姉と弟
クロードに案内されてやってきたのは彼の執務室。
扉を閉めて振り返った彼は嬉しさが隠しきれないような笑顔を浮かべていた。
勢いで抱きつかれるのではないかと思うほどだ。
だが、昔話をする前に彼に伝えておきたいことがある。
私はポケットに入れておいた袋を取り出して、中に入れてあったものを彼の胸元に押し当てた。
突然の私の行動に彼はキョトンとして、胸元に当てられているものと私を交互に見ている。
「これは?」
「エリックの誘拐と殺害を依頼する手紙よ」
「はい?」
「頼みに来たのはうちの執事だけれど、依頼主はフィルベルン公爵。最初は手紙だけだったから、執事の後を付けて家を特定して夜半に直接公爵と会って顔は確認してあるわ。そのときに依頼は受けると返事もしてある」
「誰が? というか話が全然見えてこないのですが? どういうことなんですか? 最初から説明して下さい」
エリックが回復したと公表したら、命を狙われることは織り込み済みだと思っていたが違ったのだろうか。
フィルベルン公爵の行動としては想定内だから、すんなり話は通じると思っていたがどうやら違ったようだ。
それならそれできちんと説明をしなければ。
「私はエリックが回復したと公表したことで公爵の地位が脅かされるとフィルベルン公爵が何か手を打つんじゃないかと思ったのよ。だから情報ギルドに依頼をしてフィルベルン公爵に接触してもらって何らかの依頼を頼んでくるように仕向けたわけなのだけれど」
「ああ……そういうことですか。ご自身が、じゃなくて情報ギルドという第三者を挟んでいたわけですね。その第三者ってもしかして昔、貴族派御用達のあの情報ギルドだったりします?」
「ええ。そうよ、鋭いわね。……まあ、とにかくそういうことだから証拠を受け取ってちょうだい」
クロードの胸元においている手を更に強く押しつける。
苦笑した彼は「分かりましたよ」と言ってようやく手紙を受け取って内容を確認した。
「……これだとフィルベルン公爵が依頼主だと分からなくないですか? 証拠として出しても証明することはできないかと……。それに情報ギルドの長が公爵と対面しているようですが、それを発言したところで信用される可能性は低いですよ」
そんなことは分かっている。今手紙を渡したのはクロードにフィルベルン公爵の策を知らせるため。
「だからクロードに動いて欲しいのよ。簡単に言えば、わざとエリックに誘拐されて欲しいの。皇都の外れの小屋に連れて行って、そこにフィルベルン公爵が確認のため訪れるように仕向ける。エリックに誘導尋問させるなりして自分が依頼したことを発言させてしまえばいい」
「……その場に俺なり政治面で発言力の強い人間が居れば証拠としてこれ以上のものはない、と?」
「その通りよ。要は言い逃れできないように退路を断てばいいってことね」
私の言葉を聞いたクロードはそれまで真顔だった表情から一転して満足そうに笑った。
「姉上だと思ってはいましたが、実際にそんなことがあるのかと疑ってもいました。先ほどもはぐらかされるばかりで確信は持てなかったのですが、今の言葉を聞いて実感しました。言葉遣いや態度、雰囲気……まるで二十年前に戻ったかのようで懐かしく思います。本当に姉上なのですね……」
「あれだけ私だという分かりやすい証拠を残しておいたのだから、気付いてもらわないと困るわよ。でも少し怖いと思っていたのも事実かしらね」
「怖い?」
「ええ。私はクロードにとって良い姉ではなかったし、憎まれていても仕方がないと思っていたのよ」
「そんなわけありません!」
物凄い剣幕で大声を出してくるものだから、予期しない行動に思わず驚いてしまう。
私がビックリしたのに気付いたのか、クロードは途端に申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「あ、すみません……。でも俺が姉上を憎むなんてあり得ない話です。皆が俺を見下す中で姉上だけが俺を対等に扱ってくれた。俺と目線を合わせてくれた。それがどれほど俺にとって救いだったか分かっていますか?」
「ただ、張り合っていただけじゃないの。命を狙っていた相手を救いなどと言わないでちょうだい」
「俺は嬉しかったですよ。命を狙われているなんて考えていませんでした。あれは姉上からの宿題なんだって思っていました。全部こなしたら……その、褒めてくれるかなって……」
いい年をした男がモジモジして照れている。
いや、それはどうでもいい。宿題ってなんだ。
こっちは本気で命を狙っていたのに、それがクロードには一切伝わっていないではないか。
私だけが必死になっていたなんて小っ恥ずかしくて仕方ない。
「俺、姉上から褒められたかったんです……。よくやったな、って」
「よくやったわね」
「そんな棒読みで感情のこもってない言葉、嫌です! もっと! なんかこう……あるでしょ!」
「私の記憶の中のクロードもそのようなことは言わないわよ……」
まさかクロードの本当の姿がこれだったとは思いもしなかった。
冷静沈着で頭が切れて何事にも動じないイメージだったのに、まるでセレネのようではないか。
嫌われるよりは断然良いが、衝撃の方が強すぎる。
「姉上の中の俺の印象も興味ありますけど、ちょっと思い出したことがあるので聞いて良いですか? 良いですよね?」
「私の許可必要ないやつでしょう、それ」
「あのですね、皇都の裏道に隠してあった姉上の隠し財産が無くなっていたんですけど、あれって姉上が回収したんですか?」
「その前にどうして私の隠し財産の場所を知っているのよ……!」
誰にも言っていないし、隠しているところを見られないようにしていたのに。
何でも知っているのが怖すぎて仕方がないのだけれど。
「そんなの姉上のことを見ていたからに決まっているじゃないですか。で、回収したのは姉上なんですよね? そうでなかったら相手を探してボコボコにしないといけないんですけど」
「……言いたいことは色々あるけれど、取りあえず回収したのは私よ。情報ギルドを利用するのに私が使えるお金が無かったから持って行ったの」
「情報ギルドを? 姉上に知らない情報なんてないでしょうに」
「私一人で集められる情報なんてたかが知れているわよ。それに目覚めたばかりで味方なんていないし、聞ける相手もいなかったもの」
「ということは、突然姉上の人格が出てきたのですか? 元からいたというわけではなく?」
そうか、そこから説明する必要があるのだな。
私は全部分かっているから説明を省いてしまったが、そこも説明すべきだった点を反省した。
私はアリアドネ・フィルベルンとして目覚めたときのことから、かいつまんでクロードに話した。
全てを聞き終えた彼はどこかホッとしたような表情を浮かべている。
「二十年前のあの日、あまり苦しまずに済んだのですね……。ずっと俺が目を離さなければ、側にいたらと後悔してばかりだったので……」
「貴方にはやることがあったのだから仕方が無いでしょう。それに殺されても文句は言えないことを私がしたのだから、その点に関しては未練も何もないわ」
「俺は死んで欲しくなかったです。俺にとっても帝国にとっても姉上は必要な人でした」
「確かに今の帝国に必要な人材だというのは分かるわ。毒の耐性がないと自分で試すこともできないし、本当に上手く調合できたのかも分からないものね」
うんうんと私が頷いていると、クロードがえ? っと目を剥いている。
「ご自分で試していたのですか!?」
「どういう効果があるものなのか本に書いてあるだけでは分からないでしょう? 自分の体で体験してみるのが一番手っ取り早いと思ったのよ。お蔭で少量でも舌で感じる痺れとかピリつきとか苦みなんかで分かるようになったもの。あと鼻から抜ける匂いとか喉の焼ける感じとかもかしら」
「……ご自分の体をなんだと思っているんですか…………。あっ、まさか今もそれをしていないでしょうね?」
「毒に耐性がないのにやるわけないでしょう? 私はアリアドネの体をお借りしているのに、無茶するわけがないわ。だから慎重に動いていたというのに」
今はしていないと聞いてクロードはホッとしているようだ。
だがすぐに何かに気付いたように私を見てきた。
「狩猟大会の馬の暴走は姉上がけしかけたとかではないですよね!?」
「あれはセレネの護衛騎士がやったのよ。まあ、けしかけて森に迷いこませるのだろうなとは思ったけれど」
「どうして策に乗ったんですか!」
「アリアドネの血を考えれば絶対に誰かしらが皇帝に報告するでしょう? そうすれば信頼を置いている貴方が来るのではないかと思ってね。でもエリックも来てくれて助かったわ。公爵を替えることも念頭に置いていたから、本人がどう思っているのかを実際に確認したかったのよね」
「それすらも姉上の手の内だったんですか……。本当に危険な真似は止めて下さい。俺が来なかったらどうするつもりだったんですか」
クロードは少し怒っているようだ。
いくら中身が私だとしても、実際には子供だから心配してしまったのかもしれない。
「絶対に来るものだと思っていたし帰れる自信があったのだけれど、無茶をしたのは認めるわ。自分を過信するのは良くないと思っていたけれど、まだ分かっていなかったみたい」
素直に反省の言葉を口にすると、クロードが狼狽えたのが分かった。
非を認めたのがそんなに驚くことだろうか。
「随分と……雰囲気が変わりましたね」
「最後のときと、そう態度は変わらないと思うけれど?」
「姉上にとっては一年未満しか経ってなくても、俺は二十年経ってますからね。さすがに記憶が薄れている部分もありますよ」
「ああ、そうだったわね。随分と貴方も年を取っているものね」
「姉上が納得する年の取り方をしているかいつも不安でしたけれどね。結局、俺は姉上の汚名をそそぐことができていないですし」
そこまで責任を感じずともいいのに真面目な男だ。
二十年経ってもそういった面は何も変わっていなくて懐かしい気持ちになる。
「実行犯は私ではないというだけで、作った責任はあるわ。作らなければ死ぬ人は誰もいなかったのだから」
「利用する人間が悪いんですよ」
「それでもよ。過去は無かったことにできない以上、こうして私が体を借りることができたのだから、罪滅ぼしとして少しでも人の役に立つことがしたいと思ってね。幸い、私には人より毒の知識がある。調合も得意だし多少は薬の知識もある。帝国のために、何よりアリアドネのために私の力を利用して欲しいの」
「変に責任感が強いところは変わりませんね……。ところでアリアドネ嬢のためということは、彼女の評価を変えたいと?」
その通りだったため、私は真剣な顔で頷いた。
「この子は決して人から馬鹿にされるような子ではないわ。公爵令嬢としての矜恃を持っていた。真っ当な愛情ときちんとした教育を受けていれば、きっと立派な淑女になれていた子よ」
「なるほど。ですが、そこに姉上の知識を足すのはどうしてですか? 姉上なら社交界に出ただけで彼女の評価も上げることができると思いますが」
「……罪滅ぼしの意味もあるからかしら。今度は殺すためではなく生かすために私の力を貸したいと思ったのよ」
「姉上らしい責任の取り方ですね」
優しげにフッとクロードが笑う。
彼に張り合う気持ちが無くなればこんなにもまともに会話ができたのだな。
過去の私は本当に間違っていた。
今度はきちんと彼と向き合って行こう。そう思えた。
「さあ、私の話はこれで終わりよ。フィルベルン公爵の件に戻りましょう」
「そうでしたね。ですが、罠にはめなくても近いうちにエリックがフィルベルン公爵になるのは決まっています。当時は彼が赤子だったので、成人するまでという約束で現公爵のニコラスが爵位を継いだのですから」
「そういう取り決めがあったのだとしたら余計なことをしてしまったわね……」
「いえ、姉上の考えた罠は効果があると思いますよ。公爵を交代させるだけならそこまで意味はありませんでしたが、姉上をフィルベルン公爵から遠ざけるのにはちょうど良いのです」
私を?
クロードは私の知らない何かを知っているようだ。
「親子関係というのは面倒なもので、そう簡単に引き離すことができないんです。けれどフィルベルン公爵が何かしらの罪を犯して養育者として不適合だとなれば、保護する名目で養育者を変えることは可能になるんです」
「ということは公爵が持っていた帳簿の不明瞭な支出は役に立たなかったのかしら?」
「あれは裏カジノへ援助していたものでしたね。ですが、あれは事業を任されていた者が勝手に行っていたことだったので、養育者として不適合とするには弱いんです。まあ、裏カジノの責任者がラディソスの密輸に関わっていたことは分かったので、件の男爵はすでに処分されています」
「関わっていた、ということは首謀者ではないのね」
「はい。どうも男爵も騙される形で片棒を担いでいただけのようで、それ以上詳しくは……。ただ警戒はされたのか、流通自体はパッタリとなくなりましたね」
男爵を切り捨てることで逃げたのか。
大元の犯人を捕まえられなかったのは痛いが、流通が止められたのならまだマシである。
……どうせほとぼりが冷めたら何食わぬ顔で売りさばこうとするだろうけれど。
「……警戒を緩めることはできないけれど、一先ずそれは解決したのね。ところで話を戻すけれど、クロードは養育者を皇帝かエリックにさせようと考えている、ということかしら?」
「そういうことです。どうやって養育者を変更するか悩んで居たのですが、先ほど聞いた姉上の罠を使えばそれが可能になります」
「自分で提案しておいてアレだけれど、エリックに怖い思いをさせてしまうことになるのは大丈夫かしら? 不都合があれば他の似た人に頼むこともできるけれど」
「いえ、大丈夫です。エリックはああ見えて鍛えていますし、北部でも野盗やらを相手に暴れることもあったので荒事には慣れていますから」
見た目は文官なのに意外だ。
あまり血の気が多いタイプには見えなかったが、見た目によらないものである。
「それにしても、よくこういった策が思い浮かぶものだと感心します。無駄のない鮮やかな手並みはさすがの一言ですね」
「褒めても何も出ないわよ」
「事実を述べているだけですよ。昔からそうでした。貴族としての立ち居振る舞いを見て格好いいと幼心に思ったものです。大人顔負けの博識さに下の者に対する毅然とした態度。厳しいけれどミスしたとしても過剰に責めずに感情で怒らない冷静さ。なのに俺に対してだけ余裕がなくなる姿。俺を見る冷たく残酷な視線にちょっとゾクゾクしたものです」
いきなり始まった一人語りに私は壁に掛けられた絵画を見て、あれは北部の大聖堂だななどと違うことに意識を向ける。
「それと姉上がたまに寝不足の顔をしていたのに心配していたのも良い思い出です。……あれ? 聞いてます?」
「鈍器で殴ったら正気に戻るかしら? と考えていたわ」
「正気に戻る前に普通に死んでしまいます」
そこは冷静なのだな。
何がそこまでクロードに語らせるのか分からないが、本当の意味で嫌われても憎まれてもいないということを知れて安心した。
とにかく、まずはフィルベルン公爵の動向をよく見ていつでも連絡を取れるようにしておこう。
というようなことをクロードと話して、私達はセレネ達の元に戻った。
四人で世間話をしながら楽しい時間? を過ごし、リーンフェルト侯爵家を後にしたのである。




