2 わんこ騎士に懐かれる
「アンジェリカ! 久しぶりだね。君に会いたくて、俺は騎士になったんだ」
新しく部署に配属されることになった新人。
彼はアンジェリカの名前を親しげに呼んだ。
(ええ……『アンジェリカ』の知り合い?)
ルシルに見覚えがないのも当然だ。見た目はアンジェリカとなっているが、記憶は引き継いでいない。
アンジェリカが生前、どういう女性で、どんな風に暮らしていたのか――ルシルはほとんど知らなかった。
レナードが探りを入れるような視線でジークを見る。
「彼女の知り合いか」
「はい! 俺にとっては、自分の命よりも大切な人です」
ジークは何の迷いも、照れもなく、それが当然のことのように言い切った。
(ええ……!?)
ルシルは大混乱し、
「………………」
レナードは目を細めて、険しい表情を浮かべる。
(ちょっと、リオ! 目が! 目が怖い!!)
ルシルはレナードから慌てて顔を逸らす。
すると、今度は純粋でキラキラとした視線が、自分に注がれていることに気付いた。ジークだ。こちらはレナードとは正反対で、人懐こさ全開である。
じっとルシルを見つめてから、首を傾げた。
「あれ、アンジェリカ? まさか、俺のこと覚えてない……?」
今度は途端に、しょんぼりとした雰囲気に変わる。犬耳を垂らしたような様子だが――それが恐ろしく似合う。さっきはしっぽをぶんぶんと振る犬、そして今は叱られて、しゅんとした犬だ。
そんな姿を見ると、ルシルの良心はずきずきと痛む。
「同じ家で暮らしていたのに……?」
「え!?」
――そうなの!?
――アンジェリカ、同棲相手がいたの!?
ルシルはアンジェリカが暮らしていた家をそのまま使っている。
(家にはそんな痕跡はなかったと思うんだけど……? 過去に一緒に暮らしていたとか? つまり、アンジェリカの昔の恋人……!?)
混乱のあまり、ルシルの頭の中では勝手にアンジェリカの人生が形成されていく。
2人が別れた理由は、目玉焼きに何をかけるかで揉めたのね、アンジェリカは甘党だったみたいだから、きっと「砂糖をかける派閥」で、ジークはそれについていけなかったんだわ、と思考が飛躍しすぎて、もはや妄想の域である。
一方、レナードはとうとう無言で、殺気を放出し始めていた。
(怖っ! っていうか、英雄とか呼ばれてるけど、どっちかというとあなた、魔王側じゃない!?)
隣から放たれる黒い威圧感だけで、ルシルは顔を引きつらせる。『そっちは見ないことにしよう!』と決めて、ジークの方を向いた。
「……アンジェリカは、俺と会いたくなかった……?」
今、『きゅーん……』という、子犬の声の幻聴が聞こえた。
「それは……その」
「ごめんね、ジークさん」
話に割って入ったのは、隊長のクラリーナだ。
「実は、アンジェリカさんは最近、闇纏いとの交戦時に、妙な魔法をかけられてしまったね。それで、昔の記憶が曖昧になってしまっているんだ」
「それって記憶喪失ですか!?」
ルシルは唖然としてから、納得した。
確かに、この場を乗り切るにはそれしかない。ジークを騙すことになってしまって、心は痛むが、秘密は何としてでも守らなければならない。
(隊長……ありがとう)
ルシルは彼女の機転に、内心で感謝を捧げた。
「うん。君のことを忘れたくて、忘れたわけではないから、彼女を責めないであげてほしいな」
「そうだったのか……。闇纏いとの戦いは、時に命懸けになることもあるって聞くよ。いろいろと大変な目にあったんだね」
ジークは素直に頷いている。
よく言えば純真、悪く言えば騙されやすそうな青年だ。
彼の瞳はまっすぐで、隊長の言葉を疑っている様子が欠片もない。彼は同情するような視線をルシルへと送ってきた。
「でも、大丈夫だ。これからは、君のことは俺が守るよ」
「……へ…………?」
「その必要はない」
レナードが冷たい声で一蹴する。
「君は新人だろう。まずは周囲に迷惑をかけないよう、仕事を覚えることに注力するんだな」
「えっと……? さっきから何なんですか?」
さすがに不快になったのか、ジークは眉をひそめてレナードを見た。
「あなた、英雄のレナード・マクルーアさんですよね? 俺のアンジェリカとどんな関係が?」
「…………”俺の”……?」
鉄壁の無表情の中で――ぴくりとレナードの眉が動いた。
彼がまとう黒い気配が倍増している。レナードは鋭い視線でジークを射抜くと、口を開いた。
「いいか、新人。俺と彼女は……」
(わー!!?)
レナードは何かを言いかけたが、そこでルシルと目が合った。すると、彼はハッとして言葉を呑みこむ。代わりにこう言った。
「俺は彼女の……教育係を務めている」
「教育係……? へえ……」
ジークは少し不満そうな表情をするが、一応は納得したようだ。2人は互いの背景を探るように、じっと睨み合った。
そんな2人を制止したのは、クラリーナだ。
「はいはい、みんな。新人さんの紹介はこのへんにしておこうか。ジークさん、騎士団の中を案内してあげるよ」
ルシルはうまく誤魔化せたことに、安堵の息をついていた。
「どうしよう……!」
その後、ルシルはレナードを連れ出して、無人の会議室へとやって来ていた。
部屋に入るなり、彼に不安をぶつける。
「まさか、アンジェリカの知り合いが来るなんて……!」
すっかり頭を抱えるルシル。
一方、レナードはまだふてくされているような態度で、壁に背をつけていた。
「……君はアンジェリカじゃない。だが、君の正体をバラすわけにもいかない。アンジェリカのふりをして、やりすごすしかないだろう」
「それって、どうやるの!?」
混乱のあまり、ルシルはレナードを壁に追い詰めるような体勢で、彼に詰め寄った。
ジークの存在はまずい。
アンジェリカの過去を知る人物が現れるとは……。隊長の機転で「記憶喪失」ということにして乗り切れたが、彼と接する機会が増えれば、別人ということがバレてしまうかもしれない。
ルシルは顔を青くした。
「アンジェリカのふりをするって言っても……アンジェリカってどんな人だったの? それがわからないんだけど……。演技できる自信ないわよ」
「では、君の正体がアンジェリカでないことを、あの男に伝えるか?」
「それも無理ぃ……!」
その場合、ジークはどう反応するのか。
『ねえ、ジークさん。実は私はアンジェリカじゃなくて、ルシル・リーヴィスなの』
『わあ、そうだったんだね! じゃあ、改めてルシルさん、よろしく!』
――なんて、都合のいい展開になるわけがない。
もし自分だったら、旧知の人が見た目だけ同じで、中身が別人になっていると知ったら、激怒する。『大事な人の体が乗っ取られている』と考えてしまうかもしれない。
「考えてもみて。アンジェリカの中身が、私……ルシルになっていると知ったら、ジークさんはどう思う?」
「あの男の心情には興味がない」
「想像力皆無なの!? 普通に考えたら、『アンジェリカが悪女に乗っ取られてる!?』ってなると思うんだけど」
「別に、君が乗っ取ったわけではないだろう。そもそも、君に自ら体を捧げたのはアンジェリカだ」
「そうかもしれないけど……その話を、ジークが信じてくれるとは限らない……」
ジークの様子をルシルは思い出した。
彼はアンジェリカを見るなり、すごく嬉しそうにしていた。まるで飼い主を見つけた忠犬のようだった。
その後も、ずっとルシルに熱い視線を注いできたのだ。あの眼差しには、特別な感情が乗っていた。
「というか、ジークってアンジェリカのことが好き、なんだよね……?」
「あの男の恋愛事情には興味がない」
「知的好奇心が凍り付いてるの!?」
「……だが」
レナードは壁から背を離すと、ルシルを見る。すると途端に無機質な表情は氷解し、とろけるようにほほ笑んだ。
彼が一歩、こちらへと足を踏み出す。急に距離を詰められて、ルシルはドキッとした。
「君はアンジェリカではなく、ルシルだ。そして、俺は『ルシル・リーヴィス』を誰にも渡すつもりはない」
甘い眼差し――それはジークが『アンジェリカ』を見つめていた眼差しよりも、ずっと糖度が高いようにルシルには思えた。
更にレナードが近付いてくるので、ルシルは後ずさる。腰が会議室の机にぶつかった。すると、レナードはルシルを閉じこめるように、机に手を付ける。
(え!? ちょっと……近い……!)
カッと頬が熱くなる。こういう時、どう反応していいのかわからなくなる。
「えっと…………、ありがと」
もじもじとしながら、ルシルは俯いた。
その直後――部屋の扉がノックされた。
「おーい、入るぞー」
そう言って、扉を開けたのはルシルの先輩騎士にあたる、アルヴィンだった。
彼は扉のノブを持ったまま、こちらを凝視して固まった。
机に手をついて、ルシルを閉じこめているレナード。そして、真っ赤になっているルシル。
アルヴィンは呆れたように目を細める。
「……署内で『いちゃつくの禁止』の規則、早くできてくれねえかな」
「あ、アルヴィン先輩……!?」
「バカップルども。隊長がお呼びだ」
「ああ」
「バカップルじゃないですけど!?」
ルシルとレナードは隊長室へと向かった。
部屋に入ると、奥の席にはクラリーナが座っている。その対面には、ジークが立っていた。
「2人にお願いしたいことがあってね。……その……」
いつもはきはきとしているクラリーナにしては珍しく、言いづらそうに告げる。
「……市内で通報があった。闇魔法に関わる事件だ。2人には至急、現場に向かってもらいたい」
そこでいったん口を閉じる。クラリーナはジークの方を見てから、気遣うようにルシルをちらっと見た。
「それでね……ジークさんも連れて行ってもらえないかな?」
(え……ええ……?)
ルシルは唖然として、レナードは嫌そうに黙りこんだ。





