入学式前日
「アリアドネ様。今日も良いお天気ですね」
シャッとカーテンが引かれ、寝ぼけ眼の私はあまりの明るさに顔を歪めてシーツを頭からかぶる。
「いつも私が来る頃には起きていらっしゃるのに、また夜更かしして本を読んでいらしたのですか? たまのお寝坊はよろしいと思いますが、夜更かししてというのはいただけませんね。年頃のお嬢様なのですから睡眠は大事なのですよ?」
「ミア……カーテン、閉めて」
「おはようございますお嬢様! さあ、朝ですよ! 起きましょう!」
専属侍女であるミアは私のお願いを聞くことなく、非情にもシーツを剥ぎ取ってしまった。
酷い。
「今日はどこにも行かないのだから、お昼まで寝させてくれてもいいじゃないの……」
「何を仰っているのですか。今日はアリアドネ様とセレネ様が学院に入学される前日ですよ。お屋敷で過ごす最後の一日ではありませんか」
「大袈裟よ……。一応寮には入るけれど長期休暇には戻ってくる予定だし、今生の別れでもないでしょうに。そもそもミアとリサは専属侍女として寮に着いてくるでしょう」
「私やリサだけではなく皆です。アリアドネ様がいらしてから二年近くずっと仕えてきたのです。使用人一同寂しく思っているのですよ。一番は旦那様でしょうけれど」
ミアの言った通り、アリアドネの両親と兄が離宮に送られてから早いものでもう二年近く経っていた。
これまでの間、私やセレネのことを考えて他家との交流をほぼ持たず、エリックの計らいでリーンフェルト侯爵家にだけ訪れることがあった。
テオドールと話したり出かけたりクロードと雑談をしたり、そういったことをしながらエリックに守られ、使用人達に甘やかされて暮らしてきた訳である。
そして今年、私は貴族の子息令嬢達が通う学院に入学することになっている。
二十年以上前に在籍はしていたので不安はあまりないが、本来の年齢からすると年下の生徒達と一緒に学ぶという点だけは複雑な気持ちを抱いていた。
しかも、以前とは違い校舎は違うが優秀な平民も入学できるように変わっているとも聞いている。
また、ある事情から一年早くセレネも入学することになっている。彼女のことだから上手くやるだろうとは思っているが、姉として心配なところもある。
「今からでも自宅通学に変えようかしら」
「使用人としては嬉しいところですが、フィルベルン公爵家の決まりですからね」
「そんな決まりは私の代で破ってやるわ」
「はいはい。さ、顔を洗ってお着替えして朝食に参りましょう。セレネ様がお待ちですよ」
二年も経てばミアの私に対する扱いが上手くもなる。
最初の頃にあった遠慮はもうなく、軽口を言い合うくらいには信頼関係を築いている。
もう少し寝ていたかったけれど、起こされては仕方がない。
ミアに手伝ってもらいながら顔を洗って身支度を調える。
鏡に映るのは二年前とは違い健康的な顔色で年相応の顔立ちの私。毎日ケアしているからか髪の艶もありサラサラの髪。
心なしか肌も白くなったような気がしないでもない。
こうして見ると、アリアドネは他の令嬢に引けを取らない美少女である。
「……また、ご自分のお顔に見惚れているのですか?」
「自分の顔に自信を持つのは良いことなのではないかしら」
「良いことですが、慣れるものではないのかと思いまして」
「あら、自己肯定感を高めるのは大事よ?」
だから何も問題は無いと私が言うとミアは「はいはい、そうですね」と言って笑顔のまま手を動かして髪のセットを終わらせた。
軽くあしらわれているような気がするが、ミアだからいいか。
そんなこんなで準備が終わり、食堂に行くために私は立ち上がる。
「じゃあ、行きましょうか」
ミアにではなく自分に気合いを入れるための言葉。
彼女もそれを分かっているからわざわざ返事をすることはない。
窓から入ってくる心地よい風を感じながら、私は食堂に入った。
「お姉様、おはようございます」
入って来た私にいの一番に挨拶をする可愛らしい妹のセレネ。
背も伸びて顔つきも大人びたというのに、私に対する態度は変わらない。
「おはよう、セレネ。おはようございます、エリック兄様」
セレネとエリックに挨拶をしつつ、私は彼女の隣の席に腰を下ろす。
この二年近くで私のエリックへの呼び方はエリック兄様に変わっていた。
エリック様と呼んでいたら「距離を感じるから嫌だ」と言われてしまったからだけれど。
なんだかんだで彼は私とセレネを大事にしてくれて可愛がってくれている。
必要以上の教育を受けさせてくれて、オペラや演奏会などに連れて行ったりしてくれた。
そのせいなのか分からないが、今も彼は独身。浮いた噂がひとつもないのがこちらとしては心配でもある。
「おはよう、アリアドネ。また読書をしていて寝坊したのかい? 入学前日だからセレネは不安で早くに起きてしまったというのにね。それとも心配や不安で眠れなかったとか?」
「セレネもいますし大丈夫ですが、他の貴族の子息令嬢が大勢居る場は少しばかり緊張しますね」
「確かに会ったこともない知らない子達の方が多いからね。君達を世間から守るためにあまり他家と交流してこなかったのが響かないといいけれど」
「最初は名前と顔を覚えるのに大変でしょうけれど、慣れれば大丈夫だと思います」
エリックを安心させるように微笑むと、彼は困ったように肩をすくめた。
どうやら彼の発言の意図とは違う反応をしてしまったようだ。
「他家と交流しなかったから、アリアドネに関する噂を払拭できていないんだよ。それに関して君が何か嫌な思いをしてしまうのでは? と思ってね」
「ああ、そういうことですか。なら心配いりません。実際の私を見れば噂と違うのは一目瞭然でしょうから」
「相変わらず肝が据わっているね。まあ、馬鹿なことを言ってくる人が出ても一学年上に皇太子殿下もいらっしゃるし、大きな騒ぎにはならないだろう」
ということは、皇帝から皇太子に私に関することで報告でもされているのだろうか。
フォロー体制は整えていると考えてもいいみたいだ。
そもそも、今年度から皇太子と四大名家の子息令嬢が揃うから、というのもありそうだけれど。
「お心遣いに感謝します。騒ぎになって迷惑をかけないようにします」
「迷惑なんていくらでもかけていい。君達には学院生活を楽しんで欲しいし、良い思い出を作ってもらいたいと思っているからね。だから、騒ぎになったらすぐに出て行く準備はしているから安心して」
「準備万端ですね」
過保護だなと思わず笑ってしまう。
けれど、その気持ちが嬉しいのも事実だし、胸を張ってエリックが人に自慢できるような人間になりたいとも思う。
だからできれば揉め事は起きないで平穏無事に学院生活を送りたい。
「そりゃあ、これぐらいしないと心配だからね。フィルベルン公爵家の令嬢だからと寮も屋敷の侍女付きで個人の良い部屋を用意してくれるって言っても、四六時中ミアやリサが君達の側にいられるわけでもないし」
数多の修羅場をくぐり抜けてきた経験があるから、学院の子供達の相手など容易いのだけれどね。
エリックはそれを知らないから私が傷つかないように手を回してくれている。
騙しているようで少し罪悪感を持ってしまう。
一番は何事もなく学院生活が送れればと思うものの、私の立場だと放っておいてくれないだろう。
なんせ学院には兄のアレスがいるのだから。本来ならもう卒業しているが、彼が駄々をこねた結果、学院の職員として在籍しているのだ。
嫌でも顔を合わせるだろうし、二年近く経っても性格が変わっていなければちょっかいをかけてくる可能性もある。
それでなくても今年は私だけじゃなく……と考えていたところでエリックが口を開いた。
「それよりも、学院生活で不都合があったりトラブルに巻き込まれたらすぐに言うこと。いいね。それをやる人物がいることを忘れちゃいけないよ」
エリックもアレスのことを警戒しているらしい。
今は私一人ではなく、エリックもクロードもエドガーもいる。何よりセレネがいる。
味方がいるということは心強いものだなと感謝したくなる。
「不穏な動きを見せたらすぐにエリック兄様に連絡します」
「良い子だね。……ミアもリサも目を光らせておくように」
「はい」
一気に食堂の空気が張り詰めたが、話を理解しているにもかかわらず隣に座っていたセレネが私の袖を引っ張った。
そちらに目をやると彼女は上目遣いで私を見つめている。
「お姉様、学院で無礼な態度を取られたらすぐに私に教えてね」
「……それぐらい自分で対処できるから大丈夫よ。妹に庇われる姉だなんて情けないでしょう」
「もう! お姉様がご自分でなんでもできるって分かってるわよ! 私はただ、言った人間を把握して目を光らせておいて二度目があれば首を狙うつもりなだけ……!」
「穏便に解決なさいな……。一年早く入学するだけでも目立つというのに、自ら居心地を悪くするようなことはしないの」
私を想ってくれる気持ちはありがたいが、むやみやたらと敵を増やすのも良くない。
だから冷静になってね、と言ったのに、セレネの鼻息は荒い。
そもそも、彼女の入学は来年のはずだったのだ。
なのに職員として兄のアレスがいるということもあってセレネが熱望したこともあり、エリックがほぼ形骸化していた学院の入学資格の例外を利用したのである。
それは入学する年齢に達していなくても、同等もしくはそれ以上の学力を持っていると証明できた場合、入学を許可する、といったものだ。
証明する方法として今は平民が受けるかなり難しいと言われる入学試験で上位の成績を収める必要があり、セレネはそれを証明したというわけだ。
「だってお姉様はお優しいから、罰を与えないのだもの。もっと厳しくしても良いのにって私もテオドール様も思っているのよ」
「口だけの攻撃に手を出すのはやり過ぎだからよ。勿論、フィルベルン公爵家を侮辱するようなことを言われたらそれなりの対処はするけれど、言ってくるのは私のことだけだもの。軽く言い返すだけにしておかないと、ムキになったらこちらが不利になるだけだわ」
「……お姉様の考えは素敵だと思うけれど、やっぱり私はお姉様を馬鹿にされて黙っていられないわ。テオドール様もお姉様は優しすぎて我慢して貯め込むんじゃないかって心配しているんだからね」
確かにセレネから見たら言いたい放題言われているだけに見えるのかもしれない。
だからといって毎回反応して制裁していたらキリが無いのだ。
ある程度、線を引いておかなければいけないのだが彼女からしたらもどかしいのだろう。
それにしてもテオドールとそういった話をしていたとは意外だった。
などと思っていると、セレネは驚くべきことを口にする。
「テオドール様もお姉様が他の子息令嬢達からあれやこれや言われて貯め込んで心を病むのではないかと案じて私と一緒に試験を受けたのだから」
「は?」
「お姉様のために行動出来るテオドール様は凄いわよね。しっかり合格して入学するのだから、やっぱり私が認めた男なだけあるわ」
「初耳なのだけれど……!」
「そりゃあ初めて言ったもの。言ったら絶対にお姉様は遠慮して止めようとするってリーンフェルト侯爵が仰るから黙っていたの」
えへっと効果音がつきそうな笑顔で言ってのけるセレネ。
クロードの奴……。前日に分かってからじゃ苦情も言えないじゃないか。
自分を慕う人の目があれば私も無茶しないだろうとか思っているのだろうが、言っても大人なのだからそこまで心配しなくてもいいだろうに。
「一応確認しておきたいのだけれど、テオ様はご自分の意思で試験を受けられたのよね?」
「もちろんよ。私が試験を受けるって言う前に伝えてきたもの。テオドール様もお姉様のことを考えているのね。一緒にお姉様をお守りしましょうねって固い握手を交わしたわ」
「いつも張り合うのに、どうしてそういう面で考えが一致するのかしらね」
けれど、セレネの話を聞いてホッとした。
自分の意思を抑えて誰かに強制されたわけではないのなら、それで良い。
それにしてもセレネの方が絶対にテオドールとの相性は良さそうなのに、相も変わらず彼は私を好きでいてくれて色々と気遣ってくれている。
実際に何度か家族ぐるみで旅行に行ったりはしたけれど。
誰かから愛されるというのは過去の私が体験していないことだから、どう反応すればいいのか分からないところもある。
けれど嫌な気持ちになっていないし、むしろこんな自分を好いてくれてありがたいとも思う。
問題は、その気持ちを受け入れる権利が果たして私にあるのだろうか、という点だ。
「とにかく、私とテオドール様が目を光らせておくから心配しないで」
「本来なら来年入学の予定だったのに、勉強までして付いてきてくれてありがとう。あと目を光らせるのはほどほどにね」
「一年早いのは何の負担にもなっていないわ。だって、私はお姉様と学院に通えることにワクワクしているんだもの。お姉様が楽しい学院生活を送れるように精一杯頑張るわ!」
「その台詞に不穏な空気しか感じないわ……」
記憶にある限りでは学院は魔物の巣窟のような場所ではなかったはずだ。
多少人付き合いが面倒で家によって力関係が変わるくらいだろう。
ああでも、校舎は別とはいえ平民も通うようになったみたいだから、それも関係しているのだろうか。
何にせよ、私は無難に学院生活が送れればそれでいいのだけれどね。




