後日談:幸せな時間
「スカーレット、この前描いてもらった絵が届いたわよ」
午後、わたしの部屋を訪れたアシュリーがそう言った。
この離宮に移る前に、王城の庭園で画家に絵を描いてもらった。
実はその時に頼んだのは一枚ではなかったので、それもあって少し時間がかかったようだ。
「どこに飾るかも相談したいし、一緒に見に行かない?」
「ああ、是非」
差し出されたアシュリーの手に、自分の手を重ねる。
エスコートとはまた違うが、アシュリーと一緒にいる時はよく手を繋いでいる。
普段なら利き手が使えなくなるのは嫌なのだけれど、アシュリーはわたしより強いし……何より、アシュリーには命を預けてもいいと思える。だから、大切な利き手も預けられる。
二人で並んで歩くのも実は嬉しい。
アシュリーと共に応接室の一つに移動する。
用意された絵はどれも丁寧に描かれていて、綺麗だった。
婚約発表の夜会の装いで描かれたわたしとアシュリー、個別に描いてもらったお互いの肖像画。それから私服のわたしとアシュリーが抱き締め合って微笑んでいる姿。
王家専属の画家だけあって、まるで鏡を見ているかのように似ている。
「すごいな。こんなに緻密で本物そっくりの絵は初めて見た。公爵家も有名な画家に依頼はしていたけれど、ここまで繊細ではなかった。……いや、画風の違いか?」
上手い下手もあるだろうが、恐らくその画家独特の描き方があるのだろう。
絵を汚さないよう、口元にハンカチを当てつつ、近くでまじまじと眺める。
「この画家はとても目が良いのよ。そして、自分の見たものを精巧に描き写せるの」
「王家専属になるのも頷ける」
しばらく見て、それからアシュリーに振り返る。
「絵のアシュリーも、本物のアシュリーも格好良いな」
「ふふ、ありがとう。スカーレットもとても美人よ」
アシュリーに抱き寄せられ、一歩下がって絵を眺める。
二人でいる時のわたし達は幸せそうで、きっと、普段のわたし達もこうなのだろう。
第三者から見てもそれが伝わってくるということか。
……確かに、毎日幸せだ。
「どこに飾ろうかしら? 玄関、居間……ギャラリーに置いてもいいわね」
うーん、と悩むアシュリーが微笑ましい。
「この二人の絵と肖像画はギャラリーに、こちらの絵は居間に飾らないか?」
「……そうね。確かに、この絵はちょっと私的すぎるから居間がいいかもしれないわね」
婚約発表の装いで並んだ絵とそれぞれの肖像画はギャラリーに飾って問題ないが、私服で抱き締め合っているわたし達の絵は、ギャラリーに飾るにはあまりに私的な雰囲気のものだった。
それなら、わたし達が普段使う居間に飾るほうがいいだろう。
抱き締め合って笑っている絵は、我ながら本当に幸せそうだ。
「……素敵な絵を描いてもらえたな」
アシュリーにすり寄れば、肩を抱かれる。
「ええ、本当に。……アタシもスカーレットも幸せそうね」
そう言ったアシュリーの声は柔らかくて、心地好い。
肩に触れているアシュリーの手に、自分の手を重ねた。
「『幸せそう』ではなく、わたしは『幸せ』だ」
「アタシも『幸せ』よ」
二人で微笑み合う。
きっと、今、わたし達はこの絵と同じ笑みを浮かべているのだろう。
二人で絵を眺めていると部屋の扉が叩かれた。
そうして、ルヴェナが入ってくる。
「スカーレット様、レヴァイン公爵家から荷物が届いております」
「ああ、あれか。もう届くなんて早いな」
アシュリーが不思議そうに小首を傾げている。
そんなアシュリーを見上げて、微笑んだ。
「アシュリーに渡したいものがある」
「あら、何かしら?」
「それは見るまでのお楽しみだ」
アシュリーと手を繋ぎ、またわたしの部屋に戻る。
部屋のテーブルにはあまり厚みのない、けれど大きな箱がいくつか置かれている。
二人でソファーに座ってから、箱を手で示す。
「アシュリー開けてみてくれ」
促すと、アシュリーが箱に手を伸ばした。
開いてしまわないよう、しっかりと縛ってある紐を解き、蓋が開けられる。
中身を見たアシュリーが目を丸くして、すぐにわたしへ顔を向ける。
「これ、アタシがもらっていいの?」
それは、わたしの幼い頃の絵だった。
公爵家を出る前に弟に密かに頼んでおいたのだ。
家に飾ってあったわたしの絵の複製をいくつか送ってほしい、と。
少し遅れるかもしれないと言っていたけれど、丁度いい頃合いに送ってくれた。
「公爵家に飾ってあったものの複製品だが……あちらに行った時、アシュリーが熱心に見ていたので頼んでおいた。邪魔でなければ、ギャラリーでアシュリーの昔の絵と共に飾ってほしい」
「邪魔だなんてありえないわ。……これで小さい頃のスカーレットをいつでも見られるわね」
機嫌が良さそうにアシュリーが絵を眺める。
ニコニコしていて、本当に嬉しそうだ。
……なるほど。
アシュリーが見ているのはわたしの絵だが、こうして絵ばかり見ていると少しばかり面白くないと思う。これが嫉妬というものか。
手を伸ばし、アシュリーに抱き着く。
「スカーレット?」
不思議そうに名前を呼ばれ、わたしはアシュリーに口付けた。
「その絵もわたしだが、本物のわたしのほうを見てほしい」
「……もしかして嫉妬したの?」
「ああ、そうらしい」
目を瞬かせた後、アシュリーが幸せそうに笑う。
「ごめんなさい、レティ」
「全く申し訳なさそうに見えないな」
「だってすごく嬉しいんだもの」
ギュッとアシュリーがわたしをやや強めに抱き締める。
ほど良い締めつけと温もりが心地好かった。
その後、わたし達の絵はギャラリーと居間に飾られることになった。
わたしの幼い頃の絵はアシュリーの幼い頃の絵と並んで飾られ、たまにアシュリーが見に行っているらしい。気に入ってもらえて何よりだ。
わたしもアシュリーの幼い頃の絵も見に行ったが、美少女みたいに可愛かった。
「アシュリーは昔から可愛かったんだな」
絵を見てわたしがそう呟くと、何故かわたしの護衛をしていたシェーンベルク殿が小さく噴き出し、バネッサに肘打ちを入れられていた。
* * * * *
「それで、兄上と話したのだけれど──……あら?」
ふと肩に感じた重みにアシュリーは顔を動かした。
横を見れば、肩にスカーレットが寄りかかっている。
「スカーレット?」
と声をかければ、すぐにスカーレットは顔を上げた。
「……ああ、すまない。午前中、騎士達との手合わせに、つい熱が入ってしまって……」
いつも気を張っている様子のスカーレットがうたた寝をするとは珍しい。
昼食を終え、午後の穏やかな時間に眠気が訪れてしまったのだろう。
ふあ、と欠伸をするスカーレットの少し無防備な姿が微笑ましく、嬉しい。
こういう姿を見せてくれるほど、気を許してくれているのだ。
「昼寝をするのはどうかしら?」
「だが、寝たらアシュリーとの時間が減るだろう……」
こんなに眠そうなのに、一緒に過ごす時間のために頑張って起きようとしているらしい。
スカーレットはよくアシュリーのことを『可愛い』と言うが、アシュリーのことを愛して、共にいる時間を大切にしてくれるスカーレットのほうが可愛い人だ。
それでも、よほど眠いらしく、何度も欠伸をしたり目元をこすったりしている。
「スカーレット、横になっていいわよ」
膝を叩いてみせれば、スカーレットがキョトンとした顔をした。
ややあって意味を理解した様子で問いかけてくる。
「……いいのか?」
「ええ、もちろん」
スカーレットの肩に触れ、そっとソファーに寝転がらせる。
その頭がアシュリーの膝の上に控えめに乗せられた。
顔はテーブルのほうを向いているが、紫の目がチラリとこちらの様子を窺う。
出来るだけ優しく微笑み、髪型を崩さないようスカーレットの頭を撫でる。
最初は体に力が入っていたスカーレットだったけれど、何度か頭を撫でているうちに、その体から力抜ける。
眠そうな横顔に声をかけた。
「寝てもいいわよ」
既にウトウトと微睡んでいるスカーレットが言う。
「……だが、アシュリーは暇では、ないか……?」
「大丈夫。こうしてあなたに膝枕をしているのが、とても楽しいわ」
「……そうか……」
フッとスカーレットが小さく笑い、目を閉じる。
「……それなら、お言葉に甘えるとしよう……」
そして、少ししてスカーレットが規則正しい寝息を立て始めた。
穏やかな昼下がりの、暖かな室内は確かに居心地が良い。
静かな室内に、暖炉の薪が小さく爆ぜる音が時々、響く。
スカーレットの侍女になったテセシア嬢が静かに動き、ソファーの横にサイドテーブルを置き、そこにティーカップや菓子などを移動させ、アシュリーが手を伸ばせるように配置する。
それに視線で礼を伝え、アシュリーはスカーレットに視線を戻した。
起きている時はキリリとした表情が多いが、眠っている時は幼く見える。
……いいえ、スカーレットは十八歳だものね。
歳よりも大人びて、自信に満ちていて、常に堂々としている。
だからつい、歳よりも上に扱ってしまいがちだが。
貴族の令嬢としてはようやく結婚適齢期になったばかりだ。
静かに眠っているスカーレットの目元にかかった前髪を、起こさないよう気を付けつつ、横に退けてやる。それでも起きる気配は微塵もない。
……無防備よね。
アシュリーにそれだけ心を開いてくれているのだろうが、たまに、異性として見られているのか心配になることもある。
けれどもスカーレットを見ていると他の人間に向ける表情と、アシュリーに向ける表情は異なっており、いつだってスカーレットはアシュリーを愛情のこもった眼差しで見つめてくる。
スカーレットは言葉でも、行動でも、アシュリーへの愛を伝えてくれる。
それがとても嬉しかった。
初恋は実らないなんて嘘だ。
こうして、初恋はアシュリーの腕の中にいる。
ずっとずっと、あのたった一度の出会いに焦がれていた。
……愛しているわ、スカーレット。
初恋が風邪のようなものと言うなら、アシュリーは長い風邪にかかっている。
そして、これからも永遠にその風邪を引き続けたいと思う。
スカーレットの可愛らしい寝顔を眺めていれば、スカーレットが寝言を呟く。
「……アシ、リー……」
どうやら、スカーレットの夢の中にアシュリーが出て来ているらしい。
……夢の中でもアタシ達は一緒かしら?
そうだとしたら、舞い上がってしまいそうだ。
控えている侍女に小さな声で話しかける。
「何かアタシが読めそうな本はあるかしら?」
今日は休みなので、このままゆっくり過ごすことが出来る。
「少々お待ちください」
侍女が下り、すぐに本を手に戻ってくる。
それをサイドテーブルに置く。
「先日、スカーレット様が『面白い』とおっしゃられていた本です」
「そう、ありがとう」
本の一頁目に軽く目を通せば、歴史家によるミレリオン王国の歴史解釈本だった。
……スカーレットは真面目ね。
ミレリオン王国や王家の歴史を学んだり、貴族を覚えたり、忙しいだろうにこういう本を読んでまだ勉強をしているというところに、スカーレットの真面目さが窺える。
…………確かに、この本は面白いわ。
膝の上のスカーレットに触れないよう気を付けつつ、本を読む。
スカーレットが起きたら本について話が出来るように読んでおこう。
そして、スカーレットが起きるまで本を読んで過ごしたのだった。
本が思いの外、面白くてつい読み耽ってしまった。
二時間ほど昼寝をして、起きたスカーレットが、ふあ、と欠伸をする。
「すまない、寝過ぎた」
少し寝癖のついてしまった髪に手を伸ばし、スカーレットの頭を撫でるように整えてやる。
それに気付くとスカーレットは照れたように微笑んだ。
「足は痺れていないか?」
「大丈夫よ。あ、でも本は借りたわ」
持っていた本を渡せば、スカーレットがそれを受け取る。
「ああ、構わない。……読み終えたか?」
「ええ、とても面白かったわ。独特だけど鋭い視点で歴代国王の采配や歴史の動きを解釈していて、我が国の歴史がこんなに面白く感じるなんて。この歴史家は相当、頭が良かったのね」
「そうだろうな。こういう考え方もあるのかと勉強になる」
それから、二人で本について話しながらお茶の続きをする。
何もしない時間というのも、穏やかで贅沢なものだった。
何よりスカーレットに膝枕をする時間はそれだけで楽しかった。
ふと、スカーレットがアシュリーを見て、微笑んだ。
「そうだ、次の休みに今度はわたしがアシュリーに膝枕をしよう」
それはアシュリーにとって、何よりのご褒美である。
「まあ、嬉しい。次の休日が楽しみだわ」
きっと、その日はとても良い一日になるだろう。
手を伸ばせば、スカーレットが見つめてくる。
顔を寄せて口付けた。
唇が離れるとスカーレットが目を細めて、柔らかく笑う。
「何だか、今日は最高に良い一日だった」
スカーレットの嬉しそうな様子が、アシュリーも嬉しかった。
* * * * *
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
これにてスカーレットの物語は終わりとなります。
明日からは新作「灰かぶり姫の姉だったので、魔法使いの助けを借りました。」を更新していく予定です。
前20話と短いお話ですが、こちらも毎日更新していきますのでお楽しみください!
ちなみに初日更新は朝夕の2回ですのでお忘れなく( ˊᵕˋ* )




