入学式
入学式当日。
朝から使用人達が屋敷内を行ったり来たり、バタバタと慌ただしい様子を見せている。
すでに制服に着替えた私はゆっくりと朝食を食べ終え、情報収集のために今日の新聞を読んでいた。
劇場の改装が終わったとか、新作ドレスの発表会があるとかオドラン子爵夫人の慈善事業の件だとか平和な記事ばかり。
けれど、ひとつだけ物凄く小さな記事ではあったが『また貧民街で不審死』との記事があった。
貧民街のことが載っているのは珍しいと思って読み進めると、亡くなった人は発熱していたものの死ぬほどではなかったとのこと。
なのに、いきなり苦しみだして呼吸ができなくなって死に至ったと書かれている。
危ない薬でも流行っているのだろうか。
貧民街でこういったことが起こるのは珍しくはないが、新聞に載るほどだ。
物騒だなと思っていると、対面にいたセレネが声をかけてきた。
「……やっぱりお姉様の制服姿、とっても良いわ」
「セレネもよく似合っているわよ」
「お姉様が着るから特別なの。白のケープが上品さを際立たせているわ」
似合っているか似合っていないかで言えば自画自賛になってしまうが、そりゃあ似合っているとは思う。
だが、そこまで褒められるほどではないと思うのだけれど。
大体制服は金の縁が入った短めな丈の白のケープに深緑のチェックのワンピースで二十二年ほど前のデザインと何も変わっていない。
着用する人間の見た目が全く違うのだから印象も当然違うのは分かるが、誰が着てもさして変わらないのでは? というのが本音だ。
「学院の令息はお姉様に見惚れてしまうわね」
「大袈裟よ。その立場になるのはセレネだと思うわ」
まるで小動物のような愛らしさを持ちながら自信に満ちあふれているセレネ。
彼女の姿は見る者を魅了する力があると私は思っている。
人目を引くのは圧倒的に彼女の方だ。
「……そこが問題なのよね。とっても不満だけど、お姉様の印象は以前と同じままで固定されているだろうし、私と一緒だと迷惑をかけてしまうかも」
自分の愛らしさを自負している自己肯定感の高さは非常に良いと思う。
私の立場を客観的に見られるのも視野が広くて素晴らしい。
本当に成長したものだ、と思いながら私は口を開いた。
「別に入学早々、目立ちたいだなんて思っていないわよ。迷惑になんてならないわ」
「いいえダメよ! お姉様の印象を覆す大事な初日なのだから、私がいては足を引っ張ってしまうわ……! リサ、今から学院に向かうわよ」
「ま、待ちなさい! 一緒に行けばいいでしょう? ちょっとセレネ!」
私の言葉などセレネには届いていないのか、彼女はいつの間にか荷物をまとめたリサと共に部屋を出て行ってしまった。
「成長しても思い込んだら即行動のところは変わらなかったわね……」
こうと決めたら他の人の声が耳に入らなくなるところもだ。
せっかく姉妹で一緒に行けると思っていたのに、と私は残念な気持ちになる。
「こうなったら、少し早く私も向かうしかないでしょうね」
苦笑しながら私は玄関に行き、使用人にエリックを呼んでもらう。
少しして、笑みを浮かべた彼が現れた。
「セレネは先に行ってしまいましたので、私もこれから行って参りますね」
「バタバタと慌ただしく屋敷を出て行く姿を見ていたよ。ああいう面を見るとまだまだ子供だなと実感するね。セレネが無茶をしないように気を付けて見てあげて」
「テオ様もいらっしゃるので大丈夫だとは思いますが、気を付けます。では行って参ります」
「頑張りすぎないようにね。無理して倒れることにはならないように。いってらっしゃい」
エリックと使用人達に手を振り、私とミアは馬車に乗り込んで学院へと向かった。
学院は皇都の東に位置し、強固な壁で囲まれた要塞のような場所。
中に入るだけでも二重三重のチェックがあり、それらを越えてようやく敷地内に入ることができる。
ベルネット伯爵家令嬢だった頃は確認だけで時間を取られていたが、四大名家のフィルベルン公爵家ともなれば待ち時間は非常に短い。
あまり時間もかからず私達は学院へと到着した。
「では、私は寮のお部屋に荷物を運びに参ります。お気を付けていってらっしゃいませ」
「頼むわね。終わったらセレネと寮まで行くから迎えはいらないわ」
「畏まりました」
ミアに荷物を託し、私は入学式が行われる講堂に向かう。
歩いていると周囲から浴びせられる好奇心に満ちた視線の数々。
侍女付きで来る人間なんて皇族や四大名家、それに上位貴族くらいしかいないから、私がどこの家の令嬢なのか気になるのだろう。
だが、彼らの好奇心に応える義理はないので無視して歩き出す。
それとなく周囲を見てみるが、セレネの姿もテオドールの姿もない。
すでに講堂に行ってしまっているのかもしれない。
歩いている途中で制服の色が違う生徒を数名見かけたが、彼らは固まって移動しており物珍しそうに校舎を眺めていたので平民の入学生なのだろう。
(入学式は一緒だけれど校舎は違うし知り合うことも難しいかもしれないわね。色々な立場の人達と知り合うことは見識が広がるし情報も得やすいから私としては歓迎なのに残念だわ)
貴族だから偉いだとか平民だからどうこう言う価値観を私は持っていない。
どの立場でも良い人もいれば悪い人もいる。それだけのこと。
(という私の考えが普通からかけ離れていることも理解はしているけれどね。でも、あのように制服の色が違うと無用なトラブルに巻き込まれるのではないかしら? ……ほら、あのように)
視線の先にはクリーム色のケープにチェックの入っていないワンピース姿の女子生徒が貴族の令息達に囲まれていた。
その内の一人の令息は顔を真っ赤にして怒鳴っており、何度も頭を下げていた女子生徒の表情は怯えていた。
その姿を見た私はため息を吐きながら足を止める。
「どこ見て歩いているんだよ! 平民の癖に貴族にぶつかるなんて何考えているんだ!」
「ごめんなさい……!」
「謝るだけなら誰だってできるんだよ!」
「お前新入生だよな? 貴族にぶつかるような奴に入学する資格なんてない。お前みたいな奴は学院の生徒に相応しくないから辞退してそのまま帰れよ」
「そんな!」
「平民の分際で貴族にぶつかったんだからそれぐらいして当然だろう!」
なんと小さな男達だろうか。
一言二言文句を言ってさっさと立ち去ればいいだけの場面ではないか。
しかし、ああまで強く当たるということは大方、威張れる相手が平民しかいない下位貴族なのだろう。
あのようなことをするよりも礼儀や紳士としてのあり方を学びなさいよと呆れてしまう。
立ち止まって絡まれている女子生徒をジッと凝視していると、彼女も私の視線に気付いたようで目が合った。
私が見ている理由が分からないのか、彼女は怯えながら首を傾げている。
「おい、どこ見ているんだよ!」
振り向いた令息の一人と目が合ったので優雅に微笑んで見せた。
貴族の令嬢に見られていたというのが恥ずかしかったのか、彼は先ほどまでの勢いをなくしたようだ。
良かった。「平民の方を相手に元気な皆様ですね」と言わなくて。
ただ、黙ったままでいるのは不自然だ。
「……入学式に遅れてしまいますよ」
「いや……その、こいつが」
「令息にぶつかったのですよね? 丁寧に説明していらしたので事情は把握しております。ですが、ここは学院内ですので個人で解決なさるよりも先生に報告して解決していただいた方が角が立たないと思いますが」
「でも」
「そちらの女子生徒の方も悪気があってぶつかったわけでもありませんし、このような建物や景色も見慣れず、注意を疎かにしていたところもあるのでしょう。お見受けしたところ、次から気を付けてと広い心で受け止められる令息方だと思うのですが……」
片手を頬に当てて困ったような表情を浮かべてみると、彼らは顔を見合わせて私に軽く頭を下げて去って行った。
名前と顔を知られていたら舐められていたところだった。良かった、入学式の前で。
ホッと息を吐いて残った女子生徒に視線を向けると、彼女は私に深々と頭を下げていた。
「あの、ありがとうございます」
「いいえ。彼らが学院に相応しくない見苦しい姿を見せておいででしたので、つい口を出してしまっただけよ。貴方も物珍しいでしょうけれど、前を見て歩いた方がよろしくてよ」
「はい……気を付けます」
「それと、入学式以外で貴族と会うことはないでしょうけれどひとつだけ。貴族間でも家柄が上の者が声をかけない限りは先に声をかけてはいけないことになっているの。気を付けなさいね」
今し方自分から声をかけたことを思い出した女子生徒は、しまったと青ざめている。
「けれど、今のは私が先に声をかけるべきだったわね。そういったしきたりをご存知でないことを失念していたわ」
「いえ、教えてくれてありがとうございます! 次から気を付けます」
「では、私はこれで。貴女も入学式に遅れないようにね」
そう言って私は相手の反応を見ることなく講堂へと足を動かした。
背後から足音が聞こえなかったことを考えると、彼女は私の姿を見送った後で移動でもするのだろう。
(入学初日、それも入学式も始まっていないのに首を突っ込んでしまったわ……)
エリックが見たら「ほーら!」とでも言うかもしれない。
いや、だが私が出なければもっと大変なことになってしまっていただろうし……。
他の生徒の注目を浴びてしまったけれども……!
大丈夫よね? と視線だけを動かしてみると、少し離れたところで五人ほどの女子生徒の集団がこちらを見ていた。
その中心で気が強いのがヒシヒシと伝わる容姿の女子生徒が私を睨みつけていた。
(あの目……随分と私に敵対心を抱いているわ。姿勢の良さや気品から見るに彼女は四大名家のご令嬢かしら?)
四大名家の令嬢であれば、できれば仲良くとまでは行かないがいがみ合うことはしたくないと思っていた。
けれど、あの目をしている以上は難しいかもしれない。
突っかかってこなければいいわね、と思いながら私は講堂に到着した。
到着してすぐにセレネに声をかけられ、私達は上位貴族が座る場所に腰を下ろした。
入学式は皇帝や学院長の挨拶などがあり、生徒達の相談役としてオドラン子爵夫人という人が紹介された。
帝国内に多い濃いブラウンの髪にアッシュグレイの瞳。
特に目立つ容姿ではなく、大人しそうであまり印象に残らないタイプの人に見えた。
(今朝、新聞で慈善事業の件で記事になっていた方ね。穏やかそうな方だけれど、これだけの人の前で淀みなく話せるのだから心臓が強い方のようだわ)
生徒の相談役を務めるくらいだから社交界でそれなりの地位を築いているのだろう。
オドラン子爵夫人の挨拶の言葉に生徒達が静かに耳を傾けている。
彼女は平民であろうと貴族であろうと学ぶ権利があること、平民貴族関係なく学んで欲しいというようなことを話していた。
性善説を信じているタイプに見えるが、話し方が少々大袈裟なところが少し気になった。
胸に何も響いてこない。上辺だけの言葉を言っているというか……。心からの言葉とはどうも思えない違和感を覚えたのである。
だが、粛々と式は進行していき、意識がそちらに向けられたことで入学式が終わる頃には彼女のことはすっかり記憶の彼方に追いやられていた。
入学式が終わり、生徒達は帰宅する者や寮に向かう者で別れる。
残念ながらテオドールの姿を見つけることはできなかったが、セレネと共に講堂を後にして指定されていた寮の最上階にある部屋に入った。
「おかえりなさいませ。入学式はいかがでしたか?」
「特に何もなく普通に終わったわ」
出迎えてくれたミアに苦笑しながら報告をして私は部屋を眺める。
それほど時間も経っていないというのに部屋はすでに綺麗に片付けられていた。
あの大荷物を全て整理したのかと彼女の手腕に驚いてしまう。
「それにしても広いわね。いくつ部屋があるのかしら?」
「私の部屋を抜くと三部屋ですね。私も学院にお供したことはありませんので、部屋に入ったときは驚きました」
「三部屋……」
小さな屋敷といってもいいくらいだ。
ベルネット伯爵家令嬢だった頃は二人部屋だったのに、上位貴族は凄い。
しかも私とセレネは同室ではなく、それぞれの個人部屋だというのだから尚更である。
……ああ、そうだ。
「ちょっと聞きたいんだけれど、明るめのベージュ色の髪で澄んだグリーンの目をしたご令嬢に心当たりはあるかしら?」
「アリアドネ様と同学年でそのような特徴のある方ですと、四大名家のひとつであるエレディア侯爵家ご令嬢のミランダ様ではないでしょうか。……まさか! 初日に何か言われたのですか!?」
「言われていないから落ち着いて……! あと目つきが悪いとか噂はある?」
「……目つきですか? いえ、そういった噂を耳にしたことはございませんが」
なら、あれはやはり睨まれていたのか。
気が強そうな顔をしていたし、ぶつかる可能性が高くなった。
しかも四大名家の令嬢だとは……。
平穏無事に学院生活を送りたいと思っていたけれど、前途多難である。




