「それ! 本当にそれ! 四大名家の令嬢だって忘れてるんじゃないわよ! って言いたいわ」
「普段張り合うくせに、どうしてこういう場面だと意気投合するのかしらね」
熱くなっている二人を尻目に私は諦めたように遠くを見つめた。
あと私は器が大きいわけでも優しいわけでもない。小さなことに労力を割きたくないだけだ。
大体、要所要所で言い返したりしているというのに、彼女らの記憶には残っていないのだろうか。
どうも穏和で争いごとが嫌いというイメージを持たれているような気がする。
素敵なお姉様と思われているのは普通に嬉しいので敢えて否定もしないけれど。
「そんなことよりも、早く教室に行きましょう。立って話すよりも座っていたほうが良いでしょう」
「はあい」
「そうだね。そっちの方がゆっくり話せるしね」
二人から了解を取って私達は移動して教室に入った。
席は決まっていないから、窓際の一番後ろ近辺に前にセレネ、横にテオドールという配置で座る。
まだ早いからか他の生徒達は登校しておらず、しばらく私達は教科書を見ながらあれこれと話をしていた。
しばらくするとポツポツと生徒が教室に入ってきて、すでに居た私達を見ては目を丸くしている。
まさか四大名家の子息令嬢が誰よりも早く登校しているとは思ってもいないだろう。
彼らは好奇心には勝てないのか、私達の会話に耳を傾けて注視している。
セレネもテオドールも気にする素振りもなく会話を続けていた。
私はといえば、敵意悪意と好意を見分けるために彼らに意識を集中させて敵と味方が誰なのかの判断中だ。
見たところ、七割好意に三割悪意といったところか。
その三割も私に対してのものがほとんどだ。
以前の噂をまだ信用している人が多いということなのだろう。
などと思っていると、テオドールの席に近づいてくる女生徒が目に入る。
昨日も見たその顔にすぐに私は彼女がミランダだと分かった。
彼女は私とセレネを一切見ずにテオドールだけを見て微笑んでいる。
「初めましてテオドール様。エレディア侯爵家の長女、ミランダと申します。一年早く入学されるなんてとても優秀ですのね。何か分からないことなどありましたら四大名家の令嬢として頼っていただけると嬉しいです」
「分からないことがあれば頼らせてもらいます。ですが、昔馴染みのフィルベルン公爵家のご令嬢方もいますので、大丈夫です。心遣いに感謝します」
「…………失礼ですが、テオドール様はフィルベルン公爵家のご令嬢方とそこまで仲がよろしかったのですか? あ、いえ。家族ぐるみの付き合いというのは存じておりますけれど、性別の差もございますから意外で……」
「とっても仲良しよ。ね? テオドール様」
口を挟むなセレネ。余計にややこしくなる。
ほら、ミランダがギリギリと歯を軋ませているではないか。
「テオドール様が私達に合わせて下さっていたところもあったと思います。過ごす時間が多かったというだけで、入学して視野や交友関係が広がれば個々で過ごす時間が増えていくのではないかしら?」
「え? 今、僕のことテオドール様って言った?」
「過ごす時間が減るなんてあり得ないわ。断固拒否よ」
この二人は…………!!!
ミランダの矛先がセレネに行かないようにしたのに、後ろから撃つような真似をするんじゃない。
大体、テオ様と呼んだら余計火に油を注ぐことになるでしょうが。
そう思いながらも一切表情に出さずに微笑んでいる私を褒めてやりたい。
「別に仲がよろしいことに不満があるわけではございませんわ。でもセレネさんはともかく、アリアドネさんは……ねぇ?」
ミランダと側にいた取り巻き達は私を見て小馬鹿にしたように笑っている。
彼女も私の噂を信じているようだ。
その態度にセレネとテオドールの顔から笑みが消える。
(随分と好戦的な方ね。でも誰であったとしても下に見る態度は良いとは言えないわ)
セレネとテオドールに矢面に立たせると何をしでかすか分からない。
なら、私が出るしかないじゃないか。
「私がテオドール様と親しいとおかしいのかしら?」
「え? いえ、だってねぇ?」
「ハッキリと仰っていただける? まるで私がバカにされているようで気分が悪いわ」
ジロリと睨みつけると、ミランダがたじろいだのが分かった。
「私に関する間違った噂が未だに流れていることは承知しておりますが、それが真実かどうか見極める目をお持ちになった方がよろしいのでは?」
「……その噂が間違っていれば、というお話でしょう? アリアドネさんの仰ることが真実であればよろしいですわね」
何か一言言わなければ気が済まないのか、ミランダはそう言い残して取り巻き達を引き連れて空いている席へと戻っていった。
「なんなのあの態度……! お姉様に対してなんて無礼な」
「アリアをバカにした時点でもう無理。ありえないよ」
君達は好戦的にもほどがある。
それにしても昨日の時点で目を付けられてはいただろうけど、今ので完全に敵だと認識されただろうな。
子供相手にあれこれ言いたくないのだけれど、仕方ない。腹をくくるとしよう。




