話し合い
『これ以上、後手に回る訳にはいかない』と危機感を覚える私の前で、フェアレーター伯爵は書類を持ち上げる。
「ビオラ嬢のお気持ちはよく分かりました。状況が状況なだけに、大きな不安を抱えてしまうのも仕方ありません」
こちらに理解を示すフェアレーター伯爵は、懐からペンを取り出した。
「これでビオラ嬢を安心させることが出来るなら、サインいたします」
迷わず署名欄に記入し、フェアレーター伯爵は出来上がった書類をこちらに差し出す。
『どうぞ』と促してくる彼を前に、私は僅かに頬を緩めた。
「ありがとうございます」
しっかり書類を受け取り、私は侍女の方を振り返る。
『厳重に保管しておいて』という指示を出した上で書類を預け、私は前を向いた。
「それから、最後にもう一つ────フェアレーター伯爵家から、アニスを除籍していただけませんか」
「「!?」」
フェアレーター伯爵達は大きく息を呑み、数秒ほど固まる。
衝撃のあまり声も出ない彼らの前で、私は頬に手を添えた。
「帰る家や頼れる親兄弟が居れば、アニスはいつまでも強気な態度を崩さないでしょう。『虎の威を借る狐』とは少し違いますが、チャンスはまだあるんだと考える筈です」
フェアレーター伯爵家の力を借りられる状態で居るのは良くないと主張し、少し身を乗り出す。
「ここでしっかり、『ミモザ王女殿下と結ばれる未来は絶対に来ない』と分からせる必要があります」
『完全に諦めてもらうことが肝心』だと説く私に、フェアレーター伯爵は悶々とした表情を浮かべた。
「それは……確かにそうですが、さすがに除籍は……」
『やり過ぎなのでは』と抵抗感を示し、フェアレーター伯爵は苦悩を露わにする。
その隣で、長男のフェアレーター小伯爵も憂いと迷いを見せた。
「アニスは私達の大切な家族ですので、出来れば他の方法を……」
譲歩をお願いしてくるフェアレーター小伯爵に、私はスッと目を細める。
「何も本気で『縁を切ってほしい』と言っている訳じゃありません。あくまで、アニスにそう思わせることが出来ればいいだけで」
「なら、尚更除籍じゃなくても……」
「ええ、構いませんよ。他の方法を選びたいのであれば、どうぞお好きに。ただし────」
そこで一度言葉を切り、私はスルリと自身の顎を撫でる。
「────その場合、責任は全てフェアレーター伯爵家に取っていただきます」
アニスがまた問題を起こしたら対策が甘かったということになるので、私は後始末をお願いした。
その途端、フェアレーター伯爵達はサッと顔色を変える。
「「……」」
空色の瞳に憂いを滲ませ、フェアレーター伯爵達は黙り込んだ。
ここで『それでも、いいです』と即答しないあたり、アニスがまた問題を起こす可能性を捨て切れないみたい。
「分かり、ました……ビオラ嬢の提案を呑みます。そこまでやらないと、アニスはきっと懲りないでしょうから」
フェアレーター伯爵は悲痛の面持ちで、苦渋の決断を下した。
『これもアニスのため……』と自分を納得させる彼の前で、長男のフェアレーター小伯爵は頷く。
「先程はつい他の方法でも問題ないように言ってしまいましたが、ビオラ嬢のお考えが正しいです。弟可愛さに判断を誤るところでした。申し訳ございません」
頭を下げて謝罪してくるフェアレーター小伯爵に対し、私は小さく首を横に振った。
「お気になさらず。家族のことですもの、簡単に割り切れなくて当然ですわ」
「そう言っていただけると助かります」
おもむろに顔を上げ、フェアレーター小伯爵はホッとしたような素振りを見せる。
どことなく表情が柔らかい彼を他所に、私は姿勢を正した。
「では、これにてお話は以上となります。お時間をいただき、ありがとうございました」
お開きを宣言し、私はソファから立ち上がる。
そして、フェアレーター伯爵達を玄関まで見送ると、自室に戻った。
「ふふっ……これでアニスを出迎える準備は完璧ね」
実家という拠り所を失い、完全に孤立したアニスを思い浮かべ、私は愉悦に浸る。
もう私の隣しか居場所がないのかと思うと、本当に嬉しくて。
まあ、あくまで『社会的には』の話だが。
まだ油断は出来ない。
駆け落ちの可能性が、残っているから。
むしろここまで追い詰められれば、その選択肢を取る確率が高い。
だから────さっさとミモザ・バシリス・フスティーシアをどうにかしないと。
ゆっくりとソファに腰掛け、私は肘掛け部分をトントンと一定のリズムで叩いた。
「本音を言うと、今すぐ抹消してしまいたいけど……さすがに王族の暗殺はリスクが高いわね」
『準備や後始末も大変だし』と思いつつ、私は腕を組む。
────と、ここで部屋の扉をノックされた。
「ビオラお嬢様、今よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
即座に返事すると、扉の向こうから執事が姿を現す。
優雅に一礼してこちらへやってくる彼は、手元に分厚い封筒を持っていた。
「頼まれていた調査資料です」
「ありがとう」
執事から封筒を受け取り、私は『戻っていいわよ』と促す。
すると、彼は軽く頷いて部屋から出ていった。
「じゃあ、早速確認しましょうか」
誰に言うでもなくそう呟き、私は封筒の中から資料を取り出す。
案の定とでも言うべきか、書類の量は凄まじかった。
まあ────ミモザ・バシリス・フスティーシアの身辺と王国の内情を洗ったのだから、当然なのだが。
しかも、どんなに些細な事柄であろうと余すことなく全て共有するよう指示していたため。
『何が役に立つか、分からないからね』と思案しながら、私は資料に目を通していく。
「フェンネル国王陛下はあまりミモザ王女殿下に関心が、ないみたいね。なら、ある程度のことには目を瞑ってくれそう」
おもむろに視線を上げ、私は口元に手を当てた。
「それどころか、力を貸してくれるかもしれないわ。もちろん、条件次第でしょうけど」
『別にミモザ王女殿下を恨んだり憎んだりしている訳じゃないもの』と考え、私は知恵を絞る。
大量の情報を得ていたおかげか直ぐにいくつか案が思い浮かび、今後の方針を定められた。
「それじゃあ、フェンネル国王陛下と接触してみましょうか」
────と、決意した翌日。
私はフスティーシア王国に行くために、ある人物の元を訪ねた。
「帝国の輝かしい星、オルニス・マント・レジデンス皇太子殿下にご挨拶申し上げます」
皇城の一室にて、私は銀髪紫眼の美青年と向き合い、頭を垂れる。
すると、彼は片手を上げてソレを制した。
「堅苦しい挨拶はいいよ。早速本題に入ってくれ」
ソファに座った状態で少し身を乗り出し、オルニス皇太子殿下はこちらの反応を待つ。
好奇心と警戒心が見え隠れする彼を前に、私は顔を上げた。
「承知いたしました。では、単刀直入に言います────フスティーシア王国へ派遣する使節団のメンバーに、私も加えてください」
「!」
僅かに目を見開き、オルニス皇太子殿下は口元に手を当てる。
どこか苦い表情を浮かべる彼を前に、私は『予想通りの反応ね』と内心肩を竦めた。
オルニス皇太子殿下には申し訳ないけど、こうでもしないとなかなか他国に行けないから。
貴族という立場上、長く領地を空ける訳にはいかないがために。
それに、下手に他国と関われば謀反やスパイを疑われる危険性があるわ。
だから、出来れば“個人的に”ではなく“公的に”入国したいの。
まあ、一番の理由は王国側に接触拒否されるかもしれないから、だけど。
あちらとしては、婚約破棄の騒動の当事者が足を運んでくるなんて不快でしかないため。
『少なくとも、警戒はする筈』と思いながら、私は使節団の仲間入りを強く望んだ。
『国の代表として行けば、門前払いはないだろうから』と考える中、オルニス皇太子殿下は一つ息を吐く。
「……一応聞くけど、目的は?」




