⑰博士とティンダロス。
団地の屋上。普段は誰も居ない筈の空間に、千乃の姿が在った。
いつものように真面目一辺倒の黒いタイトスーツに身を包み、屋上を吹き抜ける風に黒髪を靡かせるその姿は、見る者の眼を奪う美しさを備えていた。
だが、彼女が何をしているのかを理解したら、そうした見方は絶対に出来なくなるだろう。まぁ、例外と言うのはいつでも有るものだが……。
「千乃さぁ~んッ!! 何をしてるんですか~!? 危ないですよぉ~ッ!?」
「……おや、千海ちゃんではないですか。何かご用ですか」
「そんなトコに居たら危ないって言ってるんですぅ~!!」
一階から屋上の千乃に向かって、口元に手を添えブンブンと手を振りながら訴える千海だったが、相手はまったく意に介していないご様子。
「……これが終わったら、降りますから御心配なく」
そう言いながら右手を上に掲げると、彼女の周囲に蜂のような羽音を立てながら、小型のドローンが隊列を組んで次々と飛来する。その夥しい量に言葉を失う千海だったが、
「あ、あれ? ……そのドローンって、誰がどうやって操ってるんですぅ?」
優に数百を越える規模のドローンが、続々と飛来しては千乃の足元へと着地していく。しかし、予めプログラムされたドローンならば、いったいどうやって互いにぶつからず整然と接近出来るのか。ドローンはセンサーの類いが搭載出来るような大きさには見えず、載せられるのは小型のCCDカメラ程度が限界だろう。
「これですか……全部、私が操作しています」
「操作って……それを全部ぅ!?」
「そうです。ほら、こういう感じで」
千乃は素っ気なく言うと、いきなり滞空していたドローンが団地上空に向かって急上昇し、四角や丸の形に隊列を変化させながらクルクルと回ったりしていたが、上げていた右手を下げた瞬間、羽音を唸らせながら屋上に全機が着陸した。
「ふああぁ……凄いなぁ……でも、操作って……?」
「こんな事は朝飯前です。それで、何か御用ですか」
「ふおっ!? い、何時の間にぃ!?」
感心する千海が屋上を見上げていると、突然傍らに千乃が現れてオッサンのような声を上げてしまう。
「……あ、あの……そう!! 向こうの公園からすっごい音がするんだけど、一体何が起こってるんですか!?」
しかし気を取り直して質問するが、千乃は暫く黙った後、何時もと変わらぬポーカーフェイスのまま、答える。
「……只の工事です。危険は有りませんが近付かない方が得策です」
「そうなんですか? 工事……でも、それにしては工事車両も居ないし、交通整理の人も居ないし……朝から大きな音がする割りに、向かい側に住んでる人も出てこないし……」
それでも納得のいかない千海だが、そんな彼女の肩に手を置いた千乃が、耳元に唇を近付けて、そっと呟く。
「……いいですか、何も起きていませんし、何も起きません。公園に近付く必要は、無いんです」
そう告げると千海の背中をポンと叩き、クルリと彼女の向きを変えさせてから、一言付け加えた。
「これはおねーちゃん権限です。だから、一緒におばあ様の所に行って、お茶にしましょう」
むうぅ~、と唸る千海を押しながら、千乃は公園に背中を向けた。そのまま歩いて行けば、千海は振り返る事無くその場を後にしただろう。
……だが、千海は足を止め、暫し俯いてから、
「……いや、待って!! やっぱり何か変だよ!! ……それに、突き止めたい事もあるし!!」
突如叫びながら千乃の手を振りほどき、千海が走り出す。その勢いに不意を突かれた千乃は急いで追い掛け……ず、耳元に手を当てながら、声を出さず博士に連絡する。
【……申し訳御座いません。千海さんがそちらに向かいました】
(……あー、見えてるよ。コッチで何とかするから心配要らないよ)
【……お手を煩わせます。力任せに止めた方が良かったのでしょうか】
(いやいや、いずれバレる事だから、ねぇ)
そんな気楽な調子で返す博士の声に、珍しく口元を緩ませながら、千乃は頭を下げた。
【ありがとう御座います、博士。では、先に戻ります】
(はいはい、宜しくね)
丁寧に返答する千乃に向かってそう言いながら、博士は遮断フィールドを抜けて走り込む千海に向かって手を振った。
「やぁ、はじめまして。俺の事は知ってるかい?」
「えっ……あ、ああ!! た、確か千乃さんのスマホの人ですよね!?」
「うん……当たってると思うけど、スマホって何の事?」
少々ピントのずれた言葉を交わし合いながら、二人は顔を合わせた。だが、千海の目は直ぐに彼の背後で郁郎に抱き止められるめぐみの姿を認め、
「め、めぐちゃん!! どうしたの!?」
公園の真ん中へと走り出し、郁郎の腕の中で失神したままのめぐみの傍らにしゃがみ、
「メールしても電話しても返事無かったから……でも、この格好……どこかで見たことあるよーな……?」
リボンの端を手に取り、モショモショと弄りながら思い出そうとしていたが、
「……う、う~ん……あれ? えーっと……ち、千海ちゃん?」
「あっ!! 気がついた!!」
目を覚ましためぐみに名を呼ばれ、よかったぁ~! と安堵の声を上げた。
「……うう……負けちゃったのかぁ……はぁ、力不足なのかなぁ……」
「負けたって……この人に?」
「うん……おにーちゃんだよ、この人……」
「あ~、良く話してた郁郎さんだっけ?」
「……千海ちゃんに、そんなん話してたっけ……」
「言ってたよ!! 忘れちゃったの!? もぅ、つれないなぁ~!!」
そんな風に語り掛ける千海にアハハ……と照れ隠しに笑いながら、めぐみは郁郎の腕から離れて立ち上がり、
「そっか……ゴメンね? 色んな人に散々言っておいて、自分が忘れちゃってたら世話無いね、情けないなぁ……」
しかし、めぐみが自らの失念に落ち込みながら俯いていると、
「いいよ! そんなこと!! いちいち気にしてないから!」
と、千海は快活に答えながら、手を振って心配無用と受け流した。しかし、流石に気になるようで、(……もしかしたら、この格好って【魔法少女】?)と小声で訊ね、めぐみはしどろもどろになってしまうのだが。
「……本気出して、ゴメン……大丈夫かい?」
「んっ? うん……大丈夫。上手く避けたと思って、受け身しくじっただけだし……ホントに平気だよ?」
そんな二人のやり取りを見ていた郁郎だったが、めぐみに声を掛けて問題がなさそうな事を見届けると、ちょっと待ってて、と言いながら立ち上がり、博士の元へと歩いて行く。
「博士……ちょっと、話があります」
「何だい? 改まって……」
郁郎に声を掛けられた博士が応じると、いつもは消極的な態度の彼にしては珍しく、しっかりと真正面から博士の顔を見つめつつ、
「……僕、博士の元に居たいんです。でも、めぐみの事も守ってあげたいんです……どうしたらいいんでしょうか?」
そう告げると、博士の返事を待った。
問われて暫く考えていた博士だったが、フッ、と肩の力を抜きながら郁郎の肩に手を乗せて、
「それは構わんさ。だって、妹なんだろう? だから、何か有ったら遠慮無く呼んでくれって伝えておけばいい。スマホでも何でも有るじゃないか? ……まぁ、帰って来いって言われて断ったんだろうから、言いにくいかもしれないがね……」
そう答えると、郁郎は緊張した表情を和らげて、ありがとうごさいます、と言い、めぐみの元へと戻って行った。
【へぇ~、優しいんだねぇ~。てっきりダメだって言うと思ってた!】
傍らに居たティンダロスが博士に言うと、やや困ったように頭を掻きながら、
「いや……そりゃあそうだけどさ、兄妹を引き裂くようなつもりは更々無いからね。で……そー言う訳だから、ご理解頂けるかな?」
【あー、はいはい、それはいいよ? ウチのめぐみと共闘するかもしれないって事でしょ?】
「うん、それもあるけど……実は個人的に、もう一つお願いがありまして……」
そう告げる博士が続けてティンダロスに小声で伝えると……
【……あははははは!! やっぱりアンタ、人間にしとくの勿体無いよ!】
そう答えてワキワキと触手を揺らしながら、楽しそうに身体を伸縮させた。
(……まあ、どちらかといったら、人間より混沌の使者なんじゃないかねぇ?)




