呼吸性アシドーシス
「おかしい。あらかじめ間引きされているような気がする……」
――2日後、自宅からほど近くでゴブリンを見たという報告を受けてシーナとオージーはその近くの森の中に入った。
郊外の自宅から森までは目と鼻の距離である。
その森の中には冒険者ギルド側もダンジョンがある事を知っており、そこに住み着いたのではないかという予測が立てられていた。
ダンジョンとはいえ、そこは王都近くのダンジョンであることから、探索しつくされており冒険者が探索してももう何も出ないようなところだ。
そのため存在を忘れられて久しいものであり、定期的に住み着いた魔物を駆除するためにまれに若い冒険者が訪れるくらいの場所であった。冒険者ギルドとしては利益を生むどころか邪魔な存在であり、潰しても良い『死んだ』ダンジョンの一つである。
だからこそ、シーナとの連携訓練にはぴったりだとオージーは考えており、冒険者ギルドに念のため申請してからの討伐依頼を自らの手で行うことになった。
ゴブリンは下級の魔物ではあるが、決して油断して良い存在ではない。
大抵の場合集団で暮らしており、ダンジョンの周りでは複数の斥候がいることも普通にあるケースである。
オージーはシーナに対して冒険者として良いところを見せたいところなのであるが、しかしその期待は早くも潰えた気がした。倒すべきコブリンの数が圧倒的に少ないのだ。
まるで誰かに間引かれたかのように。
なぜだろうかと、オージーは考える。
「そんなの、スパリゾートに来た冒険者が見につくゴブリンを討伐したからなのでは?」
シーナが真っ先に考えられる意見を口にする。
確かに風呂から出て、さっぱりしたところにゴブリンを見つければ帰るついでにぶった切ったり、風呂に入る前に一汗かこうなどと思う冒険者もいるかもしれない。
なにせ冒険者に対しては風呂はただで提供している。
その理由は当然冒険者も理解していることだろう。持ちつ持たれつというやつである。
所詮はゴブリンだ。駆け出しのギルド員であればともかく、中堅以上であれば冒険者ギルドに倒したことを報告しても大したポイントにならない。そう、報告する価値すらないのだ。
だが、本当にそうなのだろうか?
そう思う間もなく、シーナたちはダンジョンの入り口に到達した。
ここまでで倒したのはゴブリン一匹である。
普通であればその10倍はいてもおかしくはないのだが。一匹いたら10匹いると思えが、ゴブリンに対する合言葉だ。
それとも昼だからダンジョン内で眠っているのだろうか。
「それじゃ行きますねー」
ダンジョンの入り口で、魔杖≪安全なトドメ刺し器≫を振り上げたシーナは勢いよく地面を叩く。
するとなんということだろう。ピッピッという謎の電子音と共にダンジョン入り口が土壁でおおわれた。
炎闇系の魔術である土壁だ。
その後、出来た土壁に対して魔杖≪安全なトドメ刺し器≫の石突で叩くと、シーナは小さな孔をあけた。大きさとしては生卵4個分くらいだから小さいとも言い難いが。
「シーナは何やってんの?」
入口を塞いでいったい何をしようというのか。
オージーが首をかしげるのも当然のことだろう。
「えーっと、これから甲種第3類の錬金術を披露しようと思います!」
シーナは胸に手を当てると、そこからいきなり鉄製の謎の容器を取り出した。
鉄製の容器は緑色に着色されていて、オージーからの見た目は謎めいている。
それよりも、これが上級クラスだけが持つとされる噂のアイテムボックスかと感心するのであった。だからこそ、取り出し口のシーナの胸をがっつりと見てしまう。
「――って、どこ見ているのよ?」
「そりゃ、そんな場所でアイテムボックス使えば目が釘付けになってもしょーがないだろ?」
「そ、そうよね。うふふふ……」
そう言いながらも次々と鉄製の容器を24本も取り出したシーナは、その容器に連結管を繋ぎ、連結管を集合管へ繋ぎ、さらには集合管をホースリールに繋いでそのホースをオージーに手渡した。
「このホースの先端前にあるホーン握りをしっかりと握って、先っちょにあるホーンを穴にぶちこんじゃってくださいな。そう、先っちょだけでいいからね」
オージーは言われるがままにダンジョン入り口にできた土壁の穴にホーンを突っ込んだ。
「あー。そうだ。ホーン握りじゃなくて、ホーンを握ると気化熱で凍傷になるから気を付けてね」
「物騒だなおい。何をする気だ」
「だから、ホーンを握らないで。ホーン握りは、ホーンの手元側にあるわ。放射時にホーンが気化熱で冷却されるから、ホーン握り側でないと気化熱で凍傷になって、手が落ちるかもよ?」
「怖えー。何する気だ怖えー」
そこまでしっかり指摘されたため、オージーはホーン握りから手を離さない。
さらに、うっかりホーンを触らないようになるべくホーンから距離を取る。
シーナはしっかりとオージーがホーン握りを固定して持ったことを確認し、容器の上についた容器弁を開放させる容器弁開放装置に操作管を繋ぎ、小さなやはり鉄製の容器をその操作管に繋いだ。
あとは加圧用ガス容器のコックを捻るだけだ。
「おいまて、なんだそれは――」
「じゃじゃーん。加圧用ガス容器ぃぃー」
「おい、まさかこれ毒ガスでダンジョンを一掃しようとかいうんじゃないだろうな!」
ようやく、オージーはシーナがやろうとしていることに気づいた。
そんなことをしたら生態系が狂ってなにが起きるのか分からない。
毒性の魔物とか出て来たらシーナはどうするつもりなのか。
だが、シーナはにこやかに返した。
「毒ガスとは失礼な。二酸化炭素だよ! 二酸化炭素!」
「俺に分かる言葉で言ってくれ」
「CO2だよ。CO2?」
「余計に分からん! 分からんぞ!」
オージーには悲しいかな、異世界の化学の知識はなかった。
「これよこれ。ふー。ふー」
シーナはオージーの耳に「ふー」と息を吹きかける。
「ちょ、シーナは何を……」
「この息に含まれる成分ね。だから安全だって!」
オージーの耳まで赤くなり、やった本人も顔が赤くなっているが、それをごまかすようにシーナは加圧用ガス容器の元栓を開いた。
プシュー!
気の抜けた音がしたと思うと、操作管が加圧され、ガスボンベの容器弁が一斉に花開く。
ガスボンベに充填された二酸化炭素が、オージーが支えるホーンから一斉に吹き出した。
ごーーー
そしてそれは、殺戮の始まりだった――
◆ ◆ ◆ ◆
「この場所に到達するまでの痕跡はすべて隠している。さぁ安心してシーナどもを襲撃するといい」
ダンジョンに侵入するために外のゴブリンをかなり間引いてしまったが、なんとかゴブリンの住んでいたダンジョンに入ったザコの冒険者たち一行は、ダンジョン内の広場へと繋がる部分で悠然とシーナたちを待ち構えていた。
ダンジョン内に明かりはない。シーナたちに気づかれないようにするためだ。
おそらくシーナたちは明かりを持ってこのダンジョン内に入ってくるだろう。
それはかなり奇襲しやすいという意味だ。
「明かりを持った冒険者がダンジョンにやってくる」ということは「カモがネギを持ってくる」と同じような意味で襲撃する側には持ってこいのプラクティスだ。
オージーさえ倒せばなんとかなる。
ザコの冒険者たちは薄ら笑いを浮かべ、その後どうするかを考える。
処女はオージーに奪われているかもしれないが、そうであれば開発された身体を堪能することができるであろう。
速く組み敷いてシーナが放つその不穏な悲鳴を愛してやりたい。
シーナはいったいどんなか弱い声をあげるのだろう。
命乞いをするのか、はたまた罵声を上げつつ恥辱にまみれるのか。
女性の尊厳をどう踏みにじると美少女はどうなるのか、男たちは想像の輪を広げていく。
時間的にはシーナたちがそろそろダンジョン内に来ても良いはずだ。
しかし、それが一向に来ない。
いったい何をしているのだろうか。
そのうちに、ガコン という小さな音が響き渡る。
遠い――、おそらくは入り口付近――
この音は、土壁の魔術だろうか?
道を塞ぐのに何か意味があるのだろうか?
(もしかして――俺たちに気がついたのか?)
まさかとは思う、少女は錬金術師を拝命していると言っていた。
(まさか…… エリアサーチとか?)
冒険者はそのような名前のスキルを知っている。
だけど、ここは最深部だ。
ここまで探知を通すなどとしたら、もはや人間ではない――
「おぃ! どうした!」
冒険者のうち、最も入り口に近かった男が突然倒れた。
――と同時に、急に冷たい風が男たちを襲う。
(これは一体――)
それは気化熱で温度を奪われた二酸化炭素の嵐である。
しかし、それに気づく者はここにはいない――
(何が起きている――)
そう思った男だが、すぐに眠たくなってしまう。
それはなぜだろうか。
大気中に含まれる酸素の量はおよそ21%。
その酸素量が16%を切ると息苦しさを覚え、6%以下になると一息吸っただけで意識を失う。
その現象の名をブラックアウト現象と呼ぶ。
意識を失って倒れれば地面にそれだけ近くなる。
さらに言うのであれば二酸化炭素は空気よりも重い。
階層が下がれば深くなっていくダンジョンにあって空気より重いという事実は重要である。
つまり下の階に行けばいくほど酸素は奪われ放出された二酸化炭素の濃度はより濃くなっていくのだ。
ダンジョンであれば通常は徐々に空気は交換されていくものであるが、一度に大量の二酸化炭素をこの場所に送り込めば一体どうなるか?
たとえ冒険者が《危険感知》のスキルを持っていたとしても二酸化炭素には気づけない。
なにしろ二酸化炭素は自分の呼吸で放出されるような、ごくありふれたものである。いちいち感知していたらずっと感知状態となり生活ができなくなるのだ、だから感知したとしてもそのうちに危険視されなくなるのである。
そして、残念なことに二酸化炭素は透明で、無味無臭だ。
≪硫化水素および酸素欠乏危険作業≫などの特殊なスキルを持っていない限り、その危険性に気づくことはないだろう。そして異世界人でもない限り、そんな面妖なスキルを保有していることはない。
――もしもカナリアとか冒険者たちが持ってきたら気づいたかも知れないだって? 大丈夫。やつらはしぶといのだ。体重の大きな――つまり酸素消費量の大きなニンゲンの方が先に逝くのは自明というものである。
硫化水素および酸素欠乏危険作業主任の研修では、酸素濃度測定にカナリアを使うことはやっちゃいけないことの第一位として2日目の技能研修時に教えられる。毒ガス対策でカナリアが出てくる小説はおそらくそのあたりのことを知らないに違いない。
さらに言えば、ガスマスクも効くことは無い。通常のガスマスクであれば酸素は供給されないからだ。酸素を供給するのであれば、エアラインマスクなどの特殊なものが必要になる。
本来であれば、二酸化炭素であれば炭酸ガスナルコーシスを経て呼吸性アシドーシスとなり、意識消失の重体後に死傷することになるのだが、その圧倒的な物量の前ではそのようなことにはならず、酸素欠乏によりブラックアウト現象が発生、ザコの冒険者たちは、瞬殺された。
それを陰で隠れて見ていた激情之魔王たる魔王ジャック・ザ・ハートも同様である――
◆ ◆ ◆ ◆
「うわー。なにかもの凄い一杯経験点入る。やったねっ!」
「やったねじゃねー!」
「いたいたい痛い。おじさまやめてー。ぐりぐりしないで―」
オージーはシーナの頭をゲンコツで殴るとぐりぐりと拳を回した。
シーナは涙目だ。
「お・ま・な・ぁ! 何やってるんだよ。こんなの――絶対赤字だろうがっ」
オージーは空になった鉄の塊を指さす。
「えー、だぁってぇ~(はぁと)」
「だぁってぇ~(はぁと)、じゃねー!」
「だってだってぇ、手っ取り早くダンジョンの中身を皆殺しにして、おじさまに経験点を目一杯受け取って欲しかったんだものぉ」
「だからと言ってなぁ……」
シーナは目をうるうるさせながらオージーに訴えかける。
結局のところ、オージーは泣いている少女には勝てない。
「(というか、経験点入りすぎじゃない? ナニカ魔王でも倒したかのかってくらい入っているのだけれど……)」
「シーナ。ナニカ言ったか?」
「イエ、ナンデモアリマセン」
「――で、この後始末どうするんだ? 中には確実にゴブリンがいただろう? 魔物の死体は魔石とか放置しておいたらアンデットになるかもしれない。だがこんな二酸化炭素? とやらが充満したダンジョンなんかには潜ることはできない。ほんとにどうする気だ?」
「それだったら…… /replace トリニトロトルエン!」
シーナはダンジョン内に第5類危険物であるトリニトロトルエン(C6H2-CH3-(NO2)3)を生成すると魔杖≪安全なトドメ刺し器≫で一気に爆発させる。
トリニトロトルエンはニトロ基を3つ有する己反応性物質であり、ニトロ基は酸素を内包しているので酸素がない状況下でも容易に爆発するのだ。
ドーンという爆轟音と共に豪快な振動が起きる。
「ほら、中までこんがりぃぃぃ! 大成功ぉぉぉ!!」
一体どこが大成功だというのだろうか。
シーナはガッツポーズを決めていた。
それはそれは、とても見事などや顔だった。
「始めからそれをやれぇぇぇ!」
オージーがシーナの頭を小突く。
「えぇー。だってぇー」
「だってじゃない! そんな手を口の前に持ってきて小悪魔ポーズ決めてもダメだからな! シーナは可愛いけど騙されないぞ」
「だってぇ、初めからわたしだけでしたらぁ、おじさまの経験値があがらないよぉ?」
「う……。確かにそうだが……」
「ねっ。いいでしょ」
「うーん」
その後、謎の地震に驚いた冒険者ギルドが討伐隊を編成し、理由が知られることによって盛大にオージーとシーナは怒られることになるのだが、それはまた別の話だ――




