皇太子
「……一応聞くけど、目的は?」
ある程度予想はつくだろうに、オルニス皇太子殿下は質問を投げ掛けてきた。
『もしかしたら、別の理由が……』とでも、思っているのだろう。
「フェンネル国王陛下とお会いして、ミモザ王女殿下のことをお話するためです」
「……」
おもむろに目頭を押さえ、オルニス皇太子殿下は小さく肩を落とした。
『やっぱり、それか』とでも言うように。
「ミモザ王女殿下の糾弾でもする気かい?」
「いいえ」
「じゃあ、あの一件の責任をフェンネル国王陛下に問うつもりで?」
「ある意味ではそうですが、どちらかと言うと取引の方が近いですね」
ただ一方的に王室を責め立てて賠償を求めるのではないことを仄めかし、私は穏やかに微笑む。
『作為も悪意もありません』と言葉でも態度でも示す私を前に、オルニス皇太子殿下は悩ましげな表情を浮かべた。
「……本当だろうね?」
「ええ。第一、現時点では王室に責任を問うことなんて出来ませんよ。アニスとミモザ王女殿下の関係を公的に証明することは、難しいですから」
二人の密会現場を押さえた訳でもないため、今のところアニスが勝手に騒いでいるだけである。
フェンネル国王陛下に『言い掛かりだ』と突っぱねられれば、こちらは何も出来ない。
むしろ、逆に名誉毀損として訴えられる可能性もある。
「とはいえ、動かぬ証拠や証言が出てくれば王室も非を認めざるを得ない。そうなれば、国際問題に発展してしまうかもしれません」
我が家からすれば王室は加害者だが、客観的に見るとあちらも被害者と言えなくはない。
少なくとも、『娘を誑かすなんて、けしからん!』とフェアレーター伯爵家を糾弾することは出来る。
まあ、それは伯爵家側も同じなんだが。
『でも、身分や立場を考えるとね』と思いつつ、私は紫の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
「なので、今のうちに落としどころを決めておいた方がレジデンス帝国のためにもいいと思うのです」
早めに対処することの必要性と有用性を説くと、オルニス皇太子殿下は口元に力を入れた。
正論のため、言い返す言葉が見つからないのだろう。
「はぁ……分かったよ。使節団のメンバーに、君を加えよう」
「ありがとうございます」
胸元に手を添えて一礼し、私は感謝の意を露わにする。
と同時に、オルニス皇太子殿下が席を立った。
「いいかい?くれぐれも、問題は起こさないようにね」
こちらまで歩いてきたオルニス皇太子殿下は、私の肩に手を置く。
しっかり圧を掛けてくる彼の前で、私はニッコリと微笑んだ。
「はい、肝に銘じておきます」
『帝国に不利益となるようなことは、しませんわ』と言い、私は再度お辞儀する。
「では、私はそろそろ失礼します。突然の謁見にも拘わらず応じてくださり、ありがとうございました」
「ああ。使節団の出立は三日後だから、早く帰って準備しておくといい」
『急がないと、間に合わないよ』と述べ、オルニス皇太子殿下は肩に置いた手を下ろした。
それを合図に、私は部屋を辞する。
思ったより、時間がないわね。
さっさとフェンネル国王陛下宛てに手紙を書いて、面談の約束を取り付けないと。
せっかく使節団のメンバーに加えてもらったのに、これじゃあ入国しても意味がないわ。
『事前に言っておかないと、恐らく避けられるだろうから』と考え、私は帰宅するなり執務机に向かった。
そして、出来るだけ相手を刺激しないような言葉を選んで手紙を書き上げると、即刻郵送。
「それじゃあ、次は荷物の準備を……」
『荷物の準備をしましょう』と続ける筈だった言葉は、ノック音によって遮られた。
「────ビオラお嬢様、フェアレーター伯爵家よりアニス様を発見したとの報告を受けました」
扉の向こうから聞こえてくる執事の声に、私は僅かに反応を示す。
「あら、随分と早いわね」
正直あと二・三日は掛かると思っていたので、私は少し驚いた。
『余程、見つかりやすい場所にでも居たのかしら』と頭を捻る私の前で、執事はおずおずと言葉を紡ぐ。
「それが────アニス様自ら、伯爵家に現れたそうで……」
「!」
さすがにこの展開は予想しておらず、僅かに目を剥いた。
『一体、どういう風の吹き回し?』と疑問に思いながら、私はおもむろに席を立つ。
「『反省して心を入れ替えたから、帰ってきた』ということ?」
ゆっくりと出入り口のところまで足を運び、私は扉を開けた。
すると、やけに身を縮こまらせた執事が目に入る。
「いえ、その……アニス様のお考えは、変わらないみたいです」
「そう」
すんなり折れる人間じゃないのは分かっていたため、私は然程落胆しなかった。
もちろん、多少残念ではあるが。
「なら、どうしてアニスは戻ってきたの?」
至極当然の疑問を投げ掛けると、執事は顎に手を当てる。
「えっと……伯爵様が聞き取りした限りですと、ご本人はちょっとした家出のつもりだったらしく、元から行方を眩ませる気はなかったようです」
つまり、避難や駆け落ちのために家を抜け出した訳じゃないのね。
相変わらず、アニスは私の予想の上を行くわね。良くも悪くも。
『そこが魅力なんだけど』と考えつつ、私は目を細めた。
────と、ここで執事が口を開く。
「それで、ですね……」
どこか居心地悪そうに下を向く執事は、こちらの顔色を窺ってきた。
『まだ話の続きが?』と思案する私を前に、彼は躊躇いがちに顔を上げる。
「アニス様は帰宅するや否や、ビオラお嬢様は血も涙もない人間だと言い出しまして……」
「へぇ……?それはまた興味深いわね」
『今度は何をするつもりなのか』と関心を持ち、私はゆるりと口角を上げた。
と同時に、執事は少しばかり声のトーンを落とす。
「ビオラお嬢様から、日常的に暴力を振るわれていたと証言しているそうです。また、そのとき親身に相談に乗ってくれたのがミモザ王女殿下で……慕うようになった、とのこと」
「なるほど」
小さく相槌を打ち、私は脳裏にアニスの思惑を浮かべた。
私の評判を落として、『婚約破棄して然るべき人物だ』と主張するつもりね。
その上でミモザ王女殿下を恩人として扱い、結ばれるのもおかしくない空気を醸し出す。
悪くない手だわ。
建国記念パーティーの騒動で実行出来ていれば、の話だけど。
今、やったところで取って付けたような理由だと一蹴されるだけよ。
『まあ、実際そうなのだけど』と思いつつ、私は扉に軽く寄り掛かる。
「フェアレーター伯爵達は、その言い分を信じているの?」
「いいえ。あまりに荒唐無稽な話ですし、証拠として見せられた怪我はどれも新しかったようですから」
『明らかに自作自演でしょう』と主張し、執事はチラリと廊下の窓……その向こうを見た。
「フェアレーター伯爵家はアニス様の身柄を至急こちらへ移送するそうですが、部屋や待遇などはどうなさいますか?」
遠回しに『罰をお与えになりますか?』と尋ね、執事はこちらに向き直る。
どうやら、アニスがこちらに来るのは制裁を下すためだと勘違いしているようだ。
『そういえば、取り決めのことは言ってなかったものね』と考えながら、私は身を起こす。
「部屋は私の隣。待遇は……そうね、幽閉と言ったところかしら」
『ただし、品物は最上級のものを揃えて』と指示し、私は執事の胸元を指先で突いた。
「絶対に逃がしちゃダメよ」
未来の当主として命令を下し、私は部屋に戻る。
心情的にはアニスの出迎えの準備や世話をしたいところだけど、今は使節団の方に集中しないと。
時間がない中、重要な人物と会う支度をしなければならないため、侍女や侍従に丸投げする訳にはいかなかった。
「フスティーシア王国の一件が片付いたらうんと愛でてあげるから楽しみにしていて、アニス」




