第二酸化鉄
一方そこのろ――
「ははは――。乳臭い女など性にあわんわ。馬鹿者どもが――」
シーナを集団で襲おうという計画を耳にした冒険者のドワーフが一人、その場所にいた。
彼は極めて優秀な、探索者(Explorer)である。
≪鑑定≫スキルを持ち、そのためウィンドウシステムを扱うことのできる『強者』の一人であった。
彼もシーナのやるとこに怒りを覚える者の一人である。
シーナは錬金術士として、いろいろな金属粉を鉱業ギルドに卸していたが、彼はその金属粉がいつまでたっても入手することが出来なかったからだ。
シーナは鉱業ギルドのギルドおかーさんであるドンちゃんにのみ金属粉を卸し、ドンちゃんは一定の技術力のあるものしか金属粉を販売することは無かったのだ。
ドンちゃんにしてみれば、その危険性ゆえに渡すのを躇ったのだろう。
彼は一定の技術力はないと見なされたのか、金属粉を手に入れることはできなかった。
だが、渡されなかった者はたまらない。大いに不満である。
口でこそ言われていないが、力量がないと宣言されたに等しいのだから。
これが、初めから金属粉に興味がなく、鍛造一直線のドワーフであれば特に歯牙にもかけなかっただろう。だが、その若いドワーフはいろいろなことがやってみたかったのだ。
しかし、粉末冶金の能力を付けるためには金属粉が必要で、金属粉を入手するためには粉末冶金の能力がないといけないというこの矛盾。一体どうすれば良いのだろう。どうしたら経験が詰めるというのだ。
粉末冶金に対する知識は、自身の精錬の時に出た鉄屑を集めて精錬を繰り返せば数年で芽生えることができるのだが、その若いドワーフはそれを惜しんだ。なぜなら、金属粉が目の前にあるからだ。
そして彼は探索者(Explorer)のクラスを拝命している。トラップを解除する能力は、野武士(Ranger)のクラスよりも高い。
彼は生産系というよりは、冒険者として後衛でシーフのような役割をすることに秀でているドワーフなのだ。
シーフとしての能力は無駄に高かったその若いドワーフは、シーナとオージーがゴブリン討伐でしばらく帰ってこないことを良いことに、シーナの自宅である、まるで地雷原ともいえるような場所をいとも簡単に潜り抜け、屋敷に辿り着く。
シーナの屋敷内に入ってしまえば野武士の罠作成スキルはさらに一段下がるものになる。
野武士はフィールドでこそ有効なのだ。だからその若いドワーフはずかずかと屋敷を進む。
屋敷の奥まったところに、それはあった。
「≪鑑定≫――」若いドワーフは強者であるため鑑定が使えた。
正面にある樽の数々――
見ればわかる。金属粉。それも鉄粉だ。
その純度は99.999%――俗にいうファイブナイン。9が5つ並ぶその純度――すばらしい。
そんな鉄に必要な炭素を混ぜればどんな鉄でも作り出せることだろう。
一口に鉄と言っても炭素含有量によって単なる鉄から、鋼、鋳鉄など複数の種類に分類が分かれるのだ。それを自分の裁量で組み合わせられるとなれば、その自由度は計り知れない。
ノンオイルのラーメンであれば好きな油を入れ込むことができるように。その自由度は無限大だ。
そして若いドワーフはウィンドウシステムが使えるので当然アイテムボックスも使える。
若いドワーフはぽんぽんとその金属粉の入った容器を自身のアイテムボックスの中に入れた。その量は消防法で規定された指定数量を軽く超える。
――そう、彼は考えなかったのだ。
なぜ、シーナもアイテムボックスを有しているのに、そこに金属粉の樽があるのか?
なぜ、金属粉がキケンと言われているのか?
それは、それ自体が魔術師工房など他の重要な場所を守るための、お持ち帰り用トラップであるからに他ならない。
≪鑑定≫スキルで出てくるのものは自身の知識に基づくものである。
鉄を鉄として認識し、そこまでで満足してしまえばそれ以上の情報は脳が受け付けない。
≪鑑定≫スキルの仕様がそうなっているのは仕方がない面もある。際限なく情報を受け入れれば脳が破綻してしまうのだから。自身の脳を保護するためにもそれは必要であった。
だから、なぜ、金属粉がキケンであるかを若いドワーフの彼は知らない。
異世界では危険等級IIIの第二類危険物であり、可燃性固体として金属粉が人々から恐れられていることをその若いドワーフは知らないのだ。
若いドワーフはそうとも知らず、金属粉の入った樽のほとんどを奪い取ると、いきようようとシーナの屋敷から逃げ出した。
あとは家に帰って盗み出した金属を使い、精錬を楽しむだけだ。
若いドワーフは楽しみで仕方が無かった。
作りたいものはたくさんある。少なくとも3つ以上――、そう、たくさんだ。
製造系のスキルは低いが、若いドワーフは制作過程に赴きを置いていたのだ。
そして家に帰り、家の地下室に籠ると、若いドワーフは樽をアイテムボックスからすべて取り出した。
地下室は暗く、ランターンがないと部屋を見通すことができない。
だから若いドワーフはランターンを持って、地下室にいる。
若いドワーフはその一つを開ける。
再度鑑定するが、それは紛れもなく鉄であった。
だが、樽を開けた途端、若いドワーフは急速にむわーっと、鉄の温度が上がっていくのを感じた。
それは鉄が空気中の酸素と反応して水酸化第二鉄になる化学反応である。
Fe + 2H2O → Fe(OH)2 + H2↑ という簡単な化学式。
ようするに身体を温めるカイロと同じ原理である。
それを若いドワーフが知るわけもない。
若いドワーフが異世界の化学を知っているとしたらそれこそ驚愕ものだ。
他のドワーフとしても、それを経験則として知っているのみ。
「ふっふっふ。ワシは鉄に詳しいんじゃ~。水で冷えるがいい――」
ちょっと熱いなと感じた若いドワーフは、鉄粉に水を混ぜてみた。
きっと焼き入れのつもりなのだろう。
しかし予想に反し、鉄粉はさらに発熱する。
――さて、そこで問題です!
鉄が空気中の酸素と反応して水酸化第二鉄になったとき、同時に発生する気体はいったいなんでしょう?
その気体が、ランターンの炎に触れた時、何が起こるのでしょう?
答えは――
ドーン☆
それは見事な爆発だった。
2H2 + O2 → 2H2O
簡単な化学式で表されるそれは、水素を水に変えた。
水素で動く燃料電池自動車と同じ原理である。
そう、変換されるものは水なのである。
Fe + 2H2O → Fe(OH)2 + H2↑ という法則は鉄が尽きるまで無限に続くことだろう。
爆発は周囲の樽を簡単に破壊した。
その周囲の樽には同じように金属粉が詰まっている。
さらに爆発は、金属粉を空気中に巻き上げた。
周囲の可燃物は盛大に燃えて、一酸化炭素に変換されていく。
キラキラと光を伴って金属子は空中に舞い散っていくのだ。
巻き上げられた金属粉の通称は――粉塵という名前に変わった。
それはまるで、わかし→はまち→わらさ→ぶりと名前が変わる出世魚のように。
空気と拡散混合されたその粉塵は熱により一斉に『酸化』するものだ。
その酸化には単なる酸化ではなく、有名なあの名前が付いている。
なろう小説ではもはやおなじみのアレである。
その名を人は『粉塵爆発』といった。
ドーン☆
鉄の粉を全身に浴びた若いドワーフがどうなったかは言うまでもない。
しかし、まだまだ悲劇は続くのだ。
通常であれば地下室という密閉された場所であれば酸素が消費されれば鎮火すると思うことだろう。
だが、ものすごい爆発音に気づいた周囲に住むドワーフの一人が、地下室のドアを開けたらどうなるだろうか?
かなりの熱を持った粉塵のある一帯に、開けた扉から新鮮な空気が送り込まれたら、一体どうなるというのか?
答えはこれだ。
ドドーン☆
人はその現象をバックドラフト現象と呼ぶ。
可燃物として燃えくすぶっていた一酸化炭素は、一気に二酸化炭素へとその姿を変えるのだ。
光があたり一帯に広がっていく。
バックドラフト現象により、さらなる爆発が若いドワーフを襲う。
若いドワーフの姿は、形すら残らず消え去ったという――
若いドワーフの家は、地下室はおろか全体が暁に炎上した――
そして消火には『水』が使われ、さらにドワーフたちは迷惑を被るのだ。
幸い死者はいなかったが、行方不明者1名の大災害であった。




