愛する人《アニス side》
◇◆◇◆
────建国記念パーティーの翌日。
僕はこっそり屋敷を抜け出して、ある場所に向かっていた。
チッ……!約束の時間に遅れそうだ!
これも全て父上と兄上のせいだぞ!
昨日、パーティーから帰ってくるなり説教と折檻をしてくるから……!
寝不足と怪我の影響で予定が崩れたことを思い浮かべ、僕は苛立つ。
「おまけに監視まで、付けてきて……!脱出するのに、どれだけ苦労したと思っているんだ!」
思い切り目を吊り上げ、僕は奥歯を噛み締めた。
────と、ここで目的地のカフェが見えてくる。
「……まあ、いい。無事ここへ辿り着けたんだからな」
フツフツと湧き上がってくる怒りを鎮め、僕はカフェに足を踏み入れた。
そして、予約していた個室に入ると、約束の相手である女性が顔を上げる。
「────アニス!待っていたわ」
そう言って、とびきりの笑顔を見せるのは他の誰でもないミモザだった。
太陽のように美しい瞳をうんと細める彼女は、隣の席を叩く。
「ほら、座って」
『早く早く』と急かしてくるミモザに、僕は頬を緩めた。
素直で、明るくて、人懐っこい彼女がとにかく可愛くて。
『早くミモザと結ばれたいな』と改めて思いつつ、席に着いた。
すると、彼女のオレンジがかった金髪からふわりと花の匂いが香る。
「それで、婚約破棄の件はどうなったの?」
ミモザは早速本題を切り出し、顔を覗き込んできた。
期待の籠った眼差しを向けてくる彼女の前で、僕は視線を逸らす。
「言われた通り、宣言はした」
ミモザの計画に沿って行動したことを告げ、僕は前髪を掻き上げた。
「だけど、ビオラは婚約破棄に同意しないつもりのようだ」
「まあ……」
口元に手を当て、ミモザはそっと眉尻を下げる。
「それは困ったわね」
予想と違う展開に戸惑い、ミモザは『ふぅ……』と息を吐き出した。
「ビオラ嬢がムキになって、婚約破棄を拒否しているという線はない?」
「ないな。ビオラは理知的なやつだし」
これでも一応婚約者なので、彼女のことはある程度把握している。
だからこそ、断言出来た。
「そう……ビオラ嬢のこと、高く評価しているのね」
『理知的』という言い回しが気に入らなかったのか、ミモザは拗ねたような素振りを見せる。
太陽のような瞳に不安と憂いを滲ませる彼女に、僕はこう言い聞かせた。
「いや、客観的な意見を言っただけだ。僕個人としては、もう何とも思っていない」
「本当?」
「ああ。何度も言っているが、僕の心はミモザのものだ」
ミモザの手を優しく握り、僕は『ビオラはあくまで過去の女だ』とアピールする。
と同時に、彼女は少し肩の力を抜いた。
「そっか……そうよね。ありがとう」
安心したのか表情を和らげ、ミモザは手を握り返してくる。
『ああ』と小さく頷く僕を前に、彼女は視線を前に戻した。
「とりあえず、ビオラ嬢の対応は変えないといけないわね。彼女の反対を押し切って、婚約を白紙に戻すことは出来ないだろうから」
話を元に戻し、ミモザは悩ましげに眉を顰める。
「どうにかして、説得するしかないけど……こちらの話を聞いてくれるかしら?いや、そもそも何を交渉材料にすればいいの?」
『やっぱり、慰謝料?』と口にし、ミモザは顎を撫でた。
その横で、僕は首を横に振る。
「恐らく、説得は無理だと思うよ。ビオラは僕を愛しているが故に、婚約破棄を受け入れなかったみたいだから」
『どれだけ金を積んでも、納得しないだろう』と主張し、僕はソファの背もたれに寄り掛かった。
「正直、モータル公爵夫妻に働き掛ける方がまだ現実的かな。まあ、ビオラに恥を掻かせた僕達のことを相手にしてくれるかどうかは分からないけど」
とても優しい人達とはいえ、無礼者達にまで心を砕いてくれるとは思えない。
少なくとも、娘の気持ちを無視してまでこちらの願いを聞き入れてくれることはないだろう。
『家族か他人かだったら、間違いなく前者の方が大事だと思うし』と嘆きつつ、僕は顔を上げる。
「なあ、やっぱりミモザのお父上────フェンネル・グラジオラス・フスティーシア国王陛下に頼るのが確実じゃないか?」
『大きな権力で無理やり解決する他ないんじゃないか』と考える僕に、ミモザは困ったような顔をした。
「ここがフスティーシア王国ではなくレジデンス帝国である以上、頼れないわ。さすがに他国の貴族の問題へ介入するのは、ご法度でしょうし」
『帝国からすれば、越権行為でしかないもの』と語り、ミモザは小さく肩を竦める。
国際問題に発展しかねないことを仄めかす彼女の前で、僕は首裏に手を回した。
「せめて、口添えしてもらうことは出来ないのか?」
「難しいと思うわ。たとえ、命令じゃなくて口を出す程度でもかなりのリスクを伴うから」
そっと目頭を押さえ、ミモザは暗い表情を浮かべる。
「王位継承権もない第三王女の私のために、そこまでするとは思えない」
自虐気味に……でも淡々と言い切ったミモザに、僕は小さく瞳を揺らした。
こんな風に自分を卑下するのは、初めて見るので。
『いつも明るく振る舞っているから、少し意外だ』と思案しながら、僕は足を組む。
「そうか。じゃあ、結局のところビオラを何とかするしかないんだな」
場の雰囲気を変えるついでに今後の方針を口にすると、ミモザは背筋を伸ばした。
「ええ。かなり難易度の高いミッションだけど、私達二人ならきっと乗り越えられるわ」
『頑張りましょう』と意気込むミモザに対し、僕は頷く。
「必ずビオラを片付けて、幸せな未来を手に入れよう」




