嘘《アニス side》
「これで、ご理解いただけましたか?」
じっと目を見つめて聞いてくるビオラに対し、モータル公爵と夫人はコクリと頷く。
「あ、ああ……まさか、オルニス皇太子殿下も駆け落ち騒動に関わっているとは知らなかった」
「フェンネル国王陛下が舌と手の切断を許可したことは、騎士達から聞いて知っていたけど……そんな事情があったなんて」
バツの悪そうな顔で俯き、二人は身を縮こまらせた。
「本当にすまない、ビオラ」
「親として、貴方のことを信じるべきだったのに……申し訳ないわ」
小さく肩を落とし、二人は頭を下げる。
後悔や反省といった気持ちを前面に出す彼らに、ビオラはスッと目を細めた。
「構いません。今回は許します。ただし────もう二度とこのような真似は、しないでください」
いつもより少し硬い声色で言葉を紡ぎ、ビオラは一歩前に出る。
「愛する人をみすみす取り逃がすなんて、考えただけでも気が狂いそうなので」
黒い瞳に暗い感情を滲ませ、ビオラは何となく威圧感のある雰囲気を放った。
すると、モータル公爵と夫人はそっと目を伏せる。
「ああ……分かった」
「今後、干渉はしないと誓うわ……」
罪悪感を孕んだ声色で了承し、二人はすごすごと退散していく。
えっ?ちょっ……!さっきの約束は……!?
ここから連れ出してくれるという話を思い返し、僕は少し身を乗り出す。
と同時に、モータル公爵と夫人がチラリとこちらを見た。
心苦しい様子で軽く会釈してくる二人に対し、僕は眉間に皺を寄せる。
予想はしていたが、やっぱりあの約束はなしか……!
モータル公爵と夫人が、最後の頼みの綱だったのに……!
どうにかして、説得出来ないか……!?でも、どうやって!?
あっ!今、暖炉でミモザの舌と手を焼いているのを伝えるのはどうだ!?
それをしたのがビオラ自身だと知ったら、もう一度味方になってくれるかもしれない!
微かな希望を見出し、僕は口を開いた────が、言葉を紡ぐことはなかった。
何故なら、直前になって怯んでしまったから。失敗したときのことを思うと……。
震える手を握り締め、僕は静かに閉まる扉をただ眺める。
────と、ここでビオラが腰に手を当てた。
「ねぇ、アニス。今、何をしようとしたの?」
「ぁ……いや……」
なんと答えるべきか迷い、僕は狼狽える。
目を合わせるのが怖くて俯く僕を前に、ビオラは腕を組んだ。
「まあ、いいわ。既のところで思い留まったみたいだから、深くは聞かないであげる。ただ、さっきの……お父様達の提案を受けたのは、いただけないわね」
思ったより早い段階から盗み聞きしていたのか、はたまた誰かから教えてもらったのかビオラは完全にこちらの会話を把握していた。
思わず表情を引き攣らせる僕の前で、彼女は笑みを深める。
「私、確かに言ったわよね?『お願いだから、これ以上選択を間違えないで』って」
数時間前に言ったセリフを持ち出し、ビオラはゆっくりとこちらに近づいてきた。
その瞬間、僕は後ろへ下がる。
本能的に『逃げなきゃ』と感じたため。
「び、ビオラ、話を……っ!?」
不意にベッドに膝裏をぶつけ、僕はバランスを崩した。
尻餅をつく形でベッドの上へ着地する僕を前に、ビオラは少しばかり身を屈める。
そして、僕の手や太ももに触れてきた。
『まずは、貴方の手足』
僕はあのとき聞いた言葉を思い浮かべ、サッと血の気が引く。
不味い……!このままだと、本当に手足を失うことになるかもしれない……!何とかしないと……!
とてつもない焦りと不安を覚えつつ、僕は必死に知恵を絞った。
が、直ぐに妙案など思いつく筈もなく……四苦八苦する。
そうこうしている間にも、ビオラが距離を縮めてきて……僕は咄嗟に────
「ぁ……愛している、ビオラ!」
────嘘をついた。
すると、ビオラはピタッと身動きを止める。
もしかして、怒ったか……?
まあ、このタイミングで愛の告白なんて誰がどう見てもゴマすりや媚び売りだって分かるもんな。
不快になっても、おかしくは……えっ?
不意に頬を赤く染めるビオラが目に入り、僕は瞳を揺らした。
『ゆ、夢か……?』と困惑する僕の前で、彼女はクスリと笑みを漏らす。
「ありがとう、アニス。嘘でも、嬉しいわ」
自身の胸元に手を添えて、ビオラは喜びを噛み締めた。
かと思えば、僕の頬にそっと触れる。
「今回はその言葉に騙されてあげる」
言外に見逃すことを宣言し、ビオラは僕の額にキスした。
ビクッと大きく体が跳ねる僕を前に、彼女は身を起こす。
『じゃあ、そろそろ部屋に戻るわね』と口にし、ビオラはこの場を後にした。
「……助かっ、た?」
まだ確かに繋がっている手足を見下ろし、僕は脱力する。
そのままベッドに寝転んで安堵の息を吐き、僕は額に手を当てた。
まさか、『愛している』と言っただけで許されるとは。
ビオラって、案外単純だな。
それに────可愛かった。
これまでビオラを綺麗や美しいと感じることはあっても、慈しみを抱くことはなかったので軽く衝撃を受ける。
「あいつもちゃんと女の子なんだな」
人間味のなさ故、ビオラのことをどこか人形のように思っていた僕はしみじみと呟いた。
と同時に、なんだかとても擽ったい気持ちとなる。
「今なら……ビオラのことをもう一度、好きになれるかもしれない」
確実に変わり始めている自分の心境を前に、僕は少しばかり頬を緩めた。




